【花騎士】ナイドホグルの起源―アースロプレウラの興亡
みなさん、こんにちは。雪ノ下です。
さてさて、花騎士界隈では非常に驚くべき情報が飛び込んで来ました。ついにあのナイドホグルの真名、そしてその起源が明らかになったのです。
その真名とは「アースロプレウラ」。約3億年前に生息していた、史上最大の節足動物です。
今回は、アースロプレウラとはどんな生物だったのか、アースロプレウラはなぜ絶滅したのか、その興亡について紹介しようと思います。
アースロプレウラとはどんな生物か?
アースロプレウラ(学名アルスロプレウラArthropleura、意味は「関節した側板」)とは、今から約3億4000〜3500万年前から約2億9000〜8700万年前、石炭紀からペルム紀にかけて、ユーラメリカ地方(現在のヨーロッパと北米、当時のパンゲア超大陸北部)に生息していた、史上最大の多足類です。
「コダイオオヤスデ」という別名でも知られています。
大きさ
アースロプレウラの全身が残った化石は少なく、その全長については謎に包まれています。しかし多足類は幼体と成体で大きな体型の差が少なく、幼体でも全身が残っていれば、最大全長の推定も可能となります。
それに基づけば、アースロプレウラの最大全長は推定約2.7メートル。既知の節足動物として史上最大です。最大で3メートルに達した可能性も否定できません。
体幅も節足動物としては最大で、約60センチに及びました。これは、ヨーロッパと北米の各地で発見された幅50センチを超える巨大な足跡(はい跡)化石とも一致します。
分類
アースロプレウラがどんな生物だったかは、1849年に最初の化石が見つかって以来の注目点の1つでした。
現在、アースロプレウラはヤスデ寄りのムカデとヤスデの中間的な生物だったと考えられています。その理由は次の通りです。
・脚の数
ムカデは体節1節あたり1対、ヤスデは2対です。アースロプレウラは2対生えていたので、脚の付き方はヤスデです。
・頭部の特徴
2024年に発見された化石により、アースロプレウラの頭部の構造が確定しました。
アースロプレウラの触角は7節、頭部は丸っこいオムレツ型で、小さな大顎と2対の小顎を持ちます。触角はヤスデに似ていますが、ヤスデは2対目の小顎が退化してなくなっているので、どちらかと言うとムカデ寄りの顎になっています。
後頭部に頸板というヤスデにしかない背甲がありますが、ここに1対脚が生えており、これはムカデの顎肢に相当します。この部分はムカデの特徴とヤスデの特徴、両方が入り混じっています。
全体的にはヤスデ寄りの顔つきですが、部分的にムカデの特徴も見られます。そして体に対してかなり小顔でした。これはヤスデの特徴です。
また、アースロプレウラの眼には、カニの眼のような短い柄があります。こんな特徴を持つ多足類は他にいません。
ヤスデは単眼が十数個から数十個ほどまとまってついているので、それらがひとかたまりとして発達していたのだと考えられます。複眼ではなかったようですが、甲殻類やアノマロカリスなどとの収斂進化でしょうか?
・尾部の特徴
アースロプレウラの尾部の化石によれば、ムカデのような曳航肢はありませんでした。尾節を上から見ると、台形から正三角形に近い鈍い先細りの形で、これもヤスデの特徴に似ています。
以上の特徴により、アースロプレウラは次のように分類されています。
真核生物ドメイン
動物界
節足動物門
多足亜門
倍脚綱(ヤスデ綱とも)
原始倍脚亜綱(コダイオオヤスデ亜綱とも)
アースロプレウラ目
アースロプレウラ科
外見
アースロプレウラは非常に幅広い体型をしており、実際の全長以上に巨大な生物だったと考えられています。
体型は、背中が三葉虫のごとく右、中、左の3部に分かれており、その表面は横一列に並ぶ大きなコブ状突起と、散乱する鱗のような細かい突起に覆われています。これらの突起は成長とともにだんだん大きくなり、細かい突起の数と密度も増えていきます。
前述のような特徴も踏まえ、キャタピラの履帯のような姿のヤスデだったと考えられます。
小さいですが、これに似た見た目の生物が現存しています。オビヤスデ目とヒラタヤスデ目のヤスデです。どちらも体節の左右に大きく張り出した部位があり、ひょろ長くて小さいですがアースロプレウラのような見た目になります(実際、アースロプレウラの復元図はオビヤスデ目やヒラタヤスデ目を参考にしたカラーリングが多い)。
ヒラタヤスデは小さく菌類食のため飼育困難ですが、オビヤスデ類はダンゴムシのように飼育が可能です。身近な生物ですので、興味のある方は探してみてはいかがでしょうか。
特にマクラギヤスデとかよく似てるかもしれません。ちっちゃいですが。
生態
アースロプレウラの生態については、まだ確定していない点が多く謎に包まれています。
・生息環境
以前は、他の生物のように木生シダやヒカゲノカズラ類による雲霧林に生息していたと考えられていました。しかしあまりにも巨体なことや、発見されていた化石の多くが後に脱皮殻だと判明したことから、実際にはもっと開けた平地、具体的には海岸や干潟、河原などに多く生息していたと考えられています。
アースロプレウラは当時最大の陸生動物です。最盛期には、マックスサイズまで育てば、もはや天敵など存在しませんでした。しかし幼体のうちは、史上最大の昆虫であるメガネウラ科の巨大肉食性昆虫の標的になる可能性があったため、ある程度成長するまでは雲霧林の林縁で生活し、装甲のような外骨格が育ってから平地に出てきたとも考えられます。
この生態は後述の化石からも推測されています。
・食性
アースロプレウラの食性を確定する情報は、まだ見つかっていません。しかし、ムカデとヤスデの中間的な特徴から、雑食性だったと考えられています。
アースロプレウラは巨大で、しかも脱皮殻でも厚さ2ミリに及ぶ分厚いものでした(参考:これはダチョウの卵の殻の厚さに匹敵する)。よって、相当な大食いか、相当成長が遅かったか、あるいは両方だったと考えられます。
現在のヤスデの多くは、腐植質性を中心とする雑食性ですが、腐肉質や生の植物も食べることが知られています。アースロプレウラの場合、これに加えて大型動物の死骸を漁ったり、動きの遅い小動物を襲っていたかもしれません。
・成長
アースロプレウラは、他の多足類との比較から、卵生と推測されています。しかし、生殖器の構造がわからないこと、節足動物の卵の化石が残ることが極めて珍しいことから、確かなことはわかりません。
これまでに見つかった最も小さな個体はフランスのモンソー・レ・ミーヌで発見されており、全長わずか3.7センチで、生まれて間もない幼体と考えられています。幼体の化石は他にも発見されており、幼体ほど全身揃った化石が多く見つかっていますが、これらはみな炭鉱で発見されたもので、幼体が森林の近くにいたことを示しています。
幼体の体節は、小さい個体ほど少ないです。これは現在のヤスデ同様、成長とともにだんだん体節が増えていくことを意味しています。最小の個体の体節は、頭、胴体、尾部合わせて22節あり、これが33節以上になると成熟すると考えられています。
まだ成体の完全な化石は見つかっていないので、最終的に何節まで体節が増えるのか、成熟してからも体節を増やすのか、それはまだわかっていません。ただし、後述のように、アースロプレウラは成熟してからも脱皮を続け、徐々に大きくなり続けることがわかっています。
確実に脱皮殻ではない、繋がった既知の最大の化石は、ドイツのザールラントで発見された、通称「マイバッハ標本」と呼ばれる1メートル近い化石で、完全であれば最大で1.5メートルに達したと考えられています。おそらく若い成体と考えられており、そろそろ平地へと出ていくサイズだったとみられます。
さらに大きな脱皮殻の化石がイギリスのノーサンバーランドで発見されており、これは知られている限り最大の個体の化石です。脱皮殻の主の全長は実に推定約2.6メートル、このサイズで脱皮するということは、これよりも大きくなる、ということでもあります。この化石は砂岩から見つかっており、海岸の平地で脱皮したものと考えられます。
ここまで紹介した化石は、全てA.armataの化石です。しかし、アースロプレウラであれば、どの種類もだいたい同じような成長の仕方をしたと考えられています。
・寿命
ヤスデの寿命は、ヤンバルトサカヤスデなどの小型の種で1〜2年、タンザニアオオヤスデなどの大型種では5〜6年です。参考までにムカデの寿命は、トビズムカデのような大型種では7〜10年ほどで、南米産の最大級の種では15年近い記録もあります。
ここから推測すると、アースロプレウラの寿命は人間に匹敵する長命種だった可能性があります。
しかし、絶滅節足動物の寿命を知る方法は確立されておらず、実際に何年くらい生きる生物だったか、繁殖のサイクルがどれくらいだったかはわかっていません。
種類と分布域
現在、アースロプレウラには最大8種類が認められています。未確定の化石も、この中のどれかに当たると考えられています。ただし、それらの多くは不明確な化石に基づいて分類されているため、今後再分類の必要があると考えられています。
これらの種類は、それぞれ生息していた分布域と時代が少しずつ違うため、それぞれ比較しながら紹介します。
アルスロプレウラ・アルマタ
Arthropleura armata
初めて発見された「模式種」です。
最大、かつ最もよくわかっている種で、ドイツ、イギリス、ポーランド、チェコ、フランス、イタリアなどヨーロッパの広範囲に生息していました。ただし、イベリア半島産の化石については情報がないためはっきりしていません。
現在わかっている生息年代は約3億3000万年前から約3億500万年前、地質時代は石炭紀前期セルプクホビアン期前期から後期カシモヴィアン期中期までで、最も長く続いた種としても知られています。ただし、今後の研究によって誕生年代と絶滅年代がもう少し延びる可能性があります。
特に1994年にフランスで発見されたA.armataのほぼ完全な化石2体(これをA.mammataとする説もある)は、長年未確定だったカシモヴィアン期のもので、これにより、少なくとも500万年は絶滅年代が後ろに下がりました。
また、未確定ですが、1997年にドイツのデーレン盆地から発見された腹側の化石が、背甲表面が見えませんが脚の特徴からA.armataの可能性があります。この化石は約2億9400万年前、ペルム紀前期アッセリアン期後期のもので、これがA.armataであればアースロプレウラ最後の種として生き残っていた可能性もあります。
さらに同年、ドイツのケムニッツから発見されたA.armataと思われる未確定の化石は、約3億3100万年前、石炭紀前期ヴィセアン期後期まで遡る可能性があります。
全長は平均2.4メートル、最大2.7メートルに達し、これよりも大きな節足動物はいまだ発見されていません。
横一列に並ぶ大きな突起は基本的に1節あたり左右5つづつですが、幼体のうちは1節あたり左右4つづつです。成長段階で突起の配置が変化するものと考えられています。
A.moyseyi、A.mammata、A.affinis、A.zeilleriは、いずれもA.armataの幼体や未成熟個体の化石だと考えられています。特にイングランドで発見され、A.moyseyiと呼ばれた化石は、ほぼ完全な状態で発見された最初のアースロプレウラの化石としても知られています。
ただし、A.mammataは別種だと主張する人もいます。これについては後述します。
アルスロプレウラ・クリスタタ
Arthropleura cristata
最も新しく新種認定された種類で、北米東部、現在のカナダ東部からアメリカ東部に生息していました。
A.armataとの違いとして、背甲表面に全く突起がないことが知られています。他に似た特徴を持つ種類はいないため、確実に別種だと認められています。
現在わかっている生息年代は約3億2000万年前から約3億700万年前、地質時代は石炭紀後期バシキリアン期中期からモスコヴィアン期末までです。ただし、今後の研究によって誕生年代と絶滅年代はもう少し延びる可能性があります。
北米最大の石炭紀生物化石層として知られるイリノイ州メゾン・クリークから発見された化石が特に有名で、同じ地層からは大量のウミユリやタリモンストルムなどの固有種も見つかっています。ここはシカゴの郊外にあり、以前から石炭の採掘や化石発掘で有名な場所でした。
まだ完全な化石は見つかっていませんが、少なくとも全長は1.5メートルを超えると考えられています。
カナダ東部では、スコットランドのものに匹敵する巨大な足跡化石も見つかっています。もしかすると、A.armataに準ずる、2メートル超えの個体がいたかもしれません。
確実に別種だと確定しているのは、現在のところA.armataとA.cristataの2種類だけです。それ以外については、どれが独立種で、どれとどれが同種なのか、意見が分かれています。
?アルスロプレウラ・マイリエウクシ
?Arthropleura maillieuxi
ベルギーで発見された種類で、ごく短い期間の化石しか知られていません。多数の外骨格の断片や脚が知られていますが、まとまった化石は少ないです。
A.armataに似ていますが、背甲の横一列に並ぶ大きな突起が1節あたり左右6つづつと多く、細かい突起が少ないです。独立種なのか、A.armataの亜種もしくは個体変異なのか、現在も議論が続いています。
現在わかっている生息年代は約3億1800万年前から約3億1400万年前、地質時代は石炭紀後期バシキリアン期中期からモスコヴィアン期前期までです。ただし、今後の研究によって誕生年代と絶滅年代はもう少し延びる可能性があります。
ベルギー西部のエノー州からのみ発見されている固有種で、同じ地層から他の種のアースロプレウラも発見されています。
背甲以外はどこの部位かはっきりしない断片的な化石ばかり見つかっているため、確実な大きさはわかりませんが、最大で全長1メートルは確実に超えていたと考えられています。よりはっきりした化石が見つかれば、謎が解けるかもしれません。
?アルスロプレウラ・ブリタニカ
?Arthropleura britannica
イギリス、ベルギー、オランダから報告された種類で、独立種ではなくA.armataの亜種ではないかとも言われています。
1節あたり左右の横一列に並ぶ大きな突起は4つづつで、A.armataの幼体に似ていますが、外側2つの突起だけ異様に大きく、異質な印象があります。
現在わかっている生息年代は約3億1800万年前から約3億1000万年前、地質時代は石炭紀後期バシキリアン期中期からモスコヴィアン期中期までです。
背甲の断片的な化石しか知られておらず、正確な大きさはわかっていません。A.armataを参考にするなら、1メートルを超えるのは稀だったかもしれませんが、もし未成熟個体ばかり見つかっているのであれば、もっと大きくなる可能性もあります。
?アルスロプレウラ・マンマタ
?Arthropleura mammata
フランスやベルギーから報告された種類で、A.armataの未成熟個体だという説が有力ですが、独立種だという説もあります。独立種だった場合、ある説によれば最大でも全長約50センチ、本属最小の種となる可能性があります。
A.armataと比べ、横一列に並ぶ大きな突起が左右4つづつと少ないです。しかしこの特徴はA.armataの幼体と同じなので、独立種と見做すには疑問が残ります。
モンソー・レ・ミーヌから発見されたアースロプレウラに、50センチ以上の個体がいないことから独立種説を支持する声がありますが、他の地域で発見されたA.mammataとされたことのある化石にはもっと大きなものもあるため、この点も議論の余地があります。
同じく突起が4つづつのA.britannicaを、A.mammataの成熟個体だとして、改めて独立種とする説もあります。A.britannicaは外側の突起だけ規格外に大きいですが、それ以外は似ています。
ただし、この命名方法だとかなり語弊が大きいので、新たに定義付けが必要です。
?アルスロプレウラ・ファヨリ
?Arthropleura fayoli
ほとんどネット上に情報が存在しない、詳細が全くわからない種類です。ウィキペディアの図に記載されている、横一列の大きな突起の比較イラスト以外、この種に関する情報は見つかっていません。
どこで発見されたのか、いつ頃生息していたのか、大きさはどれくらいなのか、何も情報がないため全くわかりません。フランスから見つかった、らしいのですが、それ以上のことはわかりませんでした。
イラストによれば、突起の数や配置は、A.armataとA.mailieuxiの中間的な特徴をしているようです。どちらかの種類の亜種もしくは個体変異と考えるのが自然かもしれません。
その他の化石
種類は特定されていませんが、他にもアースロプレウラの生息年代や生息範囲に関する化石が発見されています。
イギリス、スコットランドのセント・アンドリュースで発見された足跡と、ドイツ、ザクセンのケムニッツから発見された脚の断片は、約3億3500万年前から約3億3200万年前の石炭紀前期ヴィセアン期後半の化石です。これがアースロプレウラの最も古い化石ですが、詳しい種類はまだ確定していません。
ケムニッツからは前述の約3億3100万年前頃のヴィセアン期末頃に遡る可能性があるアースロプレウラの背甲の断片が見つかっており、これはA.armataの可能性があります。もしこれと同じ種類のものなら、A.armataはアースロプレウラとして最初に現れ、最後まで生き延びた種類という可能性も出てきます。
なお、もっと古い約3億4000万年前頃の化石が見つかったという説については、確かな情報がないため不明です。
同じケムニッツからは、約2億9000万年前のペルム紀前期サクマリアン期末頃の化石が発見されており、これがアースロプレウラと確定している最も新しい化石です。ただしドイツ、ザクセンのデーレン盆地からは、さらに新しい時代、約2億8700万年前頃、ペルム紀前期アルティンスキアン期前期頃の正体不明の超大型節足動物らしき化石も発見されており、これもアースロプレウラだとする説もあります。ただしこれがアースロプレウラかどうかはまだわかっていません。
ウクライナ東部、ドンバス地方ドネツクから、石炭紀後期バシキリアン期後期のアースロプレウラの足跡と断片的な化石が発見されています。現在わかっている、アースロプレウラの最東端の化石と考えられています。
カザフスタン中部ジェズカズガンから発見された、詳細不明の足跡らしき生痕化石をアースロプレウラの足跡だとする説もあります。これが本当なら、アースロプレウラはアジアにも分布が広がっていた可能性が出てきますが、これがどのような生物のどういった痕跡だったのかは全くわかっていません。
残念ながら、ドンバス地方は2025年現在戦火の只中にあり、ジェズカズガンの化石は発掘時に落盤とともに落ちてきて保存状態は極めて悪くなり、どちらの化石についても、これ以上の調査や研究は極めて困難です。
アメリカ中西部、ユタ州ライム・リッジとニューメキシコ州エルコブレキャニオンの石炭紀後期カシモヴィアン期からペルム紀前期アッセリアン期の地層から、アースロプレウラのものに似た足跡化石が発見されています。これに似た生痕化石が、中部カンザス州ウェイブリーからも発見されています。もしこれらがアースロプレウラのものなら、アースロプレウラは北米全域に、しかも絶滅の少し前まで生息していた可能性があります。
しかし現状、確実にアースロプレウラだと断言できる最西端の化石はイリノイ州メゾン・クリークのものとなっています。
アースロプレウラの起源
ここからは、アースロプレウラの歴史について見ていこうと思います。
なおここからは、これまで発見された化石全てが、現在確定している種類、ヨーロッパのA.armataと北米のA.cristataのどちらかに含まれるという仮定のもと話を進めます。
アルスロプレウラ類の始まり
原始倍脚亜綱、つまりアースロプレウラの一族は、どこから始まったのでしょうか?
現在、原始倍脚亜綱の分類上の立ち位置については諸説あり、ただでさえ種類も少ないためはっきりしたことはよくわかっていません。
現在、最も古い原始倍脚亜綱の化石は、シルル紀末期からデヴォン紀前期、約4億2300万年前から約4億1400万年前、現在のイギリスとドイツに生息していた、エオアルスロプレウラ・ルドフォルデンシス(Eoarthropleura ludfordensis)という、現在のヤスデに似た生物の化石です。
その少し後、シルル紀末期からデヴォン紀後期、約4億2000万年前から約3億8000万年前に北米東部、現在のアメリカ北東部からカナダ南東部に、エオアルスロプレウラ・デヴォニカ(Eoarthropleura devonica)という新たな種も誕生しました。
北米ではもう1種、エオアルスロプレウラ・フエベリ(Eoarthropleura hueberi)という種も報告されており、こちらはデヴォン紀中期からデヴォン紀後期、約3億8700万年前から約3億7500万年前に、同じく北米東部に生息していました。
エオアースロプレウラはいずれも、断片的な化石が主でしたが、推定されるその全長は最大約10センチ。確かに当時としては大きい部類でしたが、特段巨大とは言えないものでした。
このエオアースロプレウラのもっと重要な点はそこではなく、むしろ出現した時代にありました。
エオアースロプレウラが現れたのはシルル紀末期。この時代、一部の生物が本格的に陸上へと進出しようとしていた時代でした。
そもそも多足類の祖先と言われているのは、カンブリア紀に現れたユーシカルシノイド類という原始的な大顎類の1種だと考えられていますが、この一族は早くから水陸両生の生物だった可能性があります。その中からシルル紀の終盤に、現在の多足類の祖先が分かれたと考えられています。
知られている最も古い多足類は、約4億2500万年前、シルル紀後期に現れた、カムペカリス・フォルファレンシス(Kampecaris forfarensis)という、全長約3センチほどのムカデにもヤスデにも似ている生物でした。
つまりエオアースロプレウラは、既知で最古の多足類からわずか500万年のうちに現れ、草食または雑食生物として初めて、確実に陸上に適応していたことになります。
最初の破滅、そして謎の空白期間
そんな最初期の生物上陸の波に乗り、史上初の大型植物食性、もしくは雑食性生物として長らく栄えたエオアースロプレウラでしたが、デヴォン紀の終わり頃に突如姿を消しました。
原因は明らかです。このデヴォン紀後期全体を通じて発生した、デヴォン紀末大量絶滅です。
デヴォン紀末大量絶滅は、約3億8200万年前頃から約3億5000万年前頃にかけて、デヴォン紀後期全体を通じて発生した大量絶滅です。淡水域と浅海域が一気に無酸素状態になり、水生生物が次々と絶滅しました。
その原因については諸説あります。
スウェーデン中部で発見されたクレーターから、直径5キロの小惑星が激突したことがわかっていますが、これは大量絶滅の規模を大きくすることに繋がったものの、大量絶滅開始から1000万年近く経ってから衝突しているため、直接の原因ではないと考えられています。
より直接の原因と考えられるのが、陸上の富栄養化に伴う微生物の異常増殖、つまり赤潮です。
デヴォン紀中期には、既に藪や森林ができつつありました。その環境は陸生動物には理想的でしたが、陸生微生物にとっては違いました。ただでさえ少ない陸生微生物の処理限界を大幅に上回る大量の植物の残骸が定期的に放出されるため、これが異常な富栄養化を招き、それによる水性プランクトンの異常増殖、つまり赤潮が起きてしまい、結果的に無酸素水域が各地に形成されてしまったと考えられています。
特にデヴォン紀後期には、史上初の高木と言われる原始的な木生シダ、ワティエザ(Wattieza)とアルカエオプテリス(Archaeopteris)が各地で森林を作っていたことが知られています。樹高最大20メートルに達するとされるアルカエオプテリスの巨大な葉が、枯れるたびに土地を富栄養化させていく。それが巡り巡って、海でも川でも赤潮を引き起こす。
つまりデヴォン紀末大量絶滅とは、特定の生物の活動が原因となった珍しいタイプの大量絶滅だった、ということになります。
では、陸生動物であるエオアースロプレウラが、なぜこの大量絶滅に巻き込まれることになったのでしょうか。
理由として考えられるのが、酸欠になる水中から逃げてきた、大型の肉食動物の存在が挙げられます。
それまで、陸上に大型の肉食動物はいませんでした。しかし淡水域には、既に多数の肉鰭類(今でいうオーストラリアハイギョの祖先のような生物)が生息していました。特に北欧やグリーンランドはその多様性の高さで知られています。
肉鰭類の中には、浮き袋が肺を兼ねているものもいます。そのため、ある程度の条件があれば陸上でも行動でき、それが脊椎動物の陸上進出にも活用されたと考えられています。
そして、この時代の淡水性肉鰭類は現在よりも巨大でした。カナダ極北のエルズミア島で発見されたティクターリク・ロセアエ(Tiktaalik roseae)の全長は最大で2.8メートル。他に大型動物がいない陸上では無敵でした。
もともと、肉鰭類の陸上進出は主に東欧が中心でした。ところが大量絶滅が始まり、ユーラメリカ地方各地で競うように陸上進出が行われ、それがそれまで天敵が存在しなかった陸上生態系をひっくり返すことになりました。
その影響は、まもなくエオアースロプレウラの生息域にも現れ始めました。ティクターリクに近縁のエルピストステゲ・ワトソニ(Elpistostege watsoni)がケベックで、同じく近縁のエルギネルペトン・パンチェニ(Elginerpeton pancheni)がスコットランドで発見されており、これらの生息時期はエオアースロプレウラ最後の種であるE.hueberiの絶滅時期と重なります。
エルピストステゲやエルギネルペトンが陸上で積極的に狩りをした証拠はまだ見つかっていませんが、現在のオオサンショウウオ程もある巨大生物が陸上に自由に出入りできる状況は、小さく動作緩慢なエオアースロプレウラにとって絶望的なものでした。それが肉食動物ならなおさらです。
こうしてエオアースロプレウラは絶滅へと追いやられ、以降3000万年以上の長きにわたり、原始倍脚亜綱の記録は途絶えることとなります。
余談ですが、花騎士の敵側の黒幕である邪神「ハクア」のセリフによれば、かつて同族の邪神「デヴォン」というのがいたらしいです。
また理由は違いますが、邪神「ハクア」はナイドホグルらスプリングガーデンの存在を「花の悪魔」と呼んで敵視しています。
もしかすると、邪神「ハクア」の設定に、デヴォン紀末大量絶滅の要素が含まれているのかもしれません。
史上最大の節足動物
その後、原始倍脚亜綱がどうなったのか、どこでどう生き長らえたのかはわかっていません。
石炭紀前期の前半は総じて化石が少なく、その全てが謎に包まれています。
その3000万年を超える沈黙が、ついに破られる日がやってきました。約3億4000万年前、現在知られている最古のアースロプレウラの化石が刻んだ年代です。
ここに、史上最大の節足動物、アースロプレウラが誕生します。
2つのアースロプレウラ
現在、確実に分かっている種は2種類。北米東部で栄えたA.cristataと、ヨーロッパで栄えたA.armataです。この2種類は、体表の特徴に多少の違いが見られますが、ほぼ同じような大きさに育ち、同じような生態だったと考えられています。
両者の大きな違いは、背甲の特徴にあります。A.armataは背甲に突起が多く生えており、鱗のような見た目をしています。一方、A.cristataの背甲には突起がなく、あっても痕跡的で、全体的にツルツルの見た目をしています。
この違いが、何に由来するのかははっきりしていません。しかし、ヨーロッパには大型動物が他にも多数生息していたのに対して、北米では当時あまり大型の動物はおらず、幼体時の天敵の差が見た目にも影響を与えた可能性があります。
アースロプレウラの天敵
まず大前提としてアースロプレウラは、当時最大の陸生動物です。成体になれば天敵がいない生物であることを覚えておいてください。
これは現在で言うゾウのようなものです。ライオンやブチハイエナが、積極的にアフリカゾウを襲おうとしないように、石炭紀のほとんどの陸生肉食動物は、巨大で硬い外骨格を纏うアースロプレウラを襲おうとはしませんでした。
しかし、幼体であれば話は別です。
A.armataは幼体の化石も知られています。孵化直後は4センチに届かず、小さいうちは天敵に狙われやすかったと考えられます。
それでも、石炭紀の終わり頃までは敵は少なかったと考えられます。
石炭紀前期におけるA.armataの幼体の主な天敵として、最大全長70センチにも達するという巨大サソリ、プルモノスコルピウス・キルクトネンシス(Pulmonoscorpius kirktonensis)が挙げられます。スコットランドのイースト・カークトンで発見されており、同じ地層からアースロプレウラも見つかっています。
全長70センチという巨体でありながら、それまでの巨大サソリと違い陸生動物だったと考えられています。それどころか幼体から成体までの多数の化石が発見されており、相当な数がいたと考えられます。
プルモノスコルピウスは当時のヨーロッパにおいて、陸上の頂点捕食者だったと考えられています。
ほぼ同じ頃には、ギガントスコルピオ・ウィルシ(Gigantoscorpio willsi)という詳細不明の巨大サソリも知られています。こちらは全長40センチに達したと考えられていますが、プルモノスコルピウスに比べて明らかに化石が少なく、個体数は多くなかった可能性があります。
石炭紀後期になると、巨大サソリが絶滅し、代わって巨大肉食性昆虫の存在が幼体の脅威となりました。チェコで発見されたボヘミアトゥプス・エレガンス(Bohemiatupus elegans)は、羽根を広げると50センチを超える巨大なトンボの親戚と考えられる巨大昆虫で、最初の空の支配者だったと考えられています。
羽根以外見つかっていませんが、かの有名なメガネウラと似ており、そこからトンボに似た生物だったと考えられています。
近縁と考えられるナムロティプス・シッペリ(Mamurotypus sippeli)も、羽根を広げると30センチに達する巨大なトンボに似た昆虫です。これはドイツで発見された大型の昆虫ですが、情報が不足しています。
これらのトンボに似た巨大肉食昆虫は、密林よりも開けた環境を好んだと考えられています。平地にアースロプレウラの幼体はあまりいませんが、林縁に近い河原であればいた可能性が高いです。遮るもののない河原では、上空からの脅威は致命的になったかもしれません。
また、原始的な陸生四足動物も脅威になり始めました。同じくチェコで発見されたソレノドントサウルス・ジャネンスキイ(Solenodontosaurus janenschi)は原始的な空椎類と考えられており、陸上で生活していた可能性が高い石炭紀の四足動物として、当時最大級の生物でした。全長は45センチと考えられ、幼体のアースロプレウラには大きな脅威となりました。
それまでの大型両生類はほとんど水性で、陸上には小型の種類しかいませんでした。しかし石炭紀後期になると、徐々に大型両生類も陸上に上がるようになり、幼体のアースロプレウラにとっての脅威になりつつありました。
評価が難しい生物もいます。
同じチェコで発見された欠脚類のフレゲトンティア・ロンギッシマ(Phlegethontia longissima)という、現在のアシナシイモリを思わせる見た目の両生類がいます。全長1メートルもあり、また明らかに肉食動物ですが、これが陸上に上がったのかどうかはわかっていません。
もし欠脚類が陸上でも活動する生物であれば、アースロプレウラの幼体を狙う可能性は充分考えられます。
一方、A.cristataの生息していた北米では、石炭紀を通じて巨大サソリも巨大肉食性昆虫も確認されていません。そのため、長らく明確な天敵はいなかったと考えられています。
しかし石炭紀後期も後半になると、やはり原始的な陸生四足動物が脅威になり始めました。
当時カナダ東部に生息していたデンドレルペトン・アカディアヌム(Dendrerpeton acadianum)という分椎類は、最大で全長1メートルに達したと考えられています。存在が確実にわかっている陸生肉食動物としては、当時北米最大です。大型の分椎類は水性の種が多いのですが、例外的に陸生だったと考えられています。ここまで大きいと、幼体のアースロプレウラにとっては桁違いの天敵になった可能性があります。
メゾン・クリーク最大の肉食動物と考えられるスポンディレルペトン・スピナトゥム(Spondylerpeton spinatum)は、最大全長1.2メートルに成長したと言われており、幼体どころか未成熟個体であればアースロプレウラをも捕食した可能性もあります。しかし現時点では尻尾の一部しか発見されておらず、陸生なのか水生なのか、そもそもどういう生物なのかもよくわかっていません。
原始的な爬虫類、ペトロラコサウルス・カンセンシス(Petrolacosaurus kansensis)も全長40センチに達しており、幼体の脅威になり得る存在でした。
北米東部は欠脚類の本場ですが、水生種も多く天敵になり得たのかどうかが定かではないため、省略します。
まとめると、アースロプレウラの天敵は、幼体のうちは存在しますが、成体になると存在しませんでした。幼体の頃の天敵は、初期には巨大サソリが、石炭紀後期になると空椎類や分椎類などの大型両生類が、それぞれメインの脅威となりました。
また、石炭紀後期になると、幼体は上空からの脅威にもさらされた可能性があります。
A.cristataよりもA.armataの方がより刺々しい見た目をしているのは、A.armataの方がより多くの天敵と戦う環境だったからではないか、とも言われていますが、確かなことはまだわかっていません。
巨大化の謎
アースロプレウラが巨大化した(できた)理由は、よくわかっていません。
アースロプレウラと同時代には、羽根を広げると80センチを超える北米のマゾサイロス・エノルミス(Mazothairos enormis)や、同じく羽根を広げると50センチ以上になるフランスのホモイオプテラ・ギガンテア(Homoioptera gigantea)などの、いわゆる「ムカシアミバネムシ類」と呼ばれる巨大植物食性昆虫も栄えていました。これらは、同じような理由で巨大になった可能性があります。
また、プルモノスコルピウスやナムロティプスなどの巨大肉食性節足動物も、ヨーロッパでは栄えていました。これも同じような理由で巨大になった可能性があります。
以前は、このような巨大陸生節足動物は酸素濃度の高さ故に巨大になったと考えられていましたが、間違いであることがわかっています。石炭紀前期と現在では、酸素濃度に大きな違いはなかったと考えられています(後期になると、密林が発達してきて酸素濃度が上がる)。
また、あまり注目されませんが、アースロプレウラと同じ地層から、現在と対して変わらない大きさの節足動物もたくさん見つかっています。具体的には、ムカデ、ゲジ、ヤスデ、サソリ、サソリモドキ、原始的なクモ、トンボ、ゴキブリ、ガロアムシなどです。有名なプロトファスマ(Protophasma dumasii)はゴキブリやバッタに近縁な肉食性昆虫ですが、大きくても全長14センチと、大型の現生昆虫ほどの大きさしかありません(それでも充分大きいですが)。
では、どうしてアースロプレウラや他の巨大陸生節足動物たちは、あそこまで大きくなったのでしょうか?
その理由は、大きく2つ考えられています。
1つ目は、気温です。
現在生息している陸生節足動物は、多くの場合熱帯ほど大型種が多くなる傾向にあります(ミヤマクワガタ属など例外もいる)。最大級のムカデの1種、南米アマゾン西部に生息するペルビアンジャイアントオオムカデは、最大で40センチに達します。また日本に生息するトビズムカデも、本州の個体よりも沖縄島の個体の方が大きくなることが知られています。どの昆虫も熱帯の方が大型種が多いですからね。
同じことが、石炭紀の巨大節足動物にも言えた可能性があります。アースロプレウラが生息していた地域は、当時パンゲア超大陸の赤道に近く、現在よりも5℃以上年間平均気温が高く、目立った季節間の気温差もなかったと考えられています。また霧の発生や活発な火山活動などで、現在よりも温室効果が高かった可能性もあります。
もう一つは、天敵の存在です。
ジンベイザメやシロナガスクジラなど現在の大型種にも当てはまるのですが、植物食や雑食の低次捕食者が巨大化する理由は、多くの場合天敵への対抗にあります。
アースロプレウラがいた時代、一度は陸上進出をしていた大型脊椎動物が再び水中へと姿を消し、代わって小型四足動物や大型肉食節足動物が主な天敵へと変化していました。天敵が小型化した一方、陸上での動きが活発になり、そのままでの対抗が難しい種類も出てきました。特に多足類ってわりと動き遅い生物なので、そのままだと食い尽くされておしまいですからね。
それに対し、アースロプレウラのような巨体で立ち向かう系統もあれば、毒を出して戦う系統も現れました。
毒を使うことが知られている最も古いヤスデは、石炭紀後期にイギリスやポーランドに生息していたパラエオソマ・ギガンテウム(Palaeosoma giganteum)という、最大20センチになる大型のヤスデです。パラエオソマの分布は、アースロプレウラ(A.armata)の分布とも重なります。ほぼ同じ頃には、毒だけでなく毛虫のような棘まで武装した、アカンテルペステス・マジョール(Acantherpestes major)という、35センチにまで成長するさらに大型のヤスデもいました。
これらの武装は、ティクターリクのようなバカでかい敵には効きません。よしんば効いたとしても、大した効果は期待できませんし、効く頃にはもう手遅れです。つまり、棘や毒といった武器は、あまりにも体格差がありすぎる敵に効かせるには不向きです。相当な猛毒があるとかなら別ですが、多足類にはそんなものはありません。
アースロプレウラのような巨大種や、アカンテルペステスやパラエオソマのような武装した多足類は、主にヨーロッパで栄えていました。そしてヨーロッパには、プルモノスコルピウスのような比較的大型の肉食動物もいました。まあ大型と言っても、そこまで極端な体格差はありませんが。
しかし裏を返せば、極端な力の差がある強敵が存在しなかったことが、アースロプレウラの巨大化を手助けした可能性があります。プルモノスコルピウスやデンドレルペトン、ボヘミアトゥプスといった天敵たちは、幼体にとっては危険な相手ですが、成体になれば大した敵ではありません。
繰り返しますが、成体のアースロプレウラを襲うほどの強大な生物は、石炭紀末まではいませんでした。
アースロプレウラの終焉
エオアースロプレウラ絶滅以来3500万年もの沈黙を破り、史上最大の節足動物として一時代を築き上げ、5000万年にわたって繁栄したアースロプレウラ。
石炭紀が終わり、ペルム紀に入ると、そのアースロプレウラにも、終わりの時が近づいていました。
空からの恐怖
石炭紀が終わりに近くにつれ、だんだんと河川沿いにおける空からの敵が強くなり始めました。
ボヘミアトゥプスよりもはるかに巨大な新たな巨大肉食昆虫、メガネウラ・モニイ(Meganeura monyi)がヨーロッパ各地で栄えるようになると、地上の小動物全てにとっての脅威となりました。メガネウラは羽根を広げると、実に70センチに達しました。これは当時、北米のマゾサイロスに次いで2番目に大きな昆虫でした。
メガネウラとアースロプレウラは石炭紀の末まで共存しましたが、その間アースロプレウラの幼体にとって、メガネウラは規格外の空からの敵だったと考えられています。
ペルム紀に入ってしばらくすると、さらに巨大な敵が空の支配者となりました。史上最大の昆虫、メガネウロプシス・ペルミアナ(Meganeuropsis permiana)です。羽根を広げると、最大80センチに達する可能性もあります。
これが、アースロプレウラと直接戦った可能性がある、最後にして最大の昆虫となりました。
大型単弓類の出現
石炭紀の終わりには、地上でもアースロプレウラの天下が揺らいでいました。これまで存在しなかった、アースロプレウラの成体をも捕食し得る生物が出現したのです。
水陸両生の大型単弓類、オフィアコドン・ミルス(Ophiacodon mirus)です。全長は最大3メートル、体重200キロを超える、石炭紀最大の陸生動物でした。
ついに、アースロプレウラが陸上最大の動物だった時代が終わりました。それどころか、これまで無敵に等しかったアースロプレウラの成体が、今やさらに巨大な肉食動物から逃げ回る羽目になるという、ティクターリクの再来、いやそれ以上の事態となりました。
オフィアコドンは、比較的原始的な単弓類です。原始的と言っても、それまでの陸生肉食四足動物はほとんどが両生類でしたから、基本的に水から長時間離れることは難しく、内陸への進出も遅れていました。
しかし単弓類は違います。乾燥に強く、長時間水から離れたところにいても、平気で活動できます。オフィアコドンはそれを活用して、現在のワニのような生態をしていたと考えられています。
海岸や河原が主な生息環境だったアースロプレウラにとって、水陸両生で神出鬼没なオフィアコドンは、桁違いの脅威となりました。アースロプレウラは徐々に河原や海岸を追われ、さらに内陸奥深くへと逃げていくことになります。
しかし、アースロプレウラの逃避行に、追い打ちがかかります。
氷河期とユーラメリカ地方の砂漠化
ペルム紀前期、密林が発達していた時代は、現在よりも二酸化炭素の濃度がやや低く、これが気温の低下を招いていました。パンゲア超大陸南部のゴンドワナ地方の南部では、ゴンドワナ氷床と呼ばれる氷河が発生しており、おそらくユーラメリカ地方北部の海上にも流氷が発生していたと考えられます。
気温が低下していくにつれて、アースロプレウラの分布は熱帯に集中するようになり、だんだんと狭くなっていきました。
ペルム紀前期の中頃、氷河期が終わると、今度は急激な温暖化に伴い、砂漠化が進行しました。特に熱帯域の砂漠化が激しく、草地を主な生息域とするアースロプレウラには大きな痛手となりました。
砂漠化で内陸から植物が減少すると、大食いのアースロプレウラが食べるものが不足するようになりました。アースロプレウラは河原や海岸へと戻らざるをえなくなりましたが、そこには大抵オフィアコドンが住み着いており、獲物として狙われることになりました。
さらに砂漠化の中で現れたオフィアコドンに近縁の新種、ステレオファロドン・シスコエンシス(Stererophallodon ciscoensis)は、全長2メートルとやや小型ながら、後のゴルゴノプス類やサーベルタイガーを連想させるような牙を持ち、より積極的に陸上で狩りをしていました。
食料の不足は、新たに現れた大型植物食動物との競合にも繋がりました。石炭紀の終わり頃にカンザス州に生息していたイアンタサウルス・ハルデスティ(Ianthasaurus hardesti)は全長70センチほどの雑食性単弓類で、幼体を獲物として、成体を競合相手として、ともに衝突する存在となっていました。
このイアンタサウルスの子孫が、史上初の植物食性四足動物として知られ、北米全域で繁栄した最大級の植物食性単弓類、エダフォサウルス・ポゴニアス(Edaphosaurus pogonias)とエダフォサウルス・クルシゲル(Edaphosaurus cruciger)です。
ヨーロッパでも近縁のボヘミクラヴルス・ミラビリス(Bohemiclavulus mirabilis)が石炭紀とペルム紀の境界付近の地層から発見されており、ユーラメリカ地方のほぼ全域で、この高い帆が動き回る様子が確認されていたはずです。
エダフォサウルス・ポゴニアスは全長3.2メートル、エダフォサウルス・クルシゲルに至っては3.5メートルまで育ちました。
アースロプレウラ以上の巨体と、繁殖や威嚇に使われた可能性の高い巨大な帆を維持するため、エダフォサウルスは木生シダや初期の裸子植物の葉を、枝ごと貪っていたと考えられています。当然、アースロプレウラの食料はエダフォサウルスに奪われていくこととなります。
そして、砂漠化が進む中、アースロプレウラは最後にして最大最強の敵を相手にすることになります。
迫る盤竜類の脅威
オフィアコドンが栄華を極める石炭紀末頃に、別の大型肉食性単弓類がフランスに生息していました。ハプトドゥス・バイレイ(Haptodus baylei)という、全長1.2メートルほどのオオトカゲのような生物でした。当時既にオフィアコドンとエダフォサウルスに押されていたアースロプレウラにとって、たしかに厄介ではあったものの、ハプトドゥスが成体の敵になることは少なかったようです。
しかし、このハプトドゥスの子孫が、後にアースロプレウラの命運を分かつことになります。
ペルム紀前期、砂漠化が進行し、アースロプレウラの生息環境が厳しくなる中、オフィアコドン、ステレオファロドンを上回る、究極の頂点捕食者が北米西部に生息していました。名前はスフェナコドン・フェロキオル(Sphenacodon ferocior)、全長3メートルに及ぶ大型の単弓類です。
このスフェナコドンを始めとするスフェナコドン科と、近縁のエダフォサウルス科、テトラケラトプス科、カセア類をまとめて、盤竜類と言います。もっと範囲を拡大して、オフィアコドン科も盤竜類に入れる説もあり、その場合盤竜類は「盤竜目」としてまとめられることが多いです。
盤竜類、特にスフェナコドン科の力は凄まじく、スフェナコドンが北米西部で天下を取る頃には、オフィアコドンは北米西部から姿を消しつつありました。北米西部にはもう1種、スフェナコドン・フェロクス(Sphenacodon ferox)という2メートルほどの種がおり、この2種類がオフィアコドンの地位を奪っていました。
アースロプレウラから陸上最大最強の地位を剥奪したオフィアコドンを、それを遥かに上回る圧倒的な力をもって壊滅させる。それほどの力を持つスフェナコドンが北米西部から出てこなかったことは、アースロプレウラには幸運でしかありませんでした。
しかしそれも束の間。既に絶滅が危惧されるほど数を減らしていたアースロプレウラを、スフェナコドン科の圧倒的な力が襲うことになります。スフェナコドンと入れ替わるように現れ、瞬く間に北米最強の地位を手にした新種、ディメトロドンです。
最後にして最大の敵、ディメトロドン
ディメトロドンは、主に北米を中心に栄えた盤竜類で、その出現時期はアースロプレウラの絶滅した時期と重なります。初期の種類は小型で、2メートルを超えることはありませんでしたが、まもなく大型種が現れると、アースロプレウラはもとより全ての陸生動物が獲物になり、あっという間に生態系の頂点に立ちました。
初期のディメトロドン、ディメトロドン・ミレリ(Dimntrodon milleri)は、約2億9500万年前のペルム紀前期アッセリアン期後期に現れました。全長は1.8メートル、当時の肉食性単弓類としてはそこまで目立ちませんが、アースロプレウラにとってはかなりの脅威でした。
サクマリアン期に入ってまもなく現れた、唯一北米以外に住んでいた最小種、ディメトロドン・テウトニス(Dimetrodon teutonis)は、約2億9300万年前のペルム紀前期サクマリアン期前期にドイツに生息していました。この1種だけ、全長が1メートルを超えませんが、アースロプレウラにとっては充分危険な存在でした。
そしてそれからまもなく、アースロプレウラにとって致命的な天敵が現れます。かの有名な模式種、ディメトロドン・リムバトゥス(Dimetrodon limbatus)です。
ディメトロドン・リムバトゥスは最大で全長2.6メートル。現在のコモドオオトカゲほどの大きさがあり、当時最強の肉食動物でした。
重要なのは、その出現時期です。ディメトロドン・リムバトゥスの出現時期は、約2億9000万年前、ペルム紀前期サクマリアン期末です。
現在、確実にわかっている最も新しいアースロプレウラの化石は、ドイツのケムニッツで発見された、約2億9000万年前のものです。つまり、ディメトロドン・リムバトゥスの最も古い化石と、アースロプレウラの最も新しい化石が、ほぼ同じ時代を示していることになります。
これよりも新しいアースロプレウラの化石は、確定している中では知られていません。アースロプレウラの絶滅に、ディメトロドンの存在が関わっていた可能性は極めて高いと言えます。
なお、ディメトロドンはこのあと、さらに大型化していく傾向にありました。アルティンスキアン期の中頃には3メートルに達する種類が現れ、最後の種類は全長4.6メートルに達しました。盤竜類はおろか、単弓類として最大級の種類ですが、このあと5メートルに達した可能性のある別の単弓類も報告されています。
いずれにせよ、アースロプレウラがもしアルティンスキアン期まで生き残っていたとしても、ディメトロドンの力には到底敵わなかったと考えられます。
アースロプレウラの最期
こうして、化石が残らないほど衰退したアースロプレウラですが、深刻化する砂漠化と地殻変動が最後のとどめを刺すことになります。
パンゲア超大陸が形成されてから、ユーラメリカ地方は深刻な砂漠化によって、それまでの生物にとって過酷な環境となっていました。そしてそこに、活発化する火山活動が重なり、やがて火山ガスが大地を蝕んでいくこととなります。
また、放出された大量の火山ガスは、急激な温暖化をもたらしました。世界の年平均気温は20℃を上回り、パンゲア超大陸のあちこちにナミブ砂漠やアトラス山脈のような荒涼とした光景が広がりました。
川やオアシスなどのわずかな水場は、ほとんど分椎類と単弓類に支配され、もはやアースロプレウラの居場所はどこにもありませんでした。その川やオアシスも、干魃で壊滅することが多く、森林に依存する大型生物はことごとく絶滅していきました。
空でも異変が起きていました。それまで昆虫が制空権を握っていた空間に、爬虫類が進出しようとしていました。水場から遠く離れられない巨大昆虫にとって、思わぬ競合相手の存在は脅威です。
こういった単弓類と爬虫類の急激な多様化と、地殻変動による環境の激変は、石炭紀以来続く巨大節足動物の地位を奪い、壊滅へと追い込んでいきました。
そして、アースロプレウラをはじめとする巨大節足動物は、次々に絶滅の道を歩みました。
トンボに似た巨大肉食性昆虫の中には、砂漠化する赤道を離れ、ユーラメリカ地方北部や、さらに極東方面へと逃げ延びた種(アークトティプス(Arctotypus)など)もいましたが、それらもペルム紀中期に絶滅し、姿を消しました。
こうして、節足動物が地上を支配する時代、そして巨大陸生節足動物の時代は終わりを告げました。
そして始まるペルム紀末大量絶滅
しかし、物語はこれで終わりではありません。
アースロプレウラが絶滅してまもなく、スフェナコドン科から、新たに獣弓類が分かれました。獣弓類は現在の哺乳類の祖先に当たる生物で、体型や体格、特に手足の付き方が、現在の哺乳類とほぼ同じになっていました。
これにより、盤竜類よりもはるかに優れた機動力を手にした獣弓類は、瞬く間に盤竜類に打ち勝ち、今度は祖先である盤竜類を破滅の道へと送り込みました。そして、パンゲア全域を駆け巡り、生態系を支配していくこととなります。
こうして、深刻な砂漠化と火山活動によって過酷になった地球環境と、それによって引き起こされた単弓類同士の熾烈な争いによって、アースロプレウラをはじめとする数多くの陸生動物が絶滅しました。
これがペルム紀前期の後半に集中的に起きていたことから、小規模な大量絶滅、通称「オルソン絶滅事変」として知られています。
そしてオルソン絶滅事変が起きてからは、一度は獣弓類の天下となりましたが、地球環境は深刻な砂漠化と火山活動の活発化によって悪化の一途をたどり、短期間で多くの生物が絶滅する事変が相次ぐようになります。
その最終段階として発生したのが、シベリア・トラップを貫いて大爆発した超巨大スーパーホットプルームが引き起こした、史上最大の大量絶滅、ペルム紀末大量絶滅でした。
アースロプレウラの絶滅。それは、単なる1生物種の絶滅の域を大幅に上回る、史上最悪規模の大量絶滅の序章とも言えるものでした。
まとめ
以上、ナイドホグルの起源とされる、アースロプレウラの栄枯盛衰についてでした。
生物の陸上進出という時代の大きな潮流の中で生まれ、デヴォン紀末大量絶滅という時代の大きな潮流によって一度姿を消したものの、不死鳥のごとく再び栄華を極めたアースロプレウラ。しかし最期は、ペルム紀末大量絶滅という時代の大きな潮流の中で姿を消し、遠い歴史の1ページとなっていきました。
ちなみにナイドホグルは、体表の鱗のような構造や、サソリ使いのシルキトや冷気使いのウィンなどへの対応などから、アルスロプレウラ・アルマタ(A.armata)が元になったと考えられます。
なお、花騎士本編には、他にも絶滅生物に関係がある存在が姿を見せています。
たとえばカレンサスの主神「陽炎」は、メガネウラなどのトンボに似た巨大肉食性昆虫によく似た姿をしています。
また、邪神ハクアとリコ・アグレッサが最終決戦で召喚した「悪魔憑き」には、アノマロカリス、ハルキゲニア、パラドキシデスに似たものが確認されています。
ダインの子孫、シギラリアも石炭紀の植物に由来しますからね。
センティやアルカの正体にも、絶滅生物が関係しているようですし、もしかするとミズウォルムやフラスベルグも、何らかの絶滅生物に関係あるかもしれません。
これらの存在についても、またいずれ語ろうと思います。
それでは、今回はここまでとさせていただきます。最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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