槍弓でFSSパロ
【ショタランサー&真名ご注意】
タイトルまんまです。
FSSがGTMになってからの知識があやふやなので、旧い設定でお送りします。
内容はメガエラとボードのお話と、アウクソーのあれこれを足して二で割らない感じです。要するに少女漫画。
色々と大変にご都合主義&知識が足りていなかったり、勘違いしている部分もあるかもしれませんので、広い心でお願いします。
続き→(novel/3829706)
魔が差して書いた別ルート→(novel/3858499)
表紙はこちら【illust/41257907】からお借りしました。
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連れて来られた邸宅は己が屋敷よりはこぢんまりとしていたが、一般的には大きい——と言うより、城に近い堅牢な造りと、広大な敷地を持っていた。そも、「一般的な家屋の大きさ」の知識はあるが実感は無い。己の世界はとても狭く、狭いと言うことも知っていた。
ゆえに、子供は大きな紅玉の如き眸にきらきらとした興味の光を宿らせ、守り役の眼を盗んで客間を抜け出し、初めて訪れた地へと降り立った。
庭と言うには広大な野原に立ち、澄んだ青空を見上げ、遠くで囀る小鳥の鳴き声に耳を澄ます。髪を揺らす心地好い風は、鬱蒼とした森の清涼な香気を運んで来る。
供の無い、正真正銘の一人。
幼子は未知の冒険を前に浮き立つ心のまま、地面を蹴って森に向かって走り出した。
「……御子が?」
高貴な客人の子息の姿が見えなくなった、と知らされたフットマンは、白い眉をひそめた。迅速に見付け出し、必ず無事に連れ戻すようにと命じる家令に、否やを唱える資格は端から存在しない。
大柄な従僕は深い溜息をひとつ逃がし、一礼して使用人の出入りする戸口から外へ出た。
——さて、この広い敷地内にいるだろう、いないと困るどころの話で済まない小さな子を、可及的速やかに捜し出さねばならない。
捜索に割かれた人員は自分だけなのは、言われずとも承知の事実だ。何せ、他の従者は皆、普通の人間だ。
『鷹の眼』と呼ばれる鈍銀の双眸を緩やかに細めて、広大な平野を検索し始める。同時に聴覚を尖らせて周囲の物音を拾い上げながら、青年は黒のテールコートの裾を靡かせ、大股で歩み出した。
森へ向かう途中に見付けた大きな池にいた家鴨を追い掛け、必死に逃げる水鳥に夢中になった末、池に落ちそうになって何とか踏み留まる。ころんと後ろに尻餅を打ち、濡れずに済んだことに安堵して、そこで最初の目的を思い出した。
衣服に付いた芝を払い落とし、頻りに鳴く家鴨たちに手を振って水辺を離れる。それから森へ着くまでに子供の興味を惹くものは無く、小柄な身体は木々の間に紛れ込み、すぐに見えなくなった。
その数分後、家鴨と戯れる幼い声に気付いたフットマンが森の入り口に到着する。
「——面倒な、」
一人きりの気安さで舌打ちをし、億劫げに前髪を掻き上げた青年は、自身の足許を一瞥した。このまま森に入ったら、靴だけでなく下衣も駄目になるだろう。下手をしたら上着も破損するかもしれない。が、此処で躊躇っていても仕方がない。
役目を果たしたのに叱られるのは割に合わないな、と本日幾度目かの嘆息を吐いて、迷い込んだ子を追って森に入る。
人が行き来していると知れる道は数分後に途切れ、獣道の様相を呈してくる。広葉樹は好き放題に枝葉を伸ばし、陽光が徐々に遮られてゆくが、彼の視野に変化は無い。小動物の密やかな気配、木々の合間を飛び交う鳥類の声、己の靴底が小枝を踏みしだく音。それらの隙間に存在するだろう、子供の気配を探りながら歩を進めた。
普段なら気付けるだろう追っ手の存在を、未知の世界に圧倒されている幼子は、全く意識に昇らせていなかった。獣道を平地と変わらぬスピードで駆け抜け、ぽかりと開けた空き地に出る。上を見れば青空に白い雲が棚引き、遥か上空には戦艦の影が見えた。きゅっと細くなった瞳孔を瞬きひとつで元に戻し、点在する切り株を眺め遣る。一番手前のひとつに腰を降ろした処で、漸う他者の跫音に気付いた。
「うぇ、もうみつかったのかよ」
首を竦めて舌を出し、膝を抱えて三角座りの姿勢を取る。
初めての一人は長く続かないな、と子供——セタンタは肩を落とした。
気配を殺す気の無い追っ手は、己の辿った路を通ってやってくる。自分を見付ける速さと正確さに、相手は騎士なのだろうかと思案を巡らせ、ふと思い付いた悪戯に自然と口端が持ち上がった。
守り役では無いことは判っている。脚の運びからして手練れであることも判る。だったら、とセタンタは勢いよく立ち上がり、切り株の上で軽く飛び跳ねた。足場として申し分ない強度を確認した処で、木の陰から長躯が現れた。
お仕着せのテールコート姿を認め、此処の使用人かと驚き、はてと首を傾げる。ファティマ・マイトの屋敷で従者をしている騎士なんて、聞いたことが無い。自分が知らないだけかもしれないが、それにしても——と考え込む間に、相手は無言で距離を詰めてきていた。
眼前にぬっと立つ青年は珍しい白い髪と鋼いろの眸、褐色の肌をしていた。絵に描いたような顰め面は、普通の小児が見れば泣き出して仕舞うだろう厳めしさだが、セタンタには酷く新鮮に映った。父母や乳母には叱られたことはあるが、成人男性にここまであからさまな不機嫌さを向けられたことは無い。
ゆえに彼は強い興味をそそられ、次いで随分と整った容姿をしているな、と一瞬己が立場を忘れて見蕩れた。男に魅入られるなんて初めてだったが、それを自覚する前に、右手が伸びて首の後ろを思い切り掴まれた。
「ふぎゃっ!?」
「——猫の仔か、君は。……手間を掛けさせてくれましたね、殿下。さあ、冒険は此処までです。戻りますよ」
ぞんざいさの残る丁寧語より、最初の本音を紡いだ低い声が耳に残って、皇子はぱちぱちと大きな眸を瞬かせた。
「——……? なにか?」
誰も見ていないのをいいことに、貴人の首根っこを引っ掴み、けものが仔を運搬するように持ち上げた青年は、きらきらと煌めく紅玉を見返した。嫌悪も怒りも無い、純粋な好奇心に満ちた双眸が目映く、僅かに目許を眇める。
「おまえ!」
「……はい、」
「なまえは!?」
宙に浮いた四肢をばたつかせ、恐らくはされたことの無い無体を咎めるでも無く、元気一杯に己が名を問う皇子の態に、フットマンの青年——アーチャーは絶句した。
黙り込む男を見詰めたまま、セタンタは両手を持ち上げて彼の腕に掛け、そこを基点として下肢をぶんと振り切る。
あ、と思う間も無く腹部を蹴られたアーチャーは、きつく眉根を絞って手指を緩めた。拘束から逃れてとんぼ返りを打ち、切り株に音も無く着地する皇子を睨み付け、
「ッ、!」
「なあ、なまえ! そんで、てあわせしろ!」
「——は、?」
鈍い痛みを堪え、上着にくっきりと浮かぶ小さな足跡を手で払おうとした寸前、天使の如き笑顔で言い放たれた要望に呆気に取られた。
「おまえ、ヘッドライナーだろ? てあわせしよう!」
「——……、殿下、そのような戯れ言を仰るものではありません」
驚愕を押し込め、皮肉気に口端を擡げて応じる。言い終えるか否かのタイミングで、御子は否定の声を張り上げた。
「ちげーよ。ほんき! だっておまえ、つよいだろ?」
活き活きと輝く大きな眸に見詰められて、アーチャーは返す言葉を失った。
強いと評されることなぞ、一度も無かった。当たり前だ、ファティマは騎士では無い。人間ですら無い、戦争の道具だ。騎士と——人間と戦うことなぞ、主の命が無い限り、出来る訳が無い。
そしてアーチャーは、マスターを持たぬファティマだった。
「なあ、ってば!」
焦れたセタンタが地団駄を踏む。こちらに構わず仕掛けると言う選択肢が無い辺り、育ちの良さが窺えて、青年は知らず目許を細めた。
「う、」
殆ど睨め付けるように己を見上げていた白皙の面立ちが、ぱっと朱に染まる。
「……? 御子?」
ゆるりと小首を傾げる仕種が妙に可愛らしく見えて、セタンタは混乱した。どう見ても歳上で、どう見ても愛らしいとは言えない——男前だとか色男だとか言う分類だろう青年を、何故か可愛いと思って仕舞った。
逃げる為に蹴った後の鋭い眼付き、虚を突かれて覗いた素の貌、皮肉っぽい笑みと声とは正反対の、優しげな微笑。
うきうき、どきどき、わくわく、胸が弾んで仕方が無い。それは禁じられている私闘が叶うかも知れないと言う期待感では無く、どうやらこの青年自体に向けられた気持ちのようだ、と理解する頃合いには、黙り込んだ己を心配した相手が膝を折り、
「到らぬ身で申し訳ありません。何処か、お怪我でも?」
そっと片手を取って、貌を覗き込んできていた。
突然口を噤んだ皇子を不審に思い、見えぬ処に負傷でもしているのかと懸念を抱いたアーチャーは、白い小さな手を慎重に掬い上げた。大人しく手指を預ける彼の面貌を見詰めれば、陶器のように滑らかな頬が先刻よりも深い薔薇色に染まった。
少女よりも美々しい少年と噂されていた御子は、遠眼で見た時には確かに綺麗な子供だと思った。が、こうして至近を得られた現在、歳相応に快活でくるくると変わる表情と、生命そのもののような眸とが、今までまみえたどの佳人よりも魅力的に映る。
彼に取って、自由に振る舞えぬ立場は枷でしか無いだろう。しかし、このうつくしい貴人は生まれながらの戦士であり、その能力を最大限に開花させるには、相応しい重圧と環境が必要なのは明白だった。
きゅ、と指を握り返されて、アーチャーの思惟が現実に戻る。
「ん、ううん、けがはしてない」
じっと見詰めてくる紅い双眸の清らかさに、自然と心が凪いで表情が緩むのを自覚した。
「——よかった。……戻らないと、皆が心配します」
すっかり穏やかになった低い声を聞き遂げ、セタンタはほっと深い息を逃がす。何故か、怒らせるよりも心配させる方が厭だった。
だが、屋敷に戻ると言うことは、一人の冒険が終わること。そして、彼と二人でこうしている時間も終わって仕舞うということ。
「ん…、もう、もどらないと、だめ?」
しゅんと項垂れる少年のいとけなさに絆されそうになったアーチャーだったが、ぐっと堪えて諭しに掛かる。
「お一人で出歩いて良い御身ではありません」
「ぅん…、はじめて、だった!」
「一人が?」
「うん!」
ぱっと表情を明るくさせ、幾度も頷く仕種につられ、一纏めにした蒼い髪が元気よく揺れる。
機嫌を直した様子に安心し、繋いだままだった手をそっと外そうとした処で、逆にぎゅっと掴まれて仕舞った。
「殿下?」
「も、すこし、だけ。だめか?」
「——……私といても、面白くはないでしょう」
「そんなことない!」
手合わせは諦めてくれた気配に安堵を深め、再び手を離そうとする。が、否定の声と共に一層強い力で握り込まれて、ファティマは僅かに眉を下げた。
「殿下、」
「なまえ、きいてない」
「——ああ……、私の?」
「だって、おまえはおれのなまえ、しってるだろ?」
「はい」
「じゃあ、なまえでよべよ」
高貴な名を容易く口に出来る身分では無いのだが、そも、彼は己を騎士だと勘違いしたままだ。遅蒔きながら気付いたアーチャーは、さてどう言ったものかと途方に暮れた。
「……? いえないのか?」
「いえ、そんなことは」
「なら、おしえろよ。なまえ、しりたいし、よびたい」
皇子が何故ここまで食い下がるのか、さっぱり判らない。だが、いつまでも押し問答をしている訳にもゆかず、
「……アーチャー、と」
「あーちゃー? それ、なまえか?」
「はい、殿下」
「でんかじゃなくって!」
「ああ……、セタンタ、さま?」
さまも要らない、と言い募られて根負けし、青年は僅かに項垂れた。
「屋敷に戻るまでなら、お望み通りに。ですが、人前では殿下を呼び捨てなど赦されません。お判りですね?」
こっくりと頷く蒼い頭を、良い子だと褒めるように撫でたアーチャーは、跪いていた身を起こす。
「もう少し、と仰いましたが……森の奥へ行ってはいけません。戻った方がよろしいかと、」
「あーちゃーのはなしがききたい!」
先刻と同様に言い終える直前に声をかっ攫われて、緩く首を傾ける。
「話? 一体、なにを?」
「おまえのことがしりたい!」
己の手を掴んで離さない小さな手指と、上気した頬を見比べ、ファティマは再び途方に暮れた。
自身の何が彼の興を惹いたのか、ちっとも判らない。
「私は、見ての通りの従者ですが」
「ヘッドライナーだろ?」
「……、違います」
頑なに否定するアーチャーを見上げたセタンタは、ぷぅと頬を膨らませた。掴んだままだった彼の手を揺らし、隣の切り株を示す。
「あっち、すわれよ」
「——では、手をはな…」
「そんで、だっこ!」
何を言い出すのかと眼を白黒させる青年を押し遣り、木の座面に腰を降ろさせる。抗わぬ彼の膝の上に乗り上げれば、諦念の色濃い吐息が落ちてきた。が、アーチャーの心中が察せられるほど、皇子は大人ではない。
傍目には青年の膝に収まる幼稚園児の図だが、座椅子役の男は心底疲れている様子で、余り微笑ましくは見えなかった。
「セタンタさ、……、」
咳払いで言い掛けた敬称を誤魔化し、胸に懐いてくる小さな頭をそっと撫でる。途端に嬉しそうに輝く笑顔を直視出来ず、ファティマは視軸をずらした。
「なーなーあーちゃー、ヘッドライナーじゃないなら、なんなんだ?」
幼子の剛速球に彼是を撃ち抜かれ、アーチャーの手が止まる。不服気に押し付けられる蒼い髪を、ほぼ無意識に指先で梳いて、
「それ、は……」
「ひみつなのか?」
貴石よりも華やかな光を孕んだ紅い眸を前に、嘘を吐くのは憚られた。
アーチャーには記憶が無い。何処かの戦場で死ぬ寸前だった処を運よく発見され、見殺しを免れてマイトの元に搬送された。心臓は停止していたが脳は辛うじて生きていた為、身体の殆どを新品と交換されて再生され、矢張り運よく蘇生した。
ファティマの知識は焼き付け式だが、記憶はそうはいかない。死の寸前を見た脳には障害が残り、結果、アーチャーはマスターのことも、戦闘経験も、育成ポッドから出てからの記憶を総て失った。まっさらの、正しく生まれ立てのファティマからは、ダムゲート・コントロールも外された。これは彼を蘇生させたマイト——リン・トオサカの意向だった。
蘇生から眼醒め、己の異変を知ったアーチャーは、マイトに何故と問うた。若くて美しい天才マイトは、片手を腰に当て、つんと顎を持ち上げて笑み、
「あんたのマスターは戦死したわ。蘇生に掛かった代金、あんた自身に払って貰うしかないの。だから、うちで働きなさい」
あんたはうちの子になったのよ、と猫のように眸を細めて微笑む貌を、アーチャーは生涯忘れないだろう。悪魔は本当にいたのだと痛感した。
おかしなマイトに拾われた、こんなことなら戦死した方がよかった、と落ち込んだ時期もあった。ファティマとして生まれたのに、ファティマとして生きられないのは、アイデンティティの崩壊以外のなにものでも無い。眼醒めてからも、ダムゲート・コントロールを外された後遺症と、身体のメンテナンスに数ヶ月掛かり、借金は膨らむ一方だった。
漸う動けるようになった己に課せられた役割は、リンに仕える裏方の従僕だった。彼女の身の廻りの世話をし、育成中の幼いファティマの面倒を見、広い敷地を整備し、力仕事をこなす。マスターはいない、モーターヘッドにも乗れない、戦場にも行けない、だが主人に尽くす仕事。その忙しくも穏やかな日々は、彼の壊れ掛けた精神を確実に癒していった。
リンが己を表に出さないのは、星団法に反するファティマを所有していると知られない為だった。ダムゲート・コントロールを外されたファティマは存在してはならない。今の自分は、セタンタが勘違いした通り『騎士の反射速度を持つ人間』と変わらない。
口唇を引き結び、難しい貌をして思案に沈むアーチャーを見詰めていた幼子は、彼の額の辺りに煌めく光と、微かな電子音に気付いて、かくんと首を傾げた。
「あーちゃー?」
「——ッ、」
膝上に座していた彼が右手を伸ばし、貌に触れようとしてくる。青年はそこで漸く己の反応に気付き、ざあっと蒼褪めてその小さな手を掌で受け止めて包み込んだ。
「駄目だ」
「きらきらしてる」
「駄目だ」
「なにが?」
「駄目だ」
他に言葉を忘れたかのよう、拒否のみを紡ぐアーチャーの必死な態に、セタンタはもう一方の手で胸許をぽふぽふと撫で叩いた。
「いやなら、しない。ごめんな?」
大きな手に預けた手指を小さく揺らし、謝罪する。綺麗な光だったし、妙に触れたくなったが、彼が厭うなら仕方がない。
しゅんと眉を下げた後、すぐに気を取り直して明るく笑う幼子の健気さが、ファティマの胸に突き刺さった。
は、と詰めていた呼気を逃がして、緊張に硬くなっていた身から力を抜く。押し留めた手をそっと戻して、深呼吸をひとつ。アーチャーは覚悟を決めて口を開いた。
「私はファティマだ、セタンタ。だから、私の頭に触れてはいけない」
柔らかい低音で静かに告げられた言の葉を、少年の脳が理解するまで数瞬掛かった。
「……ふぁ? てぃま? あーちゃー、ファティマなのか?」
大きな眸を零れんばかりに瞠って、驚愕のままに問うてくる皇子に頷いてみせる。長い睫毛を上下させたのち、名の通りの輝くような笑顔になってしがみついてくるセタンタの勢いに押され、アーチャーは少々仰け反った。
「ちょ、」
「すげー! すげー! じゃあ、おれのファティマになって!」
胸許にべったりとくっつき、一纏めにした後ろ髪を揺らしてねだる子の圧に負けて、青年は彼を抱き込んだまま後方へ引っ繰り返った。
「うお、だいじょぶか?」
下生えのお陰で大した痛みは無いが、テールコートは完全にお釈迦である。屋敷に戻ってからの叱責を思って嘆息を逃がすと、痛いのか!? と叫んだセタンタが頬を懸命に撫でてきた。その小さな手の甲を己が手で包み、もうひとつ吐息を零し、
「駄目だと言っている」
「なんでー?」
「いいか、セタンタ。君は皇子だ。判るな?」
きょと、と瞠った紅玉を見上げて言い聞かせるが、通じていない様子にアーチャーは天を仰ぐ。
「君は将来、星団中に名を轟かせる、素晴らしい騎士になる。その地位と実力に相応しいファティマが、必ずいる。だから、」
「おれはおまえがいい!」
「——人の話を聞かんか!」
思わず出て仕舞った大声に首を竦める御子の手を握り込み、片手で小さな背を支えて身を起こす。切り株に引っ掛かっていた脚を引き寄せ、面倒になって地面に胡座を掻き、胴に跨がっていた体躯を向かい合わせに抱え直した。
ぎゅ、と親指の付け根を掴む力に目許を和らげ、側頭部をやんわりと撫でながら、
「君は、ファティマを得るには早すぎる。既に騎士だとしても、だ」
「はやい? なら、おとなになったら、いいのか?」
「——だから、話を最後まで聞けと言っている!」
「あーちゃーは、やだ?」
己の心臓は彼の放つ好意の槍で、もうずたぼろだ。
深い深い吐息を逃がす青年の逞しい胸に頬擦りしたセタンタは、くぁ、と欠伸を零した。新しいことの連続で興奮していた神経が庇護者を得て緩み、馴れぬ冒険で疲れた身体が急速に眠りを欲している。
「なあー、やだー?」
「……沢山寝た方が、大きくなれるぞ」
「え、ほんと!?」
がばっと上向いた白皙に頷いて見せれば、安心したようにまた頭部が懐いてきた。しっかりと受け止め、眠気を促すようにゆっくりと背を撫でる。
「あーちゃー、」
「……なんだね」
「おっきく、なったら、いい?」
うとうとしながらの口約束なぞ、寝て起きたら忘れて仕舞うだろう。アーチャーは微かに口端を綻ばせ、ああ、と小さく応じた。
「君が成人して、……私のことを憶えていたら、な」
額に温かくて柔らかいものが触れる。酷く優しい愛情を注がれた気がして、セタンタはへにゃりと頬を緩めた。
笑みを留めたまま、こてりと寝入る幼い貴人を大事に抱き締めて、ファティマは静かに息を逃がす。己の本能が、彼をマスターとして欲している。が、それを認める訳にはいかなかった。
誉れある光の御子のファティマが、星団法違反の代物などと、赦されることでは無い。それに、とアーチャーは目蓋を伏せ、先とは全く異なる自嘲の笑みに口唇を歪ませた。
彼は比類無き麗しい青年に成長するだろう。そういう天に選ばれた騎士には、たおやかで可憐な愛らしいファティマが添うべきだ。
——己のような、無骨な男では全く釣り合わない。
ゆるりと視野を開き、あどけない寝顔を存分に愛でる。可能な限りこうしていたかったが、そろそろ戻らねばならなかった。
起こさぬように細心の注意を払って小さな肢体を抱え直し、立ち上がる。んん、とぐずるような息を逃がした子に慈しむ眼差しを注いで、アーチャーは緩慢な足取りで来た道を戻って行った。