ES—砂に眠る記憶
佐宗 操
第一章 Polar star 1
早朝。JJは軍用テントを這い出して、昨夜からそのままにしてある携行ガスバーナーに火をつけた。まだ薄暗い中、アルミ水筒の水を沸かし直してコーヒーを淹れる。規定行動要綱からは逸脱した行為だ。
支給外物資であるコーヒーの粉をSS製蓋つきマグに入れる。湯が沸くのを待つついでに手をかざして暖をとる。吐く息が夜明け空へ舞い上がり、つられるように視線を上げて夜と朝の境界線を眺めた。
藍とオレンジの境目のあの色を、なんと呼べばいいのかは知らない。
砂漠にたったひとりでいると地球上の人間すべてが、自分を遺して滅亡してしまったのではないかと思えてくる。何日も生身の人間と話さないこともザラだった。首の裏に埋め込まれたICチップ(個体識別・神経行動管理ユニット)が常に作動していることを思い出さなければ、ここでは自由な気分になれる。ひび割れた大地に生息する動植物はごくわずか。見渡す限り生命の気配を感じない。
――けれど、空だけは綺麗だ。
この世界もまだまだ捨てたものじゃないと錯覚できる。
エリアCは砂漠地帯のため昼夜の寒暖差が激しい。夜は氷点下の冷え込みとなるが、日が昇って二時間もすれば灼熱地獄と化す。
単独哨戒任務中に朝のコーヒーを淹れて飲む。そんな非効率的行動をとっている強化兵はほかにはいない。だがJJにとって起床後のその一連の動作は、夜も明けきらぬうちから頭の中を臨戦態勢へと切り替えるためには必要なスイッチなのだ。砂漠で野営する際の個別ルーティーンともいえる。
非効率行動こそ、彼の小さな自由と抵抗の証。
昨夜の接敵状況——第一都市からの
JJは、コーヒーを飲みながら愛用のSR-9スコープド・ライフルを取り出し、念入りに手入れを始めた。銃身内部をクリーニングロッドで掃除し、サイトのキャリブレーションを確認。光学照準器の設定も調整して潤滑油を塗布し、機関部のアクションを確認する。
使った弾倉から残弾数を逆算し、弾薬状況を確認。仲間の部隊が到着したら一度基地に戻ったほうがいいだろうという結論に達する。昨夜は無駄撃ちをしすぎた。『敵の責任者が訓練生時代の上官によく似ていたから』うっかり撃ちすぎた、なんて報告書に書けるはずもない。補給が困難な砂漠地帯で弾のありがたみがどれほどのものかも無論分かっている。
ゆっくりと深呼吸し、コーヒーの香りを肺の奥まで取り込んだ。朝の静寂の中、自分の心の動きを注意深く観察する。
感情の振れ幅は落ち着いている。気分の落ち込みはない。ごく標準的な狙撃手のメンタルを保っている。文句も言えるし、弾の無駄撃ちだってできる。小さな違反の支給外コーヒーさえも飲める。そして何より、この味をちゃんと「苦い」と感じられる……。薬液の影響が残っていれば、味覚が鈍化するから。
毎朝このようにルーティーンをこなし精神状態を確認することで、今日の自分がどれだけ『本物』かを測ることができる。ここでの日々は単調で命懸けだが、JJにとって、この行動は一日のうちで「自分自身を通常の状態と確認できる」数少ない時間だった。
JJはカップの中の黒い液体を見つめた。こんな小さな反抗でさえ、ICチップの支配下にある彼にとっては大きな意味を持っていた。
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夜が明け切ると、風が強くなった。日中、強風が吹き荒れるのもこのエリアの特徴だ。汚染物質混じりの砂塵を吸わないよう野戦服の首のジッパーを上げて口と鼻を隠し、宿営道具を片付けた。単身用テントと
痕跡が残っていないか目視で確認を終え、手早く荷物を積み込んだ。あとは手元のマグカップを飲み干して寝袋のカラビナに吊り下げるだけだ。
そのときコーヒータイムをぶち破る音量で、
「……誰だ、朝っぱらから」
JJは舌打ちしながら端末に触れた。通信が途切れがちならば無視もできたのだが、信号は安定している。音声モードで通話をONにした。無線のノイズ音とともに男性オペレーターの声が聞こえてくる。
『――こちら
「こちら0611H。現在位置グリッド座標AZ-435・789、エリアCセクター12の高地監視ポイント」
『座標AZ-435・789確認、おはようベノア軍曹。オーエン中佐に代わるから、TV通話をONにして』
「……了解」
画面をタップすると、オペレータと狭い座席を代わったばかりの、無精髭の大男が写し出された。今は別の部隊に所属している古株の強化兵、オーエンだ。
『ようJJ、調子良さそうだな。バラした敵部隊に囲まれて過ごす朝はどんな気分だ?』
「もう慣れたよ…何カ月このエリア哨戒してると思ってる?」
JJはマグを片手に面倒くさげに応じる。オーエンとは少々因縁があり、直属の部下でもないのに何かと目をかけられていた。
『そいつは頼もしいな。実は折り入って話がある。ちょうど掃討班と合流したから、今からそっちへ向かう。ETA、二時間後ぐらいか』
「急ぎの話ならこのまま聞くけど? あんたがわざわざ来るこたないって。どのみち弾も燃料も切れそうだから一度アウトポストに戻ろうと思ってる」
『いや、直接会って話したいんだ。少々込み入っててな。拾いに行くからそのままそこで待機してろ』
画面上のオーエンの眉が深刻げに少し下がる。
「……」
JJは密かにため息をついた。オーエンはセントラル陸軍の指揮官の一人で、若い強化兵たちによる哨戒部隊を監督する立場だ。階級は中佐。オリエンタルな風貌の40代前半の古株で、身長が高く、常に周囲を圧倒する存在感がある。2ndバッチと呼ばれる古いタイプの強化兵で現場経験も豊富、信頼のおける男だが、普段は他のエリアにいることが多くさほど頻繁に顔を合わすわけではない。
込み入った話などこちらはお断りだが、それでも階級も年齢もかなり上のオーエンには逆らえない。
「分かった、待ってる」
JJは気乗りしない態度を露わに通信を切り、無線装置を起動して
「何だ…? 込み入った話って」
首をかしげて残りのコーヒーを飲み干す。すでに冷めていて苦みが強くなっていた。朝の平和は終わった。
ショットガンも点検し予備として座席の下部に配置する。腰の拳銃とサバイバルナイフも確認する。すべて問題ない。
あと二時間ここで待機、と言われたので、ついでに単座式戦闘艇のシステム診断を実行した。燃料残量35%。航続可能距離は300キロ。バッテリーは60%。機関砲の弾薬が半分ほど。後部席ミサイルランチャーは3発残っている。
――たぶん、厄介事にちがいない。
JJは砂の海に向かって吐き出した息が風に乗って消えていくのを見つめた。
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