コーランは同性愛をどう裁いたか
現代、イランなどでは同性愛行為に対して死刑が適用されている。
私が𝕏のやり取りの流れで、「イランなどについて『同性愛が罪』はコーランなどから来ている」とポストしたところ、「同性愛はコーランの文言を通じて直接的に禁止されている行為ではない。後世(10世紀)の法学者が語義(言葉の意味)を読み替えて同性愛を当てはめただけだ」という指摘が来た。
しかし、この見方は不正確である。
なので、本稿では歴史を簡単に整理しておく。
読むのがめんどくさい方は、結論やあとがきだけでも。
「罪」と「刑罰」はイコールではない
そもそも「罪」とは、人間がしてはならない行いのことである。
それは長い人類の歴史の中で、「経験の蓄積」を通じて明らかとなり、宗教・法律・道徳倫理といった枠組みの中で定義されてきた。
イスラム世界、とりわけ中東においては、これらは「イスラム法」によって体系化されている。
イスラム法において、これらは神によって禁じられた行為とされており「ハラーム(禁忌)」と呼ばれている。
そして、この「罪(ハラーム)」に対する扱いは、大きく二つに分けられる。
一つは「裁量刑」で、刑罰が固定されていない領域であり、道徳的逸脱や宗教的義務違反に関わる行為である。
これらは禁じられてはいるが、具体的な刑罰は定められておらず、処罰の有無や程度は裁判官の裁量に委ねられる。
もう一つは「固定刑」で、刑罰が固定されている重大な犯罪である。
これらは社会秩序を根本から揺るがす行為とみなされ、コーランや伝承に基づいて具体的な刑罰が定められている。
(厳密には、殺人などに対する「報復刑」も存在するが、ここでは省略する)
本稿で重要なのは、いずれも同じ「罪(ハラーム)」であるという点である。違いは、現世において刑罰が「固定されているか否か」にある。
これらイスラム教の世界観を日本人の感覚で言い換えるならば、すべての罪は最終的に来世において神によって裁かれるが、その中でも社会秩序に重大な影響を及ぼすものについては、現世でも人間によって裁かれる、という構造である。
例えば、コーランでは「豚肉を食べること」が禁じられており、これは「罪(ハラーム)」である。
しかし、この行為に対して具体的な刑罰が定められているわけではない。そのため厳密には裁量によって処罰の対象となり得るが、現代の運用において刑罰が科されることはほとんどない。
一方で、婚姻関係にない者同士の性交、すなわち「姦通(ジナー)」や「盗み」といった行為は、社会秩序を侵害する重大な犯罪とみなされ、コーランにおいて具体的な刑罰が規定されている。
例えば未婚の「姦通」については、コーランにおいて鞭打ち100回が定められており、「盗み」は手の切断が明記されている。
コーランは「同性愛」をどう記したか
ではイスラム法で、同性愛行為が禁止されている箇所を見ていこう。
コーラン第7章81節(ロトの物語)では、男性の同性愛についてこう記されている。
「あなたがたは、世界の誰一人として犯したことのない、その醜行を犯すのか。あなたがたは女を差し置いて、男に欲情して(そのもとへ)行く。いや、あなたがたはムスリフーナ(節度を超えた者たち)である」
ここで用いられている「ムスリフーナ(musrifūna)」は、「節度を超えた者」「逸脱した者」「浪費するもの」といった意味を持つ語であり、神の定めた秩序からの逸脱を指す強い否定である。
したがって、この段階では、同性愛行為は「罪(ハラーム)」として強く非難されていることが読み取れる。
一方で、同性愛行為に対する具体的な刑罰規定(死刑など)は、コーランには明記されていない。
すなわち、コーランでは同性愛行為を道徳的・宗教的に強く否定しているが、現世における刑罰については規定していないのである。
(補足として、私にリポストしてきた方は、この箇所を「同性愛の非難ではなく、妻に向いていないことを非難している。つまり同性愛は関係ない」と強引に解釈している。しかし、「男性に欲情して」と書かれている以上、その読み方は明らかに無理がある。)
法学者が直面した「空白」
このように、道徳的非難は存在する一方で刑罰規定が明示されていないため、その法的性質と刑罰の有無は後世の法学における主要な争点となった。
イスラム世界では、イスラム法を通じて社会の倫理と秩序が維持されている。日本で言えば、法律と道徳倫理が一体となった体系に近い。
そのため、コーランに明確な規定が存在しない事例については、法学者が解釈を行い、現世における具体的な位置づけや刑罰の有無を定める必要が生じるのである。
こうして7世紀に成立したイスラム教の教えは、共同体の拡大とともに具体的な社会運用が求められるようになり、その解釈と適用をめぐって、主に8〜10世紀頃にかけてイスラム法学が体系化されていった。
その過程で、「道徳的な罪」と「法的な刑罰」の関係が整理されていった。
その中でも大きな争点の一つが、男性同士の性行為の刑罰であった。
性欲を管理する「社会の知恵」
婚姻関係にない者同士の性交、すなわち「姦通(ジナー)」がなぜ重大な罪とされるのか。
その根底にあるのは、「血統の確定」という問題である。
誰が財産を相続するのか、誰が子を扶養するのかといった問題は、いずれも血統の確定に依存している。さらに言えば、子の側から見ても、自らの出自を知ることができるかどうかは人格形成の上で重要な意味を持つ。
「姦通」は単なる道徳違反ではなく、こうした血統に基づく家族秩序や社会秩序を揺るがす行為であり、社会の安定そのものに影響を及ぼす。
また、性欲という本能を無制限に認めることは公序の混乱にもつながる。
こうした理由から、イスラム法において「姦通」は重い刑罰の対象とされている。
補足として、現代日本では、相続や扶養、親子関係といった問題は法制度によって事後的に処理される仕組みが整備されている。そのため、未婚者同士の性交それ自体が社会秩序を直接揺るがすほどの問題にはなっておらず、現時点では刑罰の対象とはされていない。
論争の核心:男色は「姦通」の類型か、独立した罪か
以上を踏まえると、問題の構造は明確になる。
コーランでは、同性愛行為は強く非難されているが、刑罰は規定されていない。一方で、婚姻関係にない者同士の性交、すなわち「姦通」のように社会秩序に関わる行為については、明確な刑罰が定められている。
では、男性同士の性行為はどのように位置づけられるべきなのか。
「姦通」と同様の犯罪とみなすべきか、それとも刑罰を伴わない道徳的違反にとどまるのか。
この問いこそが、後世のイスラム法学における論争の出発点となったのである。
9世紀に確立された4大法学派のロジック
イスラム法の研究者であるWael Hallaq『The Origins and Evolution of Islamic Law』によれば、イスラム法学の主要な枠組みは、すでに8〜9世紀の段階で形成されている。
つまり10世紀ではなく少なくとも9世紀の時点で、同性愛行為をめぐる法的議論は出揃っているのである。
ハナフィー派
ハナフィー派は、男色を「姦通」とは別の行為として扱う。
「姦通」は、コーランにおいて「男女間の不法な性交」として定義されている。したがって、男性同士の行為を同一の犯罪類型として扱うことはできないとした。このため、全く別の罪として扱い、固定刑は適用されず、裁量刑に委ねられるという見解である。投獄からむち打ちまでを想定していた。
この種の初期の法解釈は、アブー・ユースフ(798年没)の『ハラージュの書』などに確認できるとのこと。
ちなみにこの学派は、トルコ、バルカン半島、中央アジア、インド亜大陸に広がり、後のオスマン帝国の国法の基礎にもなったとのことである。
マーリク派
マーリク派は、これとは逆に、男色を重大な逸脱として扱う。
「ロトの民の物語」と「メディナの慣行」を基準に、その行為自体を独立した大罪と位置づけた。その結果、既婚か未婚かという区別は意味を持たず、既婚・未婚を問わず死刑とする見解である。
この立場は、9世紀に編纂されたアル=ムダッワナ・アル=クブラにおいて体系的に確認できるとのこと。
この学派は、北アフリカや西アフリカに広がったとのこと。
シャーフィイー派
シャーフィイー派は、男色を「姦通」に準ずるものとして扱う。
性欲の解消を目的とした「不法な挿入」という点で、「姦通」との共通性を認め、その規定を類推適用する。したがって、既婚者には石打ち、未婚者には鞭打ちが適用されるという見解である。
この立場は、9世紀初頭の『アル=ウム』でその法理が確認できるとのこと。
この学派は、エジプト、東南アジア(インドネシア・マレーシア)、東アフリカ沿岸で影響力を持った。
ハンバル派
ハンバル派は、ハディースを重視する立場を取る。
ハディースとは、預言者ムハンマドの言行を伝える「伝承」であり、イスラム法においてコーランに次ぐ重要な法源とされる。
この学派では、「ロトの民の行為を行う者は殺せ」といった伝承をそのまま受け取り、ロト民の行った禁忌である「男色」に対して死刑を支持した。
その基盤となるのが、9世紀半ばの『ムスナド』をはじめとする伝承集であるとのこと。
これは、現代サウジアラビアに強い影響を及ぼしている。
それぞれの学派が見解を唱えていった。
さて、こうして比べてみると、「ハナフィー派」は、挿入先の属性や状況まで厳密に考慮する立場で、「シャーフィイー派」は、挿入という行為そのものを重視している。
「マーリク派」共同体秩序を重視し、「ハンバル派」は伝承(ハディース)を重視している。
そして、現代日本で学んだ法感覚からすれば、「ハナフィー派」の立場が、日本の法体系が重視している「罪刑法定主義」の立場に一番近いように個人的には感じる。
預言者の伝承が「基準」を塗り替える
このように、9世紀ごろ、イスラム世界では多様な法解釈が併存していた。
「ハナフィー派」のように裁量刑で固定刑に当てはめてない学派もあった。
そんな中で、同性の性交を厳罰化した決定的な役割を果たしたのが、預言者の言行録である「伝承(ハディース)」の体系化である。
預言者の死後、時間の経過とともに解釈の幅は広がり、各地で様々な解釈が横行していた。
そのため9世紀半ばに入ると、それまで口伝や断片的なメモであった膨大な伝承を精査・整理し、その信頼性を科学的に検討する編纂の動きが加速した。
その結果、「伝承(ハディース)」は預言者の生の声としての圧倒的な正統性を獲得し、法解釈においてコーランに次ぐ重要な根拠として位置づけられ、議論を整理するうえで大きな影響を持つようになっていった。
それは最終的に、「ハナフィー派」のように理性で解釈可能なのか、「ハンバル派」のようにお、伝承も含め神の言葉そのもので、理屈抜きに従うべきかという問いに収斂され、結果、後者が勝った。
ハナフィー派もまた「ハディース(伝承)」という基準を基に、裁量刑と判断しながら、その裁量は厳罰化していったのである。
ちなみに「伝承(ハディース)」には以下のように書かれている。
「ロトの民の行い(男色)をしている者を見つけたならば、する側とされる側の両方を殺せ」
「ロトの民の行いをする者は、アッラーに呪われる(アッラーの慈悲から遠ざけられる)」
そうして、裁量刑であろうと、その判断は厳罰的なものへと傾いていった。
その後、学派ごとの運用と地域的慣行の中で、10世紀ごろまでには男性同性愛行為に対する厳罰化(死刑を含む)の流れが広く定着しつつあった。
一応補足するが、その罪を証明するとき、4人の証人が必要などが定められている。そのため、実際の運用ではすぐに刑罰が適用されるわけではないことにも注意が必要である。
され、これらの転機は1858年、オスマン帝国における近代化の一環として、フランス刑法をモデルにした近代法が導入された。この際、同性愛行為は一時的に「非犯罪化」され、世俗的な寛容が法制化された。
しかし、20世紀後半以降、イスラム復興運動の影響により、初期の厳格な信仰・法運用が再び強調されるようになり、イランなど一部地域では同性愛行為に対する厳しい取り扱いが復活した。
現在、様々な国で近代化とイスラム法の間で、刑罰が揺れているのが現状である。
結論
こうして歴史的経緯を整理すると、次のことが分かる。
まず、私が最初にポストしたように、同性愛行為は「コーランで罪」とされている。
一方で、刑罰はコーランには明記されず、後世の法学者による解釈と「伝承(ハディース)」の整理によって確立されていった。
しかしそれは10世紀ではなく、主要学派では9世紀頃には刑罰の枠組みが整っていたといえる。
そして、多くの学派で「伝承(ハディース)」を預言者の言葉として正統と認めた時点で、そこが基準(スタンダード)になっているということである。
彼らの中での議論のスタートは「そのまま厳罰を適用するか、それとも」というところから出発する。
あとがき
なぜこの整理を行ったのか。
それは、「本来、コーランにおいて同性愛は罪ではなく、10世紀の読み替えである」という説が、正しくないことであると同時に、このような同性愛を罪ではなかったとする強引な解釈は、近年のリベラルによるイスラム再解釈運動でよく見られる主張だからです。
リベラル的な世界観の解釈を通して、「同性愛は罪ではなかった。後世の解釈によって罪にされた」という物語が様々な形で広められています。
しかし、どれも恣意的であり、正確ではありません。
日本人がリベラルの間違った世界観のイメージを植え付けられ、無用な混乱に巻き込まれないように、この点を明確にしておく必要があると考えました。
仏教でも行われた伝承の整理
ちなみに、ハディースのように「伝承の整理・編纂」が行われる現象は、イスラムに特有のものではありません。
仏教においても同様のことが起きています。
ブッダの死後、教えの解釈や伝承に揺れが生じたため、その死の直後には約500人の弟子が集まり、教えを確定する「第一結集」が行われました。
さらに約100年後、「ブッダを直接知る者」「第一結集を直接知る者」がいなくなると、再び解釈によって教えに乱れが生じ、「第二結集」が開かれ、教義や規律の整理が進められました。
各地に教えが広がれば、解釈の差異や逸脱が生じるのは避けられません。
放置すれば教義そのものが分散し、偽物が横行し、統一性を失うことになります。
つまり、創始者の死後に伝承が広がり、それを整理・確定する動きが生じるのは宗教に共通する構造です。また、それを整理・確定した体系が正統性を帯びるのも必然といえます。
追記
ここでさらにもう一段抽象度の高い理解をすると、
私たち現代日本人は、こうした「教え」などを理性によって解釈可能とする立場をとっています。(中心を捨てたとも言える)
これにより、様々な国の文化や宗教の良い教義に共通性を見出し、柔軟に吸収することが可能です。
この柔軟性は強みである一方、中心が明確に定まっておらず、解釈の幅が広く揺れやすいという側面もあります。
そのため、解釈の基盤となる「価値観」が非常に重要になります。
現在、その価値観は「自由・平等・博愛」に置き換わっています。
そして、欧米を見ても分かるように、その価値観は現代社会の失敗の原因にもなっています。私たちは、「自由・平等・博愛」がどこから来たのか、その出発点と方向を見極める必要があります。
しかしこの出発点とその方向は、歴史の裏に絶妙に隠され、タブー視される形で最も語りにくいデリケートな問題になっています。
また、日本人が捨てた中心への正しい理解も、そろそろ必要になってきていると個人的には思っています。
それについては、またいつか別稿で。
長くなったので、今回はこの辺で。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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