ハーンが54歳で「あまりにあっけなく」死んだ時、妻セツは36歳で長男は10歳、第4子の娘はわずか1歳だった
■雑司ヶ谷の墓地に葬られた かつて、そこの僧侶になりたい、と親しんだ瘤寺で葬儀は営まれました。焼香の間、セツは涙を止められませんでした。悲しみに暮れるセツに代わって葬儀をとりしきったのは、遠縁にあたる法学者の梅謙次郎(1860〜1910)でした。 墓は好んで散歩した雑司ケ谷の墓地に建てられ、庭から移したバラなどが植えられました。 ---------- 小泉八雲之墓 ---------- と刻まれた簡素な佇(たたず)まいの墓です。セツの墓と隣り合い、歳月を重ねています。
■セツが記した「八雲の好きな物」 (セツの書いた)『思ひ出の記』の終盤に、八雲の人柄を端的に言い得た箇所があります。 〈ヘルンの好きな物をくりかえして、ならべて申しますと、西、夕焼、夏、海、游泳、芭蕉、杉、淋しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱(ほうらい)などでございました。場所では、マルティニークと松江、美保(みほ)の関(せき)、日の御碕(ひのみさき)、それから焼津、食物や嗜好品ではビステキとプラムプーデン、と煙草(たばこ)。嫌いな物は、うそつき、弱いものいじめ、フロックコートやワイシャツ、ニユ・ヨーク、そのほかいろいろありました。まず書斎で浴衣を着て、静かに蝉の声を聞いている事などは、楽しみの一つでございました〉 ここに掲げられた、いくつもの事柄から、容易に語りきれないセツの想いが聞こえてきます。僕は松江で教員生活をおくりながら、八雲の足跡を追うようになりました。夫婦が暮らした時代の風情が残っているだけに、これらの端的な記述を思い返しながら、セツと八雲が直面した数多(あまた)の出来事の、人生の文脈が腑(ふ)に落ちるようになりました。 八雲が世を去った翌年に(『思ひ出の記』を)書き始めたわけですから、セツは痛む心を抱えながら、一生懸命語りました。まだ36歳でした。子どもは4人。長男の一雄は10歳、末娘の寿々子は1歳になったばかりでした。悲しみから再起して、大黒柱を失った家庭を切り盛りせねばなりませんでした。 ---------- 小泉 凡(こいずみ・ぼん) 小泉八雲記念館館長 1961(昭和36)年、東京都生まれ。成城大学大学院で民俗学を専攻し、87年から曽祖父・小泉八雲ゆかりの松江市で暮らす。小泉八雲記念館館長、焼津小泉八雲記念館名誉館長、島根県立大学短期大学部名誉教授を務める。著書に『怪談四代記 八雲のいたずら』(講談社)、『小泉八雲と妖怪』(玉川大学出版部)など。撮影=朝日新聞出版写真映像部・佐藤創紀 ----------
小泉八雲記念館館長 小泉 凡