東日本大震災の翌日に起こった殺人事件で逝った娘…悲しみや怒り、後悔と向き合い「生きた証を伝えたい」と体験を語り続けてきた父の15年間
結婚してからも清家さん一家の中心的な存在だった。震災後に清家さんに宛てたメールは、広島行きの中止を説得するよう母親から相談されて送っていた。この頃、震災に心を痛め、薬を集めて夫とともに東北へボランティアに行く計画も立てていた。
司法解剖を終えた14日午後、川端署で再び対面した。千鶴さんは顔以外の全身を包帯で巻かれた状態で納棺されていた。現実と思えず、涙も出なかった。
警察官から司法解剖の結果を記した死体検案書を渡された。死因は心臓損傷。名前に込めた願いはかなわなかった。「なんで娘が。こんな紙1枚で千鶴の人生が終わってしまうことは絶対に許せない」。清家さんら遺族は、裁判で意見陳述などができる「被害者参加制度」を利用し、男に極刑を求めることを決意した。
遺影を抱えて臨んだ裁判…感じた限界
娘の無念を晴らしたい――。清家さんは2011年8月に男が殺人罪で起訴されたことを受け、裁判や刑事手続きに関する本を集めて読みあさった。公益社団法人「京都犯罪被害者支援センター」(京都市上京区)にも出向き、裁判の流れや受けられる支援を確認。弁護士とも入念に打ち合わせを行い、準備を進めた。
翌12年3月に京都地裁で始まった裁判には、遺族そろって出廷。清家さんは裁判所の許可を得て膝の上に千鶴さんの写真を抱え、傍聴席から公判を見守った。
法廷で改めて明らかになったのは、男の残忍な犯行と、娘の無念だった。
男は、大学院当時の指導教授や、親しくしていた女性との人間関係がうまくいかず、「生きていても仕方がない。誰でもよいから人を殺そう」と考えるようになった。包丁を持ち歩いて通行人や別の同僚の殺害も考えたが、上司の千鶴さんと偶然2人きりになったことから殺害を決意。背後から切りつけた。千鶴さんは「まだ死にたくない」と声を上げていたという。同月16日の判決は、こうした事実を認定した。
千鶴さんの夫と母親は意見陳述。遺族で極刑を求めていた。「誰が被害者になってもおかしくない無差別的な殺人事件で理不尽極まりない犯行」と判断した判決の主文は、無期懲役だった。
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