半世紀前にあった「職業差別」
自衛官というだけで住民登録を保留され、成人式や国体、野球大会への参加を拒否される。沖縄が本土復帰した後の昭和47年10月、陸上自衛隊第15旅団の前身部隊が那覇駐屯地を開設した当初は、こうした「職業差別」が各地で相次いだ。
先の大戦末期の沖縄戦では、県民の4人に1人が犠牲になった。当時は戦禍の記憶から、自衛隊を旧日本軍と重ねる人も多かった。自衛隊員や家族の人権が損なわれる差別的な取り扱いは多岐にわたり、祝電の依頼を電報電話局に拒否された。自衛官の妻は幼稚園のPTA役員を辞退するよう求められ、その子供は入学手続きを保留されたとの記録も残っている。
むろん、半世紀以上も前の話であり、本土復帰から50年の令和4年に共同通信が実施した世論調査では、県民の実に8割以上が自衛隊に信頼を寄せている。
自衛隊機による救急患者の空輸や不発弾処理といった地道な活動で地元に貢献してきた結果、自衛隊に対する県民の抵抗感も次第に薄れていったのだろう。いや、正確には「多くの県民の…」と表現すべきかもしれない。一部左派系団体の人々は、いまだに強い拒否反応を示しているからだ。
先祖供養の踊りを披露する沖縄市の「沖縄全島エイサーまつり」(9月12~14日)。陸自第15旅団のエイサー隊の参加がすでに決まっていたのだが、これに市民団体「止めよう辺野古新基地建設沖縄市民会議」が待ったをかけ、「市民感情、県民感情からして許されない」と主張。自衛隊の出演中止を主催者側に要請した。