東日本大震災の翌日に起こった殺人事件で逝った娘…悲しみや怒り、後悔と向き合い「生きた証を伝えたい」と体験を語り続けてきた父の15年間
こう思えるまで、事件から10年ほどかかった。元々口下手だったが、今では講演で、涙を見せずに穏やかな口調で語ることができる。裁判で遺族代理人を務めた細川治弁護士は「活動が千鶴さんが遺(のこ)してくれた自分の使命だと信じて、自身の生きる道としたのではないか」と推し量る。
それでも毎年3月が来ると当時を思い出し、心が揺らぐ。事件から15年となった今月12日、自宅で手を合わせた。生きていれば51歳。どのような人生を歩んでいたのだろうか。考えても気持ちが「沈んでいく方向にしかならないから」と、今も家族と事件に関係する話をすることもない。それでも娘がいたことを社会に伝えていくのだ。
千鶴さんが高校まで使っていた部屋はそのままで、遺骨も自宅に置いてある。「少しでも近いところにおる方がええんちゃうかと」。体力が続く限り続けるという支援活動は、娘と一緒に歩んでいく。(京都総局 清水美穂)
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