ちゃんとしている人が、判断を間違えやすくなる瞬間
仕事は毎日、判断の連続だ。
当然、間違えることもある。もっとも、些細な判断であれば間違えたことにすら気づかないし、どちらを選んでも結果に大きな差が出ない判断も多い。つまり、実務上は「何を選んでも大差ない」場面も少なくない。
しかし、判断するという行為そのものは、確実に精神力を消費する。人間が一日に使える判断のエネルギーには限りがあり、どうでもいい判断をさせられ続けると、本当に重要な判断に使う余力が削られていく。だから本来、どうでもいい判断は極力減らされるべきなのである。
ところが会社で働いていると、やたらと確認を求められる状況が発生する。
形式上は裁量を与えているはずなのに、都度確認を要求される。無責任にならないように判断を引き取ってやるうちに、判断の負荷だけが一部の人に集中していく。これは育成の問題というより、そもそも構造の問題だ。
確認をしないと不安になる背景には、「判断の誤りを責められる構造」や「失敗の責任を個人に押し付ける社風」がある。不安だから誰かに責任を負わせたい。ルールのせいにしたい。その心理自体は不自然ではない。
だから重要なのは、判断・裁量・責任のバランスだ。
このバランスには待遇や役割、すなわち役職も含まれる。ちゃんと判断しようとしている人が判断を誤ってしまう理由の一つに、「判断材料が足りていない」という問題がある。裁量や責任だけを与えられ、役割や立場が据え置かれたままだと、判断に必要な情報にアクセスできないからである。
上にいる人間からは見えにくいが、判断には材料が必要だ。
「自主的にやるべき」「考えるのが仕事だ」という言葉は正しいが、材料のない判断はギャンブルに近い。にもかかわらず、この不均衡が放置されている組織は少なくない。
その結果、本人はきちんと考えて判断しているつもりなのに、なぜかズレる。周囲の理解が得られない。評価も噛み合わない。そういう状態が生まれる。
ちゃんとしている人が判断を間違えやすくなるのは、能力の問題ではない。
判断するための環境が整っていないまま、判断だけを求められているからである。
もし同じようなズレを感じているなら、一歩引いて考えたほうがいい。
自分の思考力や経験を疑う前に、そもそも「判断するための条件」が揃っているのか。その問いを立てること自体が、次の判断を守ることにつながる。
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