『─────────────記録的な大雨が予想されます。家屋の浸水や土砂崩れによる被害が予想されます、近隣の皆様は十分注意を─────』
ザーザー、と何もかもをかき消すような音が聞こえてくる。
時期は6月上旬。まだ梅雨に入りたてで、この外から聞こえてくる音は、これからさらに大きくなるとは考えにくいほど主張してきている。
今年の梅雨は過去最大。こんな謳い文句は梅雨が始まる前にいつも聞いている。
...はずなのだが、毎年毎年疑いもせず信じてしまう。
「今日は暑いな...」
スーツを着ていなければならない職業柄、この時期のじめっとした暑さはかなり堪える。
日本の暑さの原因は湿度だとよく聞くが、原因が分かっているのになぜ改善されないのだろうか。
いや、改善できないからこうして熱いんだろうけども。
こうして、どうにもできない暑さに心の中でぼやいていると、廊下からパタパタと足音が聞こえてすぐにドアが開いた。
「お疲れ様です...」
「お疲れ様。急に呼び出してごめんな...結華」
「ううん、大丈夫」
結華にいつもの元気が無い。
心当たりはある。...というか、それが原因で急に来てもらったわけだし。
ソファに着席を促すと、小さく「うん」とだけ返事をして座った。
すぐに本題に入るため、結華の分のお茶だけ出してデスクの上にある茶封筒を取り、結華の斜め前に座る。
「じゃあ、早速本題に入るな。すでにチェインで画像は送ってるけど、実際の写真はこれだ」
と、茶封筒から1枚の写真を取り出す。今時こんなやり方古いと思うが、来てしまったものは仕方がない。
写真を見るなり結華の表情がさらに暗くなる。
写真には、結華とそのプロデューサーである俺自身が並んで写っていた。
いかにも隠し撮りといった感じで、斜め後ろから撮った写真なのだが、結華がちょうど俺の方を向いているタイミングに撮ったもので、顔がバッチリ写っている。
それだけならいいのだが、角度のせいで腕部分が隠れており、言いがかりをつければ腕を組んでいるようにも見える。
それに加えて最悪なのが、大人のホテル......いわゆる、ラブホテルが写っていたことだ。
これについては、普段歩くときはこういう場所は避けるようにしているのだが、仕事帰りに初めて歩く道で、帰りが遅くなっていたためたまたま通ったところをパシャリだ。
そもそもこのホテルについても最初は全くわからないほどに擬態していた。道行く看板すべて注視しているわけがないだろ...。
このホテルにイラついても過ぎたことは仕方がないので、切り出す。
「すまん...これは完全に俺のミスだ」
「そんな...プロデューサーが謝ることじゃないって、......私も近づきすぎだよね......ごめんなさい」
結華が深く頭を下げる。
「いや、普段はこういう道を避けていたのに、この日に限ってよく道を調べてなかった俺のミスだ。結華には迷惑をかけた、改めてすまなかった」
これ以上謝罪合戦を続けても不毛だと感じたのか、口を開こうとしたが黙り込む。
しばらくして、ポツリと呟くように言った。
「......これ、みんなにも迷惑かけちゃうよね...」
「まだ...世に出てはないし、俺が向こうに掛け合ってみるよ。流出なんてことにも絶対ならないようにお願いしてみる」
結華の表情に少し光が差した。...ような気がしたが、すぐに表情が戻る。
いや、先ほどよりもさらに表情が暗くなったような気さえする。
「結華、大丈夫だ。実際に入ってはないんだし、何とか頼み込んでみる」
「でも...絶対なんてないんだよ...。いつかは、誰かが...なんて、そうやって怯えながらアイドルなんてできない。アンティーカのみんなにも迷惑をかけることになるし、そんなことになるんだったら私は──────!」
「結華!!」
つい、次に来る言葉を聞きたくないばかりに声を張り上げてしまった。驚いた表情で結華が固まってしまっている。
「っ...。すまん、驚かせた。...でも、そんなことは絶対に言わないでくれないか。頼む」
「...私こそ、ごめんなさい。でも──────「結華」」
「少し、歩かないか」
「え...?」
かなり気後れしているように見える結華を、ほぼ無理やりのような形で連れて外に出た。
雨脚は先ほどよりも明らかに強くなってきている。
「急にどうしたの...?外、雨降ってるし風邪引いちゃうよ...それに、また撮られるかも...」
怯えたように声を紡ぐ。いや、実際に怯えているのだろう。
結華の不安もわからなくはないが、なにも考えなしに出てきたわけではない。
「いや、こっちの方が好都合なんだ。ほら、雨が激しすぎて視界が悪いだろ?」
「......確かに、...それで、どこにいくの?」
「それは、着いてからのお楽しみだ。大丈夫。そんなに遠くには行かないさ」
少し考える様子を見せたが、軽くうつむいて黙ってしまった。
帽子のせいで表情はわからないが、おそらくどこに行くのか考えているのだろうか...。
...しかし、何か違和感が───────そうだ。
「結華、なんだか少し遠い気がするんだが...気のせいか?」
「...傘が、ぶつかっちゃうから」
「ああ、そうか...」
「......」
言葉の通り、目的の場所まではそう遠くない。
歩き出して10分もしないうちに目的の場所についた。
「着いたぞ。ここだ」
「ここって...」
「ああ、結華をスカウトした場所だ。...といっても、あの日はここまで雨は強くなかったけどさ」
「...うん、覚えてる。だって、ここは、プロデューサーが、あなたが、私に、三峰に夢をくれた場所だから...!」
一つ、一つ、声は震えながらも確かに言葉を発する。
その大きな瞳に相応しい、大粒の涙が零れだす。いや、きっとこれは雨だろう。
「結華、聞いてくれるか」
「俺は、ここで結華をスカウトした日から今まで、1秒たりとも後悔したことはないし、これからも後悔することは無いと絶対約束できる」
「だから、少しだけ、俺を信じてくれないか。アイドルを、夢を諦めないでいてくれないか」
話せることはすべて話した。後は答えを待つだけだ。
長い沈黙が訪れる。
雨のおかげで周りの雑音の一切はかき消され、今、ここは2つの丸だけの世界になる。
「よし」と小さな声が、確かにはっきりと聞こえた。
「まったく、Pたんは三峰のこと好きすぎでしょ!仕方ないなぁもう!......ありがとね、プロデューサー」
「三峰結華、通常営業に戻ります!」
ここからは、あの後どうなったのか。後日談を話そうと思う。
まず、写真について。
何も考えもなく「大丈夫」なんて言葉を口にしていたわけではない。あの記者が所属していた出版社は有栖川グループを関わりがあった。
他のアイドルを巻き込んでしまうのは到底許されることではなかったが、それ以外に確実な方法が見つからなかったため、夏葉に頼み込んだところ(ここで夏葉と通さないと後でバレた時に怒られる)、翌日出版社から連絡が来た。
出版社の人はかなり慌てていた様子だったし、あんなに憤りをあらわにした夏葉も初めて見た。
次に、結華について。
あの件はまるで嘘だったとでも言うように元に戻った。しかし、解決方法については具体的に話してはいないし、それを察してくれているのか聞かないようにしてくれていた。
ただ、嘘ではないと確かに感じることがある。
よく、傘がぶつかるようになったことだ。