誹謗中傷を目的として書くのではありません。ただ、事実として起きたことを、記録として残しておきたいと思います。
当時のメモを見ながら、本人から聞いたことを思い出しながら書いています。
2024年衆院選
2024年の衆議院議員選挙。東京比例ブロックの担当として、堀切議員はボランティアの方々と情報共有しながら、毎日のように現場で選挙活動を続けていたそうです。
ところが候補者本人である東京の比例議員は、選挙期間中、代表に何日も連れ回されて現場を不在にしていました。堀切さんたちは、候補者なしで動き続けていたのです。
当時、堀切さんは夏の終わりに大病を患い、入院するほど体調が悪化していたといいます。それでも選挙期間中は毎朝のように病院で朝ステロイドの点滴を受け、そのまま選挙活動へ向かう日々でした。
私はたまたま都内に行く用事があり、少しだけお手伝いに行きました。堀切さんから「病院に迎えに来てくれる?」と連絡があり、用事を終えてから迎えに行きました。点滴後の堀切さんの顔色を見て、「なんでこんなに頑張らなければならないのか。○んでしまうんじゃないか」と怖くなり、涙が出てしまいました。それでもそのまま、ボランティアの方々のもとへ送り届け、一緒に活動しました。
選挙直前に起きたこと
選挙公示の直前、山本代表のデモが終わった後のことです。れいわ所属のW地方議員が、そこで参加したボランティアの方々をそのまま自分たちの街宣に連れてくるよう堀切さんに求めたそうです。堀切さんが「暑い中、坂道の多い地域でのデモの後で、高齢者も多い。そんなことはできない」と断ると、W地方議員は「バカヤロウ、党勢拡大する気がないのか!」と怒鳴りつけたといいます。さらにW地方議員に同調したX地方議員は「選挙カーを貸さないから」と言い放ちました。
W地方議員もX地方議員も1期目の議員で、前共同代表・V国会議員の子飼いでした。
選挙が始まる2〜3日前、体調不良の中、堀切さんはまず比例の看板を取りに埼玉の奥地まで向かい、夜中に自分の車を選挙カーに組み替えたと聞きました。X地方議員の行動が、直前の準備にまでこれほどの負担を強いることになったのです。
後から気がついたのですが、この時期、堀切さんはまだ議会開催期間中でした。ただでさえ眠れない、過酷な決算のある会期と重なっていたのです。
密室で決められた「懲罰」
堀切さんから聞いて、驚きを隠せませんでした。
2025年1月6日の夕方、V国会議員から突然電話があったそうです。「あなたを処分することが決まった。理由は東京比例で議席が取れなかったこと。反省するなら党員停止1ヶ月にする」という内容でした。
堀切さんは「党本部と確認しながらルートに従い、各地の地方議員と連携して最後まで選挙を行った。なぜ処分を受けなければならないのか」と返したそうです。するとV国会議員は「決めたのは自分ではなく処分委員会だ」と言い、さらに「そもそも東京の選対本部長は自分ではないのではないか」と堀切さんが返すと、「だったら私に責任を取れと言うの?現場にいなかったから何があったか知らない。でも処分は受けてください」と逆ギレしたというのです。
堀切さんは「こんなことが続けば、党の選挙を担当しようとする議員がいなくなる。後輩たちのためにも受けられない」と最後まで拒否したそうです。
その後、2025年1月16日、れいわ新選組倫理委員会は、堀切ねんじん議員・W地方議員・X地方議員の3名に対し、正式に「戒告」処分案を文書で発出しました。しかしこの間も、法的な意味での正式な陳述・説明の機会は一切与えられていませんでした。
れいわ新選組の倫理規則(令和6年8月改正)第5条には、処分の手続きとして「構成員に意見聴取を行う」と明記されています。それが守られないまま、密室で処分が決められようとしていたのです。
堀切さんが弁護士を立て書面を送ると、党職員Oが「受けて立つ」と意気込んだと聞きます。そのとき、たがや議員が党職員Oに対して「堀切さんは証拠も根拠もすべて持って言っているんだから、そんなことが公になったら、困るのは代表や党の方だ。やめた方がいい」と言ってくださったそうです。
たがや議員は、常識を欠いた党本部の動きかられいわ新選組を守る、いわば盾となってくれていたのだと思います。
その後、党は懲罰を強行することもできず、しかし正式に撤回するという文書も出さないまま、何事もなかったかのように済ませました。
(続く)