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御霊猛疾 ― ウロノカミ ―

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壱ノ章 樹洞

第一節 矢弾驟雨

第一節 矢弾驟雨  戦灰暦(せんかいれき)五八三年 文月(七月)  静かな夜であった。木々の枝葉に切り取られている南西の空には、青白い月が浮かんでいる。  山は夜とて寝静まることを知らず、虫が鳴き、フクロウがじっと目を虚空へ踊らせている。  だがそれらはただならぬ血の気を悟ると、穴に潜り、草場に隠れ、音もなく飛び立っていく。  テンランワシミミズクが去っていく。夜天に、大きな影が舞う。  その下には、あかく、篝火が焚かれていた。寄って入った蛾が焼かれて、薪木とともにばちりと爆ぜる。  山岳郷(さんがくごう)天嵐国(てんらんのくに)天嵐神社――その分社がひとつ、戦憐岳(せんれんだけ)にある戦憐天嵐神社を本陣としている天嵐軍。  天嵐軍、戦憐岳(せんれんだけ)隊総大将、弓弾子(ゆみはじきのこの)桜之丞和就(さくらのじょうかずなり)は、齢五十三を数える。老人と侮るなかれ。彼は常に現場に立ち生き延びてきた戦さ武将である。  彼は情報の速度を尊び、前線に立てた陣、その一つで指揮を取っていた。  顔には相応の苦労と老いがしわとなって刻み込まれている。髪はなお黒く、油が塗ってあるかのようにつややかで、目もくろぐろとしている。  鼻息荒く、軍略図に筆を走らせていた。 「我が方は八千。平野で会戦するには寡兵であろうが、しかし、山で要撃するのであれば十二分であろう」 「斥候いわく、敵方は二万ですぞ。八千でどう戦うおつもりか」  篝火の赤光で顔を赤く染めている家臣の一人、鬼の馬廻り頭がつばを飛ばしてまくしたてる。 「だから、()()()()()()。元来、山と城は同義。楠成秋(くすのきなりあき)公が山にこもるという戦法を取って以来の、古の兵略だ」  和就はそう説得した。でまかせではない。この山岳郷天嵐国において、山自体を城と見立てて戦うのは、いにしえより続くやりかただ。  若い世代は知らぬでも無理はない。そも、和就の世代でさえ、知る者は少ない。  妖怪連中(れんじゅう)ならば知っているだろう。軍勢にも、妖怪は多く、そしてそうした者たちから具申された作戦でもあった。 「ここはあやかしの国。あやかしなりの戦いで勝てばよい」  和就は言い切った。彼自身は人間であるが、だからといって別段妖怪を見下したり、人間を優越視するつもりはなかった。  この戦乱の世。人間性というものが、犬も食わぬほど腐り果てた愚劣、方便にも満たないものだと皆が知っている。  清廉さ、潔白、道徳、人徳倫理。そんなもの、今の世にはない。  勝てば官軍だ。負ければ賊軍なのだ。  いっそ和就の目には、怒れる狂気がある。  この男はあやかしを、鬼女を妻に娶るような変わり者。妖怪についてはそこらの人間より詳しい。  妖怪にも相応のほまれがあり、非常に気高いことも知っていた。  鬼に横道はない。  しかし和就は――同時に、軍師でもある。  だから、武士のほまれがないのだと、彼は言う。 「勝てばよいのだ」 「和就殿、武士の、ほまれはござらぬのか」 「そんなもの、厠に捨ててきたわ。尻を拭くのにちょうどよかったぞ」  なんでもないように言い捨てる和就に、さしもの鬼伏も口を噤まざるを得なかった。  そのときである。 「棒火矢(ぼうひや)だァーっ!」  物見のため陣の上空を飛んでいたフクロウ天狗の青年が怒鳴った。  同時に、夜天を切り裂く低い唸り声のような風音が幾重にもかさなる。  天幕から出て空を見やると、赤い火線がたなびいて、山の斜面に突き刺さっていく。  木の杭とも、槍とも言える太い棒である。  それには硫黄を染み込ませた火縄が編み込まれており、それは硝薬を満載した布袋に伸びていた。 「持ち場の砦につけ! 必ず五人組の(そなえ)で行動しろ!」  和就の怒号。それを覆いかぶすように、爆発音が轟いた。  硫黄と油で棒が燃えて、それが、くくりつけられている硝薬に時間差で移ったのだ。  轟々と爆発が連打、木々がえぐれて弾け、爆裂し、山が燃える。  敵はいっそ、この土地を焼く気ではあるまいか。  和就は、だからこそ木々の生えぬ高地へおびき出す策を取っている。  岩がちな地点まで寄せる。そこを堤に、盛り返す。そのときこそ天嵐国の逆さ寄せだ。 「虜囚などいらん、皆殺しだ!」  和就は顔を真っ赤に、咆哮した。  彼は大弓を掴み、硝薬を結んだ火矢を撃ちまくる。  撃ちつつ、山を背に後ろ向きに駆けた。でこぼこの山道を、後ろに駆けるなど並の足腰ではない。  しかも、目は完全に敵を睨み、道など見ていない。  経験と勘だけでやり仰せている――和就は、妖怪ですらない。それでいて、この超技。  周りの兵は山に強い騎獣をもちいている。歩鳥(ほとり)という、駝鳥に似た足腰を持つ、陸の鳥だ。見目は猛禽類に近く、健脚である。  それらにまたがり、武士連中は巧みに矢を射掛ける。  どっ、どっ、と矢を射る。駆け上がる敵の足元へ刺さった爆ぜ矢が爆発した。  三人の敵兵が吹っ飛び、斜面を転がり、連中の味方を巻き込んで雪崩れていく。  同じように、弓兵らが爆ぜ矢を射掛ける。  そのときだ。  ――どんっ、どどっ、どんっ。  いかずちのような轟音が連続。  前方を固めていた足軽らがばたばたと倒れ、そして、衝撃が和就の右肩を衝撃とともになにかがえぐった。  焼きごてを押し付けられたような苦痛が伴う。 「く――鉄炮(てっぽう)か!」 「井筒め、外道を用いたぞ!」「ああして地獄への案内(あない)をこうておるのだ!」  この天嵐国では、まっとうな修練もなく人を殺める鉄砲を憎み、おそれ、外道と謗っていた。 「和就殿をお守りしろ!」「引きずってでも本陣へお連れするんだ!」  敵の鉄砲隊、二列目が片膝をつき、かまえた。  と、音もなく矢弾が降り注いだ。  山伏――天狗衆が空から飛翔、彼らは無言で矢を打ち下ろして敵を追い払うと、和就の前に立つ。  その一人は、見知った女であった。 「なつめ殿」 「和真が破城弓をつがえています。下がってください、橋ごと落とすと」 「誰に似た、あの馬鹿息子」  いいつつ、和就は口角を片方を上げ、内心、良い策だと思っていた。  天狗なら空を飛べる。なるほど、天狗衆に足止めをさせていても、彼らは機を見て撤退できるし、その際、橋を落とされていたとて平気だろう。  和就はどうにか立ち上がると、出血がひどい右肩を細帯できつくしばり、止血する。 「お肩を」 「よい、歩ける」 「ならばせめて、鳥を」 「いらぬ。お前たち、弓を持て。天狗衆を援護せよ」  和就は己がこの盤面で死ぬると悟っている。死出に無用な連れはいらぬ。  なつめは弓を構えて射る。天狗らはそれに続き、矢の雨を降らせた。  天狗の矢は己の羽根を使った矢で、妖力を通し、曲げたりできる。  くわえて、貯めた妖力を燃焼させて加速し、凄まじい貫通力を示せる。  天狗は血の気を嫌う。本来、殺傷行為自体に強い忌避感を抱くのが天狗であるが、「武の神使隊」たる彼らは、飛び道具を使って敵を殺めることを厭わない修練を積んでいる。  井筒軍はこの天狗矢にいたくやられている。  和就は、山林と岩山を隔てる裂け目に達した。そこには無骨ながら頑丈な吊り橋がある。 「和真っ! 敵が近い、俺に構うことはない! 者共、ゆけ、先に渡れ!」  和就は家臣の尻を叩いて送り出す。  むろん、無駄死になどする気はない。死ぬべきときに死ぬ。それが長だ。それが武将だ。  和就は持っていた硝薬を撒いた。そして、油をぶっかける。  硫黄を染み込ませた竹べらを、腰の火縄に押し付けて着火し、それを、硝薬と油に落として橋を駆ける。  次の瞬間、火の海がぶわりと湧いた。 「親父、速く渡れ! 井筒がそこまで来ている! 連中火を恐れていないぞ!」砦の一つから大声が降り注いだ。破城弓を構えている愚息、和真であろう。 「かまわん、放て! 策がある!」 「なら疾く走れ、老いぼれ!」  ――好き放題いいよって。  次の瞬間、破鐘をぶっ叩くような音が周囲を震わした。  棒火矢を五本も六本も束ねたものを、高速で飛ばしたような音だ。  そしてそれは、橋に降り。なんら抵抗を見せることもなく、ほうき星のごとく落ち、橋を粉砕せしめる。  橋を渡らんとしていた敵軍勢が、悲鳴とともに落下。  和就はその瞬間には左腕の手甲に仕込んだ鉤縄を飛ばし、対岸に引っ掛けていた。  体が崖岸に叩きつけられる直前で足を伸ばして着き、膝を曲げ、勢いを殺す。軽量な具足を身に着けているとはいえ、重たい、筋張った男の体躯を引っ張る縄は、ぎしりと文句を漏らす。 「上げてくれ!」  家臣らが縄を掴んで引っ張り上げる。  這い上がった和就は対岸から、本陣の神社へ向かおうとし、  銃声。 「あ――がっ」  鉄砲が、和就の腹をえぐった。  更に銃声。対岸から浴びせかけられた十もの鉛玉が、彼をえぐり、血肉を吹っ飛ばす。 「和就様っ!」 「和真に、つづけっ――!」  指揮を混乱させてはならぬ――。  和就はそのように考え、誰に従うべきかを言い残し。  ぐらりと躰がゆらぐ。 「いのち、あるもの――のため。たたかえ……っ!」  最後のとき、彼の脳裏にあったのは愛した妻の笑顔だった。  妻子に恵まれ、死ぬる。  ――良い人生であった。  悔いは、ない。  声もなく転落した和就。  それを、砦から見下ろしていた和真は、震える手でなおも破城弓を握り直す。  鋼鉄の弓弦をぎり、と引き絞り、一丈はゆうにある弓を構える。 「ここは俺が守り抜く」  そして、若き山の男、弓張子桜之丞和真(ゆみはりのこのさくらのじょうかずま)は、剛弓一矢を敵陣へぶっ放した。  この戦さはからくも天嵐国が勝利を収めることになった。  そして、この十年(じっとせ)ののち、やはり天嵐国で物語は動き出すのである。

初回投稿日時:2026年3月16日 14:30

最終更新日時:2026年3月23日 23:05

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