インパール作戦なぜ大敗? 指揮官同士の反発、たたき込まれた“武士道精神”で消耗…イギリス側の視点で分析
太平洋戦争で日本が敗戦に向かう重要な局面の一つとなった旧日本軍のインパール作戦。ビルマ(現ミャンマー)・インド戦線に詳しい英国の歴史家ロバート・ライマン博士がロンドンで西日本新聞の取材に応じ、英国側の視点で同作戦を分析した。旧日本軍が緒戦に勝ちながら大敗を喫した要因や背景は-。組織の意思統一の欠如や、近視眼的になりがちだった教育など、指摘した問題点は現在の日本社会に通じる。(丹村智子) ■1944年6月、インパール作戦でコヒマに進軍する旧日本軍。インド兵の姿も見える【写真】 ライマン氏は20年間所属した英国陸軍を2001年に退官し、その後は歴史家として第2次世界大戦を中心に研究。これまで30冊近い著書がある。
インパール作戦については、元英国軍人に加え、インドやビルマ、日本の元兵士からも聞き取りを重ねるなど多角的に調べてきた。「日本兵について深く考察するため、武士道の理解に努めてきた」という。 取材はライマン氏の提案で、英国軍人らの社交クラブ「アーミー・アンド・ネイビー・クラブ」で行った。丁寧な応対に加え、旧日本軍について熱っぽく語る様からは、敵味方を超えた敬意と歴史探究への情熱が伝わってきた。
インパール作戦は、牟田口廉也中将が補給を無視して強行した無謀な作戦として知られる。だがライマン氏は「牟田口氏は自我が強く誰からも好かれる性格とは言えなかった。だが戦略的判断力は高かった」と評価する。上官が指示したのはインドのインパールとコヒマの攻略。牟田口氏は、コヒマから約70キロ先のディマプルを占領すべきだと主張していた。 ディマプルはそれまでの2年間で拡張し、英国最大級の補給基地となっていた。ライマン氏は「ディマプルに進撃していれば、日本軍は戦略的に大きな勝利を収められた」とみる。当時、英印軍のスリム将軍は「ディマプルは無防備だった。攻撃に来なかったおかげで救われた」という書簡を上官に送っていたという。
作戦に消極的だった牟田口氏の上官らは、ディマプル侵攻を却下しただけでなく、求められた車両を十分に供給しないなど制限を設けた。コヒマ侵攻の責任者になった佐藤幸徳中将は上官である牟田口氏と折り合いが悪く、作戦に納得しないまま現場を指揮する形となった。 ライマン氏は「指揮官同士が反発していては、指揮系統は機能不全に陥る」と話した。当時の旧日本軍が組織として勝てる状態になかったと指摘した。