「真理はわれらを自由にする」のか 深まる分断、国会図書館で考えた
地域面で担当中の連載が本になったので、先日、納本のため国立国会図書館を訪れた。
国内の出版物は全て、国会図書館への納入が法で義務づけられている。一切の本を差別せず、国民共有の文化資産として扱う理念だ。
「真理がわれらを自由にする」
国会図書館の入り口近くに、国会図書館法前文の一節からとった銘文がある。戦前戦中の時代、国民を知識や情報から遠ざけ、自由を奪っていったことへの反省も込めた言葉だという。
真理、自由。美しい言葉だが、最近は少し心がざわめく。自分の知識や意見だけを真理(真実)として他者をSNSで罵倒したり、自由を標榜(ひょうぼう)している国家が話の通じぬ相手とみた他国に武力を行使したり。規模は違えど攻撃的な文脈で目にする機会が増えたからだ。
図書館司書の知人の話を思い出した。
調べもので図書館に来る人が多い。だが、逆に迷いを深めて帰る人もまた多いそうだ。どんな問いにも立場の異なる様々な資料や文献がある。知るほど、謎は増える。
だが、その過程にこそ価値があると司書の知人はいう。真理とは本来複雑なもので、自由とはその煩わしさを受け止める精神だ。言葉の意味が最近揺らいでいないか――。
図書館の銘文にそう問われたような気がした。