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収入印紙貼付(納付者は消印しないこと)
訴 状
令和7年1月8日
さいたま地方裁判所 御中
事件名 猥褻図版頒布等公証 請求事件
訴 訟 物 の 価 額 100円
ちょう用印紙額 1,000円
(送達場所)
原 告 印
〒100-8977
住 所 東京都千代田区霞が関1-1-1
被 告 国
代表者 法務大臣 鈴木 馨祐
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電 話(03-3580-4111)
第1 請求の趣旨
1 令和6年4月3日にさいたま地方法務局所属公証人千葉雄一郎が原告に対して
行った処分を取り消す。
2 令和6年3月27日に原告がさいたま地方法務局所属公証人千葉雄一郎に私署
証書の認証の嘱託をした2通の文書につき、被告は当該公証人または他の公証人をし
て、私署証書の認証をさせよ。
3 令和6年12月24日に被告が原告に対して行った異議申出棄却決定法務省民
総第1170号を取り消す。
4 被告は、原告が令和6年8月28日に被告に対して行った異議申出について、
改めて認容する決定を行え。
5 被告は原告に対して、私署証書の認証を不当に拒否したことに関する賠償とし
て金100円を払え。
6 訴訟費用は、被告の負担とする。
との判決を求める。
第2 請求の原因
原告が令和6年3月27日にさいたま地方法務局所属公証人千葉雄一郎(以下、
「本件公証人」という。)に私署証書の認証を嘱託した2通の文書(以下「本文書」
という。甲1、甲2 )について、本件公証人は「全体として公序良俗(民法第90
条)に違反する文書と認めざるを得ない」として、令和6年4月3日に嘱託を拒否し
て理由書(甲3)を明示した。
原告は当該拒否を不当であるとして、令和6年4月10日にさいたま地方法務局長
に対して公証人法第78条第1項に基づく異議申立を行った(甲4)。これに対して
令和6年7月26日にさいたま地方法務局長は、さい法総庶第1051号にて当該異
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議申立を棄却する決定(甲5)を行った。
原告は上記法務局長の決定を不当であるとして、令和6年8月28日に法務大臣に
対して同法第78条第2項に基づく異議申立を行った(甲6)。これに対して、令和
6年12月24日に法務大臣は法務省民総第1170号にて当該異議申立を棄却する
決定(甲7)を行った。
本文書は猥褻図版について「あらかじめ対象物の表現に性的に露骨な表現が含まれ
て閲覧者の性的羞恥心を害する可能性があることを明示しこれに同意して閲覧を希望
する成人に限って頒布すること、および、あらかじめ対象物の表現に性的に露骨な表
現が含まれて閲覧者の性的羞恥心を害する可能性があることを明示しこれに同意して
閲覧を希望する成人のみが存在している閉鎖的な空間において陳列すること」に関す
る許諾の契約、ならびそれが営利活動に発展した場合に対価を支払うことを目的とし
た契約が記述してある。
しかし、下記に記載する理由から、本文書に基づく契約の締結及び記載の行為は憲
法の趣旨および私的自治の原則に照らし、公共の福祉に関する利益衡量の観点から考
えれば、民法第90条および他の法令に違反しないと考えられる。
よって本文書に関する私署認証の嘱託を公証人が拒むことは、民法第90条及び刑
法第175条第1項に該当せず「正当ノ理由」を欠き、公証人法第3条に反すると考
えられ、本文書にかかる公証はなされるべきである。
また、本文書にかかる処分は理由提示を欠き違法であるため、いずれにせよ取り消
されるべきである。なお 、行政事件訴訟法第14条第1項本文によれば、取消訴訟
は処分があったことを知った日から6月以内に提起する必要があるところ、本訴訟は
法務大臣の決定を待ち、統一的な法解釈を求める必要があることから、法務大臣の決
定後遅滞なく提起したものであり、同項但書にいう「正当な理由」にあたる。
すると、本件公証人の行った処分は取り消されるべきであり、被告は当該公証人ま
たは他の公証人をして、当該文書の私署証書の認証をさせるべきである。合わせて、
法務大臣の異議申出棄却決定も取り消されるべきであり、改めて申出を認める決定を
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行うべきである。
また、認証の拒否は不当であるから、生じた損害の賠償を被告は原告に支払うべき
である。
第3 本文書が民法第90条に違反しないといえる理由
1 民法第90条に定める公序良俗とはなにか
民法学者の我妻栄は、公序良俗違反について「法律行為の内容が個々の強行法規に
違反しなくとも、その社会一般秩序または道徳観念に違反するものであれば、その法
律行為は無効である。」(我妻栄『新訂民法総則』(1965)、岩波書店、270頁。甲
8)と指摘している。
そして、我妻は反社会性の内容について「『公ノ秩序』とは、国家社会の一般的利
益を指し、『善良ノ風俗』とは、社会の一般的道徳観念を示す。しかし、善良の風俗
を維持してゆくことは、国家社会の一般的利益に適し、また、国家社会の一般的利益
は、これを尊重することが時代の道徳観念に適するようになるのであるから、公の秩
序と善良の風紀とは、その範囲が大部分において一致するのみならず、理論上も、明
瞭に区別することはできにない。ただ、一は国家社会の秩序を主眼とし、一は道徳観
念を主眼としている差があるだけである。しかし、民法は、両標準のいずれかに反す
るものを無効とするのであるから、両者を強いて区別していずれに違反するかを決定
する必要はない。従って私は、行為の社会的妥当性という語で両標準を一括して考え
ようと思う。<中略>公の秩序・善良の風俗の具体的な内容を列挙することは、不可
能である。社会の秩序も、道徳観念も、その具体的内容は不断に変遷する。従って、
法律行為の内容をこの変遷するものに適合させようとする規定は、その内容が具体的
ではありえない。第九〇条は、抽象的規定であることがその生命である。しかし、そ
のために第九〇条の適用が裁判官の個人的思想による区々な結果となってはならな
い。ここにおいて、一面、従来の判例及びこれに対する学者及び社会一般の批評を仔
細に観察し、他面、活眼を開いて、当代の社会思想と社会制度とを観察し、もって、
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具体的な決定を誤らないように務めなければならない。」(我妻栄『新訂民法総則』
(1965)、岩波書店、271-272頁。甲8)と述べており、民法第90条の示す公序良
俗に関する通説であると考えられる。
したがって、本文書が、我が国の公の秩序ならび善良の風俗に合致し、そして社会
的妥当性に相当しているか、反社会性を有しているか等を踏まえ、本文書が民法第9
0条に反し無効であるかにつき検討すべきである。
2 民法第90条の限界について
民法第90条によって我が国の公の秩序ならび善良の風俗に沿った法律行為以外を
違法・無効とするとしたとしても、その違法・無効となるべきものには限界が存在す
る。民法によって違法・無効とされるか検討される内容が、憲法により保障される国
民の人権と衝突する内容である場合については、公共の福祉によってその制約が認め
られるか検討されるべきであるからである。
内閣法制局にて日本国憲法の制定にもかかわった法学者の佐藤功は、「もしも「公
共の福祉」という抽象的なことばが直ちに「全体の利益」ないし「国家の利益」を意
味するものとして用いられ、かつその具体的内容は法律によって定められると解され
ることになるならば、基本的人権の保障は旧憲法の場合と、結果的には、何ら異なら
ない」(佐藤功『憲法』(1983)、有斐閣、197頁、甲9)、「『公共の福祉』の意
味は何か、およびそれがいかなる場合に基本的人権を制限する根拠となりうるかを精
密に検討する必要がある。また、その場合には、一方では公共の福祉の多義的な内容
に注意するとともに、他方、基本的人権の種類すなわち各種の基本的人権の性質上の
相違に着目して、公共の福祉を理由としていかなる基本的人権をいかなる程度まで制
限しうるか、を具体的・個別的に考えることが必要である」(佐藤功『憲法』(198
3)、有斐閣、198頁、甲9)と述べており、そして、「自然権的な自由権的基本権の
性質をもつ思想・良心・信仰・表現などの精神的自由は、ほんらい国家権力の介入を
許さないことをその本質とするものなのであるから、『公共の福祉』による制約を加
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えうるのは、その自由がはなはだしく反道徳的・反社会的な結果を生ずる場合に、そ
の防止に必要な最小限度においてのみ認められる」(佐藤功『憲法』(1983)、有斐
閣、201頁、甲9)、「『二重の基準』の理論とは、精神的自由を規制する法律に対
する裁判所の合憲性判断の基準は経済的自由を規制する法律の場合とは別のものであ
ること、すなわち前者の基準は後者の基準よりも厳重・厳格でなければならない理論
をいう。すなわち、精神的自由を規定する立法は、ほんらい違憲の推定を受け、した
がってそれを合憲であるとするためには、立法部はその規制を必要とする特別の理由
があることを立証しなければならず、その立証が不十分であると認められるときに
は、その立法は違憲と判断されざるをえない」(佐藤功『憲法』(1983)、有斐閣、
202頁、甲9)、「一般論的にいえば、『公共の福祉』を理由として基本的人権を制
限することが認められるのは、要するに、基本的人権を制限することによってえられ
る利益またはその価値と、それを制限しないで置くことによって維持される利益また
はその価値(それは、制限することによって失われる利益またはその価値といいかえ
てもよい)とを比較衡量して、前者の利益またはその価値が後者の利益またはその価
値よりも高いと判断される場合に限られるというほかない(「利益衡量論」または
「価値衡量論」とよばれる考え方がそれである)」(佐藤功『憲法』(1983)、有斐
閣、203頁、甲9)と述べていることからも明らかである。
したがって、民法第90条によって基本的人権の行使たる法律行為を無効とするこ
とができる場合というのは、比較衡量の末、他者の人権を侵害しているような場合に
おいてのみ「公共の福祉」によって制約を受ける際のみと限定的に解するほかなく、
抽象的な「公の秩序」なるものによって国民の基本的人権の行使たる法律行為に制約
を課すことは違憲である。
もし、公共の福祉に立脚しないような「公の秩序」なるものが私的自治の実現に対
して優越するような立場を採るのであるならば、今日的には否定されている一元的外
在制約説に立つよりほかなく、これは佐藤功の指摘するとおり、明治憲法と同じこと
となり、現行憲法が保障している国民の基本的人権が否定されることとなってしま