Baby, Sweet, Sunshine.
玉子焼きを食べないアーチャーと卵焼きを焼くランサーの、すでにデキている二人のお話。
お友達から素敵なネタをいただいたはずだったんですが……。
HAのようなえみごのようなふんわり時空。
タイトルを考えるのがものすごく苦手なので前触れなく作品が消えたりタイトルが変わったりします。
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アーチャーは玉子焼きを食べない。
正確に言うと、朝食の時、アーチャーの皿には玉子焼きがのらない。ぽっくりと黄色く焼けたそれがのるのは向かい合って座る己の皿だけだ。
最初にそれを見た時は卵が嫌いなのかと考えたが、アーチャーは茶わん蒸しも玉子入りの炒飯も問題なく食べる。素直に問うてみれば、調理途中に味見もかねて摘んでいるからいいのだと返ってきた。
そういうものかと納得してからは特に気にも留めなくなったが、己はアーチャーの玉子焼きが好きだ。
うっすらと焼き目のついたそれは内側がしっとりと柔らかくてほんのり塩気が利いている。登場するのはもっぱら朝食で、バイトがある日は弁当箱に入っていたりする。断面から覗く層は固すぎず、かと言ってべちょりとくっついているわけでもない。丁度良い加減で巻かれている。毎回きちんと三切れ並べられた玉子焼きの断層を眺めるのが好きで、食卓や弁当で顔を合わせる度に箸で持ち上げては卵焼きの両面にあるそれをしげしげと眺めてしまい、アーチャーに早く食べろと注意されるのが常だった。
家庭によっては具を混ぜ込んだり菓子のように甘い玉子焼きもあると聞く。生憎己はアーチャーの作った玉子焼き以外を口にしたことはないが、これが世界一美味いと思っているからそれでいいのだ。
◆
「あらランサー、いいものを食べているじゃない」
魚屋の昼休み、店の奥で昼休憩をとる己に声をかけたのはキャスターだった。物珍しそうに座敷を見渡す彼女の手にはエコバッグが下げられており、完全にどこかの若奥様といった風体だ。
「こっちは店じゃねえぞ。おっさんがいたろ」
「分かっています。ご主人が配達に行かれたの。すぐ戻るから少し待っていてほしいと言われたのよ」
昔ながらの魚屋には時折電話で配達を頼む客もいる。丁度それに当たってしまったのだろう。
運の悪いことで、と己の幸運値低さを棚に上げてブロッコリーを口に放り込む。醤油と鰹節で和えたブロッコリーは花蕾のやわらかな部分と茎の固い部分の変化が面白い。初めは木屑にしか見えなかった鰹節を美味いと感じる己は随分とアーチャーの料理になじんだものだと改めて感じた。
キャスターはぽりぽりと茎を齧る己と弁当箱を交互に眺めた後、意を決した顔で詰め寄ってきた。
「その、あなたのお弁当を見せていただきたいのだけど」
「はあ?」
必死の形相に若干たじろぎつつ聞いてみれば、弁当作りの参考にしたいのだという。大方あの寡黙を体現した男のためだろう。
断る理由も特になく、尻をずらして場所を空けてやるといそいそと腰を下ろした。
今日の弁当箱は下段が真ん中に梅干しを置いた白米で、上段がおかずになっている。ブロッコリーのおかか和え、鮭のフライ、昨晩の残りの筍と人参の煮物、プチトマト、そして玉子焼き。プチトマト以外はアーチャーが自ら選んで調理したもので冷めても問題なく美味い。
そのひとつひとつをキャスターの目が観察していく。
「このフライは衣が変わっているわね」
「アーモンドを砕いて混ぜるんだと」
「まあ」
「普通に揚げたのよりカリカリしてて美味え」
「そしてブロッコリーはおかかで水を切っていると……」
小さな質問に答えていくと、キャスターが感心したように頬に手を当てた。
「あなた意外と人の話をきちんと聞くのね。アーチャーからの受け売りをよく覚えているじゃない」
そう言われるとどこかこそばゆく居心地が悪くなる。まるで己がアーチャーのことが大好きなのだと言外に言われているような気がした。
微妙な顔をした己を無視してキャスターの話は続く。
「筍の煮物は夕食の残りなのよね」
「まあな。ああ、玉子焼きだけは必ず朝焼いてるな」
毎朝ランサーが眠い目を擦りながらリビングに現れる頃、きまってアーチャーはキッチンで朝食や弁当の準備をしている。そうして己の姿を認めた後、おはよう寝坊助と笑うのだ。
「おひとつもらってもいいかしら」
きちんと三切れ並べられた玉子焼きを細い指先が示す。好物を狙われたことに思わずむっと眉間に皺を寄せるが、とても美味しそうだから作ってあげたいのだと言われてしまえば悪い気はしない。
箸は流しの引き出しから拝借して弁当の蓋に玉子焼きを載せて手渡してやり、己も残った玉子焼きをひとつ摘む。
危なげない手つきでそれを摘み上げたキャスターは普段の己の様にしげしげと断面を眺めた後、弁当箱に残った玉子焼きと己の箸が摘む玉子焼きを交互に眺めた。
「三つともきれいな断面ね。舌触りも良さそう。残った分の玉子焼きはアーチャーが食べるのかしら」
「残りっつうかあいつはいつも俺に出す前に味見で食ってるぞ。だから自分の分は要らねえんだと」
だからテーブルで食うのはオレだけだと続ければ、キャスターは瞬きをしてすぐに可笑しそうに笑った。
「味見……味見ねえ」
キャスターの言葉が含む意味を読み取れない己が首を傾げても彼女は暫くの間くすくすと笑い続け、ようやく卵焼きを口に入れた。
ほっそりとした頬が味付けの秘密を探るように小さく揺れる。暫くそうやって味わった後、キャスターがぽつりと呟いた。
「思うことが同じなのは癪ですけど、あなた愛されているわね」
やはりこの魔術師の言葉の意味はよくわからない。
居心地の悪さをごまかすために己も卵焼きを口に放り込む。変わらないいつもの味が己を慰めているようだった。
◆
ゆっくりと意識が浮上する感覚にランサーは大きく深呼吸をする。自然と持ち上がる瞼に抗わず目を開けるとカーテンの隙間から眩しい光が差し込んでいた。
エアコンのタイマーがかかるのをぼんやりと聞きながら首を動かす。すぐ横に見慣れた白い頭があるのを確認して額に唇を寄せる。それがくすぐったかったのかアーチャーはむずかるように小さく唸ったが目を覚ますことはなかった。
そのまま彼を起こさないよう慎重に体を起こし、アーチャーを見下ろして無理もないかと一人納得する。褐色の体のいたるところに赤い鬱血の花が咲いている。首や胸元はもちろん、布団を捲って見える見事に割れた腹筋にも思う存分散らされた花弁はきっと今確認できないところにも記されているだろう。
らんさぁ、と体を繋げる度にすすり泣くようにとける声は甘く切なく、己の体を熱く燃え上がらせる。その声に痕を残してほしいと乞われて無碍にできる男がいるだろうか。当の本人は翌朝になると自身が乞うたことなどすっかり忘れて激怒するのだが。
ここのところお互いに慌ただしい日々が続き褥を共にする間隔が空いたせいかその分激しい夜になった。普段ならとっくにキッチンに居るアーチャーも抱き潰されて起きる気配がない。
髪を下ろすと童顔が際立つ寝顔を暫く眺めた後、今日は己が朝食を作るかとそっとベッドを抜け出した。殆どの場合朝食を作るのはアーチャーだが、抱き潰した翌日はせめてもの罪滅ぼしにランサーが簡単な朝食を用意するのがいつの間にか定着していた。ベッドに沈む恋人の元へ朝食を運ぶとまずは嫌そうな顔で昨晩の狼藉を怒られ呆れられ、そして最後には頬を染めながら小さくありがとうと呟くのだ。
アーチャーの住まう部屋は生活感がなく、最初の頃などベッドすら存在しなかった。己が押しかけなし崩し的に同居が始まり、憮然とした表情のアーチャーを横目にどうせなら現界中の生活を満喫したいとあれこれ運び込んだことでようやく人心地がつける部屋になった。
ダイニングテーブルに己がバイト先の花屋から土産に持ち帰った白いガーベラが飾られているのを一瞥し、キッチンへ向かう。
冷蔵庫の中はアーチャーによって規律正しく統治されている。納豆、マヨネーズ、ヨーグルトに牛乳。缶ビールに作り置きの料理が入ったタッパーが幾つか。
流れ出る冷気にひやりと頬を撫でられながらどうしたものかと考えたところで卵のパックが目に入った。スクランブルエッグか目玉焼きが妥当だろうか。乾いた殻をコツコツと突いていると、ふと今日は己が玉子焼きを作ろうと思い立った。本当に何の気なく、そう思ったのだ。
玉子焼き用の小さなフライパンを探し当て、アーチャーがどうやっていたか思い出しながら調理を進めていく。
ボウルに割り入れた卵は菜箸で白身を切るようにしながら調味料と合わせ、温めておいたフライパンに油を引いて卵液を少し流し込む。そのうち火が通り始めた卵液がぷくぷくと気泡を浮かべるのを眺めていると、舌触りが悪くなるので気泡は潰すようにとアーチャーが言っていたのを思い出して慌てて菜箸で潰していく。
ある程度火が通ったそれを手前にまとめて芯を作り、今度はそれを奥へ持っていき空いた所に薄く油を引いて芯の下にも卵液を流し込む。卵液がまた気泡を立てるのを潰しながら、芯に半熟の卵液を巻き付けるようにくるくると折りたんでいく。卵液がなくなるまでそれを繰り返して出来上がりだ。
アーチャーの動作は流れるように無駄がなかったが、いざ己がやってみると意外と難しい。まな板の上に鎮座した玉子焼きは普段より焼き目が濃く形もなんとなく不格好だ。両端もやや焦げている。
まあそこは切ってしまえば問題ないだろうと思い直して包丁を手に取った。
味見も兼ねて見栄えがいいよう厚めに右端を切り落とす。まだ熱い玉子焼きはクッションのように包丁を迎え入れ、そこからふかりと湯気が立ち上る。現れた断面を覗き込むと所々巻きがゆるいが及第点だろう。
大口を開けて玉子焼きを放り込むと、端の部分がざらりと舌に触った。味は悪くないが滑らかさが台無しだ。アーチャーが出すものはいつだってしっとりとやわらかで舌の邪魔になるものがない。
咀嚼し分析しながら残りの分を切っていく。大きさを均等に揃えて、けれど最後の一切れだけは先ほどと同じくやや厚めに切り落とした。端付きのこれは己の胃袋行きだ。中央の一番いいところはアーチャーに皿にのせてやろう。
そこまで考えてはたと手を止めた。思い出すのは己の皿と弁当箱にきちんと並べられた美しい三切れの玉子焼きだった。
うっすらと焼き目のついた黄色の両側はいつだって柔らかな層が見えていて、己はそれを毎回しげしげと眺めてしまう。早く食べろと怒られて口に運んだ玉子焼きはほんのり塩気が利いていて卵本来の旨味がよくわかる。美味いと頬張る己に、そうかと答えてアーチャーは笑う。鋼色の瞳が柔らかく細められる。その顔を見るのがたまらなく好きだ。
きっと、アーチャーもこんな気持ちだったのだ。
一番きれいなところ、一番美味いところ。一番いいところは向かい合って座る相手の元へ。
アーチャーのことだから玉子焼きだけではないはずだ。今まで己が口にしたものすべてが、きっと。
目を瞑るだけで、キッチンに佇むあの男の背中が瞼の裏に浮かぶようだった。僅かに形の崩れた切れ端を褐色の指先で口元へ運びながら己が起きてくるのを待つ彼の心に思いを馳せる。
誰に言うわけでも誰に押し付けるでもない。気付くことだって望んでいない。己だけが知っていればいい、本当にちっぽけな自己満足の祈りだ。
どうか彼がほんの僅かでも幸せでありますように。
それがわかってしまうのは、己もそう思ってしまったからに他ならない。
胸を感覚にゆっくりと深呼吸を繰り返す。大きく息を吸った拍子にガーベラが香り、それもまた己を泣きたい心地にさせた。
手を伸ばして伸ばして、自身の幸福など顧みずひたすらに走り続けて果てた男が、ただの人間のようにここにいる。名も知らぬ人々に捧げ続けた心を、例えこの現界だけだろうとも己に差し出してくれている。
それがどんなに尊いことか、アーチャーはきっと知らない。摩耗した心の奥底に残ったきらめきが己にとってどれだけ愛おしいものか、言ったところで、こんな掃除屋風情になにをたわけたことをと皮肉っぽく一笑に付すだろう。
いても立っても居られず、残った端を口に放り込み、足早に寝室へ向かう。そっとドアを開けると、パジャマのパンツだけ身に着けたアーチャーがベッドに腰を掛けていた。起き抜けなのか、まだどこかぼんやりとした瞳がゆるゆるとランサーへ向けられる。普段の鋭利な刃物のようなそれとは似ても似つかない様子に、今度こそ堪らず己はアーチャーを抱きかかえるようにベッドへ飛び込んだ。
「……君は朝から随分と情熱的だな」
ようやく覚醒したのか、甘い字面とは裏腹に刺々しい響きの声がアーチャーの唇から紡がれる。苛立ちを隠さない手が己を引きはがそうとするのを羽交い絞めにすることで全力で抵抗し、己とアーチャーは暫く無言の攻防戦を繰り広げた。
やがてどうやっても離れない己に諦めたのか、アーチャーは聞こえよがしに溜め息を吐いて体の力を抜いた。
腕を緩めてもアーチャーが暴れないのを認め、褐色の頬を両手で包み込む。人種の違いか、己のものよりまろい骨格を持つ頬はしっとりとやわらかい。こちらをじっと見上げる目の際に何度も唇を落とすと、アーチャーがくすぐったそうに頭を振った。
「……朝食は?」
「玉子焼き」
「珍しいな。上手くいったか」
「まあな」
「それは重畳」
すっかり棘の抜けた声に頬を寄せて目を閉じる。
いつかこの男がこの日々を忘れてしまっても、己は絶対に忘れない。己の記憶が記録になろうとも、アーチャーから受け取った想いも、アーチャーへ捧げた想いも、この熱の一欠けらだろうと取りこぼしたりはしない。例え誰一人としてこの熱を知らず、認めずとも、己はそれが確かにここに息づいていたことを知っている。こうして共に在ることに意味があったのだと、座に居る己は記録を読み返しては今はそれが叶わぬことを惜しむことだろう。
またどこかで巡り会った時、この頑なな弓兵がそれを知らぬと言うのなら、体にも心にも嫌というほど尋ねて思い出させてやる。無理難題は望むところだ。
「ランサー、本当にどうしたんだ。君おかしいぞ」
「なんでもねえよ」
それきり言葉を切った己に戸惑う気配の後に、アーチャーの手が慰めるように頭を撫でた。胸の奥がちりちりと疼くのに唇を噛んでアーチャーをまた腕の中に閉じ込める。
カーテンの隙間から差し込む陽光は先ほどよりも柔らかく優しい。窓の向こうから聞こえる僅かなざわめきで町が動き出したのを知る。朝の挨拶を交わす声、車の走り抜ける音、鳥の囀り。そして合わさった胸の両側で己とアーチャーの心臓が脈を打つ。ただそれだけのいつもと変わらぬ冬木の朝だ。
大きな赤ん坊か君は、と腕の中の運命がぼやくのを聴きながら、己はもう一度なによりも愛おしい音に耳をすました。