またひとつ、齢を重ねました。
歳月とは、ただ増えていく数字ではなく、自らが引き受けてきた決断の総量だからです。
若い頃は、前へ進むことだけを考えていました。
高く、速く、遠く。
いま思えば、ずいぶんと力んでいたものです。
立ち止まり、受け入れ、ときに手放すことで奥行きを持つのだと。
二十代は転び方を覚え、三十代は責任の輪郭を知り、四十代はその重さを実感する。
成功は人を照らす。
失敗は人を支える。
けれど人は、結局のところ他人にはなれません。
ならば、自分という素材をどう活かすか。
年齢とは衰えることではなく、削ぎ落とされることなのかもしれません。
余分な見栄や焦りが落ち、残るのは芯だけになる。
鏡の前で白髪を見つければ 「おや」と思い、階段で息が上がれば「なるほど、こう来たか」と苦笑する。
それもまた、味わいです。
可能性が無限にあった頃より、いまのほうが迷いは少ない。選択肢が減るとは、覚悟が定まるということ。
今年、近しい命を見送りました。
生きることと終わることは、遠く離れた出来事ではなく、一本の線の両端でした。
名声よりも体温。
その重さを知りながら、前に立つ。
規模を追うだけではなく、芯を守る。流行をなぞるのではなく、信じた道を通す。
仲間が誇れる場所をつくりたい。次の世代に託せる土台を築きたい。
背伸びはしない。だが、器は広げ続ける。
無理はしない。だが、怠らない。
経営も同じだ。逆風を嘆くのではなく、どう帆を張るかを考える。
幕は下りない。
声を荒げず、ただ進むべき方角を見失わず、静かに責任を引き受けていく。
派手さはいらない。
確かな歩みだけが、やがて道になると信じてもちろん明日も生き切ります。