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竹丸和幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
竹丸 和幸
読売ジャイアンツ #21
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県広島市東区
生年月日 (2002-02-26) 2002年2月26日(24歳)
身長
体重
179[1] cm
76[1] kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2025年 ドラフト1位
初出場 2026年3月27日
年俸 1600万円(2026年)[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

竹丸 和幸(たけまる かずゆき、2002年2月26日 - )は、広島県広島市東区矢賀出身のプロ野球選手投手[1][3][4][5]。左投左打[1]読売ジャイアンツ所属[1]

経歴

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プロ入り前

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幼稚園のときに父親にゴムボールを買ってもらい、その父とキャッチボールをするようになったのが野球との関わりの始まり[6]。広島市立矢賀小学校2年生の時に地元の野球チーム(温品ヤングウルフクラブ)に入る[3][5][6]広島市立二葉中学校までは軟式野球チーム(広島スターズ) でプレーしていた[7]薮田和樹は小中の先輩にあたる。しかし当時は体が小さく、同チームでは4番手投手扱いだった[6]

崇徳高等学校に進学するが、入学時点では身長が157cmしかなかった[6]。2年時の夏に應武篤良が監督に就任すると、秋の地区大会で初めてベンチ入りを果たした。3年夏の地区大会では広島国際学院高校との4回戦で先発登板するが、4回1失点の投球もチームは1-3で敗れた。高校で野球を辞める方向であったが、應武監督が「城西大の練習会に参加しろ」と命じ、大学に進学後も野球を続けた[8]。このため本人も、後に「あの時、野球を続ける方向で進めてくれた應武さんのおかげ」と語っている[6]

城西大学では主に救援投手を務めた[7]。2年の春に2部リーグで初めて登板機会があった。4年春までは2部であったが、4年秋には1部に昇格して3勝1敗、防御率1.52(リーグ2位)の好成績を残した[8]

城西大学を卒業した後は2024年鷺宮製作所に入社[9]。それまでやってこなかったウエートトレーニングを始めたことが転機となり、2年で体重が8kg増加。球速もそれまでの最高149km/hから152km/hにまで上昇した[10]。2024年秋から本格的に先発投手に転向[11]2025年の春の全国大会では準決勝のJFE東日本との試合で先発登板。8回2失点と好投し、チームの優勝に貢献した[8]。同年夏の第96回都市対抗野球大会では計11回を投げ15奪三振を記録し、スカウト陣の評価を上昇させた[12]。また、秋の同大会でも主力投手として出場を果たした[13]

2025年のドラフト会議前には、読売ジャイアンツがドラフト1位で指名すると公言した[7][14][13]。10月23日に行われた同年のドラフトでは、公言通り読売ジャイアンツよりドラフト1位で指名を受けた[15][10]。11月20日に入団交渉に臨み、契約金1億円プラス出来高、年俸1600万円で入団に合意した(金額はいずれも推定)。背番号は21[2]

巨人時代

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2026年オープン戦から好投を重ねた。エース格の戸郷翔征の不調と、山﨑伊織の右肩のコンディション不良による戦列離脱という事情もあり、1年目にして監督の阿部慎之助より開幕投手に指名された[16]。3月27日の開幕試合(対阪神タイガース第1回戦、東京ドーム)では、6回3安打1失点と好投し、勝利投手となった。球団で新人が開幕投手を務めるのは1962年の城之内邦雄以来64年ぶり[注 1]で、勝利投手となったのは90年の歴史を持つ球団として初の快挙ともなった[17]。NPB記録としても新人の開幕投手による勝利は1958年南海杉浦忠以来68年ぶりの快挙、またこの日は千葉ロッテマリーンズの新人毛利海大も先発初勝利を挙げたため、2人の新人投手が開幕戦初勝利となると1952年開幕戦で阪神三船正俊広島大田垣喜夫の新人2投手が勝利して以来74年ぶり2度目の記録となった[18]

選手としての特徴

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最速152km/hを計測する左腕[2]。変化球の精度が高く、決め球のチェンジアップに加え、スライダーカーブカットボールを細身の体で巧みに操る[8]。先発タイプで長い回を投げることができ、フォームのバランスや力感が高く評価されている[14]

人物

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広島県広島市出身ではあるが父親の影響もあり幼少期は阪神ファンであった[16]

詳細情報

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記録

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初記録
投手記録
打撃記録
  • 初打席︰2026年3月27日、対阪神タイガース1回戦(東京ドーム)、3回裏に村上頌樹から空振り三振

背番号

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  • 21(2026年[2] - )

脚注

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注釈

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  1. ^ 奇しくも城之内邦雄も、当時の本拠地であった後楽園球場での阪神タイガース相手の開幕戦先発であった。

出典

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  1. ^ a b c d e 竹丸和幸 選手情報 読売ジャイアンツ”. 読売ジャイアンツ. 2026年3月28日閲覧。
  2. ^ a b c d 巨人ドラ1の竹丸和幸 背番号「21」に決定「番号に恥じない選手に」 過去には藤田元司氏や堀内恒夫氏」『スポニチアネックス』2025年11月20日。2025年11月23日閲覧
  3. ^ a b 読売ジャイアンツ竹丸和幸(たけまるかずゆき)”. 週刊ベースボールONLINE. ベースボール・マガジン社. 2026年3月28日閲覧。
  4. ^ 竹丸和幸(広島・崇徳高出)は巨人1位指名」『中国新聞中国新聞社、2025年10月23日。オリジナルの2026年3月28日時点におけるアーカイブ。2026年3月28日閲覧。
  5. ^ a b 『やが学区だより』 (PDF) VOL.5 2026年(令和8年)1月号
  6. ^ a b c d e 読売新聞(東京本社版)2025年12月11日付 朝刊19面
  7. ^ a b c 【巨人】ドラフト1位で鷺宮製作所の152キロ左腕竹丸和幸の指名公表 佐々木麟太郎もリスト入り」『日刊スポーツ』2025年10月22日。2025年11月23日閲覧
  8. ^ a b c d 浜木俊介「スカウトの評価が上昇中!鷺宮製作所・竹丸和幸投手が操る多彩な変化球」『スポーツ報知』2025年4月6日。2025年11月23日閲覧
  9. ^ 浜木俊介「鷺宮製作所・竹丸和幸、日の当たらない道歩んできたサウスポーが今、注目選手に…イチ推しドラフト候補」『スポーツ報知』2025年9月27日。2025年11月23日閲覧
  10. ^ a b 水谷京裕「【ドラフト】巨人1位竹丸和幸「10年間1軍で活躍」虎党の父から「おめでとうっていう言葉だけ」」『日刊スポーツ』2025年10月24日。2025年11月23日閲覧
  11. ^ 巨人ドラフト1位・竹丸和幸は遅咲き左腕「東京ドームで投げるのが楽しみ」…阿部監督「球界を代表する投手に」」『讀賣新聞オンライン』2025年10月23日。2025年11月23日閲覧
  12. ^ 中日1位指名候補・竹丸和幸、“ひょうひょう”精密機械左腕 緊張「ない」順位も球団もこだわり「ない」 井上監督「投手でいきます」 さぁ運命のドラフト」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』2025年10月22日。2025年11月23日閲覧
  13. ^ a b 【巨人】1位指名は即戦力左腕 先発も担える鷺宮製作所の竹丸和幸【ドラフト会議】」『日テレNEWS NNN』2025年10月22日。2025年11月23日閲覧
  14. ^ a b 巨人が鷺宮製作所・竹丸和幸の1位指名を公表 佐々木麟太郎もリスト入り」『サンスポ』2025年10月22日。2025年11月23日閲覧
  15. ^ 【ドラフト】巨人1位・竹丸和幸が長所をアピール「自分の調子に関わらず試合を作れる」」『東スポWEB』2025年10月23日。2025年11月23日閲覧
  16. ^ a b 【巨人】電撃決定!開幕投手にドラ1竹丸和幸 球団新人64年ぶり…エース離脱で阿部監督が異例の決断 3・27「ファンだった」阪神相手に大役」『スポーツ報知』2026年3月17日。2026年3月17日閲覧
  17. ^ a b 巨人ドラ1竹丸和幸が球団初快挙! 球団64年ぶり新人開幕投手で6回1失点快投、勝利投手に」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社。2026年3月27日閲覧
  18. ^ “ルーキー左腕2人がプロ野球74年ぶり2度目快挙!巨人・竹丸&ロッテ毛利が開幕戦プロ初登板初先発初勝利”. Sponichi Annex. 2026年3月27日. 2026年3月28日閲覧.

関連項目

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外部リンク

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