引用については、直接引用ではなく間接引用です。竹中氏の著作を参考文献に含めるべきかどうか迷いましたが、一応入れています。
【出典】
・週刊明星1964年9月27日号『本誌独占 ジャニーズはどうなる!?――告訴沙汰と関係者のいい分』P34~38(セクハラ言及なし、「喜多川氏の言動にもとづく営業妨害の損害賠償として160万円」との記載あり)
・週刊サンケイ1965年3月29日号『〝ジャニーズ〟売り出しのかげに 事件の背景』P26~30
・週刊平凡1967年7月27日号『トピックス ジャニーズが地裁の法廷に立つ』P36~37
(セクハラ言及なし)
・女性自身1967年9月25日号『ジャニーズをめぐる“同性愛”裁判』P40~42
・竹中労『タレント帝国』(1968年)P244~258
・竹中労『スキャンダル紅白歌合戦』(1979年)P120~127
・週刊文春2000年1月27日号『ジャニーズ裁判元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開!』P180~181
【週刊明星】(1964年9月27日号)
1964年6月、(初代)ジャニーズのデビュー曲のレコーディングについて、名和氏とナベプロ間で意見の相違。
7月初旬、名和太郎・純子夫妻と喜多川姉弟、ジャニーズの父兄が集まり、三福会館で話し合い。メリー氏曰く、「話し合いの結果、弟は忙しいので手を引き、私がジャニーズの世話をすることになった」。
名和氏側はジャニーズとナベプロの提携に不満。「歌も踊りも知らない子供をここまで育てたのは誰か。ジャニーもよく面倒を見たが、私たち夫婦は宿や食事の世話をし、妻は夜中に洗濯もしていた。しかしジャニーは何の相談もなくナベプロと提携している。スッキリしないのは当然」
7月29日、名和氏がジャニー氏(※勤務先の米国大使館)宛に、「約370万5千円を受け取る権利がある」という内容の催告書を送付(金額の内訳はジャニーズの授業料、特別レッスン料、スタジオ使用料、宿泊食費の計114万円。ジャニー氏が学院に呼んだ外部タレントのスタジオ使用料28万5千円。ジャニー氏の言動による営業妨害の損害賠償160万円。その他)。
8月14日、ジャニー氏が抗議の返事を送る。「日本と米国の相互防衛援助協定条約第六号第十一条に基づき、速やかに告訴する」との内容。
(この問題について、青井父、中谷母は「ジャニー氏を信頼している」とコメント。)
【週刊サンケイ】(1965年3月29日号)
名和氏の訴えにより調停に。
(ジャニーズに対し、1962年4月1日から1964年6月28日までの声学、舞踊、演劇の授業料、特別レッスン料、宿泊料、食費。ジャニー氏に対し、1962年3月15日から1964年5月8日までの下宿料、立て替え交際費。また彼が学院の生徒にみだらな行為をしたことにより生徒が退学し、学院の名誉が傷つけられたことなどに対する損害賠償を含む、合計270万6千298円を求めるもの。)
初回は1965年1月16日、2回目は2月19日、3回目は3月15日。
以下は名和氏の談。1964年6月12日以降の話は日記に基づくもの。
1962年1月、ジャニー氏から学院に児童部を作ってはどうかと提案。子供たちも紹介できるという。
3月、児童部が“芸研ジャニーズ”として発足。一般応募者も含めてレッスン開始。ジャニー氏が連れてきた(後の初代グループ・ジャニーズ)4人の成績が良い。
6月、ジャニー氏の提案で4人の月謝を免除、将来諸費用を返してもらうことに決定。契約書は無し。
8月、ジャニーズが売れ始める。マネージャーは純子夫人がやることになっていたが、ジャニー氏もよく働いていた。ジャニーズとジャニー氏が学院内に泊まり込むようになる。
1964年6月12日、児童タレントKの顔色が悪い。流行りの睡眠薬遊びでもしているのではないかと問い詰めたところ、ジャニー氏が自慰を教えたという。他の子供にも被害者がいることが分かる。ジャニー氏を追い出すと決意。
6月14日、子供たちが小道具の刀を持ち、ジャニー氏をやっつけると騒ぐ。“芸研ジャニーズ”を解散すべきと考える。
6月16日、メリー氏から「ジャニーは無実」と、感情的な電話あり。
~ジャニーズの父兄と数度にわたる協議~
6月28日、ジャニー氏が引退。ジャニーズのマネージャーは純子夫人とメリー氏が務めることに。名和氏も頼まれたが「ジャニーズ」という名前が嫌なので断る。
7月13日、純子夫人が、父兄代表の青井父に呼び出される。「奥さんには気の毒だが、マネージャーは子供たちの希望でメリー氏に一任する」と言われる。純子夫人は「辞めても構わないが、金銭的な精算をつけてから返事する」と答えて帰宅。
【週刊平凡】(1967年7月27日号)
調停は物別れに。ジャニーズ側から裁判で決着をつけようと提案。
1964年8月、名和氏が東京地裁に訴え出る。
名和氏曰く、「ジャニーズは、1962年4月から1964年7月まで私の事務所にいた。育ててこれからというときに逃げられてしまい、ここで泣き寝入りしては私たちのようなプロダクションはやっていけない。話し合いで解決しなかったので調停に持ち込んだが、ジャニーズ側は2~30万円なら出すという。そんな少ない額では受け取れない。裁判で決着をつけようとジャニーズ側が言うので、それではと1964年8月に東京地裁に訴え出た。まる2年間あまり面倒を見た費用が5~600万円。領収書を引っ張り出してみたら600万円ほどあった。そこからジャニーズのTV出演料などを引き、270万円を“立て替え請求”した。3ヶ月に1回ぐらい裁判が開かれて現在に至る」
【女性自身】(1967年9月25日号)
1967年9月11日、ジャニーズ4人が証人として出廷(※16回目の公判)。4人は“同性愛”について、原告側弁護士から尋問を受けたが、「知りません」「そんなことがあったらジャニーさんにはついていきません」「わかんない」「覚えていません」などと証言。裁判の趣旨と直接関係がないとしてそれ以上は追求されず。
※この件について、中谷良『ジャニーズの逆襲』(1989年)に「証言の内容はあらかじめ指示されていた、偽証」との言及あり。しかし『逆襲』の内容は正確性に欠けるほか、中谷は文春のインタビュー(2000年)に対し、「裁判のときは緊張して違うことを言ってしまった」と答えている。
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以下は名和氏の談。1964年6月12日以降の話は日記に基づくもの。
1964年6月12日、桑原洋治くん(取材時点で既に引退)が、名和氏に「毎晩のようにジャニー氏からいたずらされている」と泣きつく。猥褻な写真を見せて興奮させたうえで、体を触ったり触らせたりしたという。名和氏が調べたところ、ジャニーズ4人を含む15人の被害者がいることが判明。ジャニー氏を呼びつけて「出てゆけ!」と怒鳴る。
6月19日、青井が、名和氏に「あんなことをされて僕の一生はおしまいです」と訴える。青井の両親を呼んで話し合う。ジャニーズの他の3人と、日テレのプロデューサーも同席。青井父が青井に「本当にそんなことがあったのか」と問い詰め、青井は「あった」と返答。
6月28日、ジャニー氏が正式に学院を出る。その際の話し合いで、ジャニー氏は疑惑を否定。しかし彼の退席後、ジャニーズ4人はいかがわしい行為をされていたと認める。同日夜、青井父が名和氏に対し「このことは誰にも言わないでください」と泣いて土下座。
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秋本勇蔵(22歳・歌手)の証言「1960年に新芸能学院の生徒となり、1962年頃にジャニーズと知り合った。1964年にジャニーさんから嫌なことをされた。ジャニーズの4人も嫌なことをされたと聞いている」
※秋本氏については、同業者のブログ記事に、昭和19年生まれという記述あり。
https://ameblo.jp/marikokanzaki1205/entry-12856327998.html
2023年6月17日TBSの番組に出演、79歳とのこと。1962年にジャニー氏と出会った。当時18歳、住み込み。当時30歳のジャニー氏が学院に出入り。特に挨拶等交わしたことなし。夜寝ていたら布団に入ってこられたので蹴っ飛ばした。他にも被害者がいると名和氏から聞いた。
名和氏がジャニー氏に怒って、出ていけということになり、メリー氏がそこに来て「ジャニーこの辺で引き上げどきだよ」と言ったのを、自分は台所で耳にした。純子夫人は、「ジャニーは性加害をされて、そういう育ちをしたんだから、病気なんだわね」と言っていた、と。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/549163
2024年8月26日の文春記事では80歳。「メリーさんが、『ジャニーは子供の頃、男と関係を持ちながら育った。だからジャニーの少年好きは可哀想な癖、一種の病気なの』と語っていた、ということを純子さんから何度も聞いた」と。
【タレント帝国】(1968年)
時期不明ながら、1962年8月~1964年6月12日のどこかの段階で、青井が涙ぐみつつ純子夫人に相談。「ジャニー氏が風呂に入ってきて足の裏を舐めた。僕の一生は終わりだ」との内容。夫人は「ふざけたんでしょう」と取り合わず(純子夫人談)。
1963年(※1964年の間違いと思われる)6月12日、学院のK少年が名和氏の部屋に「ジャニー氏に接吻された」と駆け込む。名和氏はジャニー氏を「君は変態ではないのか」と詰問。青井の件もあったため厳しく追求。名和氏の調べにより、小学生から高校生を含む14人の被害者がいると判明。メリー氏に抗議すると「弟にそんな趣味はない」と否定したが、結局泣き泣き真相を告白(※著者竹中氏は「私たちにその真否を判定することはできない」と断っている)。
6月16日、名和氏が青井父を喫茶店に呼び出す。日テレの遠藤プロデューサー同席。青井に対するジャニー氏の猥褻行為を暴露し、ジャニーズ解散を主張。
6月19日、ジャニーズ4人の父親を三福会館に集める。話し合いの結果、ジャニー氏に手を引かせることに決定。
7月10日、ジャニーズの父兄が、銀座東急ホテルに名和氏を呼びつける。父兄は、同性愛事件は名和氏のでっち上げだと非難。「今後はメリー氏に一切を任せるので、あなたには手を引いてもらいたい」と宣告。
7月15日、ジャニーズが学院を去る。
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秋本勇蔵:1961年10月に名和新芸能学院に入学。裁判では「ジャニーさんに嫌なことをされたという話は青井自身から聞いている。僕も17歳のとき、ジャニーさんにイタズラされた」と証言。
※2023年の証言「1962年に被害に遭った」とは辻褄が合う話。ただ、先述の「1964年に嫌なことをされた」という証言とは辻褄が合わない。
【スキャンダル紅白歌合戦】(1979年)
1963年(※1964年の間違いと思われる)、青井が純子夫人に「ジャニー氏と風呂に入ったら、足の裏を舐められ、それから変なことをされた」と泣いて訴える。夫人は「ふざけたんでしょう」と答えたが、夫人からその話を聞いた名和氏が調べたところ、小学生から高校生を含む14人が同様の被害に遭っていると判明。
6月19日、名和氏は三福会館にジャニーズ4人の父親を呼び出し、ジャニー氏の猥褻行為を暴露。ジャニーズを解散すべきと主張(自分の手元に取り戻したいという下心はなかったとのこと)。
7月10日、ジャニーズの父兄が銀座東急ホテルに名和氏を呼び出し、同性愛はでっち上げだと非難。「メリー氏に一切を任せることにしたので、あなたには手を引いてもらいたい」と言う。
※『タレント帝国』及び『スキャンダル紅白歌合戦』は、セクハラ発覚の時期を1963年としているほか、ジャニーズの出廷を1967年10月としている(実際は9月11日)。
【週刊文春】(2000年1月27日号)
純子夫人曰く、「マスコミの方には初めて話す。ジャニーズのメンバー2人が台所に上がってきて、『僕もう、このままじゃダメになっちゃう』と私に訴え始めた。何のことか分からず、とにかく頑張りなさいと言ってしまった。2人は『汚いんだよ』とか『気持ち悪いんだよ』とか口々に言っていた。よく聞くと、文春が書いているような内容だった」。それを聞いた名和氏が、レッスンを受けに来ていた少年たちに尋ねると、十数名の被害者がいることが分かった。ジャニー氏は否定。しかし純子夫人は、メリー氏から「1945年7月9日の和歌山大空襲の際、ジャニーは40代の男性にイタズラをされた。だから、ジャニーのことは可哀想な癖だと思う」と聞かされる。
名和氏がジャニーズ4人の両親に事情を話し、話し合いの場を設ける。保護者たちは「芸能活動は続けたいが、子供たちをジャニー氏の側には置いておけない」という意見で一致。ジャニー氏と名和氏が手を引き、純子夫人にマネージメントを任せることに決定。しかし、しばらくして保護者たちから「子供たちの希望なので」との通告があり、4人は喜多川姉弟についていく。その際、メリー氏が「もう、引き上げどきね!」と捨て台詞を残したという。
※文春の当該記事では、ジャニーズ結成・事務所創業は「昭和三十五年」となっているが、誤り。ちなみに、新芸能学院は「昭和三十六年」開設となっている。ジャニー氏が、新芸能学院のスタジオ落成後に後のジャニーズである4人を連れてきた、との記述もあるため、やはり昭和三十五年ジャニーズ結成では辻褄が合わない。
※2023年の秋本氏のインタビュー内容が、この文春記事の内容と似ている(※類似であり、合致ではない)点に留意。「ジャニー氏の幼少期の被害について純子夫人が話していた」ことや、メリー氏が「引き上げどき」だと言ったことなど。