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#5:「不起訴の理由」をジャーナリスト伊藤詩織氏が隠した理由

連載の第4回までは、検察はなぜ伊藤詩織さんの告訴を不起訴としたのか。また、逮捕状が使われなかったことで失われたものはあったのか。を中心に書いてきたが、本考では、なぜ、伊藤詩織さんは、実際には「検事から丁寧な説明があったことを伏せたのか」、考察したい。

 検察の思考回路や判断は「不透明だった(ブラックボックスだった)」というのは、伊藤氏の主張する「事件のストーリー」を完成させる、重要なピースである。なぜなら、高輪署の捜査官Aによる山口氏の逮捕予定が上からの指示で不可解に止められたあと、中村格警視庁長官が率いる警視庁捜査一課に捜査指揮が移ったが、捜査一課がどのような捜査をしたかは「伊藤氏からすると」信頼性に乏しく、検察の判断理由も全く明かされなかったため、「なぜこのような確たる証拠達があるのに不起訴になったのか、被害者の私にはわからない」というのが根本的な伊藤氏の立ち上げた主張であるためだ。

つまり、フェアな手(高輪署の捜査官A)による逮捕が「潰された」後、手の届かないところにその事件処理が行ってしまったことを伊藤氏は不服として検察審査会(国民の代表からランダムに選ばれたメンバーが、検察の意思決定を再度評価する制度)に申し立てをし、審査の結果「不起訴相当(検察の判断を覆す理由は見つからない)」の決議が出るも、その判断理由も不明であるとして、「正義(説明)を求めて民事訴訟を起こした」、というストーリーである。つまり、「納得のいく説明」を求めて伊藤氏は記者会見をし、捨て身で世の中に訴え、民事訴訟を起こした、ということ。

 確かに、「逮捕が止められた」を起点として、予定されていた捜査に横やりが入り、被疑者が刑事司法を不当に免れ、罪を不問に付されたとしたら、それは法治国家の大問題である。というのは誰しもが思うことだ。結果として、以下のような「報道」や識者解説が、世の中には溢れている。

“伊藤さんは当時、酒に酔って「酩酊」していましたが、刑事事件で山口氏は不起訴になりました。嫌疑不十分の理由が分からないため、伊藤さんは民事裁判での真相究明を求めていました。”

木村正人(元産経新聞ロンドン支局長)記事より抜粋、太字は筆者による

 “詩織さんは事件の起訴のため、ありとあらゆる努力を続けましたが、不起訴となってしまいました。不起訴となったため、検察審査会に申立てをしましたが、十分な理由も示されないまま、「不起訴相当」という処分が出てしまったといいます”

伊藤和子著書『なぜそれが無罪なのか』(195頁)、太字は筆者による

17年9月、東京第6検察審査会も「慎重に審査したが、不起訴処分の裁定を覆すに足りる事由(直接の理由または原因となる事実)がない」として、不起訴相当と議決した。(中略)ただ山口氏の取り調べをはじめ、警察と検察でどれだけ捜査が尽くされたのか、大きな疑問が残る

47リポーターズ 共同通信記事から抜粋、太字は筆者による

 警視庁本部の中村格・刑事部長(当時)の突然の指示で、逮捕は見送られた。その後、捜査は警視庁本部捜査一課に引き継がれたが、十分な捜査は行われず、東京検察は不起訴。”

志葉玲(ジャーナリスト)記事より抜粋、太字は筆者による

つまり、その「疑惑のストーリー」上に置いて、逮捕中止が、「圧力」の開始だとしたら、「検察の不起訴決定と、その説明のなさ」というのは、不当な圧力により捜査が頓挫し、本来問われるべき刑事責任が問われなかった流れを成立させるために重要な第二、第三のパーツである。そこでもし、逮捕(身柄拘束)を経由しなかったのは単なる選択肢の問題で、捜査自体は身柄を拘束しない形で丹念に行われ、検察の検討も公正に行われたんですよ(実は)と見えた瞬間、そのストーリーのパンチは、半減するからか。

だから伊藤氏は、「検事は、それぞれの証拠の解釈の仕方を説明してくれ、なぜ起訴にならないか、日本の刑法の特徴も踏まえ、丁寧に教えてくれました。逮捕中止になったことで私が警察に持ってしまった疑念をできる限り払拭したいと言って、捜査のやり方や証拠の考え方について、おかしいんじゃないかと思うことがあれば自分が説明するから、いつでも電話をしてくれと言って、直通の電話番号をくれました」とは言わなかったのだろうか。(これらの事実は裁判で開示された検察との録音録にてすべて確認できるものである)

「変だった」のは、警察だけか、それとも、警察と検察の両方か。その切り分けで、疑惑のサイズが変わってくる。仮に、検察の判断の透明性は高いものであったと捉えると、どう話が変わるのだろうか。

 ジャーナリストの浅野健一氏による一節は、必見だ。:

 “週刊新潮一七年五月十八日号で、警視庁の中村格刑事部長(のちに警察庁長官、現在日本生命特別顧問)が、(逮捕は必要ないと)私が決済した」と発言。その後、国会でも国家公安委員長が、「証拠隠滅・逃亡の恐れがない時、逮捕は不要」などと答弁した。山口・中村両氏は、安倍晋三首相と親密だった。警視庁広報課は警視庁記者クラブに詰めるTBS記者に対し、山口氏が逮捕されれば広報すると事前に通知していた。全国の警察は、身柄を取らない書類送検の場合、実名などを一切広報しない。中村氏による逮捕阻止は、安部氏につながる山口氏の実名報道(=社会的抹殺)を止めるためだった。”

「伊藤詩織監督映画上映妨害は言論弾圧だ」/ 紙の爆弾2025年5月号(※1)

前半こそ(逮捕状を止めたと中村氏が発言したこと)既知の事実だが、一読に値するのは「後半」である。“警視庁広報課は警視庁記者クラブに詰めるTBS記者に対し、山口氏が逮捕されれば広報すると事前に通知していた。全国の警察は、身柄を取らない書類送検の場合、実名などを一切広報しない”──これは、「逮捕していたら、不意打ちで違う供述が取れていたかも」という推測の心残りでもない、身柄事件ではなくしたことによって「得られたメリットが何か」の言語化だろう。実名報道が余儀なくされるか、否か。

 
上記の見方(警視庁記者クラブ担当のTBS記者が、情報をTBS幹部に上げた見方)は、伊藤さんの判決が最高裁にて確定した後の報告記者会見で、東京新聞の望月衣朔子氏からも、呈されている。「(複数ネタ元から聞いている話で)政権の圧力ではなく、いわゆる警視庁記者クラブ記者と警察の癒着と忖度の関係性において、逮捕令状の執行取り消しを中村さんが判断した可能性が非常に高いとずっと思っている(が、どう思うか)」と質問している。それは、「山口氏だから」ではなく、「記者クラブの記者なら誰でもそうだった」と。(なお伊藤氏の回答は要領を得ない)。
 

上記2名のジャーナリストと同様の見方は、評論家の池田信夫氏によっても、2019年に呈されている(池田氏は、「メリット」に関しては違う見方を呈しているが)。それは、「ワシントン支局長が準強姦罪で逮捕されたら(TBSにとっては)大スキャンダルで、特に採用にからんだ事件となると経営責任も問われ、社長の進退問題になる可能性もあった」ため、TBSの危機管理として動いたのだろうという見方である。(※2)

 池田氏、浅野氏、望月氏の3名に共通する点は、山口氏と安倍総理という「個人的な親密性」という見方ではなく、警視庁記者クラブに詰めているTBS記者が把握した情報を元にTBS幹部が動いたという、大手マスコミと警察という関係をベースに動く忖度の力学であり、シンプルに逮捕というプロセスを免れたことにより得られたメリットと、その後ろにある業界のダイナミクスを解説している点だ。

小さい陰謀論と、大きな陰謀論

さて、どちらが「美味しそう」な陰謀論だろうか。かたや、「逮捕ルート」を容赦なく経由することで、一般市民同様、容疑者の段階で全国に実名報道をされることを「忖度で防いであげる」程度の取引(程度、と言ったら問題かもしれないが、しかし、それは刑事責任から免責する忖度ではない)。つまり、小さなスキャンダル(というか、いまさら新しくない使い古された業界の癒着論)。そこには現職の総理大臣も関係ないし、それでは法治国家の根幹までは揺らぎはしない。他方、大物総理による国家機関(捜査機関・司法機能)の行政介入問題という、「大きな陰謀論」。その陰謀論は、逮捕状を握りつぶさせ、性犯罪容疑そのものを「不問」にさせる──。

疑惑の解釈を、「どちら路線」で捉えるかを分けるのは、事実のドットをどこまで冷静に見ているか、ではないだろうか。そして、その「大きい陰謀論」に反応したのが、性暴力への感性センサーが日本人記者らより高く、また男尊女卑な日本社会の構造に根深い違和感を抱いている海外記者達であったように見える。

フィガロの編集長であるレジス・アルノー氏は、逮捕状を使わないことを、前例のない決定とし、「その唯一の理由として考えられるのは、山口氏を日本の司法から│かくまうこと《・・・・・・》である。検察は、その後起訴を取り下げる」と記している(※3)。

ニューヨーク・タイムズ紙の東京駐在員のモトコ・リッチ氏は伊藤氏・山口氏の両名の主張および、ジェンダー論の大学教授や日本のメディアの性暴力に対する関心の低さを証言する形で多彩なインタビューから構成された長尺記事を執筆したが、「日本の象徴的なストーリー性」の文脈を打ち出す統計や近隣の事件のあしらいが絢爛な一方、伊藤詩織さんの事件自体の事実の取り扱い自体は粗雑で、不起訴決定までの間を「2ヶ月後」と記すなど(逮捕の中止から数えたら正しくは11ヶ月後である)、重要な事実関係が正確とは言えない報じ方をしている(※4)。

「2ヶ月の捜査の末に逮捕が計画されたが、突然中止され、その後検察は速やかに不起訴処分にした」という説明と、「逮捕の中止後、在宅事件とする捜査方針のもと、所轄から捜査本部が警視庁捜査一課に移され、人員を5倍に増やし、11ヶ月に渡って捜査が行われ(仮に被害届の受理日から捜査期間を数えたら、約15ヶ月)、ポリグラフ検査や家宅捜索、任意の事情聴取が複数回行われたが、検察は最終的に不起訴処分を決定した」では、記事の与える印象は異なるだろうが、リッチ氏の記事では、捜査の手法が変更された後、「捜査は身柄を拘束しない形で継続された」と、紙面から読むことはできない。 

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“She Broke Japan’s Silence on Rape", Dec 29. 2017

リッチ氏(ニューヨーク・タイムズ)とアルノー氏(フィガロ)の記事の共通点は、どちらも「一つの答えあわせがなされたこと」──伊藤氏は逮捕状が執行されなかったことを告発し、そして中村格はそれを認めた──という事実により、提示された「疑惑のすべて」を事実視しているように見えることだ。そして、「起訴が取り下げられた」わけでも、「わずか2ヶ月後(つまり逮捕状が止められた直後に)に不起訴が決まった」わけでもないのに、その筆致で「物語的ジャーナリズム」を展開している。 

しかし、検事との録音からひっそりと明らかになることは、伊藤詩織さんによる性被害の刑事告訴は、 

①    「起訴すべき十分な証拠があった」のに、「忖度でもみ消された性犯罪事件」ではなく、

②    全ての供述・証拠をもってしても、刑事事件として起訴されるには証拠が足りないから、刑事裁判化しなかった事件であった

 
ということではないだろうか。


そして、②に納得できなかった伊藤さんは、民事訴訟を起こすことで、「刑法に問えなくても、民法で不同意性交の事実認定を得ようとした」のが、ファクトをもとに言えることに見受けられる。


そこに、当時の刑法の限界(当時の刑法が規定する「強姦」とは非常に狭義であった)や、その正しさを問うという意義を兼ねた訴訟であるという側面は、もちろんあるだろう。しかし、「刑事事件の時にはうやむやにされた真相究明のため」という伊藤さんが使ったナラティブは、その実にはそぐわないものであっただろう。

 

にも関わらず、伊藤さんは、なぜ、世間に向けて、「そうラッピングすること」を選んだのだろうか。

それが、個人の物語を、社会の物語へと拡張する有効な手段であると、本能的に感じていたからだろうか。

その見立てはおそらく正しかった。結果として、報道は次第に加熱し、国会で安倍総理へ追及も行われた。警察に対して、逮捕状もみ消し問題を追及する超党派の会は、約20名の国会議員が参加する形で2017年から2018年にかけて4度も開催され、警察庁、法務省、最高裁からヒアリングなどが行われている(※5,6)。そんな「性暴力事件」は、未だかつてあっただろうか。

 

当時の私の感覚からしても、その「大きな陰謀論」を世の中がこぞって騒ぎ立てていたから、当時の私の心象は作られたのだと思う。だいたい「記者クラブ」という言葉ですら、マスコミに関心のない人には一般的ではないのだから(私は当時マスコミとは関係ない業界で働いていた)、記者クラブの記者と権力の癒着した関係などという専門的な(業界的な)理由で逮捕状が使われなかったのだと女性が泣いて訴えるよりも、三権分立が、とか、裁判所の決定を、偉い人が勝手に変えさせた?!というシンプルな構図の方が、「市民に近い正義」に思えるためだ。

 

私はその記者会見をどう見ていたか、今も覚えている。友人宅でテレビがついていて、数人の友達がそこにいた。マスコミ勤務の知人が、少しシニカルな声で「まあ、これで彼女はジャーナリストを名乗れるんだから」と言ったことに私は呆気に取られ、帰り道、別の友達に、「そんな理由で、こんなことをわざわざ言うと思う?!」と憤り、それが同意かそうじゃなかったかってことはおいておいてさ、逮捕状が使われなかったってことが問題なんじゃないの?!とか、今思うとちょっと恥ずかしい(でもその時はすごく本気だし自分を論理的だと思っている、、、)反応をまくしたてたことを覚えている。レイプだったかそうじゃなかったかというのは未ジャッジだとしても、「その一点」においておかしいということは確実に言えるではないかと思ったからだ(当時の私にとって・・・)。

そう、そうやって、その「大きな陰謀論」を世の中がこぞって騒ぎ立てていたからこそ、当時の、私の心象は作られたのだと思う。少なくとも、それが「記者クラブへの忖度」という、一種の「わかりにくさ」をかませている話であれば、私は友人にああいう憤慨を見せただろうか、まず見せなかっただろうな、と思うのだ。

 

より「平たく」。より「巨大」で、よりセンセーショナルなナラティブを生み出すには(そういう解釈をメディアにしてもらうには)、伊藤氏は、警察と検察がセットでおかしかった、と主張する必要があった。しかし、その事実の呈示の仕方は、ジャーナリストのそれであった、と言えるだろうか。


「権力による介入」のストーリーライン上に落ちないドット(事実)を、つまりは検事の誠実な説明を、伊藤さんは「ないもの」にした。警察のトップが山口氏を守るために逮捕を止めたという疑惑からは、警察には確かに不審な動きがあったが、検察は警察という捜査当局のチェック機関として機能していたという側面は、「変だった」のは警察だけ、と、批判のマグニチュードを鎮静化させてしまう作用を持っている。しかし、警察だけでは、「山口氏を司法からかくまうこと」は成立しない。そこには検察も同時に「不審な動きをした」ことが必要だからだ。そして、その「ストーリーライン」に沿うよう、伊藤さんは検察の存在を最小化して見せた上、検事の発言は著書のような内容としたのではないか。具体的に、「検事と伊藤さんの録音音声」と、「伊藤レポート」(伊藤氏による要約抜粋)がどう違っているか、連載第6回で説明したい。

 


※1:『紙の爆弾』「伊藤詩織監督映画上映妨害は言論弾圧だ」
※2 『アゴラ言論プラットフォーム』「伊藤詩織事件で残るTBSへの疑問」
※3 レジス・アルノー「伊藤詩織さんの『勝訴』になぜ世界は騒ぐのか」『東洋経済ONLINE』
※4 New York Times, “She Broke Japan’s Silence on Rape ” Dec 29.2017. Motoko Rich
※5 もとむら伸子HP 「超党派で「準強姦事件逮捕状執行停止問題」を検証する会に参加しました」2017年11月23日 
※6 東京スポーツ新聞社 「詩織さん準強姦疑惑 森議員が逮捕状止めた警察官僚に“出頭”要請」2018年2月16日

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