先の大戦で戦局の分水嶺(れい)となったガダルカナル島の戦いのさなか、米側に渡った日本軍の機密文書の存在が、防衛研究所の渡米調査で明らかになった。文書には作戦に関わる具体的な事項が記されていたことが判明。米軍はガ島戦などを契機に、日本軍の資料を奪うとともに速やかに分析し、戦略に反映するためのシステムの構築を開始しており、「情報戦」の重要性を改めて突きつけた。
《なるべく速やかに(陸軍)川口支隊の主力を島に上陸せしめ、一木支隊並びに既に上陸しある海軍陸戦隊を併せ指揮して戦果を利用拡大し、速やかに敵を掃滅して飛行場を確保》(一部略)
米スタンフォード大フーバー研究所にあるガ島戦をめぐる陸海軍の協定覚書には、両軍の使用兵力や指揮関係、上陸点や日程、航行隊形などが記され、別冊の「通信に関する協定」には、使用する暗号書や乱数表の記載も含まれていた。入手経路は不明だが、米軍が戦果を挙げた戦場で押収したとみられる。
一方、米国立公文書館では、昭和18年1月29日、ガ島沖で撃沈された伊号第1潜水艦(伊1潜)の作業日誌などが見つかった。
伊1潜の沈没時、機密文書を処分しきれなかった日本軍は、艦自体の爆破処分を試みたが失敗。米軍が艦内から価値ある文書を多数入手したとされる。
当時米軍を驚かせたのは、日本側の情報管理の甘さだった。米軍は日本軍将兵の遺品から地図や文書、日記を見つけ、捕虜となった日本兵は、尋問に対し部隊の情報について打ち明けたという。
防衛研の松原治吉郎主任研究官によると、米軍では戦場への文書携行は制限され、捕虜になった際の尋問への対処法に関する教育もあった。対して日本の場合、捕虜になること自体が想定されておらず、そのため将兵個人の日記にも戦闘の詳細が記されていた。米軍は難解な日本語が読めないという先入観もあった。
米軍は対日戦でとりわけ諜報活動を重視した。日系2世の兵士を中心とした「連合軍翻訳通訳部(ATIS)」を組織し、戦場で入手した日本軍の文書を速やかに翻訳・分析。重要度をランク付けし、最重要のものはワシントンにも報告され、戦略に生かされた。
松原氏は「米軍は奪った文書や捕虜の尋問の重要性に気付き、組織的に対応した」と分析。「日本軍は情報戦でも敗北した。今回の発見は、情報の管理・分析の重要性を改めて示している」と話す。
ガ島戦で日本軍将兵は兵站(へいたん)補給の欠如に苦しみ、死者2万人超のうち約1万5千人は病死や餓死。ガ島は「餓島」と呼ばれ、悲惨な戦地の象徴だった。
《食なく遠大なる距離の前進は突入前兵を極端に疲労せしむるのみ》。昭和17年10月の第二次総攻撃を前に、9月の総攻撃に参加した部隊の教訓をまとめた文書だ。将校の日記には《10月7日ガ島攻略の為去る9・15上陸す上陸以来食するもの満足に無し本日朝食食わず》との切実な記載もあった。
歴史語る史料37万点、米で「放置」
「米国に眠ったままの日本軍史料は多い。米国にとって戦利品の一種だったが、一部が朝鮮戦争時に利用されただけで放置されてきた。だが日本にとっては自らの歴史を振り返る貴重な史料だ」
防衛大学校の田中宏巳名誉教授(82)=近代日本軍事史=は、米国での日本軍史料調査の意義と必要性を訴え、「もはや米国への返還要求は難しいだろうが、どのような史料があるのかは確認すべきだ」と話す。
田中氏によると、終戦直後の日本政府や軍の公文書などは、複数の米軍機関が接収した。うち最多の接収は、戦時中に日本軍の文書を扱った「ワシントン・ドキュメント・センター(WDC)」で、昭和20~21年に約47万点を米国へ運んだ。
日本政府の求めに応じて33年以降に一部が返還され、防衛研究所などで所蔵しているが、その後、日本側から返還を求める動きは一切なかった。
田中氏は平成2~7年に計4回にわたり、ワシントンの議会図書館でWDCが接収した文書計6万5千点を確認したが、返還分を除き37万点はまだ確認されていない。田中氏によると、史料の多くがひもでくくって書庫に平積みにされていたり、段ボールに入れられたりして未整理のままだった。WDC以外の機関が接収したものも含めると、未確認文書の数はさらに膨らむ。
「史料を確認し、欠けたパズルのピースが見つかると、史実が変わる可能性がある」
田中氏は「いまだ敗戦の影響を受けているものの一つが近代軍事史の研究だ」として、多数の重要史料がない状態で研究が行われてきたことに警鐘を鳴らし、「今後の教訓とするためにも、史料を基に明らかにする必要がある」と訴えている。
防衛研、多角的に調査実施へ
日本軍の戦史研究は、昭和30~50年代に編纂(へんさん)された公刊戦史「戦史叢書(そうしょ)」が土台となる。ただ、戦史叢書の内容は編纂過程で陸海軍の対立を反映していることや作戦史に関する記述が中心で、総覧できるような考察が不足しているといった課題も指摘されてきた。
今回、防衛研究所による米国の2施設の調査では、計2430点の日本軍史料を確認。いわば戦後80年の新発見だった。しかし、当たることができたのは、残された史料のごく一部にすぎない。このほか、複数の米大学や公共図書館などに日本軍史料が所蔵されているとの情報もある。
松原治吉郎主任研究官は「入手した史料を分析する必要があるが、現地部隊の戦闘詳報など、戦史叢書からは見えなかった断面が明らかになることで、これまでの定説や評価に影響を与える可能性もある」と期待を寄せる。
今後、防衛研は日本軍関係の公的文書のほか、将兵の日記や手帳、また米軍による翻訳文書など、多角的に調査・分析を進めていく考えだ。(池田祥子)