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御霊猛疾 ― ウロノカミ ―

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第三節 山、猛るる夜

第三節 山、猛るる夜  十年(じっとせ)といくばくかのときが過ぎた。  玄命丸はその身を美々しく成長させていた。  美貌と呼んでいいのであれば確かに彼は美しい面である。  けれど、骨相を視るに、その整いすぎた顔は悪相とも凶相ともとれ、あるときふらりとやってきた骨相占いの女は、玄命丸を見るなり、眉をしかめた。  それは魔性とも神性ともいえる美しさで、傾城(けいせい)というにふさわしいものであった。  彼には男根がある。同時に女陰(ほと)がある。そして胸乳(むなち)もある。  すなわち二つの性を併せ持つ、双形(ふたなり)であった。  ゆえに玄命丸は麓の村では奇怪な怪物、魔の化生と恐れられた。妖怪ですらない、まれにみる、怪魔妖魔だと、そう忌まれた。  最初は違った。村の童も玄命丸をおのこと思い遊び、棒切れを手にちゃんばら遊びなんぞをしていた。  だが十歳ともなれば女か男かわかってくるもの。  玄命丸はここにいたり異質と知られ、あるとき村の連中から着物を剥ぎ取られ、その身をさらされた。  ――奇怪じゃ。  ――怪魔じゃ。妖魔じゃ。  ――山の化外じゃ。  ――おそろしい。  玄命丸は乱暴された挙げ句、そのように罵倒され、打ちのめされた。  棒で叩かれ、引き回され、殴られた。  異様な気配を察したなつめが空から降り立つと、雷鳴の如き一喝で場を打ちのめした。  ――恥を知れ! 童を囲んで滅多打ちにするのが、気高き山人(やまびと)のすることか!  玄命丸は声を放って泣いた。  なぜこのような仕打ちを受けるのかわからなかった。  いらい、彼は山から降りることを極度に嫌った。  そして、四年もの間。玄命丸は父母と見定めたなつめと、和真とを親に、山を家のように思い、過ごしていたのである。  戦灰暦六〇九年 水無月(六月)  玄命丸は十四歳。彼がいかなる妖怪変化であるか、その種族ははきとしないが、しかし、人間ではないように思う。  耳はなるほど鬼のように尖っているが、細長い。異国に見られるエルフのようでもあるし、龍の一族のようでもある。  しかし肝腎の角がない。しかし――エルフでもなかろう。見目、肌の色は、明確にこの和深大陸の民であることを雄弁に語る。  その日も玄命丸は獣狩(ししがり)の手伝いをするべく、父和真について行動していた。 「父上」 「どうした」  今日は獣を狩る日ではない。剥いだ皮から肉の滓をこそげ落とす玄命丸は、隣で、山鉈(なた)の刃を研いでいる父に問うた。  和真は目を鋭い刃に向けつつも、その耳は玄命丸のかすかに震える声に向けられていた。 「なぜ俺と父は、母とも、似ておらぬのです」 「親子で似てないことなんぞ普通だ。俺も、親父とはあまり似てなかった」  和真は己の左こめかみから伸びる、黒い角を指でつついた。 「俺の父御(ててご)には角がない。俺は混じり物、半妖だ」 「……誤魔化しなど不要です。隠さないでください」  玄命丸は作業の手を止めないが、その手つきはやや荒い。  和真は後ろから、玄命丸の山鉈を取り上げる。 「なにを」 「気が散ると怪我をする」 「……俺を捨てるのですか」 「なに」  玄命丸の声は震えていた。 「気色が悪い妖魔とお思いか。親子では、ないから」 「なにを。お前、どうしたのだ」 「俺は、木の股から生まれたばけものだ。知らぬと思ったか!」  叫んで、玄命丸はそこを走り去った。  後ろから、父と呼んでいた男の悲壮な――いや。悲壮を取り繕う――ような――声がした。  聞こえないふりをした。己の感情さえ殺し、今抱くのが、決して己への惨めな悲しみではなく、裏切り者どもへの強烈な憤激だと塗りつぶした。  もうお前たちなど知らぬ。俺は一人で生きてゆく。  山の夜は、全くもっておそろしい。  なるほど、まず光がない。  篝火なんかが焚いてあることなどまずない。神社の社領ならまだしも、未開墾の山なんかはそんな親切などあろうはずがない。  そも、戦さ時でもなければ火など炊いて、意味もなく、燃料を無駄にはすまい。山火事のおそれもあろう。  月明かりや星あかりが照らすなどというのは、つくづく山を知らぬ町人の子の謳い文句である。  実際に山に入ればわかるが、昼間でさえ鬱蒼と茂る木々で日は遮られ、ぐぐっと、明度が落ちる。  曇天、雨天の山なんかは昼なお暗く、夜半となれば、か細い月明かりがふきつけるくらいでは、なんのたよりにもなるまい。  全くの、闇。  一方、音は、やかましいほどにする。  かまびすしく鳴き囁く虫。なにやらこだまのように遠く響く声を上げる夜鳥。夜目を持つ獣の跫音。  枝が割れ砕ける音。草が鳴る。風が吹けば木々がわらう。  普段なら心地よい音色に思える虫でさえ、いまは、憎らしいほどに敵意を抱いてしまう。  玄命丸にも帰巣本能という言葉と、その意味はわかっている。獣狩(ししがり)の修行を積めばこそである。  すなわち獣は、本能的に住処への道を理解し、何かあればそこへ帰巣するというものだ――概ねは。  これは窮理学的、舎密学的に研究が進んでいるらしく、どうやらこの玄慈球という星そのものの、得意な「気」や、「におい」、僅かにいかずちを帯びる「波」、そして龍脈などで得られる感覚であるという。  己にもそのようなものがあるのだろう。  自分がいるのは、己が生まれた樹洞であった。  記憶には――ない。だが、ここが己の母胎(はら)であったと知っていた。それこそ、本能が、血が、おぼえている。頭ではなにも覚えていないのに。  そのうろの中で、彼は身を丸め、泣いていた。  理由はわからない。なぜ、四年も前のことを今更気にしだしたのだろう。  十の頃。信じていた村の子供らに裏切られた。散々打たれた。  なつめが来てくれなければ、今頃、谷底へ落とされ骸になっていても不思議ではない剣幕であった。  村のものらへの怒りや恨みはある。しかし、異物を排斥しようという考えも、理解は――できる。  厄をもたらすものなど、共同体に置くべきではない。それは常識だ。村ハジキは非道ではあるが、自衛の手段でもある。  ――なぜ、己はこんな奇っ怪な生まれなのだ。  煩悶とした。跼蹐としたものが這いずって、理由もわからず叫んだ。己の軟弱に吐き気を催す。くだらぬ、くだらぬ。  一人で生きていく俺が、このように弱音ばかり。  ――己は気が触れたのだろうか。気狂ったのだろうか。  しかし、玄命丸に自覚がないだけで、いわば思春期である十四歳にとっては、むしろ自然で健全である。  この年頃になってもなお、まだ、己に疑問や、生まれの根源への問を浮かべぬほうが遥かに異常だ。  親に、あるいは、師範がいかな人格者とはいえ、自問を繰り返し始めるのがこれくらいの年頃であった。  だが、当人らに、それを理屈で理解することはできぬもの。  するべきではないのかも知れないし、知らぬからこそ、健全であるのかもと、のちのち――元服した彼は、そのように回想する。  むろん、このときの玄命丸は、幾十年(いくじっとせ)も先の己の心など知る由もない。  ただ、己の今が不安なのだ。  なにか気楽に、悲しみとも虚しさとも取れぬ、奇妙な焦りに似たこの思いを紛らわせる物があるのならば、それこそ酒色に溺れ、悪酒や毒酒にだってたよりたい気分だった。  そのとき、とおく、地を蹴る音がした。 「父上? 母上?」  迎えに来てくれたと思った。  うろから顔を出そうとして、ふと思いとどまる。  出ていって、何ができよう。今までのごとく、親子ごっこを続けるのか。  村の連中が言ったことを鵜呑みにしていることへの滑稽もある。徒言や戯言の類ではないのか。  だが、ここまで似ていない親子がいようか。そのように思う気持ちのほうが大きい。  けれど、この場合、玄命丸の迷いは彼の身を救ってみせた。  ずがん、がばん。衝撃が轟く。  玄命丸はうしろに、見えない手で突き飛ばされたように転がった。はたと顔を上げれば、そこには、熊のようなずんぐりとした化獣(ばけもの)がいる。 「ひっ」  ヤマグマ――ここらで、最強と言える格の化獣(ばけもの)である。  樹皮を砕いて土を掘り返す熊の手に、己の右足の野良袴がひっかかり、引っ張り出される。  そうして悲鳴を上げるいとまもなく腹を割かれて、腸をすすり食われる――。  玄命丸は恐ろしい面相のヤマグマに己が内から食い荒らされるさまを幻視した。  恐怖で股が濡れる。  わけのわからない悲鳴が咽喉(のど)を奔った。  さながら赤子のような声で、悲鳴で、鳴き声であった。  ヤマグマの腕がぐいと伸びる。次の瞬間、その巨体が、横合いから突進したなにかに突き飛ばされた。  甲高い声が夜の山をめぐる。  それは、ツノヤジカであった。  巨躯のおお熊は咆哮すると、四足で駆け出す。  ツノヤジカもこれに応戦。節くれだった角で迎え撃つ。  王冠のような角を、ヤマグマの腹に突き立てた。先が、分厚い毛皮を切り裂く。だが、突き破るには至らない。頑健な筋に阻まれる。  ヤマグマはすかさずこれを好機と見て、両の腕で、ツノヤジカの角をがっしりと掴んだ。  ぐわ、と上へと持ち上げる。  ツノヤジカ、こいつはどう考えても五十五貫(二百キロ超)はあろう。それを、土を舞い上げながら頭上高く持ち上げる。ヤマグマの恐るべき怪力に、玄命丸は目を瞠る。 「ゴォォウウアアアア!」  ヤマグマは咆哮を上げ、ツノヤジカを、地面に叩きつける。  ずがん、ずどん、と凄まじい激震が山を上下する。  玄命丸はこの凄まじい縄張り争いに、ただただ見入るしかない――いや、魅入るしかなかった。  山が戦っている。玄命丸にはそのようにしか見えなかった。  山の意思が激突している。  ツノヤジカは反撃に移らんと、三度目の叩きつけの瞬間。着地と同時に地面を思い切り蹴り、ヤマグマのちからの矛先をねじり、その角で巨躯を後ろへ跳ね、放り投げたのだ。さながらカブトムシがそうするような突き上げ、放り投げだ。  ツノヤジカと同じか、さらに思い巨大な熊が宙を舞って落下。  土砂が跳ね、大地が戦太鼓のごとく鳴動する。  両者はまだぶつかる。  激しい応酬が繰り返されるが、ついに盛者必衰のとき。  ツノヤジカの首を抱え込んだヤマグマがぐいとそのぶっとい首を締め、ねじり上げた。  悲鳴があがる。  玄命丸は助けようと思った。だが同時に――今まさに首を折られんとしているツノヤジカの目と視線が交錯した。  ――童、手を出すな! おれたちの勝負だ!  そう、怒りさえぶつけられた。そんな気がした。  ツノヤジカはただでやられたりはしない。激しく体を上下させて首の拘束を逃れる。  そして。  ツノヤジカが振るった頭突きが、その角の一撃が、ヤマグマの右目をえぐった。  ヤマグマの悲鳴がこだまする。たまらず後ろへ退いた山の王者は、神妙ともいえるような間の後、木立をとって去っていった。  ツノヤジカは静かに首を振る。彼とて無傷ではない。  体中が傷だらけだ。しかも角は今しがたの一撃に耐えきれず、根本から折れている。 「てあ、て」  玄命丸はうろから出て近づく。ツノヤジカはしかし、その彼を睨んだ。  いらぬ手出しをするな。そういうふうにも、半端な優しさがなんになるか、と鼻を鳴らす風にも思える。  ふん、と蒸気のような熱い鼻息を吹いたツノヤジカも踵を返した。そうして、ヤマグマとは反対、山を登る方へ去っていく。  玄命丸は、この奇妙な出来事を胸の中でどうにか砕いて、腹に落とそうとした。  けれど凄まじい興奮が、熱となって、燃え広がるばかりだ。 「玄命丸! どこだ!」 「どこ⁉︎ 玄命丸!」  両親の声。  いや。両親では――。  どうなのだろう。  玄命丸は、いまの山の戦いを見て、理屈ではなく本能で、己がこの山から生まれた化生だと理解した。  しかし。  どこまで行っても己はまだ無力であり、そして、弱い己を育ててくれていたのは、あの優しい両親にほかならないとも、――胸が、鼓動とともに、伝えている。 「母上」  うろから出た。なつめが気づいて降り立つ。  なつめは苦しそうに眉をつめた。 「粗忽者」  ただそう言って、母は、腕とフクロウの翼で抱きしめた。  いらぬ理屈も、いいわけも、そこにはなかった。  玄命丸はただ、また、声を放るようにして泣いた。  山人(やまびと)。ときに、山に上った人という意味を込め、上がり人(アガリビト)などともいう。  天嵐国の民は好んで山人と己を称するが、低地の連中は蔑みと恐れをもち、上がり人という。  山人たる天嵐の民は、幼少より、その身を山で鍛える。  鍛えると言っても難しいことはない。山を駆ける、崖を登る、樹の実や薪を取る、それらを背負う、また駆ける。  これを幾日幾年と繰り返す。  実を言うと、子育てにおいて厄介な、子が夜に起きるのを防ぐ意味もあった。疲れさせればさっさと寝て朝まで起きないから、親もぐっすり眠れる、そういう寸法である。  だが、このように山で育った民は非常に足腰が強く、腕力が強く、肺がたくましい。  驚くほどに疲れを知らぬ身になる。それこそ、人間でありながら妖怪並みの体力を得られるし、共に暮す妖怪と接する機会も増えるから、両者のえにしも強くなる。  この和深の地では人間も妖怪も入り乱れて暮らすが、思想の違いや文化の差から、袂を分かち、あやかしだけの国、人間だけの国もある。  井筒国なんかは人間だけの国だ。それゆれにこの山の土地を、文化と智慧の遅れた野人の土地と蔑む。  同時に山人も、井筒国の者らを薄汚いどぶさらいなどと見下す節がある。 「神使の中にもそのようにひとを見下すものが多い」  ある日の食卓で、なつめがそういった。  彼女は和真との間にできた我が子に、粥にした芋の汁を食わせている。その子はおなごだ。歳は一つを数えた頃である。  血は天狗を色濃く引いている。  外は寒風が吹いていた。  囲炉裏には灰に沈んだ火種が赤々とし、炭火がうずくまるように燃えている。  庵はせいぜいが十畳間。しかし、贅沢を好まない気質の玄命丸には、寒い夜を温かい飯とともに越せるだけでじゅうぶんだった。 「玄命丸、あなたはどう?」  なつめは、見下すなとも、敬えともいわなかった。 「俺は……いずれも怖い」  このとき、玄命丸は十六。まもなく、元服である。 「低地の連中だろうと山人だろうと俺の躰を見れば、恐れ、村ハジキにしよう。打たれることもあろう。母上。人間は、いや、あやかしとて、俺にはおそろしい」  偽らざる本音である。  和真は酒を小さく呑み、目を閉じて、頷く。 「半妖は。ときに恐れられるものでな。俺は鬼と人間の間に生まれたから、どちらからも侮られ、どちらからも恐れられた」 「父上が?」 「もう随分前だが。戦さで武功をあげた。俺は褒美を返上したよ。ひとの世に疲れたのだ。静かに暮らしたかった」  鬼だからといって、戦さを好むわけではない。  人間がそうであるように、妖怪変化とて、すべてがすべて、やれ戦さ好きだ、やれ悪心持ちだとは限らない。 「いや、俺のことはいいか。とかく、僻目で見られる事自体は、存外誰にでもあり得る」  才あるもの、力を持つもの、財を成すもの。  平等公平を論じ能書きを糞のようにたれることなど誰にでもできる。だが、それを実現するのは、神仏にも土台難しい。  玄命丸はそれを知っている。  平等も公平もありえぬし、公正さえ、不可能だと。  だからこそ、銘々が思う正義をなそうとしている。だから戦さだ戦さ、世が乱れる。そういう時代なのだということも理解している。 「山だけは嘘をつかん」  和真はそう言って、酒をあおった。  珍しく、彼は少しばかり酔を回しているようだった。  あるいはそれは、唸る寒風が、彼の中で――あの戦さの棒火矢を思わせたからなのやもしれぬ。

初回投稿日時:2026年3月18日 23:57

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