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あしながおじさん奮闘記/Novel by 井形

あしながおじさん奮闘記

18,719 character(s)37 mins

がんばれ負けるなあしながおじさん

言葉による殴り合いから始まるかもしれない二人の話。

注意
※ジアウトローオブグリーン後を捏造
※モブ(♀)が喋る喋る&喋る
※ステモブ(♀)あり
※CP要素ほぼなし

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horizontal

「彼、とても素敵な方だったわ」
 テーブルの上のグラスについていた口紅は色も量も控えめだった。


  ◇◇◇
  

 突然殴られたかのような覚醒に、すりつぶされたうめき声が上がる。頭が断続的な痛みを訴えていた。緩慢な動作で頭に手をやるが、打撲の痕跡はない。一安心だ。薄暗い視界に広がるのは見慣れた天井で、現在地が自宅であることも確認できた。これで二安心。身に迫る危機はない。瞬き一つに悲鳴を上げる頭部神経をなだめているうちに、だんだんと記憶が戻ってきた。
 寝転がっているソファのやわらかさに感謝しながら視線を横に向けると、ローテーブルの上に散乱したボトルが見える。大小様々なボトルに書かれているアルコールの度数を確認するのも面倒で、ため息をついた。息がまだ酒臭い。
 なんのことはない、ただの二日酔いだった。仕事柄夜中に緊急の呼び出しがあることも多く、ここ数年は深酒を控えていたが、つい飲み過ぎてしまったようだ。大した話じゃない。幸い出勤までにはまだ時間があるし、頭痛薬かなにかを適当に飲んでもうひと眠りすれば元通りだ。

「だからそんな顔をするな、クラウス」

 向かいのソファに座る上司をなだめるように優しい声を出せば、熊のような巨体がびくりと反応する。室内の照明はすべて落されていたためぼんやりとした影しか認められないが、手を握って肩を落とし息を殺している男は、気が立った獣のようにも怯えた小動物のようにも見えた。それがおかしくて笑いが漏れる。
「君、どうやって入ってきたんだい」
「鍵を開けて」
「嘘つけ。うちのマンションはオートロックだ」
 返事はなかった。俺もそれ以上の追求は諦める。言わないと決めたことは絶対に言わないのだ、この男は。
「今日の仕事は?」
 どうせだから朝の打ち合わせを先にやってしまおうと、寝そべったまま副官の顔を作る。だらしない恰好だが、ここは俺の自宅であり、彼はいわば侵入者だ。遠慮することはない。
「チェインが現在調べているものが一件、レオナルドの報告書待ちが一件、ザップの報告書待ちが一五件だ。新しい事件はない」
「いつも通りか。だったら申し訳ないんだけど午前休取ってもいいか?情けないことに頭痛がひどくてさ。何かあれば連絡してくれればすぐ行くし」
 再び沈黙が訪れた。テーブルを挟んだ向こうからの圧力が大きくなる。薄暗さに慣れてきた目はクラウスの顔をはっきりとらえ始めたが、眼鏡のレンズに弾かれその奥の眼球を窺い知ることはできなかった。
「普段の君なら、そのような発言はしない」
 クラウスは苦しさの滲む声でそう言い、手を握る力を強めた。じっとこちらの反応を待っている。普段の君って、一体俺の何を知っているんだという常套句を吐きだすには疲れすぎていたため、別方向に舵を取った。
「ええっ、ダメか?厳しいなあ」
 わざと悲嘆にくれた声をあげると、クラウスは途端に身を小さくし、いや、いけないというわけではなく、と汗を飛ばし始める。こういうところが甘いって言ってるんだけど、まあ、直らないだろうな。俺は彼に見えるように右手をあげ、何でもないように軽く振った。
「いいさ、身勝手なお願いだったよな。分かった、ちゃんと定刻出勤するよ。でも少し仮眠がとりたいな」
 だからもう帰ってくれないか。
 言外に滲ませた拒絶を珍しく感じ取ったのか、彼は背筋を伸ばした。巌のようなシルエットから読み取れるものは少ないが、クラウスが次に何を言うかなんてことは予測を立てるまでもない。
「……私が何故来たのかとは、聞かないのかね」
「一度も訪ねたことのない部下の家に勝手に入って、家主の寝顔を眺めていた理由か」
「そうだ」
「興味ないね。どうやって入ったのかは気になるけど、言うつもりはないんだろ」
 クラウスは必死に言葉を探していた。何を言えば二日酔いの仕事仲間から情報を引き出せるのかを優秀な頭ではじき出そうとする。しかしいくら考えたところで駆け引きが苦手な彼にできることは限られていて、結局あきらめたように首を振った。
「スティーブン、君に話が」
「僕にはない。僕には君と話すことなんか何もない」
 遮って声を張ると頭痛が増した。
「呼んでもないのにわざわざ来てもらって悪いんだけどね、帰ってくれよ、頭が痛いんだ」
 まるで駄々っ子だと心の中で自嘲する。クラウスが困惑しているのが分かった。そりゃそうだろう、いつもならこんな言い方はしない。どれだけ仕事が立て込んでいても情報収集がうまくいかなくても体調が悪くても、彼に八つ当たりするようなことは一度だってなかった。真面目で小心者の彼は傷ついたことだろう。それでもかまわなかった。今だけはクラウスの顔を見たくなかった。
 微かな音がして、クラウスが立ち上がったのが分かる。我がリーダーは、寝転がった状態で見上げるとますます大きく見えた。本能的な恐怖が全身の体毛を逆立てさせる。しかしもちろん彼が拳を振るうことはなく、黙ってテーブルに散乱したボトルを片づけ始めた。
「そんなことしなくていい」
「気になっただけだ」
 両腕に大量の酒瓶を抱え、クラウスはキッチンの方へ歩いていく。しばらくして流水音がした。一本一本洗っているのだろう。あまりにも馬鹿馬鹿しくて白々しくて鼻を鳴らした。
「余計な世話だ」
 皮肉でも当てつけでもない、無神経な母親のような行為にいら立ちが募り、顔が見えなくなった安心感もあって語気が強まる。当然のように返事はなく、クラウスが今の状況も忘れて洗い物に熱中しているのだと察せられた。ああ、と再びため息が漏れる。
 勘弁してくれ、俺は頭が痛いんだよ。


 俺がすっかり片付いたローテーブルを睨み続けていると、ようやく水の音が止まった。
「情けない部下の後始末をどうもありがとう。気は済んだかい」
 言葉の棘がいちいち彼を突き刺すと分かっていても止められなかった。これ以上クラウスをこの家にいさせるわけにはいかないのだ。言うことを聞きたがらない体を叱咤して半身を起こす。キッチンにたたずむクラウスの姿はうすぼんやりとしていて、もしかしてこれは全部夢なんじゃないかという錯覚に襲われた。彼は俺の当てこすりには反応せず、黙って一本一本丁寧に空きボトルを並べている。
 最後の一本が正しく直立したところで、クラウスの動きがぴたりと止まった。

「余計な世話というなら」
 押し殺した声がキッチンから響く。
「君もしただろう」

 訪れたのは心臓を握りつぶされる衝撃だった。唸り声すら出なかった。呼吸を忘れた反動で息が荒くなり、アルコールのせいではない頭痛が襲ってくる。勝手に跳ねまわる心臓とは反対に、ソファの背に乗せた指を動かすことすらできなかった。体を起こしたまま固まっていると、じじ、と微かな音がして途端に周りが明るくなる。クラウスが電気をつけたのだと理解するまでに時間がかかった。さっきまでは暗くくすんでいた赤い髪が鮮やかに見える。ワイシャツにネクタイ、ベストを着こんだ完璧な紳士がこちらに向かって歩いてくるのもはっきり見えた。
 近づきながら、彼は口を開く。
「玄関に血の付いたシャツが脱ぎ捨てられていた」
「へえ、そうなんだ」
「君が着ていたものだろう」
「どうかな」
「最近の君の様子がおかしいことと関係はあるのだろうか」
「様子がおかしいというのは漠然としているね」
「………では一つだけ、スティーブン」
 クラウスはもう目の前まで来ていた。俺を覗き込むようにして視線を合わせる。邪魔なレンズ越しにようやく瞳が見えた。ひくりと自分の喉がひきつるのが分かる。
 やめてくれ、分かってるんだ、分かってるから、もう言わないでくれ。


「彼女は亡くなったのかね」


 悲しみもやるせなさも優しさも湛えた緑色に、俺は何度だって殺されるのに。




Comments

  • 井形Author

    →モブもあまりにも出張りすぎているので心配でしたが、そう言っていただけると救われます;; もったいないお言葉ばかりですが、コメント本当にうれしかったです!!こちらこそ、読んでいただきありがとうございました^^

    November 19, 2015
  • 井形Author

    もこもこさん ブックマークコメントありがとうございます!スティーブンさんがクラウスさんの「正しさ」に煮え湯を飲まされるような思いをしているという表現があまりにも素晴らしくて感動の涙が止まりません。そしてだからこそ惹かれてしまうというのも、もう、本当に、その通りだと思います;→

    November 19, 2015
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