「震災の日に提供していいのか?」 卒業祝いの赤飯給食・約2100食を廃棄 いわき市長がコメント 福島
福島テレビ配信
コメントを書く
自分のコメント(マイページ)コメント6340件
- おすすめ順
- 新着順
このコメントを削除しますか?
- このユーザーのコメントを非表示にする今後このユーザーのコメントは表示されなくなります
- このコメントを報告する
たった一件の心無い苦情に。過敏反応し過ぎだよ。 折角の祝いの門出じゃないの。 そんな巣立ちを温かく見守れない、祝えない周囲で良いのかな? 亡くなられた方々も、間違いなく悲しんでいるよ。 復興でやっとここまで来たんだ。 ちゃんと祝って、背中を押してあげるべきだよ。
ログインして返信コメントを書くこのコメントを削除しますか?
多様性AIがピックアップしました
- このユーザーのコメントを非表示にする今後このユーザーのコメントは表示されなくなります
- このコメントを報告する
自分は学校給食の米飯工場に勤務していました。 70~80校の米飯を毎日製造しており、早い日は午前2時から製造してました。システムが古い為時間もかかります。異物混入や衛生面にも注意をはらいます。 2月終わりから3月頭に赤飯を製造してました。廃棄は毎日ありますが、そのお米も作っている方がいます。配送してる方もいます。 米の値上がりがありましたよね。 廃棄を見てもったいない、どうにか活用できないか考えました。工場の1人の従業員でも考えました。 世論だけを見すぎでは。 教育とは何でしょう。食から教えることも教育ではないでしょうか。
ログインして返信コメントを書くこのコメントを削除しますか?
- このユーザーのコメントを非表示にする今後このユーザーのコメントは表示されなくなります
- このコメントを報告する
震災の追悼行事で赤飯が出たら問題だと思うかもしれないけど、卒業祝の給食で赤飯を出す事は問題無いと思う。 そして、たった1件の電話で卒業祝の給食が缶詰のパンになってしまった事で、何千何百人の生徒や保護者は胸にしこりを残す形になってしまったのは残念。
ログインして返信コメントを書くこのコメントを削除しますか?
多様性AIがピックアップしました
- このユーザーのコメントを非表示にする今後このユーザーのコメントは表示されなくなります
- このコメントを報告する
色んな意見があるでしょうが、この件に関しては苦渋の選択であったに違いありません。架電した保護者は廃棄までは要請してないとの事ですが、学校に電話するだけで受け手側には相当のプレッシャーになっている筈です。保護者からの申出に対する初動を間違えると、その後何週間も何ヶ月も解決しない事案となってしまいますよ。保護者も冷静に対応すべきです。
ログインして返信コメントを書くこのコメントを削除しますか?
- このユーザーのコメントを非表示にする今後このユーザーのコメントは表示されなくなります
- このコメントを報告する
震災と卒業祝いは別物だよ。 そんなクレームで食べ物廃棄するとか、そっちの方が日本国内の世論どころか、世界的にも是非問われる事だと思うんだが? だったら、その日に生まれてもケーキ食べて祝っちゃいけないのかって話にもなる。 中学生と言うことは、震災の年の生まれかな。 震災を経て今生きて旅立つ子達を、尚の事地域を上げ盛大に祝って上げて欲しいよ。
ログインして返信コメントを書くこのコメントを削除しますか?
多様性AIがピックアップしました
- このユーザーのコメントを非表示にする今後このユーザーのコメントは表示されなくなります
- このコメントを報告する
地方にもよるけど、赤飯がめでたい物になった理由は米と豆のタンパク源を食べられるから。 今と違って食うや食わずであり、肉や魚が手に入らず、単純な風邪で死ぬのも珍しくない時代は栄養価の高い食べ物とされていた。 昭和中期だと体調不良にバナナやパイナップル缶を特別に食べさせてくれたにあたるかな? 飽食の現代では難しいけど、赤飯は健康に体力をつけて欲しいの願いがあると再認識してほしい。
ログインして返信コメントを書くこのコメントを削除しますか?
多様性AIがピックアップしました
- このユーザーのコメントを非表示にする今後このユーザーのコメントは表示されなくなります
- このコメントを報告する
2011年の3月11日には宮城県沖を震源とする東日本大震災が発生した。それを受けて翌年以降3月11日は震災を考える日として黙祷をささげ決意を新たにする日だという人たちもいる。ただ誰かにとって祈るべき日は誰かにとっての誕生日であり結婚記念日であるのだ。だからこそ3月11日はあくまで普通の日である。震災関連ではないイベントを開くことや、地震のことを考えないでいることを不謹慎と批判するのはおかしい。3月11日は前を向いて生きていく365日のうちの一日であり、普段と同じように、楽しむことは楽しみ頑張るべきことは頑張る日なのだ。 復興を祈る心は当然必要である。しかし、同時に誰かの幸せを祝う気持ちも忘れてはならない。 アンサイクロペディア 3月11日 の項より
ログインして返信コメントを書くこのコメントを削除しますか?
- このユーザーのコメントを非表示にする今後このユーザーのコメントは表示されなくなります
- このコメントを報告する
他の記事では「赤飯を出す経緯を教えて欲しい」「わかりました、来年以降は気を付けて欲しい」と温和に電話を終え、電話の主は廃棄までは求めていなかった、と書かれています。 痛ましい大震災の日ではありますけれど、これは、卒業を祝うための赤飯です。仮にクレームが来たとしても、配慮は足りなかったが、子どもたちのためにも理解して欲しい、来年以降は気を付ける、と毅然と対処すれば良かったのだと思います。特に今年の中学の卒業生は、震災の起こった年度に生まれた子たちです。どうしてこのような安易な判断で復興の中で育ってきた子たちの門出に水を差すようなことをしたのでしょうか。 電話をかけた人よりも、廃棄という判断がいかがなものかと思います。
ログインして返信コメントを書くこのコメントを削除しますか?
多様性AIがピックアップしました
- このユーザーのコメントを非表示にする今後このユーザーのコメントは表示されなくなります
- このコメントを報告する
今時の公共機関は、クレームに極端に打たれ弱すぎる。そして公共機関のトップは、後々の責任追及を恐れて、事なかれ主義に徹してしまう。 学校や教育委員会で言えば、いじめ問題などでしばしばそうした体質が問題視されているが、本質的な改善がなされていないのだろう。 正しいことは正しい、間違っていることは間違い、というごく当たり前の事を説明して、毅然と振る舞える人材や組織を育てるにはどうすればいいか、日本社会全体で真剣に考える必要がある。
ログインして返信コメントを書くこのコメントを削除しますか?
- このユーザーのコメントを非表示にする今後このユーザーのコメントは表示されなくなります
- このコメントを報告する
震災で家族を亡くされたり家を失われたりした方の悲しみは年数とは関係ないと想像できる しかし今年の中3は震災の年に産まれた子ども達なのではないだろうか? 3/11が最後の給食の日ではなかったのか? 今を生きている子ども達が15年間 育ち学び 義務教育を巣立っていくことを祝うことがいけないのだろうか? 廃棄以外に 対応できなかったのだろうか?
ログインして返信コメントを書く