東日本大震災の翌日に起こった殺人事件で逝った娘…悲しみや怒り、後悔と向き合い「生きた証を伝えたい」と体験を語り続けてきた父の15年間
男が同年、収容先で自殺したのだという。理由はわからなかった。事件から10年。なぜ事件を起こしたのかと、問いたいとの思いがあったが、その機会はついえた。「事件はもう完全に終わった」と感じた。
娘だけではなく、加害者もいなくなった。それでも支援活動の歩みを止めることはなかった。講演はこれまで一度も依頼を断らず、60回を超えた。
裁判のために集めた100冊以上の本を自身が理事を務める徳島被害者支援センターに寄贈。千鶴さんの名前から一字を取って「千の風文庫」と名付け、希望者に貸し出しを行っている。徳島県犯罪被害者等支援審議会に委員として参加し、意見を述べてきた。
自身の提案から犯罪被害者のためのノートを同センターが作成し、配布を始めた。犯罪被害者は捜査、役所の手続きなどで繰り返し被害の内容を説明する必要がある。精神的な苦痛を軽減するために被害に遭った時のことを記すページを設けた。逮捕から起訴・不起訴といった刑事手続きの流れや、支援制度も紹介した。
こうした活動は元々、「自身の経験が誰かの参考になれば」とのささやかな思いからだった。それがいつの頃からか、活動を通じて事件を知ってもらうことが「千鶴が生きた証し」と考え、「千鶴の事件だけは表に出て話す」と心に決めていた。
思い出を大事に…亡き娘と歩み続ける
「生きた証しを残す」――。こうした思いに至るまで長年、自身の心と向き合ってきた。
娘が生きていることが願いだ。それはかなわない。家族それぞれが前を向き、人生を進めていかないといけない。落ち込んでばかりではいられないと思った。
悲しみや怒り、後悔などがないまぜになった複雑な感情を時間をかけ、整理した。亡き娘との思い出を大事にして、生きていきたいと考えるようになった。
娘が京都の薬局で働いている姿を一目見たいと、徳島からこっそり見にいった。恥ずかしがられたのか、怒られ、追い返された。たわいもない日常の記憶が、いとおしく思える。
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