日本の政治の話を見ていると、いつも少しずつずれているなと思う。
「困っている人を支えよう」という話ももちろんわかる。
普通に働いている人が、人生で一度つまずいたくらいでは転落しきらない制度
なんじゃないかと思う。
なぜそう思うかというと、私は「そういうことは一部の弱い人にだけ起きる」とは全然思えないからだ。
今は普通に働いているし、外から見ればそこまで大きな傷には見えないと思う。
でも、あの時にもし勤め先がもっと手薄い会社だったら、たぶんそのまま職歴もお金も自信も崩れていた。
復帰できたのは、自分が特別強かったからというより、たまたま制度と会社に助けられた面が大きい。
最近も、自分の子どもの不登校のことで、現実に「このままだと仕事を続けられないかもしれない」と思う場面があった。
実際、似たような状況で離職した知人もいる。
能力が足りないとか、努力が足りないとか、そういう話ではない。
家庭の側で何かが起きた時に、仕事と両立できる余白が制度や職場にないと、人はあっさり仕事から落ちる。
こういう経験をすると、つくづく思う。
人生って、本人の怠慢や失敗だけで壊れるわけじゃない。
病気。
介護。
会社の都合。
離婚。
こういうのは、誰にでも起こりうる。
しかも、むしろ真面目に生きている普通の中間層に普通に起こる。
立憲っぽい話になると「弱い人を守る」というトーンが強くなる。
でも、それだと多くの中間層はどこかで「それは自分の話ではない」と感じてしまう。
国民民主っぽい話は「手取りを増やす」方向に行くけど、それは今月少し楽になる話であって、5年後10年後の転落防止とはちょっと違う。
自民は幅広い政策を持っているけれど、結局は「成長」が先に来て、安心はその結果としてついてくるもの、という発想に見える。
でも、多くの人が本当に怖いのは、もっと豊かになれないことそのものではなく、
今ある生活が、何か一つで壊れること
なんじゃないか。
ここ、日本の政治がずっと取りこぼしているところだと思う。
「弱者救済」という言葉になると、自分とは少し距離があるように聞こえる。
でも、その間にかなり大きな空白がある。
それが、
普通に働いている人が、人生の事故で下まで落ち切らないようにする
という発想だ。
たとえば、40代でも50代でも学び直せるようにする。
たとえば、教育費や住居費や子育て費で中間層が詰まないようにする。
これって別に「弱い人を甘やかせ」という話じゃない。
むしろ逆で、
だと思う。
だって、いつ転ぶかわからない社会で、転んだら終わりなら、人は挑戦しない。
転職もしない。
学び直しもしない。
子どもを持つことにも慎重になる。
少しでも危ない橋を避けるようになる。
その結果、閉塞感だけが強くなる。
日本って「希望がない」と言われがちだけど、あれは精神論というよりかなり制度の問題なんじゃないか。
「頑張れば上に行ける」という希望より先に、
何かあっても人生が壊れない
という安心がない。
最低限の秩序もある。
でも、人生の大きなイベントが起きた時のしんどさはかなり大きい。
学び直しのルートは細い。
制度があっても使いにくい。
だから日本の閉塞感って、単に経済成長率が低いからではなくて、
そして、いまの日本政治にはこれを正面から言う勢力があまりない。
「弱い人を守ります」でもない。
そうじゃなくて、
かなりの人が支持すると思う。
少なくとも私はする。
自分が明日いきなり大成功することを約束してほしいわけじゃない。
ただ、自分や家族に何かあった時に、生活全部が崩れないでいてほしい。
たぶん多くの中間層が本当にほしいのは、その程度の、でも切実な安心なんじゃないか。
成長はもちろん大事だと思う。
でも、順番が逆なんじゃないか。
「成長すれば安心になる」ではなく、
安心して働ける。
安心して学び直せる。
その結果として、社会も少しずつ前に進む。
なんじゃないかと思う。
そうはいうがそれを国民が望んでないんだからしょーがないんやで