【Fate】偶像と憧憬と記録【ほんのり士弓】
フォルダを漁ってたら、士弓風味の文章を発掘したので、見たいかと知人友人に尋ね反応があったためアップ。まあ私が書くものなので、甘いとか欠片もないですしむしろなんか酷いですしおすし。そういえば全く関係ないですがデータとアップしたタイトルを全く違う名前で登録したりしていて何がどうなっているのか最近自分でも(略)
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なくしたものは何だった?
「アーチャー」
「……ああ」
いつまでも縁側に座り込んでいては風邪を引くだろうと声をかければ、ふいと白髪がこちらへ振り返る。
その顔にかつての嫌味な笑顔が浮かぶことはない。
少なくとも、士郎が相手だからということでその表情が浮かぶことはなくなった。
「そろそろ寒くなってきただろ」
手を伸ばせば、冬の気温で冷やされた手がそっと乗る。
今の自分とは、色も大きさも違う手のひらだが、形だけはとてもよく似ていて――――同じで。
「暖かいな」
「アーチャーの手が冷たいんだよ」
笑って引っ張れば、おとなしく立ち上がる男の上背は自分よりも遥かに高い。
高いが……かつてのようなせせら笑いは降ってこない。ただ大人しく、士郎の誘導に従って素直に居間へと戻ってくる。
繋がった手からじわりと体温が移っても、もっと大事なものが伝わらない。
「座っててくれ。お茶淹れてくる」
「わかった」
子供のように引かれていた手を躊躇いなく離し、すとんと床に座り込む。
かつて自分の住んで暮らしていた場所だというのに、アーチャーの所作には全くそういった名残が見られなかった。
いや、見られなくなった、のほうが正しい。
今のアーチャーには何も残っていないのだ。
救われて、育って、走り出して、破滅と共に絶望を孕んだ存在になったこれまでのことを、アーチャーはなくしてしまった。
もうアーチャーは衛宮士郎を殺そうともしないし、絶望もしないし、死にたいとも消えたいとも思わない。
代わりに、彼は何も記録しておくことができない。
昨日のことは、昨日よりも前のことは何一つ思い出せない。
朝起きて、夜眠るまで。一日だけが彼に残された自由にできる範囲だった。
気づいてすぐの頃、最初はみんな何か聖杯システムのバグなのだろうと思った。
遠坂もアインツベルンも、間桐ですら文献をひっくり返して、そのパッチを探した。
だが必死に探しても探しても、そんな事例はなかった。当たり前だ。
サーヴァントが現界し続けたこと自体、前例がないのだから。
そんなことをしている間に、アーチャーはどんどん症状を進めていった。
気づいた後に失踪した期間があったのもまずかったのだろう。
アーチャーは他者に迷惑をかけることを良しとせず、他のサーヴァントに同じ症状が出ていないことを確認した直後、関係者の前から姿を消した。
次に見つけたときには、新都のビルの屋上で、鉄柵に縄や鎖で手首を繋いだ姿だった。
恐らく誰にも迷惑をかけないように、という苦肉の策だったのだろう。
何度も死のうとしては手首を支点にぶらさがり千切れた縄と鎖の残骸と、そして何かを留めようと屋上の床に刻まれたいくつかの言葉と、夥しい血痕の名残。
アーチャーの悲哀と絶望が、そこにあった。
床に刻んだのは、己の肉体に刻んだところですぐさま治癒してしまうから。
残されていた単語はみな名前だった。親しいものたち全ての、いや知り合い全ての。
この屋上から見える人々の名前を片っ端から刻んだと思しき羅列には、一貫性など何もない。思いつくままに、忘れないように。
夥しい血の痕跡は、まだ魔術が思い出せる頃に耐え切れなくなった彼の自傷の跡なのだろう。
転がる縄や鎖はそれも思い出せなくなった後に追加されていったものなのだろう、いくらか新しく見えた。
濁った眼のアーチャーを発見したとき、真夜中にも関わらず凛は泣いていた。薄汚れてしまった白髪を抱えて泣いた。
そしてそんな主を目の前に、彼は言った。君は誰だろうと。
絶句した一同を前に、首を傾げる彼は確かにアーチャーでしかなかったのに。
言葉に詰まりながら自己紹介をし、抱えて帰った翌日、一同は再び絶句した。
アーチャーがもう一度彼らの名を尋ねたからだ。そして、ここはどこかと聞き、衛宮邸を全く認識しなかった。
それからずっと、アーチャーはこの家の中にいる。
外に出ることはない。出て行っても、すぐに誰かが見つけて連れ帰ってくる。
親切な人が道を教えてくれたのだと朴訥とした様子で報告する彼の背後で、誰もが苦いものを飲み込んだ顔で黙り込む。
それでも誰も、アーチャーを消してしまえとは言わなかった。
士郎と凛と桜、それに大河が、封殺したのだ。
最初こそ大河は専門の医者に見せろと、施設で見てもらったほうがいいと常識的な態度を取っていた。
だが子供たちの彼に接する姿と、危険なことは不思議としないし、危険な場所にも行かないアーチャーに、まあいいかとあきらめて許容したらしい。
食費や生活費については遠坂の遠縁だからと凛が名乗りを上げ、そもそも必要最低限あればサーヴァントなど金はかからない。
かけようとさえしなければ、それこそ飼育するのにこれほど楽な存在もないだろう。
だがこの家の誰も、アーチャーをそういった扱いにすることは許さなかった。
当たり前の人間のように手を差し出し、ごく一般的な家庭のように同じ食卓を囲み、言葉をかけ、抱きしめて、眠った。
幼児退行したわけではないアーチャーは、時折その態度に物言いたげな顔をしたものの、すぐにそんな表情もなくしてしまった。
今では大人しく士郎の寝室にすら手を引かれていくほどだ。
「アーチャー」
はい、と差し出した茶請けと緑茶に、一度首を傾げたものの、すぐに添えられていた竹串を取って切り分けられた羊羹を口に運ぶ。
美味しいものを食べたときには顔を綻ばせるし、好みでなければ眉間に皺が寄る。
そういうところは素直ね、といつだったか凛が話していた。
だが彼女がもっとも見慣れていた、台所に立って料理の腕を振るう姿は、もう二度と見ることができないのだ。
それを思い返せば、少しさびしい。だがそれでもここに彼が居てくれることが嬉しいのだと、皆黙っている。
「美味しいか?」
「ああ」
聞けば、返す。呼べば、来る。だが決定的な何かが足りない。
満たされないものを感じながら、それでも士郎は笑いながら一緒にお茶をする。
「アーチャー、羊羹ついてる」
「む」
手を伸ばして、唇の端についていた小さい羊羹の欠片を取って、ぽいと己の口に放り込む。
それを見て、むう、と何か言いたそうにしているアーチャーを見て、ああまだ彼はここにいるなと確認して。
安堵と苛立ちを同時に感じる自分を、士郎はずっともてあましている。
殺意を向けられたいわけではない。喧嘩をしたいわけでもない。苛立たしい時間を過ごしたいわけでもない。
だが安穏と崩壊していく有様を見守ることもまた、つらかった。
日々のところどころでかつてのアーチャーの残骸を見つけて、ほっとして、ほっとした自分に苛立って。
それをアーチャーにぶつけるわけにも行かず。
「俺のもやるよ」
茶請けの皿を差し出し、自分は湯飲みに口をつける。
「……」
しばしの沈黙。閉じていた目を少しだけ開ければ、いいのか? とこちらを伺い、悩む姿が映る。
「いいよ。もう俺は満足だから」
「わかった……ありがとう」
礼を言うことはまだ忘れていないらしい。
ほっとした顔で、ほくほくと新しい羊羹を口に運ぶ顔は、だらしないわけではないが、やはり違和感がある。
だがこれもアーチャーなのだろう。士郎を含めた誰も見ることができなかった、いつかのアーチャーなのだ。
「……知らなかった部分、か」
「ん?」
もしかしたら自分のかつての姿なのかもしれないものを目の当たりにしながら、士郎は何でもないと首を横に振った。
茶が苦く感じる。淹れるのを失敗したかな、と肩を竦めると、目の前ににゅっと黒い物体が飛び込んできた。
「シロウ」
飛び込んできたもとをたどれば、褐色の指先に繋がる。
羊羹を竹串に刺したまま差し出したアーチャーは、薄い笑みを浮かべたまま士郎を見ている。
「え。アーチャー?」
戸惑う士郎だが、羊羹はさらにぐいぐいと押し出されてくる。
「……くれるのか?」
尋ねれば、そうだと頷かれて、士郎は一瞬途方に暮れた。
だがこうなるとアーチャーは頑固だ。ちゃんと食べるまでこの姿勢のまま動かないだろう。
そういうところは、欠けてしまっても変わらない。
大人しく口で受け取れば、それでいいとひとつ頷いて再び自分の羊羹へと戻っていく。
なんなんだ、と甘さを噛み砕きながら士郎は困惑する。
全く持って調子が狂う。同じように記憶をなくしてしまったほうが、いっそ楽だったのかもしれない。
そんなことを言ったら、きっと激怒されるのだろうけども。
「しろー」
名前を正しく発音できなくなったアーチャーは、いつも違うイントネーションで彼を呼ぶ。
時には名前もわからなくて、手を伸ばして服を引っ張ることもある。
「駄目だ。士郎」
だから、混迷しているときにこうして前のような声を出されると、とても驚かされるのだ。
「笑って」
ほら、と大きな手が伸びてくる。
かつては頭を殴られ、罵られ、触れることも嫌がられた手のひらが、士郎の頬を包む。まだ少し冷たく感じるのは、縁側に居た名残か。
拒絶されて触れられなかったものに、今になって暖められるこの矛盾。
運命の皮肉さをまざまざと感じながら、ぎこちなく士郎は微笑む。
つられるようにして、アーチャーも笑う。感情の揺れ幅が少なくなった彼の笑みは、とても薄くて小さいものだが。
「ん」
満足したのか、離れて行こうとした手を反射的に掴み、士郎は笑った。
「ありがとな、アーチャー」
あのアーチャーはもういない。どこにもいない。
だがそれでも、目の前にいるのが残骸でしかないのだとしても。
「お前が居てくれて嬉しいよ」
それでも、これ以上失うことは嫌なんだろうと、士郎は己の感情をどこか遠くで感じた。
なくしたものは記録なのか。それとも憧憬の偶像だったのか。もうそれは誰にもわからない。