ラカンは統合失調症などの精神病の特徴を「父の名の排除」にあると指摘した。この難しい説を私にもかろうじてわかるように言い直すと、言葉と現実を分けてとらえることができないのが精神病ということになる。
なぜ分けてとらえることができないのか。精神病者は母からの分離を遂げていないからだ。それができなかったのは、幼いときに母と間に父が割って入る過程を欠いたからだ。
子はおもに母から言葉を学ぶ。子にとって母は現実の世界そのものだから、母の発する言葉も現実そのものとして受け取る。子は母との間に父が割って入ったとき初めて言葉を現実とは異なる次元にあるものとしてとらえ直す。
母子の間に割り込む父は、母という現実世界とは異なる存在だ。その父も言葉を発する。だとしたら、言葉は現実世界のものとはいえない。それに納得した子は言葉を象徴の次元にあるものとしてとらえるようになる。
母子の間に父が割って入る過程を欠くと、言葉は母という現実世界に留まったままだ。それが精神病の妄想を生む。「たとえば精神病者は、まるで爆弾でやられたみたいに汚い部屋だな、と言われると、文字通り爆弾が破裂したかのように感じ、恐怖で飛び上がる」(フィリップ・ヒル『ラカン』新宮一成、村田智子訳)
村上春樹の小説の世界は、爆弾という言葉が現実の爆弾と化す精神病の世界に似ている。それを認めるような本人の発言がある。「僕の小説に出てくる超自然的な現象は、前の質問の答えにも書いたように、あくまでメタファーです。実際に僕の人生に起こったことではありません。しかし僕が物語を書いているとき、それらの出来事はぜんぜんメタファーではなく、実際にそこで起こっていることです」(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』)
「そこで起こっていること」がもとは「メタファー」であり、物語の中でしか起こらないことを自覚している村上自身は精神病になることはない。あるいは、物語の中でだけ一時的に精神病になることのできる才能を持ち合わせているのが村上春樹だといってもいい。
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『流砂』9号(特集:戦争の放棄――「戦争論」の現在)
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