東日本大震災の翌日に起こった殺人事件で逝った娘…悲しみや怒り、後悔と向き合い「生きた証を伝えたい」と体験を語り続けてきた父の15年間
清家さんは事件を起こした理由を男が自ら語ることも望んでいたが、詳細は明らかにならず、反省や後悔の色は見えなかった。
「千鶴の命は被告より軽いのか。司法はただの相場でしかなかった」。刑事司法に限界を感じた。
求刑通りだった検察側は控訴せず、刑は確定した。
悲痛な経験を誰かのために…失意の後に始めた被害者支援
失意の中、転機となる出来事が3か月後にあった。徳島県警から依頼され、警察学校で講演を行った。人前でしゃべることは得意ではなかったが、「自分の経験が誰かの参考になるのなら」と引き受けた。
その後も毎年依頼が続き、警察官や学生、自治体職員などに向けて経験を語った。1年で10回近く講演した年もある。千鶴さんの生い立ちや事件の経過を写真付きで説明。家族が事件のショックで体調を崩して回復まで数年かかったことも打ち明け、被害者支援の拡充を訴えた。徳島被害者支援センターの理事にもなり、「つらいことはつらい。一人で悩まないで。相談する人はいくらでもおるよ」と語りかけた。
当時、裁判所の控室に軽食を用意するなどサポートし、講演を聴いたことがある「京都犯罪被害者支援センター」支援局長の冨名腰由美子さん(73)は「口調は静かだが、被害者支援への熱い思いが伝わった。当事者の生の声の影響力は大きく伝わりやすい」と話す。
事件を担当した川端署で、3年前に副署長として講演を聴いた府警の警察官の仲川直美さん(60)は「警察官は事件の知識や経験があるが、被害者にとっては全てが初めて。配慮の必要性を改めて感じた」と語る。部下に被害者の立場に立って仕事をするように指導している。
現場の警察官の心のあり方に変化が生まれていると知り、手応えを感じた。少しでも役に立つことを。ささやかな思いで始めた活動は着実に実っていた。
思わぬ知らせ、「事件は完全に終わったのか」…それでも
清家さんが被害者支援に取り組んでいたさなかの21年のことだった。事件から10年が経過していたが、思わぬ事実を知ることになった。無期懲役の判決を受けて服役している男についてのことだった。
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