ナゾの甲子園監督、初出場で初優勝…“広島史上最強チーム”から50年、崇徳高を復活させた重要人物とは? 元カープの伝説的OB・山崎隆造の証言
今春の甲子園に出場する崇徳(そうとく)高校(広島)。センバツ初出場初優勝を果たした「広島史上最強チーム」から50年、低迷した古豪の復活劇に“ある重要人物”がいた。当時メンバーだった山崎隆造らの証言。【全2回の1回目】◆◆◆ 【実際の写真】「し、信じられない…」わずか14人“広島史上最強チーム”で甲子園優勝の瞬間。「地元銀行の福利厚生施設が“グラウンド”に… 」「研修施設が“専用寮”に…」復活した崇徳 、現地を訪ねた様子を見る それまで淡々とインタビューに応じていた崇徳の監督、藤本誠の頬を涙がつたった。 昨秋の中国大会、33年ぶりのセンバツ甲子園出場を決定的にした準決勝の勝利後に、「應武前監督への思いは?」と問われた瞬間だった。 「指導者としてのいろはをたたき込まれて、私自身が成長することができましたので。本当に感謝しています。誰よりも勝つことにこだわっていた方だったので」
カープOB山崎隆造の証言
應武(おうたけ)篤良。2022年9月にこの世を去った闘将は、崇徳の歴史と今回の復活出場を支えた最重要人物である。 崇徳は今回が4度目の春出場で、夏を含めると計6度目の甲子園となる。出場回数では突出していないにもかかわらず、広島で強豪として認識されているのは、ひとえに“ある1年”が劇的だったからである。應武が正捕手を務めた1976年、センバツ初出場初優勝の快挙を成し遂げたのだ。 当時、主将としてチームを束ねていた、山崎隆造が述懐する。 「全国制覇なんて夢のまた夢じゃないけど、そういうイメージでみんなやっていたと思いますよ」 山崎、應武らの学年は、わずか14人しかおらず、練習場所も他部と共用の校庭だった。 「野球部だけじゃなく、ラグビー部がいる。アメフト部もいる。サッカー部もいたかな。狭いグラウンドに色んな部活が入り乱れてましたね」
謎の監督がいた「オレは運を持っている」
加えて、崇徳の初代監督で、当時チームを率いていた久保和彦は、「野球経験の有無が不明」の指導者だった。山崎も「久保先生の野球歴について、あまり聞いた記憶がない」と言う。それでも、脳裏にこびりついた記憶が一つある。山崎ら選手を前に久保はこう壮語したというのだ。 「『オレは非常に運を持っている人間なんだ』と。『占い師に1000人乗った船が沈没したとしてもあなたは生き残るというお墨付きをもらっている。だからオレを信じて乗っかってこい』と言っていたことを、覚えています」 山崎はたしかに久保の“豪運”を見た。同年センバツの2回戦、鉾田一(茨城)に9回2死まで1点ビハインドで追い詰められるも、土俵際から4点を奪って逆転勝ちした試合である。 「久保先生が監督になった秋にポンポンと勝ち進んで甲子園が決まって、甲子園でも負け寸前から奇跡の大逆転という。その流れでバーンと優勝してしまった」 山崎は運を強調するが、選手たちも粒ぞろいだった。同秋のドラフトでは、広島から山崎が1位、中堅手の小川達明が5位で指名。さらに、入団は拒否したものの、エース右腕の黒田真二が日本ハムから1位、應武も近鉄から3位指名を受けた。
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