負傷を押し、監督に頭を下げて出た都市対抗はプロ入りのラストチャンスだった・小笠原道大さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(48)
私は都市対抗の前に肘を痛めたんですよ。NTTの監督が連れて帰ると言ったんだけど、頭を下げて残らせてくれと。都市対抗で活躍して何とか(スカウトの)目に少しでも留まりたかった。若い時って目の前のものしか見えないですから。ラストチャンスだと思ったんですよね。高卒での社会人5年目は、あんまり取られないんですよ。大体は3年、4年で(プロに)入って終わるんで。当時の君津の監督が(自チームの選手と)補強選手との併用をうまくやってくれて、打つ方は何とか結果(3試合で長打5本)は出せたんです。 ▽奥さんになる人を嫌な気持ちにさせられないと発奮 もう結婚が決まってたんです。5年目の96年12月が結婚式だった。1年前じゃないと式場の予約を取れないので、1月には婚約ってやつですね。プロへ行こうと行くまいと、結婚することは決まってた。そこに(同年11月の)ドラフト会議がかかっていました。5年目で駄目だったら、もしかしたら会社を辞めていたかも。要は電電公社からの流れで、高卒だと(給与面などの待遇が)低いんですよ、大卒と比べると。そういうの耳にしてたので、駄目だったら(会社に残るのは)ちょっとな、と思って。何か若気の至りなんですけど。当時もね、NTTに入れたら、そこにずっといた方が絶対いいんですよ。だけど、もうプロしか見えてないですから。駄目だったら残れないって豪語してる分、なんか居づらいじゃないですか。そういうのもあったと思うんです。
だから、大会ごとに必死でしたね。かといって、うまくいくわけじゃなく、負けたりすると私のせいで負けたって陰口をたたかれ、それを他から耳にするし、奥さんになる人も耳にしてたんで。苦労させられない、嫌な気持ちにさせられないっていうのもあった。いろんな意味で(プロに)行かなくちゃいけないんだ、行くんだという発奮材料にはなりました。 × × × 小笠原 道大氏(おがさわら・みちひろ)千葉・暁星国際高―NTT関東からドラフト3位で1997年に日本ハム入団。2000、01年は最多安打。02年から2年連続首位打者。06年は本塁打と打点の2冠でパ・リーグMVP。巨人へ移籍した07年に史上2人目の両リーグMVPとなった。名球会入り条件の2千安打は11年5月に達成。中日2年目の15年限りで引退。通算2120安打。73年10月25日生まれの51歳。千葉県出身。