碧眼の僧侶と向嶽寺|白洲正子と甲斐の国|導かれた旅路|夜明けの読書室
🕓 朝4時、静けさの中に、すべてが始まる。
墨の香、音楽の余韻、走ることで整う思考。
夜明けに目覚める者たちのための読書室。
向嶽寺で出会った碧眼の僧侶
昨年来、山梨には三度足を運んだ。うち二度、向嶽寺を訪ねている。
最初は、甲府に長年住む友人が企画してくれた石和温泉の旅。僕は車でひとり、初めての山梨へと向かった。
禅寺がいくつもあることを知り、調べていくうちに最も心を惹かれたのが向嶽寺だった。恵林寺よりも先に訪れたいと思った。理由はただひとつ、国宝の達磨図があるということ。
駐車場の有無を確かめたくて寺に電話をした。応対してくれた方は親切だったが、「恵林寺の方からですね」と、一方的に道順を案内されたのは少し可笑しかった。
「大本山 向嶽寺」の門を見つけ、脇から狭い道を入り、車を停める。境内には人影もなく、静寂に包まれていた。
仏殿に入ると、中から読経の声が聞こえる。しかし達磨図はどこにも見えない。僕の心ははやる。
しばらくして、読経をしていた僧侶が気づき、こちらへ歩み寄ってきた。事情を話すと、彼は丁寧に言った。
「国宝の達磨図は、現在東京の博物館に所蔵されており、こちらにはレプリカしかありません。ここは、修行道場です。中に入ることはできませんが、庭を散策いただくことは可能です。」
唖然とした。けれどその僧侶は、TOM FORDのような黒縁の眼鏡をかけた、碧眼の若者だった。流暢な日本語。おそらく異国から来て、ここ向嶽寺で修行しているのだろう。
「修行道場」――その言葉の重みと彼の姿が、なぜか心に残った。
彼の母国はどこなのだろう。なぜ禅宗の、しかも臨済宗の寺院に?なぜ向嶽寺に?
そう思いながら寺を後にした。彼は正座をしたまま、深く首を垂れて、僕を見送ってくれた。それだけで、どこか満たされた気持ちになった。
きっと、また会える。達磨にも。
二度目の向嶽寺と、富嶽の姿
再び向嶽寺を訪れたのは、前述の友人とともに。
この寺が「富嶽に向かって立つ」ということを初訪問時には知らなかった。
一度目は曇り空で、富士は見えなかった。
しかし二度目は、初夏の澄んだ朝で、美しい富嶽が姿を現していた。
仏殿の入り口は閉ざされていたが、庭の清々しさが心を整えてくれた。
今回も、これで充分。
またいつか訪れよう。
白洲正子さんが教えてくれた「甲斐の国」
旅に出るとき、どの本を持っていくかを考えるのも楽しみのひとつだ。
三度目の山梨を前に、本棚を見ていたら、ふと手に取ったのが白洲正子さんの『かそけきもの』だった。
文庫本の正式タイトルは『かそけきもの 白洲正子エッセイ集〈祈り〉』。
以前、読みかけて挫折した記憶があった。だが今回は、旅のお供にと軽い気持ちでBAGに入れた。
読み始めると、白洲さんの言葉がすっと心に入ってきた。
「あなた、京都ばかりが好きと言うけれど、甲斐の国も素晴らしいのよ」と、優しく語りかけてくるようだった。
この本には、深い祈りと慈しみが満ちている。
巻末近くに「甲斐の国」という章があり、そこには向嶽寺についてこう書かれていた。
「向岳寺については「楯無」の鎧のところでちょっと触れたが、「塩山」の山号を見てもわかるように、塩山を背景にした禅宗の本山で、関東では唯一の南朝系の勅願寺であったという。開山は、抜隊得勝で、十四世紀後半、武田氏十代の大守、信成の援助によってここに道場を開いた。向岳という寺号は、富士山に向かって法を説いた夢を見たからだというが、それは夢ではなく、実際にそういう気概にあふれた人物であったに違いない。向岳寺には、優れた美術品が蔵されているが、とりわけ鎌倉時代の達磨図は有名である。」
まさに、今の僕が読むべき本だった。
なぜ過去の自分は読めなかったのか。出会いには、必ず「その時」があるのだ。
感謝と愛
今日は「感謝」と「愛」の二文字を書いた。
「愛」は難しかった。何度書いても思うようにいかない。
けれど、書くたびに、「いつかきちんと『愛』を書けるようになりたい」と思う。
白洲正子さんの言葉には、愛があふれている。
そして、僕もそんな言葉を綴れるようになりたい。
静かに、心から、ありがとうと伝えたい。



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