さようなら、私の日常
■戦闘描写をしてみたかっただけのものが、だらだら1年ほどネタを詰め込みながら書いたらよく分からないことになりました。雰囲気で読んでください。
■ラストはどうしてもFGOを書きたいがためにいれました。タグにいろいろ入ってますが、ほぼ前の槍弓作品時空です。赤のライダーはいつになったら実装されるんですかね。
■誤字や脱字は順次修正して参ります。
■次回はようやく(実装待ち及び入手含め)オジマンディアス王が来たので、普通の翁とファラオの話でも書こうかと思ってます。
- 194
- 171
- 3,918
古くして、イギリスの地にはドルイドと呼ばれる者があった。彼らは森を象徴とし、人々を教え導く者とされた。その多くが妖精の存在を示唆するとともに、現代イギリス人達の思想と国家の形成に僅かながらも起因しているのは間違いない。
同時に、森とは古来より生活の場であり、共有すべきものであった。占有を許さず、互いに寄りどころとすべき場所。人の存続として必要不可欠であった。
かのロビンフッドがシャーウッドの森を拠点としたように、法とは隔離された場所。いわく中立の存在が、彼らの考える森である。
このことから、いかに古くよりイギリスで森が重要視されてきたかは語るまでもない。
そして。ケルト、アイルランドの英霊である「彼」も、それは例外ではない。
一縷の月光が差し込む。森は人気を含まず、ただその雄々しさを放っていた。光は剣劇に閃き、彼らの刃を研いでいるように思えた。
響くは鋼の衝突音。
白銀と漆黒に彩られしは、赤銅の両手が握る夫婦剣。刃と同じ白銀の髪が揺れる。
対して、身の丈以上もある朱槍を握りしは、双眼に朱を宿した光の御子――闇に深く溶け入った蒼天の如き髪が舞う。
片や、弓兵の座に据えられし者。片や、槍兵の座に据えられし者。
アーチャーとランサーは冬木市深奥の森にて激突していた。その戦いとは、まるであの夜の再現かと見まごうか。
突けば弾き。切り込めば薙ぎ払い。互いに譲らぬ一撃が撃ち込まれていく。ある種神話の戦いと言っても過言ではない。
「いい加減にしないか」
「何が」
「この戦いを、だ」
「嫌だね」
打ち込みの手は止めず、またその動きとは裏腹に、ひどく落ち着いた声で話しかける。十の、百の刺突を反らしつつ溜息をつくように言う。獣のような敏捷さ、世界にそう多くはいないと評した男は、今尚攻め手を緩めない。爛々と輝く瞳が雄弁に語っていた。
「頑固者が」
そも、アーチャーにはこの戦いが大方で理解できないのである。
理由を語るには暫し時を遡る必要があった。あれはまだ日が沈みかけようかという時、おおよそに3時間前であっただろうか。
今日は平日であって、普段と変わりなく日常は過ぎて行った。強いて言えば、少しだけ湿気が少ない天気であったこと。晴れた空が、遥か遠くに感じたこと。その程度だった。
朝の訪れに目を開けば、柔らかい光が差し込んでいた。寝室にて起床すれば、いつも通りランサーの健やかな寝顔が横にあり、腰に絡みついていたのは彼の白磁の両腕。そっと(とはいえ、馬鹿力を解くのは労力がいる、よもや彼は起きていたのではないのだろうか)解いて、身支度を整えれば朝食を作った。
その後には目をこすりながら起床したランサーを見送った。中々動かない背中に蹴りを淹れたのを覚えている。我ながらキレのある一撃であったように思う。
それから先などは言って語るまでもなく、掃除と買い物に向かっては、少し散歩などをした。
少しばかり疲労しているのだろう。近頃は大規模な戦闘こそないものの、小競り合いがないわけではない。緊張感の無さに自分でも驚きを覚える。
公園のベンチに腰掛ければ、目の前を子供たちが駆けて行った。町は表情を穏やかに、ただ日々を過ごす人を包んでいた。仕事に疲れたサラリーマン。他愛ない会話を繰り返す女子高生。道行く人々が浮かべる表情一つ一つが、かけがえの無いものに思える。ぽつりと呟いた言葉が雑踏に消えていくほどに、自分の存在も溶け込んでいる気がしたのだ。平穏こそが、この状況にふさわしい言葉であった。
だが、あくまで自分たちサーヴァントとは。英霊とは、日常になることは出来ない。日常に擬態した非日常。それが所詮自分たちの在るべき姿であるのだと自覚する。
そうして、それは予想だにもしない、皮肉にも――日常にて現れた。
陽が傾いたのを感じて、帰路につく。公園を背にして歩き出せば、夕日が温かく感じて足早になった。細い小道を通って、自宅前。質素なコンクリートの建物は、小さいながらも変わらずアーチャーを迎える。
同居人の帰りを待ち侘びて、アーチャーは夕食の支度に取り掛かった。こうしているとまるで主婦ではないか。そう自嘲しながらも、別にこれといった不快感を抱くわけではなく、作業を続ける。
結局この何の変哲もない生活が、強ち嫌いでは無いのだと、深く頷いた。
返す者は、いなかった。
そうして、暫くして仕事から帰宅したランサーを出迎えた。こうしてやると、彼が嬉しそうに笑うのを知っている。整った顔をくしゃりとして、子供のように笑顔を見せるのだ。
外階段を蹴る、軽快な音に耳敏く気が付く。金属で出来た階段は、よく足音を響かせる。トントンとリズミカルなそれが、彼のサインであったからだ。洗っていた食器をそのままに、軽く手を拭いて玄関に向かう。エプロンをつけたままであったが、気にすることでもない。
カギが開く音がした。普遍的な石畳の玄関には、ぽつんと一組の靴。それを踏まないように乗り越えて、玄関扉に手を伸ばす。
言葉は何が良いだろう。
「帰りを待っていた、遅いぞ?」いや、それは私らしくない。露骨にアレを待ち侘びていたようではないか。違う。
「たまには外で時間をつぶしてくればいいものを、律儀に―」だめだ、これでは嫌われる。皮肉が過ぎるだろうか。
様々な考えが走馬灯より早く廻ったが、しいては一旦放棄してドアノブに手をかけた。言葉よりも行動。誰かの言葉を信じてみよう。
触れたドアノブは、いつもより冷えている気がした。ドアが開く。
「今日は定時か。夕食はできている―」
「おう。そりゃあよかった」
「―――、は」
ちり、と。空気が微かに肌を刺激した。
間抜けな声が口を突いて出た。
心臓が鼓動を止め、次いで突然動き出したような。血液が身体を巡るのが分かる。
帰宅したランサーを出迎えた途端、己に向けられた朱槍。彼の背後から差し込む夕日に照らされたそれは、怪しい輝きを放っていた。それどころか、逆光になった顔からは、表情を読み取ることが出来なかった。青い武装が、一際色濃く思えて仕方がない。
日常を象徴する小さな石畳の玄関に、幾度となく伝説を形作ってきた槍は、酷く不釣り合いであった。
「……確かなのか」
「いつだってオレは本気だが」
返答しようと口を開いたが、言葉が出て来ない。だが、気を緩めることだけは出来なかった。つまるところ、この男は自分に敵意を向けている。
ランサーが向ける槍はあの時と変わらず、隙あらば喉を掻き切り、心臓を抉るだろう。視線に殺されるとは、正にこのことだ。一歩でも、そして一つでも言葉を誤れば死ぬ。第六感がしかと告げている。間違いであって欲しいと直感的に思ったが、それ故にこれは間違いではないと確信する。
扉のドアノブに手をかけたまま見入っている、基固まっているアーチャーに、ランサーは武器を下さずに屈託なく笑った。奇しくもその笑顔は、アーチャーが求めた物と同一であった。
「ちょっとばかしストレス発散、付き合ってくれや」
湧き出る殺気と全く以て似合わない言葉を聞いて、アーチャー自身自分に驚きを感じつつも。再三のことにはなるが――彼は槍兵に甘い男であったから。
「分かった。兎も角、その恰好は目立つ、中に入れ」
そう、言い放ったのである。後に冷静になれば拍子抜けするような発言だ。最早敵としてランサーを捉えたのではない。友人ないし信愛をもってして彼を捉えた際の最適解であったのだろう。
刹那、静寂が支配し、緊張の後――槍は宙に消え、了承を得た。ランサーは武装を解くと、普段着へと姿を変えていた。白いシャツと黒い細身のパンツが、改めて彼に良く似合っていた。一言ただいまと言われたものだから、反射的に返事をした。それは今更言うことなのだろうか。
余計なことを考えながら、玄関にカギを掛ける。光の屑となって失せた槍をぼんやりと視界に入れながら、アーチャーはランサーを迎え入れた。
つま先で軽く跳ねて、ランサーはアーチャーの背中を叩く。そのまま食卓を一瞥する。
「夕食はあとでいいだろう、そちらの皿を取ってくれ」
「帰ってから食う、腹減った」
そうして何事も無かったかのように、準備していた夕食を片付けると、賃貸の仮住まいで武器を合わせる訳にもいかないので、この月下の木々の元に足を向けたのであった。
徐々に明かりが減っていく家の屋根を渡る。夜は深まり、都会とはいえ幾つかの星の光が目に映る。だが、星など気にかけている場合ではない。突然同居人に殺し合いを持ちかけられ、付き合わされている。全く以て、それとなく理由は察知できたが――悩ましかった。
「で、今日来た嬢ちゃんが中々将来有望そうだったわけだ、ありゃ美人になるわ」
「そうか。それで口説いたのか」
「んな訳ないだろ。オレにはお前がいるし」
「それは残念だ」
その間のランサーと言えば、毛ほども普段より変わらぬ様子であった。今日来た客の話。昨日見た雑誌の話。明日の朝食の話。先ほどの様相が嘘か何かかの如く。今から買い物にでも行くのかと思える程、軽い語り口。
だがそれは、彼に戦意が、殺意がないわけではない。
何故ならば、それが普段通りであるからだ。強弱及び波があるにしても、戦意と殺意がデフォルトの状態。
クー・フーリンという英雄は、それが必要であれば、敵であるならば。肉親であろうと恋人であろうと親友であろうと。互いに星の巡りが悪かったのだと、笑って殺し合いをする――殺し合いができる男であるからだ。つまり、敵であろうと好きな者は好きでよい。裏を返していれば、幾ら好意があろうと敵は敵であるのだから、アーチャーにソレが向けられるのは当然だ。
それを感じつつもこうして付き合っている自分も大概どうかしている自覚はある。
だが、だからこそ槍兵は弓兵を選んだ。愛しているからこそ、されど敵だからこそ、全力で戦うことが出来る。受け止め、理解できる人物である。
今のランサーにとって、ただただ戦に飢えた身を潤す、謂わばアーチャーは純水であった。
それが高々アルバイトの鬱憤を晴らしたいだけだったとしても。
「この辺りでどうだ。人避けのルーンなら直ぐ終わるぜ」
「構わん。君の好きにするがいい」
そうして、両者が木々生い茂る地に着いた時、全く同時に二人は武装を纏った。魔力で編まれた礼装が身体に馴染んでいく。
ランサーが手慣れた様子で文字を刻むと、魔術の気配が感じ取れた。清廉な澄んだ空気が広がるような感覚。木々はざわめき、主の到来を待ちわびていたと声を上げる。
やがて、木の葉の音は止む。
言葉は不要。語らずとも、寧ろ言葉は無粋。アーチャーは、微かな、消え入るような声で呟く。最早、無意識の内に手に現れた一双の剣。鈍く光る刀身が戦いの訪れを告げる。
次いで、陽炎のように現れた槍。今からあれと交えるのか。そう思考した途端に身体に震えが走ったのが分かる。
恐怖ではない。喜びでもない。欲望を掻きたてるような、刹那的な感情。
大概無意識にしろ、実際の所は、アーチャーもこの状況を楽しんでいるのである。
場は沈黙と殺気が支配し、この膠着が破られるのを今かと待ちわびている。
両者は木々の中にあって、少し開けた地にて対している。平坦なその場所は、一際月光が強く差し込んでいる。足を動かせば、砂利が擦れる音が響く。パキンと枯れ枝が折れる。それさえも耳障りなほどに、静寂であった。
一筋、風が流れる。
木々が葉を揺らしたとき、先に動いたのはランサーだった。
間合いから消えた彼を探せば、頭上に影。月を背負い、一直線に自分を目がけてくる。
「ぼさっとしている内に死ぬぞ弓兵!」
「戯言を!」
ごまんと見てきた月が、この時だけは殊更何よりも美しく感じた。
「く……ッ」
重撃に耐え切れず、喉から呻きが漏れる。
全体重を乗せて突き下ろされる朱槍。跳躍した勢いをそのままに、直にアーチャーの夫婦剣に降りかかる。
槍に負けず鮮やかな瞳が煌煌と輝いている。身体の正面で交差した双剣の隙間から直視すると、一瞬だけ力点をずらす。
火花が散る。穂先が上がった槍と、開いた道筋。閃く剣を一つ振り上げ、槍が守らぬ脇腹へと駆ける。体勢を低く、懐に潜り込む。丁度心臓が狙えるかという、近距離にまで詰めた。
常人からすれば転移とも思えよう速度。アーチャーは早々に決着へ持ち込む腹積もりであった。
数合打ち合う。久しく遠ざかっていた感覚が戻ってくる。打ち込む両刃に力が籠る。
槍のレンジの広さは理解していた。その長所が弱点に変わる瞬間は、超至近距離。懐まで入れば、勝算は十二分にある。
「どうした、随分と攻め手が甘い!」
「ふん、言っとけ。口動かす暇があるなら」
「!」
「手ェ動かせってんだよ!」
切り込んだ切っ先を、柄で受けた朱槍によって押し返される。重心が偏り、足元を取られる。冷たい土はお世辞にも足元がよいと言えなかった。
後方へ地を蹴り、体勢を立て直す。途中で地面についた掌がじんわりと熱い。
ランサーの視線とぶつかり、文句が口をついて出そうになる。朱槍は的確に急所を突かんと繰り出され、幾度も黒刃がそれを弾く。
夜風が流れ、両者の間を秋葉が駆けた。アーチャーにとり、これは僥倖であった。深紅の瞳が葉を追ったのである。
先刻の鏡像の如く、アーチャーは競合う槍を力付くで押し込む。槍が刃から離れた。
「私から目を逸らすな」
非常に語弊があるように思えるが――アーチャーはそう言い放つと、間を置かずに追撃する。ランサーが呆けた顔をしていたのは、恐らく気のせいだ。
(獲ったか……!)
紅い腰外套が揺れ、視線を上に、敵の出方を伺う前に刀を振る。狙うは腹から心臓。よもや手加減など、思考の内に無かった。
刹那的な感情が思考を停止させる。
だが、そう甘くはないものだと、瞬時に理解させられる。
アーチャーが急激に距離を詰めたと同時に、軽く後方にステップを踏んだかと思うと、ランサーは開いた間合いに獲物を滑り込ませた。
「馬鹿が」
余裕がちに口角を上げる男。舌打ちをして、眉を顰める男。互いに顔は見えずとも、互いがどのような表情をしているかなど分かり切っていた。
そのままランサーは攻勢に転じる。穂先を受けて後退するアーチャーは、顔を顰めた。重撃が確実に体力を奪う。まるで腕に電撃が走るかのようだ。
隙がない。高鳴る鼓動が焦りを伝える。進まない己の足が煩わしくて仕方がない。
「そらッ!」
「な…ッ」
後退する右足が何かに当たる。大木が背後を遮っていた。既にこれ以上下がることは許されず、この守勢の中、前へ出ることさえままならなかった。
一際大きく突き出された槍を、間一髪で避ける。ちり、と髪が流れて行った。そうして、代わりに直撃を受けた背後の大木は、音を立てて倒れた。裂かれた幹が威力を物語る。
アーチャーは、ちらりと目線を向ける。ひやりと汗が落ちた。後半歩出ていれば危ういところであっただろう。身体とは裏腹に、思考は冷静に状況を判断する。客観的に戦況を分析する。
全く、嫌なものであった。明らかな戦力差を、彼の英雄としての強さを、嫌が応にも理解させられる。加えて、それに憤りや悔しさを感じるよりも、当然だと受け入れる自分自身に、反吐が出た。
「嫌になるな」
「何が」
「いいや、こちらの話だよ、ランサー」
再び、高い金属音。双剣による払いは、魔槍によって遮られる。
その衝撃に唇を噛んだ。反動が骨を、脳を震わせる。だが、休んでいる暇など無い。既にランサーの姿は無い。視界から失せた青を追えば、目の端にちらつく赤。
防御態勢。次に来るのは間違いなく、自分の命を奪う攻撃。避けられない重撃。
最早アーチャーに取り、見えてからの行動ではなかった。見えてからでは、疾うに遅い。無意識的に思考が巡る。
恐らくは不可能、防ぐ前に直槍が頭蓋を砕く――!
「ふ……ッ」
「ほう。勢いを殺したか」
額が割れ、どろりと生温い血が頬を伝う。滴る血液が地面に染み込んでいく。拭うことなく剣を構え続ける。ランサーとの間には数メートルの距離がある。
息が上がり、死を目前に捉えていた心臓は、耳鳴りがするほどに煩い。息も絶え絶えにして口を開いた。
「全く、君という、やつは」
ほんの僅か、地を蹴っていた。槍の石突が頭蓋を粉砕する前。些少な、限りなくゼロ近い機会を得た。毫末ほどしかなかろうと、存在するならば「可能性を実行可能」にする。それが、アーチャーの持つ心眼である。
とはいえ、視界は霞み揺らいでいた。倒れかけた身体を支える。油断はできない。相対している、ましてやランサーを前にしては、武器から手を放すなど愚の骨頂。殺してくれと懇願するも同じ。鈍色の視線だけは、外せなかった。
「てめえな」
肩で息をするアーチャーに対して、ランサーは飄々とした態度で愛槍を薙いだ。血が飛沫となって地面を汚した。
「阿呆か。頭の傷は小さかろうが血を失う。視界も奪うだろ」
「生憎と、これでも避けた方だ」
「ま、頭カチ割る予定だったからな」
さして興味もなさげに吐き捨てたランサーに、皮肉がちに言った。だが、彼の応えには返す言葉が見当たらなかった。見え透いた虚勢だけが対抗手段だった。
当然だろうが、改めて言われると馬鹿に思えてくる。寧ろ、怒りさえ感じてもよいのではないか。
第一このようなことで大英雄の本気に付き合わされる身にもなって欲しい。思案している間にも血は流れ、魔力も消費し続けている。
空は満天の星々。その光をかき消す町の喧騒は存在せず、月のみが輝いていた。
星空の下、普遍的な恋人と言えば、さして詳しくもない星座や惑星について仲睦まじく語るだろう。それがいわば日常。
だが自分たちはどうだ。日常の風景に入り込んだ非日常。ほぼ気まぐれに付き合って殺し合いをしている。
「困ったものだ、我々も」
その事実に改めて一息つき、アーチャーは息を整える。漸く耳には周囲の音が聞こえてきた。風に揺れる草木の音。夜音は細やかに、だが確実に語りかける。
ランサーは動かない。槍を肩に担ぎ、手持ち無沙汰の左手は腰に当てられている。次の一手を求められている。まだこの戦いを止めるつもりはないらしい。
ならば、戦士として答えるほかなかった。
ほんの僅か、朱槍を持つ手に――敢えてであっただろう緩みが生じたとき――アーチャーはランサーの視界から姿を眩ませる。
即座にランサーは臨戦態勢に転じた。背後から切り込まれると分かっての行動。
実際は消失したのではない。紅い外套が舞う。首筋を狙って振りかぶった右腕を、転じて向き返った槍にて防がれる。振動が手を痺れさせる。その反応速度に改めて驚嘆するとともに、思い知らされた。
「出し惜しみしてんじゃねえ」
「こうも破壊されては堪らないんでね!」
「嘘吐きが」
ギチリ、と耳障りな音が鳴り、槍と打ち合わせた刃が大破する。自然と舌打ちをした。
間髪入れずに撃ち込まれた攻撃に残る一方で応じる。流星の如き槍捌きは美しいだけでなく、たとえば激流のような力強さを秘めていた。
受け手に回ったままの自分を恥じながらも、アーチャーは剣に走る重撃を捌き切っていた。的確に弱点を貫かんとする一撃一撃が、それ正しく必殺とも相応しく、それを必殺足らしめずにいるのは偏に彼の技量であるが――先に耐え切れなくなったのは剣だった。
一瞬、朱槍の間合いを損なう。槍兵が、その隙を見逃す筈もない。そのまま穂先を上げて双剣を弾き、高い金属音と共に漆黒の剣が宙に散る。砕けた剣を惜しむ間もなく、猶予を与えず無防備な右半身に回し蹴りが入った。
「……ッッ」
息が喉から漏れ、鉄の味が広がる。幾つか臓器が潰れたらしく、骨の軋む音が伝わる。数歩勢いのまま後ずさり、口元に血が流れる。ランサーは体勢を低く槍を構えたまま、涼しい顔である。
「休んでる暇なんざねえって」
「無論だ」
一言言葉を交わし、再び双剣を握りしめる。武器が破壊されることは最早想定済みであった。崩れかけた体勢を立て直す。
だがその間、時間にして5秒。ランサーにとり、その動きは酷く緩慢であったに違いない。
ランサーは両手で持っていた獲物を右手のみに掴むと、地面を蹴って低い体勢から前に薙ぐ。地に這うように出された槍は、足を確実に潰しに掛かる。
「意地が悪い、な、君は!」
「ハッ、その意地が悪い男がてめえの男だ」
「違いない!」
軽く空に足を上げ、間一髪のところで避けた。そのまま振り上げられた穂先は、再び両手に持ち替えられ、アーチャーの喉を狙う。
首を後ろに振り、上半身を仰け反る。鼻先を刃が掠っていった。冷たいようであって、熱い感覚。
ランサーは眉間に皺を寄せると、舌打ちした。殺すつもりの一撃だったのだろう。
隙が出来た。切り込むよりも、身体の方が速い。アーチャーは中姿勢のランサーに蹴り込む。左足を軸足に、右足を前に蹴りだした。腰を回してひねりを加え、力を込める。
「ぐ……ッ」
咄嗟に槍で防御されたものの、ランサーは低い声を上げて後方へと吹き飛んだ。砂埃が舞い、辺りの視界を悪化させる。
ランサーは空中で立て直して勢いを殺しつつ、地面へと着地する。地に跡が残る。恐らくは肋骨の幾本かが破損したのであろう、一瞬立ち上がる身体が揺れた。
身を愛槍にて支えると、血を吐き捨てた。衝撃を受けた腹を摩りつつ、首の骨を鳴らす。
朱槍が輝いていた。なんと素晴らしく美しい槍なのだろうかと、他人事のように考えた。怖いほどに煌めいていた。今からソレが自分の命を奪おうというところで、深く感じ入っている。
けれども、それよりも、彼の姿に身が震えた。手負いの獣とは、きっとこうなのだろう。血化粧が鮮やかに、彼を彩っている。口元の血を粗雑に拭い、こちらの視線に一笑する。その仕草が何故か鮮烈に焼き付いた。気付けば、生唾を飲んでいる。ひとつ息を漏らせば、ふと口にしていた。いわば本能からの言葉だったのかもしれない。
「君は赤が似合うのだな」
「……なんだ、藪から棒に」
「いや、ただそう思っただけさ」
アーチャーがぽつりと呟くと、ランサーは首を傾げて返答した。秀麗な青に、その瞳。その槍。血の赤さえも彼を彩っているような感覚に陥る。戦闘中であることが分かっていながらも目が離せない。視線が縛り付けられたようだった。
ランサーは眉間に皺を寄せ、思案した。顎に手を当て、片手は槍を弄ぶ。くるくると回転する。そうして少し間を開けて、何かが閃いたとアーチャーを指差した。悪戯じみた笑顔が印象的だった。
アーチャーは彼のその表情がろくでもないことを知っている。この顔は、まともなことを考えていない時のものだ。目を細める。
槍をひと振りして携えると、一歩また一歩とに肉迫する。そうして、自慢げに呟いた。
「そりゃよかった」
「何故」
「お前といるオレは、傍から見りゃ最高の男になるだろうさ」
「戯言か」
「そうでもない。現に今、お前はオレを彩る赤に違いない」
「……巧いことを言ったつもりだろうが」
「別に。本心だ。ま、てめえには青ってより――やっぱ赤以外にないな」
そう言うや否や、ランサーは攻撃に転じる。その動きは、青い閃光。アーチャーは双剣にて邀撃する。リーチの差を感じさせない、流麗な動作。赤い外套が、不知火を思わせる。
剣戟は、宵闇に響き渡り続けた。
夜は未だ明けそうにない。
刺突と斬撃は、確実に両者に傷を作りつつあった。肌が、武装が裂かれ、血が流れている。
最早両者、五体は深手を負っていた。骨は折れ、失血し、内臓の幾つかは使い物にならなくなっている。地を蹴る足は力が入らない。並みの人間ならば、既に斃れ伏している。だが、生憎、彼らは「並み」の「人間」ではなかった。
アーチャーは17本目の剣と片目を失い、ランサーは槍を握る片手の腱を失った。
顔には苦痛の色が浮かび、何故未だ戦いを続けるのかと、疑問さえ浮かぶ状態である。
限界が近づいてきていることは分っている。決着が近いことも分かっている。だからこそ、剣を、槍を握り続ける。
打ち合いが200を超えたかという頃――どちらも10を超えてから数えてなどいないが――戦いは一つの展開を迎える。
「そろそろ疲れてきたんじゃねえのか」
「貴様こそ。動きが鈍った」
「それはてめえの目のせいだ」
ランサーは残る片手で槍を繰り出す。幾度となく手元を持ち替え、距離感を調節する。一本の槍のみで、短槍と長槍を扱っているような錯覚。もしここに輝く貌を知る者があれば、その姿は彼を思わせただろう。
長短が即座に変化し、瞬時に切り替わる変則的な間合いは、判断力を鈍らせる。付け焼刃とはまるで思えない、立派な戦術であった。槍はアーチャーの頬を掠め、紅い線を作った。気に留めることもなく、攻撃を躱す。
片手が空であるアーチャーは、ひとつ短く息を吐き、左ストレートを繰り出す。やはりアーチャーの体術など滅多なものではない。多少驚いたような顔をしたものの、ランサーは右肘でそれを防御する。瞬きの間も惜しかった。そのまま右手の槍を薙ぐ。だが、アーチャーも受け手に回ってばかりではいない。
「投影開始」
18本目の剣を投影する。
急所ばかり狙う嫌な相手であった。腹に撃ち込まれかけた薙ぎを防ぐ。投影したての刃に亀裂が走る。だが、気にかけている余裕はない。
引いた槍に両刃を打ち込めば、全く同時に砕け散った。光が空に溶けていく。
第二波が来る。その直感を察知すると、アーチャーは即座に後方へと距離を取った。間合いは3間。ランサーにはこの程度、何の意味も成さないことは知っていた。瞬時に間合いを詰めてくるだろう。着地してからの投影では遅い。
アーチャーは徒手にて空に在る。このような絶好の機会をランサーが逃す訳もない。
だが、狙いは「それ」だ。この状況自体、アーチャーが仕掛けた罠。正味、ランサーが乗るか乗らないかは五分の懸けだった。だが、満身創痍の彼には、既に手立てはこれ以外になかった。敗北など、在り得なかった。
アーチャーは再び目まぐるしく流れる視界の中、言葉を口にする。それは投影の合図。
だが、手元に現れたのは夫婦剣ではない。空で後方へ一回転した後、握られていたのは漆黒の西洋弓。もう片手には「偽・螺旋剣」。
「てめ……ッ」
追撃するランサーがそう言うと、アーチャーはひどく嬉しそうに口角を上げた。この時既に、ランサーは踵を返そうと試みる。彼はアーチャーの行動を理解していた。そして、何を意図するかも。だが、逃れられない。彼の反応速度を以てしても、回避は不可能。鋼の瞳と、深紅の瞳に互いが映る。
空中にて時を待ったアーチャーと、間を詰めたランサー。両者は0メートルにて対峙。
ランサーが勢いを殺すより早く、弦に剣を番えた。
その剣は、おおよそ、剣とは言えなかった。捻じれた刀身と、それを支える柄のみが、それを剣たらしめていた。かのフェルグスが持ちし大剣こそが、この剣の名であった。
何千、何万と行ってきた動作を違える筈もない。弦が音をたて、引いた手をそのままに、狙いを定めた。狙うは光の御子が心臓。恋のキューピットにしては、些か派手に過ぎる矢であった。
指先が弦を離れる。もはや、この距離だ。矢である必要もなかったのだろうが、弓兵としての面子とでもいうのだろうか。矢は、剣は、弦を離れる。同時に、胸の中心が空洞になったかのような、虚しさがあった。だが、それが何かと思案するよりも、アーチャーは殊更満足げに呟いた。彼に聞こえていようがいまいが、知ったことではない。悔しそうな彼の顔が、ただただ面白くて仕方なかった。
敢えて言えば――最期に向けられた表情、それが笑顔でなかったのが、少しばかり残念だった。
「流石に0距離ならば痛いだろう。私と共に爆ぜるがいい、光の御子よ」
「■■■、――■■■」
真名を口にした。
全て、それは夜を掻き消す。
忽焉と、空を焼き尽くすような閃光と爆音。
壊れた幻想。
幻想は弾け、周囲を包む。
射程が存在しない一射。射る、と言えるかさえ分からない一撃だった。強固なルーンの結界を震わせ、森を揺らす。遠く木々が大きく揺れ、大地は悲鳴を上げた。
土塊と砂埃が散り、爆心地は焼け野原に近かった。轟轟と響く音に、生物という生物が意識を爆心地へと向けた。
やがて煙が晴れ、そこに在ったのは二人の男。地に立つ者はおらず、倒れ伏す影のみであった。地面に覆いかぶさるようにして仰向けに倒れたアーチャー。そして、それを庇うようにして重なったランサー。彼ら以外に、爆心地に影はなかった。
「う……」
アーチャーが相打つ覚悟で放った矢は、彼らの遥か上空にて爆ぜていた。瞼を上げれば、鋼の瞳は満天の空を映した。
私は何をしているんだ。
これが真っ先に浮かんだ感想だった。
生きている。ああ、空が見えるから、寝ているのか。
覚醒しない思考でぼんやりと思案する。
荒い息遣いが耳に入る。暫くして、それがどうやら己のものではないことに気が付く。自分の肩口に埋めるようにして、ランサーの顔があった。少しの猶予を以て、一つの答えに行き付く。
どうやら自分は、ランサーに庇われたらしい。
ランサーの体躯はしっかりとアーチャーを守っていた。認めたくはないが、状況から判断して明らかであった。
大きく上下する肩が苦しそうだった。槍兵のまだ動く右手が、紅い外套の腰に回され、離すまいと抱えている。
心臓の奥が酷く重く感じた。
ランサーは言葉を発しない。動いているからには死んでいないのだろうが、アーチャーには掛ける言葉がなかった。声を出すことさえ、重労働のように思えた。
「ん」
鉛のような身体を揺らして訴えかける。そうすれば、肩口に埋まっていたランサーの顔が上がった。表情には苦痛の色が窺え、整った顔は血と砂で汚れていた。
アーチャーと視線がぶつかり、暫くそのまま見つめ合う。鋼の瞳に映る赤い瞳の輝きは、失われていない。それに安堵を覚えた。
一つ深い溜息をついて力を抜いた後、ランサーは声を絞り出した。
「何やってんだよお前……死ぬ気か」
「そうだ、こうでもしないと君には勝てない」
差し違えるつもりとでも言おうか、と間を開けて、ようやっと付け足す。決まりが悪くランサーから目線を逸らし、遠くを見つめる。この重い気分が、のしかかった体重の重みだと思いたかった。
正直やり過ぎたのは自覚している。今考えれば元も子もないことをしたものだ。不本意に売られた戦闘に命を捨てようとしていたのだ。
だけれども、不思議と、アーチャー自身判断に後悔はしていなかった。
黙りこくるアーチャーをしり目に、ランサーは穴が開こうかというほど、彼を睨み付けている。
「馬鹿」
そう言い捨て、ランサーはアーチャーの額に拳を振り下ろした。鈍い音を立てて、額に痛みが走る。
何も殴る事はないだろうに――そう反論する前に、ランサーが続ける。呆れたような、それでいて何か歓喜しているようでもあった。流麗な指先が、白銀の髪をすり抜けていく。手つきは優しく、繊細なガラス細工を扱うようであった。
今の今まで殺そうとしていた相手に向ける者ではなかった。
アーチャーは未だ視線を合わせず、口を開こうともしていなかった。
「死のうとすんなよ。オレに殺されるなら、まだしも」
「……理屈が分からん。髪を崩すな」
ガシガシとアーチャーの髪形を崩しながら、疲れた笑顔で語りかける。
アーチャーはできる限り不機嫌そうに返答したが、一笑された。余程覇気がなかったのだろう。やめさせようと上げた左手も、ろくに働かなかった。
「君は、どうやって私の矢を」
諦めて、ぽつりと口にする。
ランサーが宝具、その呪われた朱槍を解放していれば、今生きているのはランサーだけか――或いは誰もいなかっただろう。
だが、現に両者は生きている。
ルーン魔術はその性質から、応用として多岐にわたる性能を発揮する。それが宝具を防いだとしても、アーチャーとしては何ら不思議ではない。だが、魔術の痕跡は、結界を含め感じられない。
「なんだ、そんなことか」
ランサーは、けろりと言ってのけると、漸く上半身を起こしてアーチャーの真横に座り込む。傷口から零れ落ちた血液が、黒い概念武装に染み込んでいった。
片膝を立て、冷たい地面に腰を下ろす。
背を向けられた状態で、アーチャーから彼の表情は窺えない。それを確認してから、蒼い武装の背中を見据える。夜風が髪を撫でる。
「一瞬手離すの、躊躇っただろう」
「それ、は」
主語がない言葉を瞬時に理解するほど、自覚があった。アーチャーは閉口し、それ以上の言葉を紡げなかった。
いざ矢を放とうとしたとき、一瞬手が止まった。この手を離せば、文字通り全てが終わるのだと――想像した。指先が震えたのを、覚えていた。
この思考猶予が、ほんの僅かな時間を作り上げた。時間にして1秒にも満たない。
アーチャーは唇を噛んだ。これが聖杯戦争であれば、致命的だ。誰が相手であろうと弓を射ねば、それが我が身に課された役割。当然のことだと、心中で言葉を反芻する。
けれどそれと同時に、これはランサーがいかに己の中で大きな存在であるのかを示していた。
アーチャーの言葉が続かないことに気付き、ランサーは話を続けた。
「矢避けじゃねえぞ」
「あれは爆発物には意味を成さない」
「ああ、そうだ」
「なら」
「お前がいる前に、コイツで弾いた。万全なら、もっとマシだったんだろうが。この腕じゃあな」
ランサーは傍らの愛槍を撫でながら静かに言った。
その言に、アーチャーは目を見開いた。今、この男は何と言ったか。この満身創痍の身体で、軌道を一撃で逸らした、と。片腕の腱は切れ、槍を握ることさえままならない。臓腑は潰れ、骨は折れている。
下手をすれば、どちらにせよ命はなかっただろう。このような賭けにでるより、ランサーだけでも逃げに出る方が、余程理屈にかなっている。そも、これは殺し合いではなかったのだろうか。
「君は……、無茶をするな」
「お前に言われたかねえよ」
軽く振り返り、ランサーは再びアーチャーを小突いた。頭が揺れる。鈍色の瞳を細めると、槍兵の無防備な背中をはたく。思っていたよりも力が入らなかった。
「怪我人だぞ、労われ」
「オレもだ、てめえのせいで」
「元はと言えば貴様のせいだ」
「痛い痛い痛い」
動かないランサーの左腕を小突く。仕返しとばかりに、アーチャーは笑った。
痴話喧嘩のような会話が続く。なんら、普遍的な恋人と変わらない。強いて言えば、少し血生臭い。
暫く言い合うと、どちらともなく口を閉じた。どっと疲労が身体に圧し掛かってきた。
夜闇に流れる風が身体に心地よく、覆う血の匂いが鼻について煩わしい。片目で見る世界は狭く小さかったが、嫌な気はしなかった。寧ろ満足感とも取れる――そんな感情が、胸中にあった。
Say'in take her in your arms ――
やや掠れた低めの歌声。ランサーの好んでいる曲だった。
ふとした瞬間に、そして気分が良いときに口ずさむその歌は、彼の故郷のものらしい。現代でも中々良い歌があるものだ、とやたら感心していたことを思い出す。
耳に馴染んで、ただ黙って聞いていた。鼻歌のような、ゆったりとした歌声。
暫し聞き入っていると、歌は止み、ランサーは一息ついた。重い腰を挙げると、大きく伸びて、傍の朱槍を引き抜く。土を振り払い、槍は光の粒となって空に溶けて消えた。
「痛えな」
首の骨を鳴らしながら、ランサーは言葉を漏らす。少し周囲を歩き、骨の鳴る音と共に、しとどに傷口から血が流れている。動かなければよいものを、怪我人とは思えない振る舞いであった。
アーチャーは地面に寝たまま、その背を見つめていた。不満が込められたような、じっとりとした視線に気が付くと、ランサーは向き直って話掛けた。
「いつまで寝てんだ、帰って飯にしようぜ」
催促されたものの、アーチャーは一つ寝返りを打ってランサーに背を向ける。先ほどとは真逆に、ランサーからアーチャーの表情は窺えない。だが、明らかに面倒な雰囲気を察知し、槍兵は大きく肩を落とす。こうなったアレは相当に頑なである。変な所で意地を張る点が彼の長所であり、短所であり、魅力であった。
ランサーはそのままザクザクとアーチャーの元へ向かう。先刻までそうしていたように、彼の横に立つと、上から顔を覗き込んだ。伏せられた顔を見る。
そうしてさえも黙りこくるアーチャーに折れ、ランサーはもう一言投げかけた。
「おーい、聞いてっかー」
「聞いている」
「帰ろうぜ」
足元にしゃがみ込んで、催促のために肩を揺らす。だが、動く気配はない。完全に拗ねている。完全に機嫌を損ねた。
「アーチャー」
これ以上掛ける言葉も見当たらず、やはり面倒な気がしてきた頃。アーチャーは重い口を開いて、呟いた。未だかつてなく、在り得ないことだが――我儘そうに、言った。
「貴様のせいで動けそうにない。カレーをよそえる気がしない。おたまさえ持てん」
「嘘だろォ」
ええ、と渋い顔をして、ランサーは言う。内心、これまでになくアーチャーが自分に対して――あのアーチャーがだ――我儘をたれることが大変喜ばしくはあった。不謹慎かもしれないが、殺し合った甲斐があったとも思えた。
とはいえ、満身創痍なのは事実な訳であって、ランサーの片腕は微動だにしない。
同様にして臍を曲げて動きもしないアーチャーを視界に収めながら、武装を解く。黒いパンツから煙草を取り出した。
七つ並んだ星が、今日の空のようだった。
ルーン魔術で火を灯せば、紫煙が灰に染み込んでいく。酷い痛みが走った。
「オレ、腱切れてるんですけど」
「もう片手があるだろう、ふざけるな働け」
間髪入れずに言われた。
こうもなれば、梃でも動かない。
強固な意志は美徳だが、極々平たく言えば、非常に面倒くさい。
もう一つ息を吐くと、ランサーはアーチャーを覗き込んだ。
「はいはいすいませんでしたーオレが悪かったですよー!オレがやるから一緒に帰ってくれませんかねー!」
これでもかと諦めの色を含んで言い放なった。
アーチャーさん頼みますよ、と続ければ、弓兵はようやく重たい体を起こした。
「いいだろう」
そう言うと、アーチャーはあっけなく、さして痛がる様子もなく立ち上がった。礼装に付いた土ぼこりを叩いていく。土煙が風に乗っていった。
ランサーはアーチャーの意図するところを察すると、苦虫を噛み潰したような顔で男を見た。
演技とは、怖いものだ。短くなった煙草の火を消す。
「てめえ本当にタチが悪いな」
「君もだろう。言質は獲った」
「最低だよ」
普段と変わらず、嘲笑を浮かべ、アーチャーは軽口を叩く。だが、身体はそうも行かなかった。君も大概だぞ、そう返答した時、世界が揺れた。正しくは、世界そのものではなく、彼自身。くらりと眩暈がして、倒れかける。
「おい!」
ギリギリでランサーが赤銅の手を引いた。片膝を付き、視界が正常に戻るまで暫しの時間を要した。魔力が枯渇していることは明白であった。
「お前本当に、」
「五月蠅い」
言わせまいと遮るように否定を投げた。絶対に認めるわけにはいかない。精神は強固でも、成程体は素直である。地に立つ足元に力が入らない。
実際内臓は潰れていたし、機能の幾つかはイカれて使い物にならない。片目は見えなければ、一人で立つことも殆どままならない。
けれど見栄を張るのは、勿論ランサーが一人軽々と振る舞うからであって、頑固な男はそれが許せなかった。
命を助けられ、加えて自分だけ満身創痍など、そも、戦士として恥であった。反吐がでるほどに自分が嫌になった。
だが、この嫌悪がなければ戦士でもない、ただの畜生に成り下がることは分っていた。
「しっかりしやがれ」
「……すまないな」
ランサーは獲った手を引いて、アーチャーの身体を支えた。肺に骨が引っ掛かるのか、息をするたびに鉄の味が口内に広がった。
何も言わずにランサーは見ていたが、ただその手はアーチャーを離さずにいた。高い体温が、繋がった掌から流れてくる。白い肌を汚すことが申し訳ない、なんて他愛ないことを考えた。
気が引けて、手を離そうとする。だが、力強く握られた手は解けそうにない。筋力ステータスが恨めしかった。
「手を放してくれないか」
「ん、ああ」
そう返答しつつも、ランサーは一向に手を緩めない。段々とそれに腹が立ってきて、アーチャーは黙ったまま手を引きはがそうと試行錯誤する。大きく手を振り、引いてもみたが、かっちりと結ばれた手は離れることがなかった。
息を切らし、大きく肩で息をする。寧ろ体力を消耗したのはアーチャーだった。肺が悲鳴を上げている。
「なんの、つもりだ、貴様」
「保険。お前、手離したら逃げそう」
「ふざッけるッなッ」
「あーあー黙っとけって」
そう言うと、ランサーは器用に繋いだ手で煙草を取り出すと、一本を銜えた。もう片方のポケットのライターを取り出せないことに気が付くと、申し訳なさそうにアーチャーに催促した。
ポケットの硬いライターの感触。アーチャーは銀色のそれを渋々取り出すと、炎を寄せた。
ちかりと灯がともり、夜を仄かに照らす。
ランサーのポケットへと、ライターをぞんざいに戻すと同時に、アーチャーは武装を解く。黒が闇に滲んで、溶けるようだった。崩された髪を、残った片手で上へと上げる。そのまま空を仰げば、紫煙が立ち上るのが分かった。
「いいだろ、たまには。誰も見てねえ。森ってのは、そういう場所だ」
不可侵の領域。ランサーは深く煙草の煙を吸い込むと、ゆっくりと吐き出した。細い白煙が月下の宵闇に馴染んでいく。
燻らせる炎が揺れて、輝いている。
森のざわめきは、音を潜めた。
「……そうか。ならば、いいのかもしれん」
掻き消えるような声で、アーチャーはそれに応えた。
冬木市最奥の森にて、星々は疎らに、白みだした空の端が朝の訪れを意味していた。
歩き出す影二つ。
その姿は、共にある恋人以外に他ならなかった。
***
「って、こともあったよなあ?あった?」
「記憶にない」
「忘れてんだろ、それ」
「記憶にない。若しくは、思い出したくない」
「へえ、そうかよ」
語尾を伸ばして言うランサーに、アーチャーはきっぱりと言い放った。嘆息交じりの言葉には、興味が窺えなかった。
人理保障機関カルデア。夜半過ぎ、人々は夜の静けさを享受する時間。
彼らの身は、その自室にあった。白を基調とした内装は、清潔感を漂わせ、組織そのものの清廉さを表しているようである。
パイプベットに身を預け、両腕を枕にしてランサーは天井を見上げる。その横に腰かけたアーチャーは本のページを捲っている。本のタイトルは『分別と多感』。褐色の指先が紙を撫でる。どうしたのだ、とランサーが問えばキャスターに借りたのだ、と間を置いて返答があった。
「キャスター?」
カルデアには数多の英霊が闊歩している。クラス名での判別は困難であった。例えば。ライダーと言えば、オタク趣味をこじらせ髭を蓄えた海賊から、女装したポンコツ英霊、更にはその身を太陽として憚らない第二の黄金の王までが呼び声に応じるだろう。そのため、多くの英霊は真名を明かしたうえで呼称している。
そして、全く不思議なことだが、この多種多様な英霊がいる中、アーチャーとランサーは互いをクラス名で呼んでいるし、共にいることも多かった。思えば、他に過ごせる相手などごまんといるはずでは、ある。
「君の側面の」
「オレかよ」
「趣味が似ているんだろうな、彼の勧めるものは興味深い」
「随分と高尚な頭してやがる」
アーチャーは読み終えた本を閉じると、ベット横のサイドテーブルに戻した。組んだ手を天井へ向けると、大きく伸びをした。
アーチャーとランサー。気に食わない相手である、はずなのだが。
相も変わらず運命に引きずられ、見たくもない顔を――しかも味方としてだ――合わせた両者。正直ランサーは赤い外套を見た瞬間に唇を噛み、アーチャーは揺れる青い髪を見た瞬間に眉間の皺を濃くした。加えて言えば、その青髪が若干四名ほど存在している点も非常に気に食わないはずであった。
だが、一度共同生活を通せば、何故か気の許せる関係になっていた。アーチャーはランサーの好む珈琲の味を知っていたし、ランサーはアーチャーの好む紅茶の種類を知っていた。互いが気分を害さない距離感も熟知していれば、それこそ些細な癖さえも知っていた。
気付いた、のではない。知っていた、のだ。
これが意味する所を持ちだす程、互いに無粋ではなかった。時々、ふとした瞬間に記憶が蘇る。だけれども、逐一それを話題に挙げれば、妙に落ち着かない気分になる訳で。
だから時折こうして記憶を、記録を辿る。人理を救う、なんて話からしてみれば、それこそちっぽけな日常。非日常が日常だったあの時。それが無性に恋しくて、仕方がない。
「なあ」
「なんだ」
箒に手を掛けていたアーチャーに、ランサーは言った。
「ストレス発散、つきあってくれや」
「嫌だ」
「……なんでだよ、いいだろ」
「何度も同じ手に掛かると思うか?」
「今回は、初めてだ」
「前回も今回もない。貴様の気まぐれに付き合う相手は、他にいるだろう」
反転した君とかな、と零したアーチャーに、ランサーは苦い声を発した。燃費の悪いアレを付き合わせれば、マスターの負担になること待ったなし。カルデア停電まっしぐら。それ以前に、誘う気にもなれない。
「お前がいいんだ」
「嫌だ。考えてもみろ。今の君と私は、一介のサーヴァント同士。まあ、付け加えれば仲間。敵でもないし、ましてや――」
「付き合ってねえ、恋人じゃねえって?なら今から付き合おうぜ、はい今から」
ベットに寝そべったままランサーは手を叩いた。適当に打たれた手拍子。その様子にアーチャーは顔を顰めると、手に持った箒でランサーの腹に一撃を加えた。クリーンヒット。箒の柄が悲鳴を上げた。
「ウッ」
「貴様は頭がおかしいのか。恋人なら殺し合う、の意味が分からん」
激痛にのたうち回るランサーを横目に、アーチャーは床を掃き始める。唸るランサーの声と、規則正しい掠れた音が室内に残る。
声を漏らしながらなんとかベットに座り込むと、ランサーは口元の涎を拭った。
「だってよ、いつもそうだろう。毎回毎回。殺し合って、セックスして、飯食って。それが、俺らの日常じゃあねえのか。お前だって思ってるだろ、物足りねえって」
「……余程、現状の方が日常だよ」
「それは誰にとってだよ。オレか?お前か?違うだろ。万人の認識が、誰にも彼にも正しいわけねえぞ」
先程とは打って変わって、真剣な眼差しで、ランサーは口を開いていた。白いシーツの上に胡坐で鎮座し、頬杖をついてアーチャーを見据える。
告白はそれはもう適当であったのに。彼はそういう男であると、やはり理解していた。
無視を決め込もうとしたが、それを決め込めない自分がいることに、アーチャー自身分かっていた。
脳裏に走る記憶の数々が裏打ちしていた。どれもこれも、普遍的な日常とは逸れていた。
そして、その理由なんて明白で、相も変わらず、目の前の男に――自分に溜息が漏れた。
箒を支えに立ち、アーチャーはもう片手で頭を抱えた。
「また、こうなるのか。分かった、もういい。好きにしろ」
「当然だ。これがオレとお前の日常だからなあ。おら、こうなったら洗いざらい吐いておけ」
「何をだ」
「そりゃ、テメエも溜ってんだろ、ストレス。付き合ってやるから言えよ」
さらりとランサーは笑った。こうなることが前提であるかの如く、さも平然と言う。爛々と輝く瞳に答える。サイドテーブルに箒を立て掛け、吹っ切れたように挑戦的な笑みを浮かべた。
「そうだな、……私は我儘だぞ?」
晴れて「今回も」恋人になったわけで、アーチャーは「今回も」非日常を捨て去ることになった。
だが、再びやってくる日常に、嫌な気がしなかった。寧ろ、口元が緩み、気分が高揚する気さえした。鈍色の瞳に歓喜が映る。
アーチャーの様子を察してか、ランサーは腰をベットから上げると、彼の横に並び立つ。腰に白磁の右腕を回し、耳元で囁いた。鈍く光る銀のイヤリングが揺れる。
「いいぜ。てめえの願い、聞き受ける」
「では――」
低く、甘く呟かれた言葉に蕩けそうになる身を抑えながら、アーチャーは返答した。世界でたった一人、ただただ彼にだけ聞こえるような、小さな言葉と共に。
蒼の揺れる後ろ髪に触れながら、自ら痩躯を抱き寄せて口付ける。
少しの音をたて、そっと触れるだけで離れていく。名残惜しいと追ってくる、整った唇を手で制す。薄灰の睫毛を合わせ、もう一言だけ投げ掛けた。これ以上なく、甘美に、情欲を孕んだ声色が投げられる。
「君が、欲しい」
不敵な笑みが蒼を射抜く。深紅の瞳は燃えるように輝きを放てば、細く閉じられる。絡み合う熱量に眩暈がしそうなほどに、視線だけで心が熱く高鳴る。吐息さえ酷く悩ましく。
「最高に我儘なヤツ」
それが皮切り。蒼い運命の槍兵は、そう小さく笑うと、噛みつくようなキスをした。
サイドテーブルには見慣れた7つの星を描いた小さな箱が、鎮座している。
がたりと揺れて落ちたそれを気にも留めず、身体はベッドに落ちた。
さようなら、私の(非)日常。
終
オジマンディアスお迎えおめでとうございます