【槍弓】呪いの槍と骨董屋【WEB再録】
槍ニキが呪いの槍で、弓がちょっと不思議な力を持つ骨董屋という謎の現パロ槍弓(たぶん槍弓/ほぼカプ要素はないかも)本の再録です。当時手に取っていただいた方、ありがとうございました!
そのうちもうちょいWEBで読みやすいように手直しするかも。
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衛宮骨董店。
亡き養父が気まぐれに始めたこの店は、主に武具の類の古美術品を扱う店だ。とはいっても、さしたる商品はない。本物と呼べるようなものはほとんどなく、店先に並んでいるのは大抵が贋作だ。
骨董店というよりは、趣味で集めた贋作を展示しているアトリエに近い。そんなものだから養父の代から閑古鳥が鳴き続け、私が引き継いだ今も同じ状況だった。
幸い、私の本業は翻訳の仕事だ。店を継いだ今でもそちらで食べていく分には稼げているので、店の現状を改善する必要はない。
どういうわけか修理店と勘違いした老人が壊れたラジオを持ち込んでからは、時折修理屋の真似事もしていた。最近じゃほとんどの来店客はそちらが目的で、いっそ店名を衛宮修理店に変えようか悩むところだ。
とはいえ、それでもごくまれに『衛宮骨董店』に用がある来店客もいた。悲しいことに、その大半が厄介事を背負ってくるのだが。
「呪いの槍?」
「ええ。その通りです、アーチャー」
私の言葉に長身の美しい女性……メデューサは頷いた。その拍子にはらりと落ちた長い髪を耳にかけ直し、私が出した紅茶に口をつける。
レンズ越しの視線は壁に立てかけられた棒に向けられている。彼女が私の店に持ち込んだものだ。白い布に包まれたそれはずいぶんと長く、私の背丈以上はある。
話を聞く限り、あれがその『槍』なのだろう。
「もう少し詳しく話してくれ」
「これを手に入れたのは私ではないので、伝聞になりますが。とりあえず御覧になってはいかがです?」
見ただけで呪われるといったものではないので。
そう付け加えて、彼女は手を伸ばした。私が返答をする間も与えず、その手が布を取り払う。
目に飛び込んできたのは赤だ。まるで鮮血のように強烈な赤で彩られた槍。穂先には稲妻のような切れ込みがあり、長い柄には茨に似た装飾が施されている。
「……これが、呪いの槍?」
「ええ」
美しい槍だった。
人ならざる者の手によって作られたのではないかと錯覚しそうになる。人を惹きつけると同時に、恐れさせるような美しさだ。
「ご存知の通り、うちは日用品や家具類のアンティークが専門です。それなのにあのワカ……シンジが、勝手にこの槍を手に入れまして」
棘のあるメデューサの言葉に苦笑する。
彼女は間桐慎二・桜の兄妹が経営する骨董屋の住み込み従業員だ。だが、雇い主の一人である慎二との関係はあまり良くない。
まあ無理もない話か。間桐慎二のことは昔から知っている。彼は少し癖がある男だった。経営者としての才覚はあるが、それ以外で摩擦を招くことがままある。その辺りを補っているのが、妹の桜君だった。
メデューサはどこに行ってもやっていける、優秀な鑑定士だ。それでも彼女が慎二の店に勤め続けているのは、ひとえに桜君のおかげだろう。彼女が桜君のことを慕っているのは、言動の端々から感じられる。
「正しくは、所有者の心臓を穿つ『呪いの朱槍』と呼ばれているそうです。なんでも、槍を所有したものは死んでしまうとか」
「『バサーノの花瓶』のようなものか?」
もしくはバズビーズチェアか。いや、所有しただけというのならば『泣く少年の絵』のほうが近いか? 呪われた品の有名どころだ。真偽は定かではないが。どれも所有者に死を招くといわれている。
「ええ、近いものではないかと。記録を遡れる限りで調べたのですが、過去の所有者たちは大抵が心不全で亡くなっているんです」
心不全ならば特段珍しい病でもない。それだけなら不幸な偶然が続いた可能性も考えられる。滅多にない話ではあるが、絶対ではないだろう。むしろ関連性のない事象を結びつけ、箔を付けようとするのはよくある話だ。
彼女も初めはそう考えていたらしい。けれど死亡した所有者たちを調べていくうちに、そうも言っていられなくなってしまった。彼らの心臓には奇妙な……まるで槍に穿たれたような『穴』があったとなれば、呪いの噂は途端に信憑性を持つ。
「シンジがどうなろうと私はかまいません。けれどアレでも桜の兄ですし、もし彼が死ねば、次は桜が槍の所有者になってしまう」
それは本意ではないと、メデューサは首を横に振る。相変わらず慎二と桜君の扱いに差があるな。これも兄妹の日頃の行いの差なんだろうが。
しかし呪いの朱槍か。誰がつけたかは知らないが、これ以上ないほどわかりやすい名前だ。
つまり、厄介なものだということが名前を聞くだけでわかる。何故そんな代物に間桐慎二は手を出したのか。
いや、疑問に思うほどではなかったな。あいつは昔からわかりやすい地雷を踏みに行くやつだ。懐かしくも苦い思い出に、つい嘆息する。
とはいえ、槍を欲した慎二の気持ちは多少なりとも理解できる。この造形を一度見れば、誰しも手に入れたいと願ってしまうだろう。それほどまでに美しい槍だった。
「それで私のところに来たと」
「貴方はこういった曰くつきの代物も取り扱っていると、桜から聞いていたので」
「元々取り扱っていたわけではないのだがね」
我々骨董屋が取り扱う古美術品に、『曰く』がつくのはよくある話だ。よくある話だが、神秘の類とは縁遠い現代。大抵の場合それらは「そう言われているだけ」に過ぎない。
だが稀に本物は存在する。私はそれを知っていた。いや、知らざるを得なかったとでも言うべきか。
細く息を吐き、槍の柄に触れる。
途端、ぞわりと総毛立った。触れた指先から紅い荊が絡みつくような痛み。脳裏に浮かんだのは青い毛並みの獣だ。鮮血の瞳でこちらを見つめている。
その獣が大きく口を開いて、牙を私の心臓へと突き立て──
「アーチャー?」
メデューサの声で現実に引き戻される。
気づけば全身が汗でびっしょりと濡れていた。すうっ、と私が息を吸った音が室内に響く。
「大丈夫ですか?」
「……ああ、大丈夫だ」
気付けば、菫色の瞳が気遣うようにこちらを覗き込んでいる。それに応えつつ、かぶりを振った。
ゆっくりと息を吐き、槍に触れた手のひらを何度か開いては閉じる。
外傷はない。先ほどの絡みつくような痛みはもう引いていた。代わりに、痺れたような感覚が指先に残っている。
「その様子ですと、やはり呪いは本物でしょうか」
「……そうだな、間違いない」
彼女の問いに、確信を持って頷く。
どれにおいても凡庸な私だが、ひとつだけ才能と呼べるものを持っている。サイコメトリングとでも言えばいいのだろうか。私はこの手で触れた物の本質を『視る』ことができた。
美術品として贋作か真作かを見分けられるという話ではない。私が視るのはあくまで『曰く』が本物かどうかだ。真作であれ贋作であれ、ただの『モノ』に触れたところで視るものはない。
だがこの槍のような『曰く憑き』に触れた場合、『視える』イメージがあった。それは人であったり動物であったり、風景だったこともある。
この槍のイメージは獣だ。
犬、もしくは狼に似た外見だったが、言葉にするのならばこちらのほうがしっくりと当てはまる。素早く確実に獲物を咬み殺す、牙を持った生き物。
美しくも恐ろしい獣だった。
「これはこちらで預かろう。……いや。今ここで買い取らせてくれ」
この槍の『曰く』は本物だ。このまま慎二が所有すれば、これまでの所有者と同じく命を失うことになりかねん。
だがここで間桐慎二が生きている間に槍を買い取れば、所有者は彼ではなく私になる。呪いの矛先をひとまず私に向けて、それから策を練ることにしよう。
「それは……かまいませんが」
私の提案に、メデューサは戸惑ったように小首を傾げる。……ああ、それもそうか。呪いが本物と知りながら引き取るなんぞ、怪しすぎる。
「私が所有者になれば、慎二に害は及ばないはずだ。早々に槍を手放すことに文句は言うかもしれんが、そこはうまくやってくれ。これは桜君の身の安全のためでもある」
もし一度でも手に取った者を呪い殺すのであれば、私が買い取ったところで無意味だろう。だが間桐慎二より前の所有者にあたる競売所のオーナーは健在らしい。一時的な所有ならば呪いをかわせる可能性がある。
「誓って、この呪いを悪用したりはしない。信じてくれないか」
現状、一番有効なのはこの手だ。それにこの手なら最悪の結果になったとしても、桜君が槍の所有者になることは防げる。そう悪い話ではないはずだ。
「シンジに関してはどうとでもなります。ですが」
一度言葉を止めて、メデューサはかぶりを振った。レンズの向こう、菫色の瞳が訝しげに私を見つめる。
「貴方は拒否しないのですね」
「何をだ?」
「この槍を、ですよ。貴方はこれを本物と認識した。何か危険なものが『視えた』のでしょう? なら、手に負えないから持ち帰れと私に言うべきでしょうに」
何を言うかと思えばそんなことか。私の能力を知っているのは限られた人間だ。メデューサはそのうちの一人だった。だからこそ彼女は呪いの真偽を確かめるために私の元へ槍を持ち込んだのだろう。ならば呪いが本物だとわかった今、槍を持ち帰る必要はない。
この槍は相当厄介な代物だ。視えたイメージは今まで視た中でも一段と強烈だった。このまま間桐家に槍を持ち帰れば、間違いなく兄妹の身が危険に晒される。それを見過ごせるわけがない。
「当然、手に負えるから引き取ると言っているんだ。むしろ持ち込んでくれて感謝しているよ」
「……持ち込んだ身で言うのもなんですが。桜が貴方のことを心配する理由がよくわかりました」
そういうところは士郎とよく似ていますね。
ぽつりと彼女が呟いた言葉は実に心外で、ひどく腹の立つものだった。
オレがあの愚弟と似ているだと? おぞましいことを言うのはよしてくれ。殺したくなるじゃないか。無論、愚弟をだ。
「まだ士郎とは折り合いが悪いのですか?」
私としたことが顔に出ていたらしい。皺がすごいことになっていますよと、メデューサに眉間を示される。
「まだも何も。あの小僧と折り合いが良くなる日など、永遠に来るわけがない」
「……同族嫌悪という言葉がありましたね」
私の言葉を受けて、どういうわけか得心がいったかのように彼女は頷く。
ちょっと待て。冗談ではないし、その発言も聞き捨てならん。まさかとは思うが、あの愚か者と私を同族だと言っているのか。抗議のために口を開くが、言葉を発する前にメデューサに手で制される。
「失礼。この話題を出すべきではありませんでした。それよりも槍のことです。売買契約の書類をいただけますか?」
「あ、ああ。……そうだったな。すぐに用意しよう」
私としたことが、くだらぬことでムキになってしまった。今はこんな話で時間を費やしている場合ではない。咳ばらいをして書類を取りに向かう。
メデューサの話によると、槍の所有者の死亡時期は一定ではないようだ。手に入れた一ヶ月後に死んだ者もいれば、その日のうちに死んだ者もいるらしい。間桐慎二がどちらのパターンに当てはまるかは読めないが、なんにせよ悠長にはしていられない。
話がまとまればメデューサの行動は早かった。契約書を手に一度店を出ると、一時間後には慎二のサインが入った書類を持ち帰ってきた。
……たしか私の店から慎二の店まで車で一時間はかかったはずなんだが、妙だな。彼女の足はロードバイクだ。車より小回りが利くとはいえ、こうも時間短縮できるものなのだろうか。
まあ、それなら長物を担いでロードバイクにまたがっていた彼女を店先で見たときにこそ気にするべきだったという話か。
いや、それはそれで気にはしていたんだが。話題に出しそびれてしまっただけで。彼女、よく警察に止められなかったな?
……おっと、思考が逸れてしまった。今大事なのは、書類に間桐慎二のサインがあるかどうかだ。契約社会においてサインは重要だ。いくら現物が手元にあるとはいえ、彼のサインがなければ私は槍の正式な所有者にはなれない。
骨董品の槍に現代の売買契約が理解できるかどうかはわからないが、少しでも『間桐慎二』ではなく『私』が槍の所有者と示すものを作っておきたい。
書類には間桐慎二のサインがしっかりと記されていた。あいつの字は何度か見たことがある。直筆のもので間違いないだろう。若干字がぶれているように見えるのは気のせいに違いない。そういうことにした。
ちらりと紙面からメデューサへと視線を移す。彼女は「間違いなくシンジのサインですよ」と涼しい顔で答えた。そうだな、書いたのは間桐慎二で間違いない。あいつの意志がどうだったかは置いといて。
呪いの品を持ち込んだ手前、あとは放任するのも気が引けるのだろう。メデューサはそのまま店に留まろうとしたが、それでは私が引き受けた意味がなくなってしまう。間桐兄妹に異変があった際、すぐに気がつける人間が傍にいるべきだ。事情を把握しているメデューサ以上に適任はいないだろう。
それに私とてこういった呪われた骨董品を取り扱うのは初めてではない。前にも毎夜呪われた歌を歌う角笛や、夜中に動き出す手のない人形に対処したことがある。まったくの素人なわけではない。
そう説得すれば、彼女はため息をついて間桐家へと帰っていった。納得したというよりは諦めたようにも見えたが、引いてくれたのならばそれでいい。
「さて、これが何かわかるかね」
一人きりになったところで、壁に立てかけられた槍に紙面を突きつける。
「これは契約書だ。私が君の正式な所有者であることを示している」
槍に話しかけている自分の姿は、客観的に見れば滑稽だろう。だが他に誰かいるわけでもないし、店じまいもとうに済ませた。人の目はないのだから、気にする必要もない。
「古代の槍に現代の契約社会を説明したところで理解できないか? だが、現代に存在する限り従ってもらわねば困る」
いや、本当に私は槍相手に何を言っているんだろうか。この槍の呪いは本物だが、槍が意志をもって生きているというわけではないだろう。だというのに槍に書類を突きつけて、高圧的に語るオレって。
ふと我に返りそうになって、かぶりを振る。そんな瑣末事を気にしている場合ではない。槍の矛先を私に向かせるため、出来うる限りの手は打っておかねば。
「物は物らしく、くだらない呪いを振りまくのをやめて所有者に従ってもらおう」
当事者……つまり槍はというと、当然ながら終始無言だった。疑問に思うまでもない。槍は話さないからな。口もないし。そもそも無機物だ。会話ができるわけもない。結局我に返ってしまって、ため息をつく。
いいさ、呪いをこちらに向ける手立ては打った。あとはどう呪いに打ち勝つかだ。私が何もできずに呪い殺されれば、槍はまた他の人間の手に渡ってしまう。
一番確率が高いのは、相続で愚弟の手元へ行くパターンか。この際あの愚弟がどうなろうと知ったことではない。だが「兄の不始末でオレも死ぬ羽目になった」などとほざかれたら、地獄で二度目の死を与えてやらねばならなくなる。そんな面倒はごめんだ。
幸い、私の店には幾つか曰く憑きの骨董品がある。その大半は持ち主を呪い殺すような物騒な『曰く』ではない。縁ある人々から譲られたものが多く、売るわけにはいかないからと蔵にしまい込んだままにしていた。今こそ、それらに頼るべきなのだろう。
槍を店から裏手にある家へと運び入れる。その前に布で槍を厳重に包むのを忘れない。直に触れてまたあのイメージを視るのは避けたいからな。ひとまず、廊下の奥まった場所に立てかけておく。
こじんまりとした店に比べ、実家はやけに広い。一人で暮らすにはなおさらで、正直持てあましていた。今は寮に入っている愚弟にいずれは託すつもりだが、はたしてあの小僧にきちんと管理ができるかどうか。
そんな先のことより、目前の問題に意識を向けるべきか。かぶりをふって、今度はこれまた広い庭にある蔵へと足を運んだ。
およそ一般家庭には必要のない規模の蔵だ。武家屋敷然とした家といい、いったい養父は何者なのだろう。周囲から話を聞く限り、この家は彼が継いだものではなく即金で買い取ったらしい。一体それだけの金を彼はどこから持ち出したのか、ついぞ知ることはなかった。今思えば、謎の多い人だったな。
蔵の重い戸を開き、中へと足を踏み入れる。中はいつも雑然としていた。ほぼ姉に近い身内であり愚弟の担任である高校教師(というと情報量が多いが、実際そうなのだから仕方がない)がガラクタを見つけては放り込んでいくものだから、いくら整理しようと意味がない。最近では整頓を諦めつつある。
床に転がった鉄板やらジャガーの毛皮やらを横に追いやり、奥の箪笥へとたどり着く。姉が持ち込むガラクタに埋もれぬよう、特に大事なものはこの箪笥にしまっていた。その引き出しを開ける。
目についたのは大振りの宝石がついた首飾りだ。深みのある赤の宝石は、矢尻に似た形をしている。これは私の、というよりは愚弟の幼馴染から譲られたものだった。
たしかこれが譲られたのは、私が入院していたときだったか。あの時の彼女は正直、少し怖かった。自分よりも大分年下だというのに、彼女は時折妙な迫力をもっているときがある。
「貴方たち放っておくと自滅しそうで怖いのよ、なんだって毎度自分から危険に首を突っ込むわけ?」
私ともう一人の誰かに対して目を釣り上げて抗議する彼女に、私はもちろん弁明した。
ナイフで襲いかかる人間を見かけたら、普通は止めにはいる。放っておいたら大惨事だ。私は好き好んで危険に首を突っ込んだわけではなく、むしろその危険を遠ざけるために行動しただけだ。
一分の隙もない言い分だったと思う。結果、彼女は美しい黒髪をかきむしってことさら激しく怒りだした。普通は逃げて身を守るものだと渾々と説教され、最後には呆れたようにため息までつかれてしまった。
そうして、「気休めだろうけど」渡されたのがこの首飾りだ。なんでも持ち主の命を一度だけ救うらしい。見舞いの品としてが些か異質だったが、彼女なりの心遣いなのだろう。そうでなければ、ひと目で希少だとわかるものを贈ったりはしない。私は余程彼女に心配をかけたのだ。
そういえば、彼女も私と愚弟が同じ人間のように語ることが多かったな。どうして誰も彼もあんな未熟者と私を一緒にしようとするのか。ため息をついて、首飾りを手に取る。
瞬間、脳裏に浮かぶ美しい姿。視えたイメージは黒髪の女神だ。巨大な黄金の弓を手にし、空を自由にかけている。
どこか幼馴染に似た顔つきをしていた。瞳の色は彼女と違い、首飾りの宝石と同じ鮮やかな赤だ。初めて首飾りに触れたときに視たイメージと変わらない、美しい姿だった。
この首飾りが呪いに打ち勝てるほどの力を持つかはわからない。が、何事も試してみなければ。
「……ん?」
ふと、靴の裏に違和感を覚える。どうやら何かを踏みつけていたらしい。視線をやれば、一冊のアルバムがそこに落ちていた。
拾い上げ、ついてしまった足跡を手で払う。表紙には懐かしい母校の校舎の写真が飾られていた。高校時代の卒業アルバムか。どこかにやってしまったと思っていたが、こんなところにあったとは。
アルバム自体に思い入れはない。自分の高校時代なんぞ黒歴史の塊だ。だがこれには生前の養父の写真も載っていた。体育祭で、たまたま保護者席が写り込んだときのものだ。
こんなところにアルバムがあるのは、おそらく姉が引っ張り出して見ていたからだろう。彼女は養父によく懐いていた。彼女が見つけやすいよう、目立つところにアルバムを片付けておく。
さて、日も暮れかけている。メデューサの話では、過去の持ち主は皆夜寝ている間に心不全を起こしたらしい。この首飾りが私を守ってくれるのであれば、それでよし。が、そうでなかった場合も考えなければ。
私が死ねば、後処理をするのは間違いなく愚弟だ。掃除は隅々まで行き届いていると自負してはいるが、相続関係の書類はまとめ直しておかなければなるまい。「結構だらしなかったんだな」などと弟にほざかれてはたまらん。
槍の呪いについても伝えておかねば。愚弟ごときが呪いをどうにかできるとは思えんが、それでも万が一の時はやってもらわねば困る。無論、そんな万が一を起こすつもりはないが。
相続関係の書類は元々まとめていたものに二、三の変更点と追記を書き加えるだけでよかった。これで私が呪いで死んだとしても、ごたつかずに済むだろう。
それと念のため──心から不服ではあるが──愚弟に電話を入れる。一、二、三……遅いな。電話は三コール以内に出るべきだろう。そういうところが未熟者なんだ。馬鹿め。
『……アーチャー? どうしたんだ、お前からオレに電話なんて珍し』
「明日家に来い」
用件だけを口にして、素早く電話を切る。受話器向こうで何か言いかけていたような気もするが、間違いなく気のせいだ。そもそもあいつに発言権はない。
これで明日私が死体になっていた場合、第一発見者はあいつになる。他人にかかる迷惑は最小限で済むはずだ。
さっさと夕食と風呂を済ませ、廊下に置いていた槍を自室へと運び入れる。狭い室内で私の背丈以上ある槍を運ぶのはなかなかに骨が折れた。油断するとすぐに壁や天井にぶつけてしまう。
おまけに布越しに触っていても、槍からはピリピリと肌を突き刺すような殺気が伝わってくる。血に飢えた獣が喉元に喰らいつこうしているようだ。メデューサはよくこんなものを自転車で運んでこれたものだな。
ようやく自室に槍を運び入れた頃には、額に大粒の汗が浮かんでいた。わざわざ自室に運ぶ必要はなかったかもしれないが、できうる限り槍の異変を確認できるようにしておきたい。所在がすぐにわかるように、敷いた布団の隣に槍を横たえる。
……なんだか槍と同衾しているようにも見えるな。いや、我ながら馬鹿げた発想をしたものだ。苦笑いをしながら、赤い宝石の首飾りを首にかける。
明かりを消して布団へと潜り込む。呪いがどれだけ強力であろうとも、必ず打ち勝たなければ。首飾りの宝石を握り込み、瞼を閉じた。
次に瞼を開いたとき、どういうわけか私は校庭に立ち尽くしていた。眼前には月明かりに照らされた校舎が見える。私の記憶が正しければ、あれは高校時代に通っていた母校だ。
はて、いつの間にこんなところへ来ていたのだろう。卒業して以降、何年も訪れていなかった場所だ。一体私は何の用事があって……。
「……成る程」
こんな突拍子もない場所に脈絡もなく立っている。考えられる可能性はひとつ。
これは現実ではなく、夢だ。
「よお」
不意にかけられた声に振り返る。
私だけだと思っていた校庭に、もう一人誰かが立っていた。作り話に出てくるような青の髪を束ねた男。全身はその髪と同色の武装で包まれていた。
特に目に付くのは男が手にした長い槍だ。それは鮮血のように紅く朱く染まった美しい──あの呪いの槍だった。
「貴様が次の持ち主か?」
男はそう口にして、とっつきやすい笑顔を浮かべる。だが槍と同じ色をした眼は、ぞっとするような冷たさを帯びていた。
「ずいぶんと偉そうな口を叩いていたじゃねえか、盗っ人風情が」
明らかにこちらを蔑んでいる男の言葉。
男は槍を片手で軽々と振り、その穂先を私に向けた。彼と私の距離はおよそ五、六メートル。穂先を向けられたところでまだ幾らか余裕がある距離だ。だというのに、喉元に穂先が食い込んだかのような威圧を感じる。
青い獣が牙をむいていた。私はただ狩られるだけの獲物でしかない。おそらくこの男は槍の呪い、もしくはあの朱槍自身だ。
──殺される。
ひゅう、と短く息を吸い、そこで初めてそれまで呼吸を止めていたことに気がついた。
夢で殺されると、現実ではどうなるんだろうか。
本来ならば夢は夢だ。現実に影響を及ぼすわけがないし、せいぜい夢見が悪かったと思う程度。だがあの槍を『視た』あとでは、それだけで済むとは思えない。
今までの槍の持ち主は寝ている間に皆死んでいるという。ならば、ここでの死は……現実の死を招く。
そうなるわけにはいかない。ここで私が死ねば、呪いに対して何の手立てもないまま槍が他の者に渡ってしまう。それだけは避けねば。
「なんとか言ったらどうだ?」
わずかに槍の穂先を下げ、呆れたように男が告げる。 その瞬間、校舎へと駆け出した。
あの男を倒すか、もしくは私が目覚めるまで逃げ切るか。この状況を打破するために今とれる行動はそれしかない。どちらを取るにせよ、この校庭よりも校舎の方が幾らか分があるだろう。
私の記憶通りの校舎ならばこちらに地の利がある。相手は長柄の武器だ。建物内では扱いづらいはず。あわよくばこちらも武器になるものを見つけたい。たとえそれが無理だとしても、身を隠す場所ぐらいはあるはずだ。
下駄箱が並ぶ玄関を抜け、階段を駆けあがる。何をするにしても、今は距離を稼がなければ。
二階の廊下に飛び出る。この場所が母校と同じ造りならば、真っ直ぐ進んだ先は技術室のはずだ。工具あたりが手に入れば、手ぶらよりマシになる。
そもそもここが私の夢ならば、願うだけでもっと都合の良いものが現れはしないものか──
「……はっ」
絞り出すように息を吐く。
つう、と伝う汗の冷たさに身体が震えた。耳障りな荒い呼吸。懸命に動かしていた足が、意思に反してぴたりと止まる。
この程度の距離で疲労を感じるようなやわな身体ではないはずだ。なのに、どういうわけか足は動き出そうとしない。
舌打ちをして、せめて身を捻って背後を見やる。
しんと静まり返った廊下。窓から差し込むわずかな月明かりが周囲を照らしていた。人影はまだ見えない。
まだ追いつかれていないのか、それとも私を見失って諦めたか? まさか。あれだけの殺意を向けておいて、こちらを見逃すとも思えない。
ふと、違和感を覚える。
静寂の中、聞こえるのは私の呼吸と心臓の音だけだ。聞こえるはずの音が聞こえない。今もあの男が私を追いかけてきているのならば、彼の足音がするはずだった。なのに物音一つ聞こえない。
あまりにも静かすぎる。
「──よお」
短い呼びかけ。
既視感を覚えたそれに振り向くべきではない。振り向くべきではなかった。頭はそう訴えるのに、体は反射的に声のする方へと動く。刹那。
感じたのは熱だった。焼きごてを押し付けられたかのように熱さ。熱? いや、違う。これは、痛みだ。
目に入ったのはあの朱い槍だった。
私の左胸。丁度心臓の位置から赤い穂先が生えていた。穂先だけだった槍は徐々に姿を現していく。その柄を手にした、青装束の男と共に。
「……あっ」
間の抜けた声が漏れる。
男の冷めた赤い瞳がこちらを一瞥するとともに、槍の穂先が引き抜かれた。痛みの中心である胸元に目をやると、じわりと血が滲んでいる。そこで初めて自分が纏っているのが母校の制服だと気がついた。
だがそれに気がついたところで何の意味もない。高校生の制服など、結局はただの布だ。槍を防げるはずがない。足元がよろけ、踏ん張ることもできず前のめりに身体が倒れる。
「大口を叩いていたわりには呆気ねぇ」
頭上から男の呆れた声が聞こえる。
これは夢だ。夢のはずだ。
けれど頬に伝わる床の冷たさ、熱を伴う心臓の痛み。どれでも本物と変わらないように感じる。
「力もねえ盗人がオレの主人になろうなんざ、とんだ阿呆だな」
その言い分には反論の余地がある。私は正式な手続きを踏み、それなりの金額を支払って槍を手に入れた。それを盗人などと、筋違いもいいところだ。
けれど文句を言おうにも口から漏れるのは空気だけ。
当然だ、私はこの男に殺されたのだから。
もはや死体となった私に男は欠片ほど持っていた興味も無くしたようだった。閉ざされていく視界の中で、床に落ちていた男の影がかき消える。夜の校舎には死体の、死にかけの私独りだけ。
ひゅーひゅーとざらついた呼吸音だけが響く。それもすぐに消え失せるだろう。私は以前の槍の所有者たちと同じく、美しくも恐ろしい呪いによって死ぬ。
──いいや、駄目だ。
間抜けかオレは。ここで死ぬわけにはいかない。ここで死んでしまったら、槍の呪いは野放しだ。私はまだ何も解決策を見出していない。これでは次の犠牲者が出てしまうではないか。
それに私が槍を買い取った結果死んだと桜君が知れば、間桐家の人間として責任を感じてしまう。
だから駄目だ。意味なく死ぬことは許されない。
そう思ったところで事実は変えられなかった。私は指先ひとつ動かせず、凍えるような死が侵食していくのを黙って待つことしかできない。
だから言ったじゃない。
そう呟く幼馴染の声が聞こえた気がした。彼女は私の死を知ったらどう思うだろうか。まず間違いなく怒るだろうな。値の張る贈り物をした甲斐がないと、私の死体に怒鳴りつけるに違いない。
できればそうであって欲しい。彼女に泣かれるのは望むところではなかった。
ああ、そういえば。
「……首飾り」
もう言葉を発することなどできないと思っていたが、その言葉だけはするりと口から零れ落ちた。
彼女から渡された値の張る贈り物。持ち主の命を救うという首飾りを、私は身につけていたはずだ。
──やっと思い出したわね。
死体しかないはずの廊下に響いたのは女の声だ。その声はどこか幼馴染に似ていて、けれど彼女よりは幾分か大人びていた。
──それにしても貴方って、ここでもそういう奴なの? カッコつけるのも大概にしなさいよ。
ほわりと、赤い光が浮かぶ。やわらかく、けれど力強さが感じられる光。光は私の胸元あたりから発しているようだった。ちょうど、身に着けた首飾りの宝石にあたる位置。
その光が脈打つように輝くにつれ、心臓の痛みが和らいでいく。代わりに瞼はひどく重くなっていった。おそらく、ここで瞼を閉じても死ぬことはないだろう。根拠はないが、光を見てそう確信できる。
それでもまだ視界を閉ざすわけにはいかない。気まぐれに男が戻ってくる可能性はある。それに、この美しい光をまだ見ていたかった。
そう願ったところで、結局はどうすることもできない。瞼は閉ざされ、後に残るのは暗闇だけ。
それでも瞼の裏でもう一度、強く輝く──あの赤い宝石を見た気がした。