「セックスワーク論」が語らない、性売買サバイバーの声:トラウマ、PTSD、そして「当事者」からの排除
このnoteには、性暴力被害について詳しく書いてある箇所があります。(主にセクション3「トラウマの再演」という見出しの部分です)ご自身の体調とご相談の上お読みいただけましたら幸いです。
1. はじめに:なぜ今、性売買サバイバーの声が「ないこと」にされるのか
法務省で売春防止法の検討会が始まりました。
昨年11月、東京都文京区の「マッサージ店」でタイ人の12歳の少女が違法に働かされていたことが明らかになりましたが、その際に買春側を処罰する法律がないことも話題となりました。こういったことがあり、今回の売春防止法の検討会では買春処罰についても検討されることになっているようです。
私は性売買サバイバーでもあり、39歳の今、複雑性PTSDの治療中です。16歳の頃アルバイト先で強姦被害に遭い、その後高校生が多く働く違法なマッサージ店で働きました。(タイの女児が働かされた店とかなり近い形のものなのだと思います。)自分が性的な仕事を全て辞めたのは26.7歳くらいだと思います。
今、フェミニズムの中で主流の「セックスワーク論」に対する根本的な違和感があり、今日はこのnoteを書いています。労働者として権利の話はあっても、そこにある「傷」や「その後」、そして「当事者」からの排除の現実がなかなか語られない、伝わらない。ないことにされていると感じています。
2. 「当事者の声を聞け」という言葉の暴力:サバイバーが排除される構造
「当事者」の定義の狭さ
性売買サバイバーが声を上げると、「当事者ではない」「過去の人」として意見を無視される、あるいは「当事者の声を聞け」という言葉で逆に封じ込められるといつも感じています。
「今働いている人」だけを当事者とする論理
セックスワーク論が「現在進行形の労働者」に焦点を当てることで、その後の人生を生きるサバイバーの存在を不可視化している構造があります。
他の労働のことで考えてもらいたいのですが、例えば私は映画の世界でも性暴力被害に遭い声をあげていますが、その際に「今は映画の場にいるわけではないから、現在も映画界で働いている当事者の声を聞け」とはならないはずですし、実際になっていません。そんな分け方自体をされません。
セックスワーク論を支持する人々が、理論の整合性を個人の痛みより優先することで、サバイバーの声が「不都合な真実」として排除されてしまっていないでしょうか。
私はずっと、セックスワーク論を支持する人の書いた文章などを読むのが怖い、と感じています。それは、多分私の受けた暴力や被害が排除されている、ないこととして扱われているからだと思います。理論によって痛みが消し去られてしまっている、と感じます。
3. 「選んで働いている」という言葉の裏側にある、トラウマの再演と解離
トラウマの再演(Re-enactment):
16歳の時、求人誌に載っていたティッシュ配りのアルバイトをしていました。(高校生OK、コンビニに売っていたanだったと思う。マンションで行われるマッサージ店だったようです)
私はマンションに行くのはティッシュを受け取りに行くだけで、マンション内で密室になるような時間もほぼなく、そこで何が行われているのかよくわかっていなかったし、店長さんも「いい人」だった。
どれくらいの期間か正確には覚えていないけれど、ティッシュ配りのバイトとしてやっていく中である日店長から「マッサージもやってみる?」と言われた。どんな感じでやるのか、簡単な講習みたいなものも受けた。本当に普通のマッサージ。主に背面を押すようなものだったと思う。
そこで初めてのお客さんに着いた時、強姦被害にあった。今でも自分から見えるあの風景を鮮明に覚えている。何が起こっているのか訳が分からなくて、今思うとあれを「フリーズ」というのか、と妙に納得ができる。固まった。
最中は泣くということもできず、ただ自分から自分がどこかへ行ってしまったているような感覚。行為が終わって涙が出てきて、その客は3000円置いた。
その後店長とその客がベランダでタバコを吸いながら談笑している背中を私は部屋の中から見ていた。
私のいる部屋を通って客は何事もなかったように確か挨拶して帰って行った。
店長からは、「あの子はそういう子じゃないからって言っといたからね」とだけ言われた。あれが性暴力だったと気がついたのは、そこから約15年後、30歳を過ぎてからでした。
初めての性被害後、私はそのアルバイト先、つまり違法な風俗店で働き始めました。なぜか?わかりません。理由なんてないと当時は思っていた。
理由はないが私はそこへ向かってしまう。そして嫌だな、と思いながら何度も出勤して、それが私の日常になっていった。自分にとって嫌だと感じる性的な行為をすることが私の中で当たり前の日常になった。そうでない環境をそれ以来私は知らずに生きていった。それによって、最初の被害もまるで「当たり前のよくあること」となり、それは2016年に映画監督から性被害の受けるまでの間、私の人生の中で特段変わったことではなかった。
「トラウマの再演」という言葉を知ったのも、それからかなり先のことでした。それによって自分の中で一体何が起こっていたのか、大人になって安全な環境になった今やっと理解することができました。
ベッセル・ヴァン・デア・コークが解き明かす「トラウマの再演」
定義: 過去の被害体験や恐怖を、無意識のうちに現在の日常生活で再び体験しようとする行動。周囲からは自傷的、または破壊的な行動に見えることが多い。
メカニズム: トラウマは言葉ではなく、身体感覚やフラッシュバックとして記録される。そのため、過去の恐怖を「終わった出来事」として処理できず、現在も続いているように感じ、無意識に同じような状況に身を置く。
再演の具体例:
・虐待された人が、再び虐待するパートナーを選ぶ。
・信頼できない他者を試し、裏切られる状況を作り出す(「やっぱり」と確信する)。
・被害を受けた時にできなかった行動(攻撃、逃避)を、別の人に対して行う(加害への転換)。
トラウマの再演の大変なところは、ただ繰り返すだけということではなくて、「傷つきも何度も繰り返してしまう」ということです。
まだ治っていない傷、そこにさらに傷をつけたら、回復に時間がかかってしまったり、治らない傷になってしまう可能性はとても高い。
ヴァン・デア・コーク博士は、単なる「再演(再現)」によって傷が癒えることは「ない」と断言しています。
むしろ、彼は再演がさらなるトラウマの深刻化や、自尊心の喪失、身体的な再傷つきを招く危険な悪循環であると警鐘を鳴らしています。
「今は大丈夫」の危うさ
働いている最中は「解離(心を守るための麻痺)」によって自分を守っている可能性もあります。だからこそ「自分で選んでいる」「元気だ」と思えるが、それは安全な場所に移動した後に崩れる可能性があります。
「安全になってから症状が出る」というメカニズムについて
トラウマ研究の第一人者であるジュディス・ハーマン博士は、その著書『トラウマと回復』の中で、回復の第一段階は「安全の確立」であると述べています。逆説的ですが、人間は生命の危険がある過酷な環境下では、生き延びるために症状を抑え込むことがあります。本当の意味で安全な環境に身を置き、心身が「もう戦わなくていい」と認識したとき、それまで蓋をしていた恐怖や痛みがフラッシュバックや複雑性PTSDの症状として噴出することが科学的に認められています。
「働いている最中の解離(麻痺)」について
性売買の現場における精神状態について、メリッサ・ファーレイ博士らによる9カ国854人を対象とした大規模調査では、回答者の多くが「解離(自分の体から離れているような感覚)」を経験していることが示されました。これは、耐え難い苦痛から心を守るための生存戦略です。この「麻痺」の状態にあるとき、本人は「自分は大丈夫だ」「自分で選んでいる」と感じることがありますが、それは健康な状態ではなく、深刻なトラウマ反応の一種であると専門家は指摘しています。
もちろん全ての人がそうだ、と言いたいわけではありません。が、性暴力被害に遭っている被害者が被害時にすぐに自分が傷ついていると自覚することが難しいように、働いている最中は働かなければいけない、働かないと生きていけないような状況の人たちもいる中で、解離状態になっていることは想定できることだと思います。
※「ワーカーは仕事として性的サービスを提供しているので性被害ではない」という意見があると思いますが、それに関しては「5.性的サービスという言葉がもたらす差別と無理解」の章で詳しく説明したいと思います。
サバイバーの証言
また、今声をあげているサバイバーたちも、当時は「自分で選んで働いている」と思っていた人が多いです。(自分もそうです。)当時は性暴力を受けたという認識もなければ、トラウマの再演というものも知らない。その上自分の心が傷ついているということすらもわからない。
そういう状況で、自分の選択がどのような影響の上に選ばれたものなのか。そんなの、「自分で選んでいる」以外に何かあるなんてわかる訳がなかったと思います。
また、後であの時は本当にしんどかったと声をあげるといつでも二次加害として使われる「自分で選んだんだろう」という言葉。自分で選んだと思っていたからずっと声をあげられなかったのに。セックスワーク論を支持するフェミニストの人たちは、性売買サバイバーに同じような態度を取ってはいないだろうか?
たまたま性売買の場から抜け出すことができて、人生で初めて本当の「安心・安全」という環境に身を置いて発症する後遺障害。その時間の重みと誰も助けてくれない苦しみを無視しないでほしいです。
上記のことを考えると、今現在ワーク論を支持している、働いている当事者であっても、もし今後性売買の場から離れたときにPTSDを発症する可能性は大いにある、ということです。そうなった場合、その人はどこに支援を求めれば良いのでしょうか。ワーク論の人たちは、後で今「自分で選んでいる」という主張をしている当事者が「本当はしんどかった」ともし気がついた場合、どのような支援ができると考えているのだろうか。
4. 「すべての人ではない」という言葉が隠す、構造的暴力と被害の個別化
被害の個別化(Individualization of harm)
「そういう人もいるが、すべてではない」という反論は、性売買が持つ構造的な搾取や暴力を「一部の運の悪い個人の問題」に矮小化する手法であるのではないでしょうか。というか、これって本当によく被害を訴えている人に使われる手法ですよね。自分がいた場所なのでまた映画界での例を出しますが、2022年に映画界での被害の声が上がり始めた際、やはり一部の映画界の人たちは「一部であって映画界のすべての人がこんなことしているわけではない」と言って周りから非難されていました。これがなぜかセックスワーク論になると、当たり前のように使われてしまう。
映画界であったって、もちろん今現在働いている労働者たちの権利について考えていくことは大切なことです。が、その場で起こっている暴力に関してはそれと別で解決していくことが求められるはずです。
しかし、果たしてセックスワーク論でそれが行われているのでしょうか。
「すべての人ではない」という言葉で、被害に遭っている人たちへの支援が全く議論に上がってこないのではないですか。
私は、セックスワーク論の中で労働者の権利と同時に性売買の中で被害に遭った人たちのその後の支援や、同じようにトラウマの再演の中で自覚なく傷を深めていく人たちがもう出ないようにするにはどうしたらいいか、という議論がされていたらここまで違和感を感じることはなかったと思います。
フランスの事例
フランスが性売買を「性暴力」と定義した根拠についてフランスが2016年に買春者を処罰する法律(北欧モデル)を導入した際、その最大の論理的根拠となったのは、性売買に従事する人々の圧倒的多数が過去に深刻な性暴力を経験しているという事実でした。
フランスの支援団体「ル・ムーブマン・デュ・ニ(Le Mouvement du Nid)」や欧州議会の報告書(ハニーボール報告書など)によれば、性売買に従事する女性の80%から90%が、幼少期や過去に性的虐待や家庭内暴力などの性被害を経験しているという調査結果が出ています。
このデータに基づき、フランス社会は「性売買は自由な選択による労働ではなく、過去のトラウマや脆弱性に付け込んだ『性暴力の延長線』である」と結論づけました。つまり、性売買を禁止したのは道徳的な理由からではなく、それが構造的な暴力であり、当事者の人権と精神的健康を著しく損なうものであると認めたからです。
5. 「性的サービス」という言葉がもたらす差別と無理解:道徳ではなくメンタルの話を
性的同意のダブルスタンダード
よく、セックスワーカーは性的サービスを提供している、という言葉を目にします。正直これが私には意味がわからないと感じています。
この「性的サービス」と呼ばれるもの、実際に働いている人が具体的に行う内容は「性的行為」と全く同じだと思います。性的サービスであろうと、風俗ではない場所で行うものであろうと、フェラチオはフェラチオだし、プライベートゾーンをを触られる行為はプライベートゾーンを触られる行為だし。
これが、風俗でない場所で積極的同意でない場合は性暴力になり、風俗や性売買の場になると大丈夫、他の場所のように慎重に積極的同意をとらなくても良い、となるのが全然わからないのです。大丈夫って何が大丈夫なんだろうか。
なぜ「ワーカー」と「そうでない人」で、やっている行為は同じなのに性的同意の重さが変わるのか。お金を払えば「積極的同意」がなくても傷つかないと思われているのか。じゃあ、映画界でも仕事を与えれば積極的同意じゃなくてもいいのか?それがここ数年で「地位関係性を利用した性暴力」と認定されたのではないのか?
私は性売買の場にもいたし映画界にもいましたが、お金を得るために風俗で働くことも、仕事のために性行為を受け入れなければならなかった映画界も、何が違ったのかわかりません。どちらも自分が生きていくために、性的な行為をするしかない、という消極的な同意だった。性的な行為そのものがしたい気持ちは微塵もなかった。
ただ、これを「自分が性的なことをしたい」だと思い込んでいた。だって、16歳の時に被害に遭ってから、性的行為を繰り返す中で、性的な行為に対して「この行為自体がしたい」という気持ちを持つ、という経験がなかったから。
「ワーカーは傷つかない存在」という偏見と差別はないか
ワーク論を支持している人が以前、「自分にはとてもできない」という発言をしているのを目にしたことがある。
私だって自分がそれをできたと思っていない。というか、できないのにやった結果やはり結局障害を負っている。そういう人がどれだけいるのだろうか。
もしかして、風俗で働いている人を「性的行為をしても傷つかない特別な存在」として扱っていないか。
そしてそれこそが実は偏見や差別ではないのか。風俗で働いている人も、そうでない人と同じ人間です。積極的な同意でない性的行為、何かの代償に行う性的行為をしたら、風俗で働いていない人と同じようにトラウマを負う可能性がある、ということを忘れないでほしい。
議論のすり替え
メンタルヘルスの心配をすると、「古い道徳観で職業差別をしている」と攻撃され、議論が「道徳的によくない」という点に矮小化される現状がありませんか。
多くの反性売買を主張している人たちや私が言っているのは、現実に起きている「精神障害」「複雑性PTSD」「人生の破壊」という健康被害の話です。
6.「地下化するから禁止できない」は、今の被害を無視する言葉ではないか
「地下化」という言葉が議論を止めていないか
ノルディックモデルやフランスの事例を引き合いに出し、日本でも性売買をなくすべきだという議論になると、必ずと言っていいほど「地下化(アンダーグラウンド化)」への懸念が噴出します。「禁止すれば、より見えない場所で、より危険な状況で女性たちが働くことになる」という主張です。
しかし、私はこの言葉を聞くたびに強い違和感を覚えます。この「地下化への恐怖」は、今現在、目の前で起きている構造的な暴力やトラウマの再演から目を逸らすための「言い訳」になっていないでしょうか。
「地下」は、すでに今ここにある
そもそも、「地下のお店」は、今この瞬間も普通に存在しています。
冒頭でお話しした、タイの女児が働かされていたマッサージ店や、私が高校生の時に働いていたお店。それらは法的な枠組みの外にある、あるいはグレーゾーンで運営されている、いわゆる「地下」の場所でした。芸能界の中で行われていることも、地下といっていい気がする。お店ではないけれど権力者のところに派遣させられるような感じがあった。
「禁止したら地下に潜る」のではなく、現状の法規制や管理体制の中でも、すでに多くの女性たちが「地下」の危険にさらされています。私たちは、その現実をずっと放置してきたのではないでしょうか。
「地下化」対策は、今すぐ始められること
もし「地下化」によって女性たちが助けを求められなくなることを本気で心配するのであれば、それは禁止するかどうかに関わらず、「今すぐ」取り組むべき課題です。
違法なお店であろうと、どんな状況であろうと、危険な目に遭ったら警察や支援団体に助けを求められるように啓発すること。
「自業自得」という社会の認識を変え、被害者が声を上げやすい環境を作ること。
アウトリーチ(現場への出向き支援)を強化し、孤立している女性たちとつながること。
これらは、性売買を禁止した後にすることではなく、今この瞬間から全力で取り組むべきことです。(というか、既存の支援団体はやっていますよね、colaboとか)地下に潜ることを理由に、性売買そのものが被害の延長になっている人たちの存在を無視し続けていい理由にはなりません。
暴力の放置を「安全」と呼ばないでほしい
「地下化して危険になるよりは、管理された場所で働く方が安全だ」という論理は、一見、女性たちを守っているように見えます。しかし、その「管理された場所」で行われていることが、過去の性被害の再演であったり、精神を解離させなければ耐えられない行為であったりするならば、それは本当の意味での「安全」ではありません。
「地下化」を盾にして、性売買というシステムが抱える構造的な暴力や、サバイバーたちが抱える深い傷を「なかったこと」にする議論を、私は受け入れることができません。
7. おわりに:本当の意味で「働く女性」の精神的健康と人生を守るために
被害も人生も点ではなく線で繋がっている
フランスの調査結果にもありますが、働いている人たちの多くが働く前に性暴力被害に遭っているということ。これは、被害が点ではなくその後の人生に大きく影響を及ぼし続ける、すべて線で繋がっている当事者の人生だ、ということだと思います。
例えば、議論を未成年と成人と分けるべきだと言う意見が見られますが、未成年の時に受けた性被害のトラウマが解決されないまま、働き続ける中で大人になっていく人を、簡単に年齢で切り分けて良いのでしょうか。
例えば今回のタイの女児が、きちんとしたトラウマ治療を受けられないまま、もしくはあのまま逃げ出せずに成人になってもお店に居続けたとしたら。それは「成人した大人の選択」とみなされ、自己責任となってしまうのでしょうか。
仕事を辞めた後も続く人生
今働いている人の多くは、いずれ性売買の現場から離れる可能性が高いでしょう。その人生がトラウマによって壊され続けることを、今の議論は放置していないでしょうか。私は当事者として、めちゃくちゃ放置されていると思います。自分と同じような人が今後現れないようにしてもらいたい。今の議論では、いくら過去の性被害の影響で働き始めて、辞めた後に精神障害を負ってまともに生活ができなくなったとしても、自己責任だよ、と言われているように感じます。
また、現在働いていて平気だと思っているセックスワーク論支持の当事者が、今後PTSDの症状などを発症した際にとても言いづらいし自分でも認めづらいのではないか、とも思います。こうしたことがトラウマ治療へ繋がりづらくなることも懸念します。
『私が私を取り戻すまで 性暴力被害のその後を生きる』
自身の著書『私が私を取り戻すまで 性暴力被害のその後を生きる』の第二章では、自身の性売買サバイバーとしての思いを書きました。
私もですが、被害を自覚して治療している人間が声をあげ続ける労力、と言うのは本当に限られています。どうかその後について、知ってください。
法務省の検討会や社会に望むこと
性売買サバイバーの声を「不都合な真実」として排除せず、精神的健康を大前提とした議論を真摯に進めることを望みます。
そのためには、フランスが行ったように性風俗で働いたことのある人たちへの調査が日本でも必須なのではないでしょうか。
私の精神疾患、複雑性PTSDが完治することはおそらくありません。一生この傷と一緒に生きていくしかない。その中での幸せを探すしか私にはない。できれば私は、これから先自分のような人は一人も生まれてほしくないと思っています。
私は性暴力被害を受けた人の回復のための支援をしてほしいと声をあげていますが、性売買の現場にいた人たちへの長期的な支援も、今からでもしてもらいたいと切実に思います。フランスでは、性売買の現場で受ける暴力や心理的ダメージ(PTSD)の深刻さを認め、社会復帰には長期的な支援が必要であるとしています。
そういう社会に生きていたかった。
ただ、私が今複雑性PTSDの症状を発症し、体が痛み、毎晩不安に襲われて上手くは説明のできない孤独感に苦しんで、呼吸がうまくできなくて涙が出てくる、そういう状態にあるのは、今私がもう生きていくためにしたくない相手と性的な行為をしなくても良い、自分にとって安心で安全な環境に身を置くことができたからだ、ということも知っていてください。
そして、2年半ほどトラウマ治療を受けてきて、確実に幸せを感じられる時間も増えてきました。全てのサバイバーにトラウマ治療が提供される社会になりますように。全てのサバイバーが、自分を取り戻して生きていけますように。
参考文献
•ジュディス・ルイス・ハーマン 著、中井久夫 訳『トラウマと回復 [増補新版]』みすず書房、1992/2023年
(解説:複雑性PTSDの概念を提唱した世界的名著。安全が確保された後にトラウマが表面化するプロセスについて詳述されています。)
•ベッセル・ヴァン・デア・コーク 著、柴田裕之 訳『身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法』紀伊國屋書店、2016年(解説:トラウマが脳や身体にいかに刻まれ、時間が経ってから影響を及ぼすかを最新の脳科学で解き明かした本です。)
•Farley, M., et al. (2004). "Prostitution and Trafficking in Nine Countries: An Update on Violence and Posttraumatic Stress Disorder." Journal of Trauma Practice.
(解説:世界9カ国の性売買当事者を対象とした調査。回答者の67%がPTSDの診断基準を満たし、多くが現場で「解離」を経験していることを報告しています。)
European Parliament (2014). "Sexual exploitation and prostitution and its impact on gender equality" (The Honeyball Report).
(解説:欧州議会で採択された報告書。性売買をジェンダー平等の妨げとなる暴力と定義し、フランスを含む加盟国に北欧モデルの導入を促す根拠となりました。)
•Le Mouvement du Nid (France). "Rapport sur la situation de la prostitution en France."
(解説:フランス最大の当事者支援団体による報告書。数千人の当事者への聞き取りに基づき、過去の性被害経験率や現場での暴力の実態を明らかにしています。)
•CAP International (Coalition for the Abolition of Prostitution). "The French law of April 13 2016: A victory for survivors."
(解説:2016年のフランス法制定を推進した国際ネットワークによる資料。立法過程で重視された統計データやサバイバーの証言がまとめられています。)
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いわゆる立ちんぼやアプリを通じた性売買も言ってしまえば地下ですよね。 なんかふと思ったんですが、買春処罰の法律が出来たとして、風俗店の客って別に処罰されなさそうですよね。売春防止法がある現在風俗の店側は基本処罰無いですから(たまにされてますけど、たまにですもんね)
性的サービスに従事してる人は性的同意があると見なされるのは仕方ないのかなと考えさせられました。 事前にミスマッチが起きないよう、中学生くらいの女性へ教育、啓発を行う仕組みが出来たらいいなと思います。
正直、かなりリアルで考えさせられました。 こういう部分って 表ではなかなか語られないですよね…。 自分も借金から立て直してる途中なので すごく参考になります。