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【セタ弓】御子は従者を連れて旅立った6/Novel by 梨:次は5月

【セタ弓】御子は従者を連れて旅立った6

12,416 character(s)24 mins

■ならばあの男はそのために――従者の目的を知った御子は迷い、従者もまた己の心に戸惑いを覚える。斎宮到着編。出立まで書いたら長くなりそうだったので、ひとまずぐるぐるしてるふたりをば。ようやく恋愛っぽくなってきました!(きました?)
■前作はシリーズ一覧novel/series/846086からどうぞ。ご感想や励ましのお便りなどありがとうございます! 引き続きお楽しみいただけましたら幸いです~(少なくとも10まではいきそうです……なっがい)

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6.


 セタンタはぺたぺたと渡殿を歩いておりました。
 昨夜、斎姫に連れ去られたままの、己の従者を探しているのです。
 といっても、困惑顔のアーチャーに「明朝まで働くこと罷りならん」と命じたのはセタンタなのですが。
「ま、これであいつもゆっくり休めたろ」
 各方面セタンタが当初考えていたよりずっとすんなり話は通り、アーチャーはそれ以上の待遇でもてなしてもらえたはずです。
 その寝床が、自分と同じ対屋の一つ布団であれば言うことはなかったのですが、母と姉の過保護を見るに、口を滑らせなくてよかったと少年は額の汗を拭ったのでした。
(血を見るな……)
 しかし端から眺めていただけのセタンタにもそれがわかるのに、なおあの調子の従者にはほとほと呆れました。
 十余年振りの家族との対面でしょうに、あの男ときたら、腕に抱えて戻ったイリヤスフィールをそっと縁側に下ろすと、役目は終了したとばかり場を辞そうとしたのです。
『では、私は荷を解いて参ります。食糧の類を処分するのに厨屋をお借りしたいのですが』
 ぽかんでした。姉君が足拭きを持って待ち構えていた女官に告げた「膳をひとつ増やして」という弾んだ言葉を、彼はいったい何だと思ったのでしょう。
 唖然としながらも、だめだ、だめよと声が揃ったのは、男の性格を知るがゆえの反射みたいなものです。
 何せ丁稚時代の気分のまま、こちらの者に交じって膳の上げ下げから床の用意までしそうな男です。それだけならまだしも、
『でしたらお任せ致しますので、このまま控えさせていただきたく……』
 余所者を厨屋へ近寄らせぬのも、荷を持ち込ませぬのも当然のこと。叱責をそう受け止めたアーチャーは不平も言わず、庭石に戻って皆の飲み食いを見ていると言うのです。
 特攻に備えて身軽にするため、ほとんどの荷は“処分”していました。もちろん庭で火を焚くわけにはいかず、己は後で懐のちびた干し肉を齧るつもりだったに違いありません。旅の最中だとて、そんな劣悪な食事で済ませた覚えはありません。
 彼の姉と母と主が急速に機嫌を損ねていくのを、頭を垂れる彼だけが気付いていませんでした。
『ああそう、シロウが上がらないなら私が庭に座るわ! それでいいんでしょうっ!?』
 別段気難しくなくたって、それはそうなります。一段高いところから指弾されたアーチャーは脈絡がわからぬようで目をぱちぱちさせていました。
『足を拭ってもらったばかりだろう、そう皆を困らせるものでは……』
『あら、お庭で宴席なんてすてきね。お弁当と敷物を用意しましょうか。ああ、お酒は飲めるようになった?』
『はっ? 先代様まで何を仰って……!?』
『こーら。“おかあさん”でしょう?』
 男とは姉や母や小母や、とかく身近な女性には弱いものでした。額を白魚の指先に突付かれ、さ迷った目が主に助けを求めたところでセタンタも同じ気持ちなのですから、観念しろと苦笑されるだけです。
『そら、さっさと履物を脱げ。座敷を汚したいか?』
『セタンタ様っ!? イリヤっ?』
『そうね。それとも私たちに脱がして欲しいのかしら』
 振り切るには難儀する力自慢の少年と、反対にとても力には訴えられない少女とに左右からがっしと掴まれて、青年が焦りながら馬の様子が気になる、厩舎の片隅に寄らせてもらいたいと請うたのも、何言ってんだ、何言ってるのと即座に却下しました。
 心配なのは同じですが、馬のセタは治療の心得のある者らに手厚く看護されています。ひとのことよりまず、自身の疲労と空腹を何とかすべきでしょう。
『はい、さんにーいち』
 と、音頭を取って、なおも踏ん張っていたアーチャーを自ら座敷に上がらせたアイリスフィールの手腕はさすが母上殿でした。それで行動しなかった場合、幼き日の彼がどのような目に遭ったのかはちょっと想像したくありませんが。
 きっとこのような光景が日常茶飯事だったのだと思います。まったく困った息子で弟で従者でした。
「んーと、オレのとこと同等くらいの客間で、すると寝殿挟んだ向こうっ側……だな」
 なぁんであなたが私の弟に命令しているのかしら?という目を向けていた少女の性格を鑑みつつ、セタンタは後ろ頭で腕を組み、ほてほてと歩きます。
 警護が厳重なわりに、だからこそなのでしょうが、奥の宮へ入ってしまえば人の気配も疎らで、出歩きを咎められぬ代わりに、従者の居場所を聞ける相手にもなかなか出くわしません。

 女官たちに世話されながらの宴席がどうしても落ち着かない様子のアーチャーに、彼を伴っての退室を娘に促したのもアイリスフィールでした。
 自分が亭主だから下がって大丈夫よと、子供たちのために体裁を整えてやったようでいて、宴席自体をお開きとしなかった意図は、客人であるセタンタのみ残れということです。
『御子様方には元服の時に伝えるものだから、今話しても構わないわよね』
 今しかないとは言いませんでしたが、言わないだけで、セタンタにもわかっていました。
 そうして微笑みながら酌をする彼女の、“彼女たち”と彼らの秘密の話を、セタンタは聞かされたのです。
『イリヤがね、あとから来たあなたは弟よ、私がお姉ちゃんなんだからって、あの子の歳を決めたの。その頃はおかしくなかったのだけれど、シロウは年より小柄だったのね。すくすく伸びて、そうしたらもう遊んであげない!ってむくれてしまって。いつも連れ回して困らせていたのはイリヤのほうだったのに』
 自分より小さな子供がやってきたことを、少女はとても喜んだのでしょう。
 それはセタンタに対する悪態と、背丈を比べた時に見せた表情と、出処の同じものだったのだと思います。
(……いちばん言っちゃなんねえことを言ってたわけだな、オレは)
 知らずに言った売り言葉に買い言葉を気にしても仕方のないことですし、謝ればそれこそ彼女はセタンタを許さないでしょう。
 特別な生まれの“斎の姫たち”は最盛期まで一気に成長し、その後はほとんど歳を取らないのだそうです。
 セタンタとそう変わらぬ歳に見えるイリヤスフィールの、本当の年齢はもっとずっと上なのです。
 青年の姉を名乗っても、そう違和感を覚えぬ程度には。
 少女の外見は当代がどれほど類稀な才を継いでいるかの証左であり、それゆえに老いることのないという祝福が、成長できぬ呪いとなってしまったのでした。
 アイリスフィールが禁を破っても恋した男と結ばれ、ひたすら愛情を傾け、ただ幸福であれと望まれた子が、誰よりも力の強く産まれてくるとはなんという皮肉でしょう。
(男子は野に下してるかこっそりあれかと思ってたが、そもそも女しかいねえとは)
 そのような環境で育ったアーチャーが婦人の扱いに慣れているのは当然で、また、ある程度の年齢で出て行かざるを得なかった事情もおぼろげに察せられました。
 男を必要とせず、大源を孕んで生まれ落ちる彼女たちはヒトよりも強く、ゆえにヒトよりも弱く。鎖じられた斎宮を離れては長く生きていかれないといいます。
『よくわからんがその、ヒトに似たヒトよりも高次の存在ってのはオレらと何か違うのか』
 生来粗雑な性質なので注意があったら言ってほしい。あ、わかりやすくな! 座学のとんと苦手なセタンタがそう言うと、アイリスフィールは仲良くして欲しいわと晴れやかに笑ったのでした。
 その屈託のない笑みに、するとこの小母も見かけ通りの年齢とは限らないのだと思いましたが、どうでもいいことを論って、せっかくの笑顔を翳らせることもないでしょう。

「――お。」
 思い返していたそれとよく似た面差しを、向かいの対屋に見つけました。
 傍らへ侍る従者の姿もあります。
 いつもの堅苦しい武装を解いて、客用なのか少し丈の足りない紺の着物を身につけています。
 イリヤスフィールが手の上に乗せ、目の高さにかざしているのは、アーチャーが渡した土産のようでした。どうやら彼が手遊びに作っていた木彫りの馬です。
 ということは結局あの男、夜更けだか早朝だかにせっせと荷解きをしていたのでしょうか。
 声までは届きませんが、きゃらきゃらとはしゃいでいる様子が窺えます。
「どうせ悪口言ってやがんだろ」
 ひとりでほっつき歩いて従者を困らせる主はやはりこうして、供も連れずにうろついていますので。
 セタンタは足音を立てぬよう床板を蹴りました。
 小石の敷き詰められた庭を突っ切れば早いのですが、すると向こうからも丸見えとなり従者の小言を浴びることは火を見るより明らかです。
 男の背のほうから徐々に顔の見えてくるのが、いつこちらに気付くかと遊戯じみたそれもまた愉しい気がして、遠回りでもきちんと渡殿を駆けて(やはり見つかれば行儀をただされたでしょうが)向かうことにしました。
 今日は朝から風が心地良く、戸は開け放たれています。
 イリヤスフィールがアーチャーに背を向けて座り直しました。振り向いていくつか言葉を交わすと、渋い顔をしていた彼のほうが折れたようで、苦笑を覗かせ、彼女の髪を梳き始めます。
 その櫛もまた、彼が手ずから作った、姉への贈り物でしょう。
 長く艶めく銀糸の上から先へ、櫛のひらめくたびに、木肌へ施された細工がきらきらと光ります。水底の、いつかの虹の色です。
「―――…」
 心地良さそうに目を瞑じた少女は喉を伸ばして、何かの詩を歌い出しました。控えめに動く男の唇も、同じ旋律を静かに口ずさんでいるようでした。
「セタンタ様」
 後ろから声を掛けられ、セタンタは己が足を止めて見入っていたことに気が付きました。
「なんだ」
 朝餉を済ませるなり姿を消した客人を追ってきたのでしょう、女官に「セタンタ様、どちらへ」と訊ねられたのへ、「厩舎だ。供は要らん」とおざなりに答えます。
「場所はおわかりになりますか」
「ああ」
「お気を付けて」
 方向を変えて歩き出せばその通りに頭を垂れて見送られ、些細な苛立ちが起こります。
 見当違いの場所におられるようですが迷子ですか?等、達者な口でさんざ辟易させてくれた従者は傍らにいないというのに、です。
「きょうだい水入らず、か」
 セタンタが顔を出せば、邪魔よと姉のほうは直裁に睨むでしょうし、弟のほうは“セタンタ”に気兼ねして、寛げなくなってしまいそうです。
 うつくしい光景はそのままにしておこう。と、物分かりの良い振りをする己に苦笑が漏れます。
(そうして欲しいのだろう、アイリスフィール)
 再び子に会えたという喜びだけで終わらぬのが、やはり母というものなのでしょう。
 思えば昨夜、セタンタが自ら従者に許可を与えたのも、つまらぬ矜持であったのかもしれません。
 名乗るつもりはなかった、一目見るだけでよかったのだと、アーチャーは嬉しさと苦みの混ぜこぜになった表情で少女にそう告げていました。
「道理で、オレを」
 彼が白羽の矢の立った憐れな殉死者でないことは、ともにいればわかります。
 セタンタはひたむきに前だけを見ている青年の、真っ直ぐな瞳の輝きに見惚れたことを思い出しました。嘘はないと信じました。心を捧げられているのだと嬉しくなりました。
「護る、はずだ」
 尽くすはずでした。
 まだ何も成していない、未熟な子供でしかないセタンタは、けれども青年にとって、ええそう確かに大切な大切な、何物にも替え難い――“通行手形”であったのでしょう。
(ならばあの男は、そのためにオレの従者となったのだ)
 一縷の望みをかけて仕えていた兄御子を喪うという窮状は、弟御子の単身での放逐という、千載一遇の機会に化けました。
 王に疎まれた御子の従者に手を挙げる者など、彼をおいて他にいません。
 その御子が素直に出立する馬鹿者だろうと、命を惜しんで逃亡する臆病者だろうと、縁ある斎宮へは必ず立ち寄ります。従者となった男が経験の浅い少年に進言する、もしくは黙って馬の轡をそちらへ向けてしまっても、少々の方角の違いなど旅を知らぬ子供にはどうせわかりはしないのですから。
 “今度も”死なれては意味がない、“今度こそ”短い期間で信を得ねばならない。彼は真っ当に武功を立てることを考えていたようでしたが、セタンタに閨に誘われて、内心しめたと思ったのではないでしょうか。
「……あれは…」
 ぎゅっと頬の内側を噛み締めます。
 木っ端を削っているとき、アーチャーがどのような顔をしていたかをセタンタは知っています。
 惜しげもなかった木馬はいいのです。虹色の鱗も、好きに使えと言いました。けれど。
「あれは、オレにくれると言ったのに」
 喉奥に飲み込んだはずの言葉が、覚えず口から転び出ました。ああ、と吐く息が震え、吸えば喉がわななきます。
「オレのものなのに……!」
 俯けばきれいに磨かれた床板に、すっかり泣き顔をした自分の姿が映っていました。
 オレのアーチャーだぞと喚けばよかったのでしょうか。ここにいろと命じればよかったのでしょうか。
 けれどもう、胸を締め付けるその表情が、セタンタの惹かれた彼のすべてが、誰のためにあったのかも知ってしまいました。
 どうしてこんな子供に全霊を賭せられましょう。そんなわけがないのです。
 年の頃が近く、ほそりと手足ばかりの伸びた姿形が似ていたのでしょう。肌も、髪質も、神気の濃く現れた瞳の色などそっくりです。
 彼が真実その手で梳りたかったのは、少女の髪。うつくしいと称えたかったのは、少女の瞳です。
 セタンタは一度強く目を瞑り、顔を上げました。
「……格好悪いことは嫌いだ」
 ひとりの男を取り合ったところで、彼がどちらを選ぶのかはわかりきっています。
 そして、セタンタは従者に、必ず願いを聞き届けると約してしまっていたのでした。



「うん、腕は落ちていないみたいね」
 手鏡を覗いて、イリヤは満足そうに頷きます。そこには鏡合わせに映した己の結い髪と、そのもうひとつの手鏡をかざしている、すっかり青年に成長した弟の姿が見切れています。
「もしかして、髪を結わせてくれる恋人がいるのかしら」
「まさか。そんなひとがいたらイリヤに真っ先に紹介するよ」
 なんとか及第点かと胸を撫で下ろす弟に意地の悪い質問をしてみましたらば、一笑に伏されてしまいました。こっそり見られているとは知らぬ彼の顔色は変わらず、てきぱきと髪結いの道具を片付ける手の滞ることもありません。
「なぁんだ、つまんない」
 と、鏡を放り出して口を尖らせたのは本心であり、一方で安堵でもあったでしょう。
「ご期待に添えず、申し訳ない」
「そこは自慢げにするところじゃないと思うわ」
 自嘲かもしれません。いまだ独り身で浮いた噂もないというのは、男としてちょっと悲しい話です。姉としても心配です。
 まあ、そんな話があればうちの子に悪い虫が!と思うに違いないのですが。可愛い姉の試練でへこたれるようなお嫁さんでは大事な弟を任せるに値しませんので、どんどんいぢめて鍛えてやろうと思っています。
「あっ、シロウ。セラの意地悪なら気にしなくていいのよ」
 ちょっと考え事をしている間に、侍女が弟から髪結い箱を取り上げていました。もともと彼女が丁寧に手入れしている道具です。お役目大事ゆえなので咎めることではありませんが、この弟もそういえば各人の立場だのを気にする性格でした。
 開け放たれた敷居のほうへ下がった青年はしかし、苦笑して言いました。
「気にしてはいないけれど、いずれにせよ退室させていただくよ。私はセタンタ様のお世話をしなくては」
 イリヤはきょとりとしました。
「そんなのとっくに誰かが見てるわ。男の子は珍しいから、みんな世話を焼きたがるもの」
 ひとりで顔も洗えない子供ではない、こともないのかもしれませんが、腹を空かせば鳴いて親を呼ぶだけの仔犬ではないのです。
 面倒見の良い女官もたくさんいます。ぶっちゃけて言えば、暇に飽かしている皆のいいおもちゃです。日頃よってたかって面倒を見られているイリヤは知っています。
「私はあの方の従者だからここに滞在できているんだ。本来なら庭にすら立ち入れる身分ではない。昨夜は暇の許可をいただいたが、厚意に胡坐を掻いては……」
「大丈夫よ。シロウを叱ったりしたら、私がこてんぱんにしてあげるわ」
 言う通り昨夜だとて協力的でしたし、イリヤが彼を連れ回していることは明らかです。むしろ御子様は、久し振りに会った家族を放って何してんだと、呆れて従者を追い返すでしょう。
「女好きだし」
 あの悪童は、お目付けの離れた隙に皆の乳や尻をべたべた触って喜んでいるに違いないのです。
 だから心配ないと言ったのに、彼は二度かぶりを振りました。
「でも、まだ朝の挨拶もしていないから」
 下されたのは今朝までの許しであったので、それならそれで新たな命を聞かなくてはならないと、そのようなことを言って青年は部屋を出て行ってしまいました。
「なんか、仕方なくイリヤのとこにいたみた、」
「リーゼリットッ!」
 素朴に思ったことを呟いた護衛官の口を、ひぃえっと肩を跳ねさせた侍女が慌てて塞ぎます。
 じたばたと揉み合っている仲の良いふたりを、イリヤは横目で見ました。
 わかっています。彼はちょっと杓子定規で、ちょっと言葉がまずくて、ちょっとも態度に出ないだけです。あれは弟なので、ともに育った姉にはわかります。
 けれどそう、どうせなら居残るための言い訳をしなさいよ、と目蓋が下がります。
「ぜんっぜん変わってないわ……」
 打ち伏せたイリヤは、ごちんと鏡台に額を打ちました。
 嫌なの何なの嬉しいの!?と何度癇癪を起こされたか、毎度困って少女を宥めていた少年はそれを覚えていないのでしょうか。
 感情の薄いところのある弟の、せめて吃驚顔や動揺の様を見てやろうと、イリヤがどれだけ揶揄い、意地悪をしたことか。怒らせるのだって容易ではありません。ほんとうに珍しく喜ばせることに成功したと思えば、だってイリヤが楽しそうにしているからなどと微笑むので、髪を掻き毟りたくなったものでした。
 ――ああほんと、姉でよかった。
 突き飛ばしたくなったら突き飛ばせるし、我が儘だって何だって言えるもの。
 もし彼に恋なんかしたら、胸をぽかぽかさせるこのあたたかさは、途端に身を抉る切なさへと取って代わることでしょう。懐かしさにひたりつつ、まだ見ぬ未来の妹には同情を寄せてしまいます。
 しばし両手の頬杖で脱力していたイリヤは、ふと思い付いて立ち上がりました。
「セラ、リズ。贈り物を探すから手伝って」
「はい、お嬢様!」
「はーい」
 対照的な返事をして、それが原因でまた揉めているふたりを連れ出します。
 何を探すのですか?と聞かれ、ふふんと胸を張ります。
「私がこれだ!って思うものをよ」
 たかがカンと侮るなかれ、斎姫の称号は伊達ではないのです。
 しかし侍従に揃って胡乱な目つきをされて、何よその顔ー!と、わいわい喧しく渡殿を行きます。考えているだけで楽しいなんて、こんなことはいつ振りかもわかりません。


     *


「セタ……」
 御子は厩舎へ行ったと聞き、まさか宮内を競馬のように乗り回す気では、すわ遠駆けか!?と慌てたアーチャーが急ぎ駆け付けてみますと、セタンタはまだそこにいました。
 馬を囲う横木の上に座り、久方ぶりに顔を合わす愛馬と額をくっつけて何事か語らっているようです。
 懸念したような騒ぎはなく、静謐なそれは声を掛けるのが憚られるものでした。
(しー)
 途切れた名に自分が呼ばれたと思った馬のセタが首を向けるのへ指を立て、アーチャーはそろりと後退って厩舎を出ました。
 あれ、ぼくのお見舞いに来たんじゃないの?という円らな瞳には胸が痛みましたが、主人は誰もおらぬと気を抜いているのです。独白を従者に聞かれたと知れたら少年の自尊心に障ります。
 たとえ、「やだなー、やりたくねえなー」と、万人が毎朝ぼやくような他愛無い愚痴であってもです。
(それでも逃げはしないのだろう)
 なるほど、あの御子でも弱音を吐くのか。意地の悪い感心と、悼みと、ほんの少しの拗ねた気持ちを懐きます。
「甘えるなら私を呼べば……」
 つい責めるようなことをぼやいて、しまったと口を押さえます。
 周囲はひらけた馬場で人の姿はありませんが、アーチャーの場合、その確認では不充分でした。目には見えぬ揶揄い好きの男がそこらに漂っているはずだからです。
 ひとりの時でないと、彼には呼び掛けることも出来ません。
「キャスター、いるのか?」
 この機会に呼んでみますが、不自然に木の葉の揺れたり、足元の土の急に舞い上がるようなしるしはありませんでした。
 いれば、聞いていたぞとにやにや主張するでしょうから、セタンタのほうについているか、どこぞで諜報活動でもしているのでしょう。斎宮では見破れる者も多いはずですから、人目を避けているのかもしれません。
「礼を言いたかったのだがな」
 これでも無反応なので、どうやら本当にいないようです。
 うっかり邪霊と誤って調伏されたりしないよう、イリヤスフィールには紹介しておきたかったのですが。
 まあ、生前の知り合いですし、術師同士です。必要があれば自分で話すでしょう。もし結界に囚われていたり、問答無用でイリヤに祓われたとしたら、それはキャスターが悪いモノだったということです。
 本人に聞かれたら、このひとでなしーっ!と盛大に罵られそうなことを平然と思う従者でした。尤も、ヒトでないのはそちらです。
「なに、相談したくとも手段がないのだから仕方あるまいよ」
 門前で窮した時、“それ”を壁に突き立てろと囁きのあった気がしたのですが、きっと己の第六感が彼の声を借りたのでしょう。
 だって聞こえるわけがないのです。
 前にキャスターと話し合ってからの三晩、アーチャーはセタンタとそのような行為をしていません。
 いつ戦闘になるかもわからぬ状況では我の強い子供も聞き分けがよく、まして昨夜は別の対屋に泊まったのですから当然です。というか、斎宮で色事に耽るなどあってはならぬことです。
 だからもうしばらくは、キャスターの顔を見る機会はありません。
(……もしくは、それほどに馴染んで…)
 ふわ、と頬の火照るのを感じました。
 洗い流して終いのはずが、日を置いても己のなかに残るものがあるのだと思うと何やら堪らず、やたらめったらに喚きたくなります。
 男の身で、年齢が逆ならまだしも。当然の羞恥に駆られながら、キャスターの姿が見える時間が長くなっているかもしれない、不能と諦めた神気を扱えるかもしれない、と頭を巡らせるのは落ち着く経文を唱えるようなものでした。
 かなりの早足になっていたようで、アーチャーはいつの間にか宮の中へ戻ってきていました。
「……? っ!? 斎姫様!」
 ざかざかと通り過ぎてしまってから、目の端にアイリスフィールの姿を映して、慌てて礼を取ります。
 両手を突き出した格好の彼女がわざと隠れていたのは明らかでしたが、とはいえ、すれ違う際に端に避けるのならば当然自分のほうです。
「“斎姫様”?」
 頬を膨らませているのは、悪戯が不発に終わったせいだけではないようでした。
「失礼しました。先代様」
「んー?」
「アイリスフィール様……ははうえさま…」
 どんどん顔を近付けてくるのに根負けして望まれた呼称を口にしますと、まあいいでしょうとお許しが出ます。何と呼べば満点なのか少々気になりますが、訊ねれば当然やぶへびです。
「このような外廓の近くまでいらっしゃって、どうなさったのですか」
 住居である奥の宮があり、神殿や馬場などの施設があり、それらを囲むように外廓が、そして外部とを隔てる壁があります。門のすぐ内側までは一般の参拝客や下働きの者も出入りします。
 通常、幾重にも護られた奥の宮から彼女たちが出ることはありません。
 アイリスフィールはしょんぼりと肩を落としました。
「子供たちと遊ぼうと思ったら、誰もいなかったの」
 うきうきとアーチャーに宛がわれた対屋へ出向き、首傾げてイリヤの部屋を覗き、ならばここかとセタンタの対屋へも行ってみたそうです。
「イリヤもいませんでしたか」
「あの子とはいつでも話せるでしょう」
「セタンタ様でしたら今……」
 お呼びしますかと指示を仰ごうとすれば、アイリスフィールは何やら可笑しそうに口元へ手を当てています。
 名を挙げたそのどちらでもない、いつもは話せない人物にアーチャーは思い当たります。
「そう、あなたよ」
 言われてみれば、彼女はそうしてアーチャーの戻りを待ち構えていたのでした。
 彼女の聞きたい話は、自分の何を置いても伝えねばならぬことです。
 どうかしたかなどと問うた己の厚顔に血の気が引きます。姉に望まれたからといって、何故言われるがままに安穏と過ごしてしまったのでしょう。罪人に窺っていい折などありません。
「自ら名乗り出なかったのはご迷惑を考えてのことで、決して逃げようなどとは……!」
 跪くのがわかっていたみたいに、先んじて頬を両手に包まれました。
「いいのよ、私もイリヤもわかっていたの。あなたのことだから、一生懸命伝えようとしてくれたのでしょう」
「……お役目を果たせず、おめおめと……申し訳ありません……」
「あら。こんなに大きくなって帰ってきて、他にどんなお役目があるって言うの」
 子供は元気がいちばんと、畏まった頬をぺちりと叩いて離されます。
「アイリス、……義母上様」
「さ、いらっしゃい」
 ついで腕を抱えられてしまったら、動作すれば彼女を引き摺り倒してしまうアーチャーはもう平伏すことが出来ません。
 並々ならぬ恩義に与っていながら、アーチャーは恩人の訃報すら家族のもとへ届けられませんでした。各地の戦乱に胸を痛め、果てぬ願いに心身を擦り切れさせたひとでした。当時まだ子供であった自分にはどうにも出来ぬことで、今でも何か出来たのではないかと思うばかりです。
「お菓子とお酒とどちらがいいかしら」
「……昼にもならぬうちから何を仰っているんですか」
 青年を促しながらにこり笑って言うので、もちろんお酒は遠慮申し上げると、じゃあお菓子は食べるのね、と、してやられた気がします。
 この母には勝てたためしがない、とはいえ、勝つつもりもないのですが。
「だってほら、御子様はお酒がお好きでしょう。あなたも鍛えておかないと困るかと思って」
「晩酌くらいは付き合えます。……困り、ますか?」
 さすがにもう御神酒の一口で目を回すことはありませんが、神託めいて気に掛かります。
「そういうこともあるかもしれない、というだけよ」
「そういう…」
「例えばあなたが先に眠ってしまって、御子様が小人のように膳を下げたり床の用意をしたり」
「――困ります」
 隙あらば従者の仕事を奪って喜ぶ主人です。逆に奉仕される様を想像するだに胃が痛く、眉を顰めたアーチャーが即答すると、アイリスフィールはころころと笑いました。
 ふとアーチャーは、このひとは“母”なのだと思いました。
 大恋愛の末に子を産み育てた女性です。
 女人のことはもちろん、男のことも知っています。勧められた酒を不用意に飲まぬよう、それとない注意は、年頃の侍女に聞かせているものでしょう。
「あの……」
 なぁに?とアイリスフィールが振り返ります。
 布のゆったりとした着物でも、体の線のまろいのがわかりました。
 直線ばかりで角張った自分とは大違いです。腕を取られた時に押し付けられた胸はやわらかく、袖から覗く手首も、襟に包まれた首も、羽根のように触れねば壊してしまいそうです。
「いえ、こちらでお借りしていく物品の確認は私にいただきたいと思いまして」
「もう。お仕事ばっかりね。御子様もあなたに任せると言っていたけれど」
「ご自覚がおありのようで幸いです。細かいことについてセタンタ様はわりと当てになりませんので」
「私とイリヤも大雑把よ、わりと」
「存じてます」
 アーチャーの口を止めさせたのは、礼節とは異なるものでした。イリヤにきょとんとされたように、ここでもとんだ大恥を掻いていたところです。
(もう、要らぬことだ)
 馬に槍。旅に足りないものを補うのであれば、人もです。供を雇い、兵を増やし、世話係の侍女を連れていくかもしれません。
 身分はない、特別強力でもない。隊にあればただの一弓兵です。この先、己が御子の傍近くに侍る機会はないでしょう。
 そもどうして男である自分が聞いて、伝い教えねばならぬと思い込んでいたのでしょう。キャスターに何を言っているんだと呆れ顔をされるはずです。
 主に相応しい女人を見繕い、伽を頼めばいいのです。
 厳しい斎宮だとて、母娘にあこがれて、御子の情を欲しがっている女官がいないとも限りません。神気に秀でた者なら、そちらの調整にも重宝します。
「旦那様もわりと適当だから、あなたはたいへんだったわね」
 こちらに仕えていた頃のまめまめしさを思い返し、現在の青年を見れば、養父と過ごした数年もそうしていたろうと、アイリスフィールが笑います。
「あのひとの話を聞かせてくれる? 楽しいお話を、たくさん」
「はい。私でよければ、喜んで」
 イリヤがずるいって言うだろうから、あとであの子にもね。内緒話のように背を伸ばして囁かれ、アーチャーも微笑します。
「私もなれそめを話しちゃおうかしら。『第一話、斎姫の暗殺』から」
「それは何話まで……というか、のっけから不穏なのですが」
「ほら、うちって戦勝祈願とか託宣とかするでしょう。私たちが戦を煽動してるって誤解があったみたいで、とある夜に忍び込んできたのよねえ」
 頬を染めた母はまるで初恋に胸躍らせる少女のようで、ひどく眩しいものに見えました。
(お雛様のようだったな)
 アーチャーがいちばんうつくしいと思う少女と、やはりいちばんうつくしいと思っている少年と。ふたりの並んだ姿はお雛飾りのように目を和ましたのに、気の合った様子を思い返せばどうしてか、この胸はしくりと痛むのでした。



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次は温泉回と、出立編の予定です。予定、です…

Comments

  • August 20, 2023
  • ツキ影
    March 6, 2019
  • そー
    March 5, 2019
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