撮影=高鳥都
撮影=高鳥都

福島ロケがもたらした厚みと説得力

――福島県での撮影は、井浦さんにどんな影響をもたらしましたか?

井浦 当事者ではない1人の役者が、この物語の一員を演じるにあたって、その土地で演じられるというのは、多くを感じ学べる大変貴重な経験になりました。言ってみれば“本当のなかに嘘を持ち込んで、本当にしていける”というか。スタジオや似た雰囲気の場所で撮るのとは違い、実際にその場所で撮ると、嘘でもドキュメンタリーのようになっていく。お芝居を超えることができる。

現地に着いた日、僕は出番がなかったので、ずっと海で過ごしていました。まず、この土地の空気を体に入れたいと思ったんです。海辺の音と、風を受けて、ひたすら深呼吸して。自分の体にあるものを全部入れ替えたいと思ったんです。僕にとっては、この作品に向かっていくための、ひとつの神事のような時間でした。

『こんな事があった』(C)松井良彦/ Yoshihiko Matsui
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――松井監督は、最初から絶対に福島で撮影しようと?

松井 もちろん。やっぱり、その土地の持っている空気や雰囲気といったものは、画面に映るんです。さっき言った現場の雰囲気もそうだし、そのロケ地にある空気もそう。福島の空気も絶対にスクリーンに映っているはずだと僕は思うんです。

『追悼のざわめき』のときも、それは感じたんです。大阪の釜ヶ崎という労働者の町が舞台だったんだけど、そこは撮影中に空き瓶とか缶ビールが飛んできたり、あるいは包丁やナイフを持った人が現場に乱入してくる人がいるかもしれないとか、そういう怖い場所だというイメージがスタッフにあったんですね。それで、スタッフがよかれと思って似たような雰囲気の場所を探したこともあったんです。でも、僕は「それはやめてくれ」と。釜ヶ崎で撮らせてほしいと言って、現地で撮影したんです。そうすると、リアルというのか、生(ナマ)な雰囲気がしっかり映画に写ってくれた。名もなき労働者が道に寝転がっている風景を撮るだけで、その自然さが映画に力を与えてくれるんですね。そのあと、小人症のカップルや、佐野和宏くんの芝居が出てきても、ちゃんと現地でロケして、そこで生活する登場人物として描かれていれば、すごく説得力が増すんです。言い方はちょっと違うかもしれないけど、『追悼のざわめき』の場合、それが本当に魅力的に映ったんです。映画としての魅力ですね。

今回も、いわき市をはじめ福島県内で多くの場面を撮影したんですが、やっぱり厚みが増すんです。そこでの井浦くんの芝居も、波岡くんが命を絶つ雑木林も、説得力が違うんですね。だから福島で撮影したのは大正解だったと思います。ただ、日程と予算の関係上どうしても撮れないところはあったので、一部は埼玉県の深谷市で撮りました。

『こんな事があった』(C)松井良彦/ Yoshihiko Matsui
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――深谷市も、塚本晋也監督の『野火』(2014年)を筆頭に、インディペンデント映画の聖地になりつつありますね。

松井 場所は埼玉だけど、スタッフや役者たちは「福島で撮っている」雰囲気を出してくれるんです。前田くんも、愛流くんも、井浦くんも、大島さんも。「すげえなあ、役者って」と、驚きましたね。

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