「ほらサナエ。今すぐイランへ飛んで、床に額なすりつけて…」早大名誉教授の投稿に批判殺到。軽率な発言が生み出されてしまう“根本的な原因”とは
近頃のSNSではインテリの炎上が目立ちます。彼らの言葉はなぜ反感を買うのでしょうか? ⇒批判が殺到した有馬哲夫氏の投稿
早大名誉教授の投稿に批判が殺到
問題となっているのは、早稲田大学名誉教授で社会学者の有馬哲夫氏によるXでの投稿です。イラン政府が日本の船舶のホルムズ海峡通過を認める用意があると発表したことに触れ、<ほらサナエ。今すぐイランへ飛んで、床に額なすりつけて、これまでの非礼を詫びて、日本のタンカーを通すようお願いしろ>と、高市首相を煽ったところ、ネット上で激しく批判されているのです。 “これが学者の書く事か?”とか“学者の言葉とは思えないほど下品”といったコメントの他に、早稲田大学のブランドや名誉にも関わると懸念する声も見受けられます。
権威ある肩書きと「感情の暴走」が生むギャップ
当然、政権に対する批判的な意見をなくしてはいけません。しかしながら、有馬氏の言葉は、冷静な批判を超えて感情が暴走してしまっています。政治思想や党派の違いを理由に、高市首相個人への人格攻撃を目的にした言葉の使い方だからです。 匿名の素人による投稿だったら、ここまで問題にはならなかったでしょう。しかし、有馬氏は高い社会的地位にある公的な人物です。華麗な肩書きと発せられた言葉との間には、にわかには信じがたいギャップがあります。 だからこそ、ここまでの拒否反応が示されたのだと思います。 有馬氏は何を間違ってしまったのでしょうか? まず、この文言やフレージングを当人が面白いと評価している点が滑稽です。「床に額なすりつけて」とは、土下座のことです。そこには、“俺の嫌いな高市は対応を間違えた。この失点を取り返すためには、最大の屈辱を強いられても彼女は文句を言えまい”という、単純な公式しか存在しません。
言葉の端々ににじみ出る「してやったり感」の浅ましさ
この“してやったり”感が、言葉の端々からにじみ出ている。高市総理を叩ける機会を、ヨダレをたらして待ち構えていた様子が、一言一句にあらわれている。その浅ましさ、恥ずかしさが、痛いのです。 人間ですから、好き嫌いや考え方の違いがあるのは当たり前です。けれども、その当たり前に甘える形で、相手を奈落の底に叩き落とす表面的な言葉を嬉々としてつづってしまう。ただし、そこにあるのは、有馬氏と高市総理の対立関係だけであり、第三者の目という緊張が欠けています。 そこに無自覚であるという点で、有馬氏は間違ってしまったのです。 そこで次の問題です。なぜ客観性を欠いた品のない言葉を使うことに無自覚でいられるのでしょうか? それは、正しい側にいるのは常に自分である、という無根拠な前提を信じているからです。