「一歩踏み出せるきっかけを作りたい」元巨人・小笠原道大氏が身体障がい者野球チームを創設した理由
「ベンチで一言も喋らなかった」選手が日本代表メンバーに
一人の少女との出会いをきっかけに、創立から10年余り。今もなお発展しつづけているチームの意義を小笠原氏はこう語る。 「選手がはつらつとするんです。思ったようにプレーできなくても、出来た時にさらに滲み出てきます。1つのボールに対してみんなが必死にプレーしている。まさに原点ですよね」 所属する選手は、足や手など、かかえるハンディは様々だ。それでも片腕の不自由な選手が、うまくグローブを持ちながら取り、ボールをあげている間にそのグローブを持ち替えて送球する。練習を重ね、成長していく姿を見てきた小笠原氏は「期待じゃないんです」と話しこう続ける。 「打ってくれとか、うまくなってくれじゃなくて、プレーを見ているだけでいいんです。はつらつとプレーしているだけでこっちは嬉しく思えるんです」 もう一つ、重要な役割を担っているのが選手同士の交流の場だ。「チームに参加してから、生活の中で意欲的になったという声も聞きます」と話すように、体の不自由な選手同士だからこそ共感できる空間でもある。 23年の世界身体障がい者野球大会で日本代表メンバーに選ばれた土屋 来夢主将もその1人だ。都内の高校で野球部に参加していたが、1年時夏の練習後の事故で指を切断。その後に家族連れられ参加したことをきっかけに、障がい者野球にのめり込んでいった。参加当初の土屋を知る笹川代表は、当時のやり取りを回想する。 「年末最後の練習で父親に連れてこられて参加しましたが、ベンチに入ったまま一言も喋らなかったんです。これは難しいなと思いましたし、父親からのメールも悲壮感しかなかったです。私からも『やりたいと思ったら来てください』と返したのですが…」 思春期の少年に現実が重くのしかかる。ただそんな空気も年が明けるとともに一変する。 「正月休みに父親と練習したみたいで、次に練習に来た時は片手でキャッチボールできていました。元々出来る選手でしたし、運動神経もよくてすぐに上達していきました」 段々とできることが増え、おとなしかった性格もにぎやかになっていった。これには小笠原氏も「何回か顔を合わせるうちに、表情や立ち振る舞いも変わっていった」と変化を感じ取っていた。 「最初はショックが大きかったでしょうね。後天性の事故でこんなはずじゃなかったって、夢と希望があったものが閉ざされてしまった絶望感もあったと思います。ましてや16歳ですから。そこはもう練習に来ただけでも凄いと思います。お父さんの熱意が伝わって、行動に起こしたんでしょう。そういう選手を一人でも増やしたいんです」