虫の知らせはバカにならないという話
こんばんは。
偶然とは思えない偶然ってありますよね。
1985年、いまから40年前に起こった日航ジャンボ機の墜落事故を知らない人はいないだろう。単独機で世界最大の航空機事故とされる。
そのうえで、これも有名な話だが、あの稲川淳二さんが、本来なら、あの飛行機に乗る予定だったというのもよく知られている。
当時、大阪のTV局でレギュラーの仕事をしており、毎週同じ便の同じ座席で通っていたのだそうだ。
周囲の座席も、似たような境遇のビジネスパーソンで占められており、おたがいに顔なじみになっていたという。
ところかあの日に限って、稲川さんは急にアタマがいたくなり、急遽、搭乗を取りやめて、新幹線で大阪に向かうことにした。そのおかげで一命をとりとめたそうだ。
また、これは、事故後の話だが、同じ便に乗ってみると、周囲の顔なじみの会社員たちもだいたい無事でそろっていたのだそうである。
「会議が長引いてあの便に乗れなかった」とか「書類を忘れて本社に帰った」などなど、理由はさまざまらしいのだが、皆なんだかんだで事故を逃れていた。
動物的なカン
動物は、災害がさしせまると、一斉に逃げ出すという話を聞いたことがあるでしょう。いわゆる虫の知らせみたいなことで、似たようなことが、人間にも起こったのかもしれない。
もちろん、代わりに犠牲になってしまった人もいるわけで、あの日に限ってどういうわけかキャンセル待ちで乗れてしまって、帰らぬ人となった人たちもいる。
両者の分かれ道は、もしかすると、わずかな動物的な勘の差にあったのかもしれない。
ぼくも、生死にかかかわるほどのことではないが、似たような体験ときどきする。振り返ってみれば、無意識のうちに危機を回避していたのではないかと思える体験がままある。
具体例を1つ挙げるなら、たとえば東北の震災のときだ。
すでに書いたので詳しくは書かないけど、あの前日に、回避するような行動をとっていた。意識ではぜんぜん気づいていなかったけれど、振り返ってみると、どうやら震災が起こることを無意識で知っていたのではないかと思えるフシがあるのだ。
そんなこんなで断酒の話である。
今日で断酒1年
ぼくは2025年の6月15日からお酒を飲むのを止めており、今日でまるまる1年になる。
なので今日の記事は断酒をテーマにすることに、前々から決めていた。
お酒を止めるといいことばかりだ。
まず体重が落ちる。とくにダイエットもしてないけど、現時点で13キロくらい落ちている
さらに血液検査の数値がよくなり、生活習慣病のリスクもグッと下がった。
やせていたころの服が入るようになった
一日の活動時間も増えた。夜になっても本を読めるし、運動にも行ける。
いいことがあまりに多い。
その上で、お酒が健康に良くないという研究成果も続々と出てきている昨今、いまからお酒に入門しようと思っている老若男女に対しては
百害あって一利なしなので、やめておこう
とはっきりと言いたい。
とはいえ、お酒は楽しいものだ。そして、奥の深いものだ。
あなたが、お酒が好きで、他人に迷惑をかけていないなら、好きにしたらいいと思う。
代わりに、「虫の知らせとしての断酒」ということを書いてみたい。
何かを断ちたかった
ぼく自身、お酒をやめようと思って止めたわけではない。
体に悪いからとか、そういう理由でお酒を断ったのではなかった。
ある日突然、何か好きなものを1つ断つことで自分に気合を入れよう!と思っただけのことなのである。
なので、必ずしも断酒である必要はなく、
断映画
断YouTube
断コーヒー
断ゲーム
断スイーツ
なんでもよかった。なにかひとつ我慢することで自分に気合を入れようとして、それが「たまたま」断アルコールになっただけなので、エラそうなことは言えない。
あくまで意識レベルでは、そういうことなのだ。
ところが実際には、ものすごく簡単に止められてしまったので、好きなものを断つことで気合を入れたいという当初の目的を達成することは出来なかった。
ただし、あらためて飲み始めるほどでもないので、そのままにしていただけである。
ところが・・すでに何度も書いているけど、今年に入って、生まれて初めての手術をすることになり、そして、結果的には、断酒が手術に向けたものすごくいい準備になってしまった。
なので、もしかすると、ぼくの無意識レベルでは、いずれ手術になることを予期して、昨年の段階で、そのための準備として断酒を思い立ったのではないか、などと思えている。
「気合を入れるため」などというのは、意識が後付けした理由にすぎないんじゃないのかと。
というふうに、最近思うんだけど、あくまでそんな気がするというだけのことで、結果論でしかない。
ただし、断酒が手術へのいい準備になったことは間違いない。
危機回避としての虫の知らせ
手術くらいならともかく、だれでも飛行機事故には遭いたくないだろう。
大地震からも、逃げられるものなら逃げたいだろう。
ならば、常日頃から、こういった、なんとなく浮かんでくる動物的な衝動をバカにしない方がいいかもしれない。
なんでもかんでも計画的に、かしこく立ち回ることばかりを考えないで、なんとなく食べたくなったり、なんとなく行きたくなったり、なんとなく気が進まなかったりする、「なんとなく」をだいじにしたほうがいいのかもしれない。
日ごろから、そうしているほうが、いざというときに動物的な勘は、冴えてくるような気がする。
とはいえ、念のため書いておくけど、べつに近々〇月〇日に地震が来るとか、そんなことをほのめかしているわけじゃないですよ。
ことわざにもあるとおり、
天災は忘れたころにやってくる
のである。やがて忘れたころになにかがやってきたら、そのときはお互いに本能で回避できればいいですね。
それではまた。



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