終活への雑感(38) 先駆的モデルって
表紙の写真は、妻の実家に迷い込んだ“タヌキ”くんです。孤立無援で、冬の寒さに震えていました。
独自の「記事」を書くこともできず、他者の「記事」を貼り付けたり引用したりして、ちょこちょこっと“賛同の一文”を書き足すだけの「同年代のnoterさん」ってなんやろね。
まあ、noteは自由な創作の場やと自覚しながらも、他人様の創作活動に口をはさむなんぞと大きなお世話で失礼なことを恥ずかしげもなく書く方がいるらしい。
交流しようと思わないのなら読みに来なければいいのに、それでも気になって見に来て、そのあげくに他者の記事を「過去の栄光アピール」とか「終活アピール」とか、内容も理解できず、浅はかにも独断する方がいるらしい。
しかも、他者の「創作活動」を「人生100年時代の先駆的なモデルケースになる事は決してない。」と断言しているのってなんやろね。さらに、勝手に「余生」と決めつけて、皮肉たっぷりに「お楽しみくださいませ」などと揶揄する方ってなんやろうね。
ところで、「先駆的なモデルケース」ってなんやろね。
関係もない“他岸の火事”に、何でもかんでも首を突っ込んで、“正義の味方”を気取って、かっこつけし~を演じることだろうか。勝手に“代理人”を名乗って、気に入られようとすることだろうか。
でも、自分が“代理”した当人が、他者への「暴言」を吐きまくっているのを“傍観”“放置”して何も感じないとは…なんやろね。。しかも、“代理戦争”の相手の「誹謗中傷」に対して“公開停止”を求めるほど批難しているにもかかわらず、“味方?”の「誹謗中傷」(“暴言”も歴とした「誹謗中傷」ですけど)に対しては何もしないのって、なんやろね。。この姿勢が「先駆的なモデルケース」なんだろうか?
さらに、自らの記事を「誹謗中傷記事」と堂々と公言して書くなど、果たして「誹謗中傷」をやめさせたいのか、単に騒ぎを大きくしたいだけなのか、“(あなたのために)戦っているアピール”をしたいのか。
そんな「誹謗中傷記事」に「社会的意義がある発信」とは、私には到底思えないのだが…。「誹謗中傷記事」に「自負」があるなど、恥ずかしくて私なら言えない。
あまりにも軽薄(軽率)な発言としか思えない。逆に、こんな記事を書く「創作活動」が「先駆的なモデルケースになる事は決してない」と私は断言できる。
せめて自分の「記事」に書きこまれた「コメント」の“是非”くらいは判断できないと“代理人”は務まらないのではないだろうか。
自分の記事に書きこまれた「コメント」は記事の執筆者の権限で“削除”できるはずなんやけど…。
私なら恥は残したくないですね。だって、そんな「コメント」を残していたら,“賛同”と勘違いされますからね!
実にくだらない記事を書いてしまった。情けない!
いいなと思ったら応援しよう!
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。


私も同感です。件の顛末を冷静に判断すればわかること(だれが“意図的に誤解したように見せかけて”批難したかを追究せず、Micaの記事を書いた人間を批難するなど愚の骨頂である。 以後は、擁護した私や増田さんにまで感情のままに「暴言」を吐く人間、それを「代理人」になるとまで豪語して、一方的…
このお二方(女王まりかさん、よしまささん)は、散々書きたい放題書いて、私をブロックして逃げてしまった。 そう簡単には逃しません。私にも名誉があるので。 やりたくはないですが、私自分の記事にて、名指しで土俵にのぼっていただくことになります。 責任とってきちんと説明してください、と…
note上であっても、せめて自分の書いた「記事」や「コメント」、書きこまれた「コメント」に対しては、責任をもって対処すべきと私は思う。 「誹謗中傷」を批判する以上、自らが襟を正すべきである。 以前より指摘してきたが、「校正」不在のSNSが「誹謗中傷記事」の元凶であると私は思っている…
どなたかは存じ上げませんが、昨今、自称「教育者」と名乗る輩のレベルが低すぎる。 それも六十半ばにもなって「ら抜きことば」もロクに使えぬ指導者は「要らない」。 恥をかかぬように一応、簡単なレッスンをご本人のため。 ・勧誘「~しよう(let’s)」のかたちにしたとき、 語尾が「~よ…