「――死因が見える?」
カルデアのキッチン内。
フライパンに薄く広げた卵を菜箸でつつきながらも聞き返えしてきたエミヤの問いに、ブーディカが頷いた。
「ネロがさ、会う度に一瞬だけど顔が曇るから、聞いた」
――そうしたら、そんなこと言ってたんだ。
彼女の死因。英雄として語り継がれることになった、その原因を作った薔薇の皇帝。
蹂躙された故郷だけでなく夫を――娘を、失った痛みを抱えたまま荒れ果てた彼女。悲嘆を激昴に変えて怒り狂ったその姿が、幾度かこのカルデアでも目にしたそれが、天真爛漫なあの皇帝に常に見えているというのだろうか。それは、さぞかし。
「馬鹿だよねぇ。見えたからってなんなんだか」
困ったように笑う彼女に、なんと声をかけたらいいのだろう。
エミヤには分からない。
きっと彼女は慰めの言葉が欲しい訳ではない。ただ聞いて欲しいだけなのだと思う。
彼女は言う。
「見えようが見えまいが私たちの関係が変わるわけじゃない。奪い、奪われた仲なのは死んでも変わらない。けどさ、ここにそんな感情を持ち込むなんて…嫌でしょ?」
「そうだな」
あの平凡なマスターにそんな負の感情を見せるのは、少し。きっと受け入れてしまうのだろうとは思うけれど、わざわざ肩の荷を増やすつもりはない。
ただでさえ、潰されかねないほどの重い使命を背負わされてしまったというのに。
「だから抑えてるんだ。たまに我慢出来ない時もあるけど、激情に駆られて殺し合うなんて絶対、したくないの」
「いっそシュミレーターでも使って思い切り発散してしまえばいいと思うがね」
我慢しすぎるのもよくない。それが度々見せる苛烈さの原因だろうから。
全く、あの猛犬もブーディカのように少しは我慢を覚えてくれれば、と。溜め息を吐きながらくるりと卵を丸めた時のこと。
「しゅみれーたー? っていつでも使うていいの?」
カウンターから掛けられた声に振り向いた。
そこには珍しい客――酒呑童子がいた。日本三大悪鬼。かの大江山の頭領。酒の注がれた杯をちゃぷ、と揺らしながら彼女が口を開く。
「いやなぁ、あんまりにも小僧の顔が暗うて暗うて。気晴らしに何を送ったら喜んでくれはるやろかって考えてたんやけど…小僧の好きなことって戦いやろ? せやから、な?」
焦げないうちに皿に出来たてのオムレツを移したはいいものの、どのソースにするか迷う。アレは何が一番好きだったろうか。どれもこれも満面の笑みで食べるものだから分かりにくい。
「小僧の視線が首から離れんの。赤毛のおねぇさんが言うとったの、うちにも起きとるんやろね」
定番のケチャップをかけて完成とした。その皿を持ったまま、エミヤは酒呑童子へと目を向ける。
その目は酷く蕩けていて、けれど、ほんの少し、哀れみを含んでおり。
「隠れた目でも熱烈な視線を向けられるんは嬉しいけど…折角会えたんやから笑って欲しいやないの」
悲しいわぁ、と。
拗ねたように突っ伏した酒呑童子の頭をブーディカが撫でている。
「…そないなつまらんこと、いつまでも気にせんでえぇのに」
すり、と後ろ首を撫でて、隠すように覆ってしまった。そうか、酒呑童子は確か、首を刎ねられて。
「よしよし。酒呑童子も落ち込んだりするんだねー」
「つまみくれたら元気になるかも」
「もしかしてそれが狙い?」
「さぁ?」
「ずるいなぁ、もう」
ことり。ブーディカが酒のつまみに、と燻製にしたチーズを酒呑童子の前に置いた。
エミヤはと言えば使い終わった厨房を片付けている。今日の最後のチェックはブーディカが担当だから、とこの後の予定を思いながら。
「ふふ、おおきに」
「それにしても、随分熱烈じゃない?」
「ほれ、小僧イケメンやから。身も心も」
「…世界一?」
「んふ、うちの中では一等やね」
きゃあ、と楽しそうな笑い声がした。いつの時代も女性は恋の話が好きなようで何よりだ。
そのまま話が盛り上がっていく。ブーディカは旦那の、酒呑童子は坂田金時の。やれ出会いはどうの、やれ戦う姿はこうの、会話は弾んで切れる様子がない。
不意に酒呑童子がエミヤを見た。
「食堂のお兄さんは?」
皿を手に、食堂を出ていこうとしていたエミヤの背中に向かって、酒呑童子は。
「あの青いお兄さんやろ? お兄さん、遊んだんは」
「…なぜそう思う?」
だって。
「独占欲の塊やもん、あれ。」
――ぞっとするくらい。
艶やかに笑った酒呑童子に対し、エミヤは理解が出来ないまま去っていく。
***
「死因が見えるぅ?」
エミヤの自室にて、夜食のオムレツを頬張りながら彼は顔を顰めた。奇しくも自分と同じ疑問の言葉を口にしたクー・フーリンは、頬を風船のように膨らませながら首を傾げる。
「いや確かに今お前の左胸に傷は見えちゃいるけどよ、それがなんだっつーんだか」
「君らしい回答だな」
一口、また一口と吸い込まれていく。夕食も大量に食べておきながらまだ入るのか。呆れた男である。
半分ほど食べ終わったところで、クー・フーリンは問いかけた。
「じゃあお前はどうなんだよ」
「私?」
「おう。お前もまぁ、誰かしら見えているとして、だ。そのことに対してどう思う?」
「特に何も。生憎、その程度で揺らぐような精神など持ち合わせていない」
「予想通りの答えだな」
最後の一口を放り込む。
「過去は過去だ。何を思い、何を感じていたんだとしても、そんなもん変えられやしねぇ。ただ事実としてそこにあるだけだろうにな」
だが、と言葉を続けた彼は、ほんの少し黙り込んだ後に舌打ちを一つ零し、顔と顔の距離を目と鼻の先まで詰めると。
「オレはお前と違って何も思わない訳じゃねぇよ」
とん、と左胸を指で突いた。いつかの夜。目の前にいるこの男ではない《クー・フーリン》に穿たれた胸の傷を。そうして苛立ちを紛らわすように唇に噛みつかれ。
「忘れるな――此度のお前はオレのものだ。」
そういえば、キャスターのクー・フーリンにもこの左胸の傷は見えているのだろうか。
そんな逃避のような考えを見抜いたのだろう。彼の手で、すぐさま掻き消された。
夜が更けていく。
***
「んー、オレには見えねぇな」
扉に寄りかかりながらキャスターはからりと笑ってそう言った。
ランサーはまだ眠ったままだ。腰に纏わりついたまま起きないのは何度目か。もはや諦めの域である。
「まぁ、オレとの縁はここのお前に繋がってねぇしな」
「それは、どういう、」
小瓶をぽい、と投げ寄越された。
それを空中でキャッチし、そのままぐい、と飲み干した途端、下半身のだるさが消えていく。
「オレにとってのアーチャーは泥に塗れたアイツだけなんだわ」
「あぁ、アレか」
特異点Fにて生まれたシャドウの自分。セイバーオルタと共にマスターの前に立ちはだかったというアレが、キャスターと縁を。
「見えるとしたらアイツだけだろうし、アイツに付けた傷だろうよ」
「…ちなみに、アレはどう扱った?」
キャスターは目を丸くして驚いた。そんなことを聞くのが意外だと思ったのだろう。興味を抱いて悪いかと問うと、そんなことはないと返された。
「意外だな」
「…気になるんだ、私にその記録が残っていないから」
泥に呑まれて記録が残るのか定かではないが、一切合切持ってきていないというのも違和感が残る。
まるで、まだ、特異点Fは残っているのではないかという疑いさえ。
「焼いた。全身をな」
思考を遮るようにキャスターからの答えが返ってきた。
焼いた。焼かれた。ドルイドの炎で。
泥に塗れた私にそれは、さぞかし効いたことだろう。
「まぁ、とりあえず。早く槍持ったオレ引っぺがして食堂に来てくれや。猫なんだか狐なんだかよく分かんねぇ嬢ちゃんが頑張ってっから」
「うむ、すぐ行こう」
部屋を出ていくキャスターの背中を見送り、ランサーの腕を引き剥がしにかかる。が、びくともしない。
「っくそ、この筋力Bめ…!」
いっそ切り落としてやろうか。
***
「…お前のアーチャーは?」
「あぁ。あるな」
――左胸にぽっかりと空いた穴が。
扉のすぐ傍にいたらしいクー・フーリン・オルタに問いかけると、意外にも答えが返ってきた。
そうか。やはりあるのか。
どうやら、《クー・フーリン》という英霊は、アーチャーにとって死、そのものであるらしい。キャスターはそう結論を出す。
ランサーのアーチャーの左胸。自分はそこに傷が見えない。が、しかし、きっと、泥に呑まれたあのアーチャーならば――見えるのだろう。
ランサーのアーチャーは今ここにいる英霊エミヤである。
キャスターのアーチャーは泥に呑まれたエミヤしかいない。
同様に、バーサーカーのアーチャーは反転したエミヤでしかないのだろう。
それぞれが貰い受けた心臓、それぞれの在り方。
そして、辿り着いた成れの果て。
どれも同じ存在で、けれど違っている。その事実に口角が吊り上がっていく。
自分だけのアーチャー――英霊エミヤがいるという、その事実に。
それはなんという幸福だろう。どの自分も納得出来る答えだろう。
今、ここにいるアーチャーを奪わなくてもいい。
だって、あそこに、あの今も尚燃え続けている冬木に自分のアーチャーはいるのだから。
「少しはレイシフト回数を減らせ」
「あ? しょうがねぇだろーアイツここには来れねぇんだから」
「お前のことだ、どうにか連れてくるつもりだろ。それまで減らせと言っている。手間も経費も無駄だ」
「お前それ、今のオレと同じ目に合っても言えんのか?」
自分のアーチャーと会えなくなって、同じことが言えるのか、と。
そう問いかけたところ、押し黙ってしまった。
ほら見ろ、お前だってそうなんじゃねぇか。
「…アイツは危なっかしいんだよ。目ぇ離していられるか」
「あー…髄液?」
「それで補えるなら何も言わねぇ」
「つまり、髄液を使っても足りてねぇとこに更に追加して霊基ががったがたになっていると」
「そうだ」
「消えてほしくねぇと」
「だったらなんだ」
睨まれた。
「いや? お前もオレなんだなーって思っただけ」
所詮《クー・フーリン》は英霊エミヤと結んだ縁を切れやしれないのだ。良くも悪くも、どちらにせよ、きっと。
***
「いい加減起きんか!!」
拳が振り下ろされた。
声をあげることも出来ずに悶絶するランサーを放置してアーチャーはベッドを下りる。どう足掻いても起きないのなら実力行使に出るまでだ。
「お、おまえ…もうちっとよお…こう、こう…っ」
「怠け者に優しくしてやる道理はない」
首に顔を埋めてくるのが鬱陶しい。
振り落されてしまえと思いながら備え付けの洗面所まで移動したのだが腐っても大英雄。床に落ちるどころか力が緩むことすらなかった。
さっさと顔を洗い、鏡を見る。すると、白い指でするりと目許をなぞられた。
「薄ら赤いな」
「君のせいだろうが」
「真っ赤に染めてやろうか?」
「やれるものならやってみろ」
「言ったな?」
「なんだ、今日もか?」
「今日もだ」
「物好きめ」
「お前も相当物好きだろ?」
頬にキスを送られた。戯れのように唇へ送り返してやれば、それだけで上機嫌になってしまった。
その喜びように何も言えない。これだからこの男は。
ぐりぐりと首の付け根に額を押し付けられ、対応に失敗した、と項垂れた。
「うっし! んじゃあ早くメシ食って素材ノルマこなしに行こうぜ!」
「あぁ、ってこら、引っ張るな」
ぐいぐいと腕を引っ張られながら、ふと、思い出す。そういえば昨晩から死因が見える話をしていた。
しかしそれが見えるのは、その原因となった者だけだったはず。
では、どうして《これ》が見えるのだろう。
鏡に映る死の痕跡。あの夜、彼が穿った左胸ではなく、エミヤシロウに贈られた最期の。
「…まぁ、自分にしか見えないのならいいか」
その首には、縄の痕が色濃く残っている。
Comments
- そーFebruary 15, 2018