日本で長く使われてきた言葉を差別用語とレッテル貼りしてきたのはいつからでしょうか。
〝世の中にハンディキャップなく生まれてきたことを当たり前だと思うな。体の痛みや不自由を感じることなく日々を過ごせるのは当たり前すぎて気づきづらいが、その当たり前は本来奇跡である。そのような恵まれた自分を認識し一生懸命生き、精一杯働き、社会に貢献することで、ハンディキャップをもって生まれてきた方々や病でとこに伏している方々のためにできることがある。多少の困難に見舞われようとも自分の環境をありがたいと心して励むべし〟
私は五体満足という言葉をそのような教えを伝える日本語と理解して育ちました。私にそうした意味を教えてくれた大人たちは間違っていたのでしょうか。
なお、五体満足=人間的に優れていると勘違いする人も過去にはいたかもしれませんが、それはそうした解釈や考え方が誤っているのであって、言葉を廃すれば良いという問題でないと考えています。
乙武さんはじめハンディキャップがあっても立派に活躍されている方々が大勢いらっしゃることは世の誰もが知っていますし、私の投稿が健常者と障害者に価値の軽重を意味していないことぐらい乙武さんもお分かりなのではありませんか。
仏教にルーツを持ち日本人が古くから使ってきた言葉を、良くない言葉と忌み嫌うのは悲しいこと。さらにら悲しいのは、本来皆で考えるべき【どうしたら将来ある子どもたちが自殺せず生き生きと成長できる社会】に触れることなく「この人間は差別用語を使っている」に終始する人が多い点です。
国会には713名の議員がいますが、本気で子どもの命を救おうという気持ちのある方はさほど多くありません。
そんな中でもなんとか状況を改善したいと願う議員たちで超党派の自殺防止議連やいじめ防止対策の超党派グループを構成していますが、それでも力不足で子どもの自殺者数減少に結びつけられていないことを歯痒く思っています。
親や教員が子どもの表情を観察し言葉に耳を傾けることのできるよう、時間的心理的経済的余裕を大人にもたらすこと。自分の思いを人に届けたりSOSを発するスキルを教えること。そして何より、あなたという存在がいかに素晴らしいかを子どもたちに伝え、命の価値を認識してもらうこと。
その他、乙武さんだからこそお気づきになる【子どもの自殺が減少するための方策】について、このやり取りをきっかけに聞かせていただけますと幸いです。
Quote
乙武洋匡
@h_ototake
「五体満足で生まれてきた」って、わざわざ書く必要ありますか?
“五体不満足”で生まれてきた子だって大切な命ですよ。 x.com/mizuho_umemura…