男がヒロインを演じるなんて「あり得ない」 俳優・篠井英介が語る高校時代の拒絶…“現代劇の女方”が立つ「夢の縁」
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篠井英介さん(67)は、鮮烈な存在感を放つ俳優だ。ドラマ『トリック』(テレビ朝日系、2000年放送)の”ミラクル三井”、映画『探偵はBARにいる』シリーズ(2013年、2017年公開)のショーパブのママ、日曜劇場『下町ロケット』(TBS系、2015年放送)での主人公に立ちはだかる敵――数々の物語で多彩なスパイスを効かせてきた。
3月12日に東京芸術劇場で開幕する舞台『欲望という名の電車』では、19年ぶりに女主人公ブランチに挑む。
1947年の米ブロードウェイ初演以来、篠井さんは多くの俳優が演じてきたこの名作に向き合い続けてきた。初演予定の1992年には「女性役を男性が演じてはならない」という当時の著作権管理者により、土壇場で上演許可が撤回されてしまう。しかし、同作者の別作品の女性役が男優によって演じられた例を受け、改めて許可が下り、篠井さんのブランチ役初演は2001年。03年、07年を経て、今回は19年ぶり4度目の上演になる。
男性がブランチを演じる例は世界的にも稀で、前売りチケットは早々に完売。同作を「生涯で最も愛している作品」という篠井さん。古典芸能以外では数少ない、現代劇の女方としての歩みをたどりながら今作への想いを伺った。(聞き手・小川泰加)
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原点は「ちんとんしゃん」、女を演じることへの抵抗がなかった理由
「英介ちゃん、まずはお嫁さんの踊りからやりましょうね」
5歳の頃、お師匠さんから最初にかけられた言葉です。美空ひばりさんの時代劇をテレビでよく観ていたのですが、芝居小屋で歌い、踊り、立ち回るその姿が格好よくて、母親と祖母に「ちんとんしゃん(日本舞踊)を習いたい」とねだったのが役者人生の始まりです。生まれ育った金沢市の旧市街地は、お茶やお華、お能の鼓の先生が身近にいる、いわば雅な街でした。伝統芸能が生活の延長線上にある環境だったんですね。もしも工業地帯で育っていたら、日本舞踊を習うこともなかったでしょう。
中学・高校では演劇部に所属していましたが、演技への欲求は一種の飢えに近いものでした。地方では生の舞台に触れる機会が限られ、地元の大きな本屋に通っては、演劇や映画の棚にあるものを片っ端から読んで、渇きをいやしていた。当時はVHSもDVDも配信もなく、活字は大事な情報源であり娯楽。本に育てられました。
テネシー・ウィリアムズの作品もよく読んでいて、『欲望という名の電車』もそのひとつ。没落した名家の娘が、過去の栄光にしがみつき、秘密を暴かれ、破滅していく……。決して明るい物語ではありませんが、人生の暗部や人間の恥部まで描いてこそ芸術なのだと学びました。
当時の日本は高度経済成長期で、懸命に働けば豊かになれる時代。僕自身、不自由なく育ち、『サウンド・オブ・ミュージック』のような人間賛歌や、オードリー・ヘプバーンのロマンチックな映画を好んで観る青春時代を過ごしていました。それでも、主人公のブランチ・デュボアという人物に言葉にならない共鳴を覚えた。最初の運命的な出会いです。
そして高校2年生の時、金沢に来た文学座の旅公演で『欲望――』を観劇し、杉村春子さん演じるブランチから目が離せなくなりました。2度目の運命的な出会いですね。アメリカ戯曲であっても、日本人の身体と日本語で、日本の演劇にしてしまう力。影響を受けたことは疑いようがありません。
日本舞踊の世界は、性別に関係なく、女の踊りから学ぶのが通例でした。のちのち立役(男の踊り)をやるにしても、身体に色気が出るし、相手役の女性への理解も深まります。そうした世界に身を置いていたため、男が女を演じることへの抵抗はなく、文化祭では『欲望――』の前身にあたる一幕ものの『あるマドンナの肖像』のヒロインを演じたいと顧問の先生に直談判しました。先生からは「篠井が女役をやるなんてあり得ない。第一、作品自体が高校演劇に向いていない」と一蹴されて叶いませんでしたが、いつかやってやるという闘志が湧いたことを覚えています。不思議なものですね。
上京後、日芸に進学→確立した「女方」という生き方
地方では情報量もチャンスも限られ、プロの役者として仕事は成り立たないと考え、大学進学と同時に上京しました。ただ、日芸(日本大学芸術学部)に行きたいと言えば両親に反対されると目に見えていたので、商学部の願書を隠れ蓑に芸術学部もこっそりと出しました(笑)。
演劇学科には役者志望が集まりますが、驚いたのは、僕と同じように女方をやりたいと胸に抱いている人がいたことです。のちに劇団「花組芝居」を主宰する加納幸和くんもそうでした。18、19歳から歌舞伎の世界に入っても、良い役は回ってこない。だったら自分たちで劇団を作ればいいじゃないって。そうして生まれたのが「花組芝居」の前身である「加納幸和事務所」で、小劇場であらゆる女の役を演じたことが、僕の女方としてのキャリアの出発点です。
役者一本で食べられるようになったのは30代半ば。映像の仕事をいただくようになり、生活が安定しましたが、それまではアルバイトをしながら芝居に打ち込んでいました。西武劇場(現・PARCO劇場)でエレベーターボーイの仕事をしながら、「いつかこの舞台に立てたら」なんて妄想したり。最も長く続いたのは六本木のカフェバーのウエーターで、バブル期の熱気の中、深夜まで働く日も多かったですね。
物語の中で明確な役割を持った人物を初めて演じたのは、映画『NIGHT HEAD 劇場版」』でした。不気味な役どころで、以降は悪役のオファーが相次ぎましたが、嫌だなんて一度も思ったことはありません。需要があるかどうかを決めるのは世の中であり、プロデューサーや演出家、監督が「やらせたい」と感じてくれるかどうか。求められた場所で、求められた役を全うするのが役者の仕事です。