部屋のベッドは長らく誰も使っていなかっただろうに
それなりにふかふかで眠りは快適・・・・のはずだった。
「・・・・・・・・・・・・・・」
厚いカーテンの向こうに朝日がさしているのが分かる。
寝起きのエミヤはぼうっと正面を見ていた。
ぐう・・
「・・・・はあ、空腹だ」
怪物の住む森の城の最初の晩のディナーは、
喰えたものではなかった。
一体この城のシェフはどうなっているのだ。
そもそも、あの怪物と妖精以外の誰かを此処で見たことは無いので
きちんとした給仕がいるかも怪しいのだが。
身支度をしたエミヤは一応昨晩と同じ大テーブルのある部屋へ向かった。
期待をせずに。
朝食とおぼしきものは用意されていたが
すでに香りからして口を付ける気になれず肩を落とした。
一応用意されていた水とクルミの実を申し訳程度に食べ
エミヤは食卓を後にした。
城の廊下をスタスタと進むエミヤの頭の上に、
昨晩話をした妖精が現れた。
『ちょっと!どうしてそんな恰好なのよ!』
食事に口を付けなかったことを訊かれるかと思ったが
言われたのは服装だった。
今朝からエミヤの格好は、例のきらびやかでセンスの良いドレスではない。
この地方の伝統的な女性の民族衣装。
ロングスカートのディアンドルだ。
エミヤの着こなしは、肩の丸みを女性らしく見せる
オフショルダーで、褐色の華奢な肩に長い白髪がかかる様が
色っぽい。
とはいえ、つまりは普段着だった。
『まるで街娘じゃないの!!貴方本当にアインツベルンのお嬢様なの?』
「・・詳しいな」
足を止めないエミヤは広い城の廊下を進み
視線は正面に向けたまま妖精へ答えた。
『あの男の娘なのならそうなのでしょう?古い名家だわ。
それなら此処に呼ぶのに・・
彼に相応しいと言えるから招いたのだもの』
妖精の言葉は半分理解でき、
半分は要領を得なかった。
自分が招かれた理由は
ただ切嗣が受けた恩以外にもあったということらしいが・・
妖精の言う『彼』に相応しいというのが分からない。
怪物に相応しいのがアインツベルンだとでも言うのか?
『もう!私の作ったドレスを着なさいよ!』
「・・・あれらはどれも夜会用とばかりのきらびやかなものだ。
私がこれからすることや、昼の時間には合わんよ」
『・・・何をするっていうの?』
そこでようやっとエミヤは広い城の出口へ着いた。
始め、あの怪物と対峙した、大ホール。
そして大扉だ。
ギイっとその大扉を力任せに開く。
「馬の世話だ」
さらりと言い切ったエミヤに
『それってお嬢様のすることなの?』
と、妖精が呆れかえった声を出し、もはや会話を諦めたのか
その場から消えた。
一つ肩を竦めたエミヤはそのまま外へ出て
昨日馬を繋いだ庭へ向かった。
はたして、エミヤの馬はちゃんとそこに居た。
しかし思わぬ同伴者が居ることにはすぐに気付いた。
何せそれはとても大きく目立つ。
エミヤの馬の正面には、あの怪物が据わっていた。
「・・・・・っ」
驚いて足を止めてしまったが、
緊張したのはエミヤばかりらしい。
馬は顔を突っ込んでいた水桶から顔を上げ
エミヤを見つけると嬉しそうに嘶いた。
すると、怪物も一度こちらを振り向いたが、
すぐに顔を正面に戻してしまう。
怪物は何をするでもなく、ただ馬の正面の地面に腰をおろし
立膝に腕をかけ馬を見ていた。
エミヤは一度止めた足を進めた。
というのも、馬の前に置かれた水桶と、干し草には覚えが無かったからだ。
だとすれば一度確かめねばならない。
ブルルルっと、馬が嬉しそうに鳴く。
エミヤはその首を撫でてやった。
「おはよう、スパダ」
馬は長い顔をエミヤの頬へ擦り付けた。
それから
「おはよう、城主殿」
そう怪物に声をかけるが、特別返答は無かった。
「・・この水は君が?」
そう問えば怪物の血のように赤い目がこちらを見た。
これにも特に返答はないが、肯定と取っていいだろう。
「ありがとう」
「・・・・・・・・・・」
やはり怪物は答えなかったが、
エミヤが馬を甲斐甲斐しく撫でてやる様をしばらく見ているとのそりと立ち上がった。
立ち上がるとやはり大きい、二本脚の狼のようなその怪物は
それまで自分の据わっていた場所の隣に置いていた桶を一つ
エミヤへ差し出した。
中にはリンゴが5個。
「腹が減っているだろ」
「・・・・え・・・」
今朝一番に聞いた声からは、予想外の言葉が出てきた。
「アイツらの作るものは喰えたもんじゃねえからな」
それは昨晩のディナーのことを言っているのだと分かる。
しかしそれではアイツらとは・・
「アイツらと人では味覚が違う。
人の真似事をして楽しむのが好きらしいから
放っておいてるけどな」
人の真似事・・・
つまり、人のドレスを仕立てる妖精がいるのなら
食事を作り給仕をする妖精がいるということか。
エミヤがぽかんとしていると、桶をグイと押し付けられた。
反射的に受け取ると、怪物はすぐに踵を返してしまった。
「・・君は?」
食べないのかという意味だ。
すると怪物はゆっくりと振り向き
「俺に食事は必要ない」
それだけ言い残しその場を去ってしまった。
エミヤは全体的に青い毛並の後ろ姿を見送ってから
両手に乗せられた桶に転がる赤いリンゴを一つとり齧ってみた。
じゅわりと甘酸っぱい果汁が口の中に広がり
俄かに空腹を刺激する。
一つはあっという間に平らげてしまった。
二つ目を齧ろうというところでふと、違和感に気が付いた。
さっきから今の今まで落ち着いた態でいる愛馬である。
「スパダ・・お前、アレが怖くはないのか?」
いかにも肉食獣然とした怪物が傍に居ても
この愛馬は落ち着いた様で干し草を食んでいた。
野生ではないにしろ、動物の反応としては可笑しい。
そうして思い返してみれば
自分とてあの怪物の前に出て緊張はすれど
本能的な恐怖を感じてはいないのだと気付く。
問われた馬の方は、長い睫の下の澄んだ黒い瞳を
ひたとエミヤに向けるだけだった。
「・・可笑しなものだな。スパダ」
5個のリンゴの内、二つを平らげたエミヤは厩舎があるのを見つけ
愛馬をそこへ運びその身体の手入れをしてやった。
実家に居た時からの日課である。
そうしながら、愛馬に語りかけるエミヤの表情は
何とも微妙なものだった。
愛馬が恐れることをしない怪物。
いかにも肉食獣という様であり
ここら一帯に流れる噂話とは合わない。
動物の本能は信じて良い。
アレはもしかすると、言う程恐ろしいものでは無いのかもしれない。
一通り愛馬の世話を終えると、日は頭のてっぺんに登ろうとしていた。
愛馬を厩舎に入れ、城の自分の部屋へ戻ると
朝自分が部屋を出る前には無かったものがあった。
窓の傍にある丸テーブルに、籐の籠。
中にはたくさんの木苺。
「・・・・・・・・・・・・・」
心当たりは一人しか居なかった。
今朝リンゴをくれた城主殿である。
他にも妖精という可能性がなくは無いが・・
不思議とそんな気がしない。
「今朝はリンゴ。昼は木苺・・か」
一つ、指につまんで口に運ぶ。
甘酸っぱいベリー系の良い香りが、口の中から鼻に広がる。
「・・・しかし、果物ばかりではな・・・」
ふむと考えた。
しばらく遠くを見るような目をしていたエミヤだったが
すぐにその視線が光を取り戻す。
「・・そうだ」
そう呟くやいなや、籐の籠を持ち上げた。