弐


 天嵐神社の分社と末社は山岳郷の山々に総数一四七一社あり、小さな祠も含めれば、ゆうにその三倍に達する。四五二九社、これが正式な数であり、天嵐神社関係者であれば――いや、山の民ならば皆が暗記している数だ。

 他の郷を含めれば、その総数は四万社を数え、すなわちそれだけ天嵐神社の威光を示している。

 無論、よその神社もこの郷にはある。弔鉄神社しかり、火湖神社しかり、双龍神社、そしてその本家本元の祖流……神闇道しんあんとうを創始した常闇之神社――など。


 ある伝説では――。

 天嵐神社は、大三子みだいかむのみこの一柱、常闇様が直々に創出せよ、と天嵐様にご下知なさり、興されたのだ――というものがある。

 いずれにせよ――。

 神使としてまだまだ一介の身、末端も末端である玄慈にとって真相など知りたくても知る由のないこと。

 今できるのは、不遜の輩からいかに情報を引き抜くかだ。


 透破を捕まえて一刻(およそ二時間)、時刻は昼四つ――巳の下刻(およそ十時から十一時ごろ)。

 玄慈は田豪天嵐神社の社務所にある小上がりに招かれ、そこで、神主と茶を交えて会話をしていた。

 玄慈は出汁のような風味がある松茸茶をすする。


「また始まりますか」

 神主は、見た目、少年期を経て青年期へと過渡する風貌の狗賓天狗であった。

 神主、――つまり、神職である。権正階、禰宜、三級。玄慈はそのように当たりをつける。

 見た目年若いが――実際、そこは関係ない。

 妖怪には見た目の年齢など飾りに過ぎず、実年齢と一致することはあまりない。加えて天嵐神社は徹底した実力主義。年に二度行われる「神前仕合」にて「実力」を認められれば、その時点で神使なり神職なりに登用される。

 資格勉強やその取得は後付でいくらでも得られるという理屈で。


 この青年神主も、見た目の割に老熟した雰囲気があり、湯呑みを扱う仕草一つにさえ、品がある。

 両方と診ていい。老練で、そして恐ろしく武に秀でている。


「そうならぬよう、俺がいます」玄慈ははきとそう答えた。

 立膝である。人の世では、正座は罪人の座り方とする気風がにわかにあるらしい。妖怪の世では、そうでもない。あぐら、立膝、正座、いずれも「座り方の一つ」に過ぎぬ。

 もちろん正座は一つあらたまった座り方ではあるが、所詮、座法の一つ。罪人だ、聖人だ、そんな決まりはない。心構え一つだ。

 そこにいちいちくだらぬ格式は用いず、あるのは、合理と機能、それだけである。


 弓は社人に預け、大小も、間違っても境内で抜かぬよう自ら神社の者に預けた。

 天嵐様が、その分霊がおわす境内で喧嘩沙汰など罰当たりにもほどがあるというもの。


「ところで、暁桜殿様。お連れ様は」

「忍び故な。顔を見せられんと。呼べば出てくると思うが」

「左様ですか」神主は拘泥しなかった。忍びがそういうものだと知っているのだろう。「しかし、見事に大腿動脈を避けた一矢でした」

「いい師がいる」


 玄慈が放った矢は、透破の右大腿の外面を刺し貫いていた。骨を砕いたのは確かだが、実際は、それだけではない。

 矢が命中した際、鼠径部から内側に走る動脈を巧みに避けており、骨を削りつつ衝撃で砕く、まさに神業を行っていたのだ。

 これにより、失血死を避けて捕縛し、情報を吐き出させる余地を作っていた。

 人体の急所とは背骨、胸、首、脳だけではない。実際には、些細な臓器一つ破裂するだけでも、穢れや不浄が漏れ出て病にいたり、死ぬ。体内で糞便が充満すれば、もうおしまいだ。


「弓の師……ですか」

「神主様もご存知であろう。弓張子ゆみはりのこの桜之丞和真さくらのじょうかずま

 弓において、右に出るものはいないと言わしめる獣狩ししがりの男だ。

 その男は半妖の鬼で、神使ではないが、ある事情から天嵐神社において弓の手ほどきを行うこともあった。

 というのも、玄慈が属する「武の神使隊」の筆頭神使の恩人であるのだ。和真にはぜひ神使にという誘いもあったが、和真はこれを「俺はいち獣狩に過ぎん」といって、断っていた。 


「桜之丞様ですか。有名な獣狩ですな。なんでも、鉄輪大百足カンナワオオムカデを仕留めたとか」

「そうだ。そこまでいくと、もはや天の上の存在だ」


 玄慈は言いながら、黒糖まんじゅうを頬張った。

 神職は茶のおかわりを急須から注ごうとして、ふと気配を感じ、手を止める。

 玄慈は、気にせずまんじゅうを平らげて、手指を懐紙で拭う。

 お互い、足音――歩幅と体重、歩みの律動から、敵意がないことと、意図して隠す悪意がないことを察していた。


 戸の向こうで、「禰宜様、お知らせしたいことが」と声。

 青年神職は「入りなさい」と促す。

 戸が、静かに引かれた。その向こうには、若草色の袴姿の、少年社人。

来原くりはら禰宜様、例の透破者が話したいことがあると。禰宜様と暁桜殿様をご指名です」

 社人の少年――犬……いや、千疋狼せんびきおおかみの社人が言う。

「うむ。ご苦労、すぐ向かう。片付けを任せる」

「はい、禰宜様」


 玄慈は体のどこに力を入れているのか、傍目には皆目わからぬ動作でぬるっと立ち上がる。

 それは神主も同じこと。天嵐神社で役目を果たすものは、神職、巫女、氏子、そして社人に至るまでが武術を叩き込まれる。それゆえの、神前仕合であり、武術の稽古であった。

 そして、武術とは如何に相手に動作を読ませず立ち回るか。武術を修めている者の動きには、それが滲み出るのだ。


 少年は玄慈の独特な雰囲気に気圧され気味である。

 無理からぬことだ。

 玄慈はあえて無言で彼の脇を通り過ぎ、社務所から出た。


「…………」

 この、異様な美貌のせいで、他者から距離を置かれる。これが、つらい。

 そんな事を言ってはわがままだ、とか――そう思われるという葛藤も僅かにあり、だからこそ、強く振る舞ってしまう。

 いっそ開き直って、美貌を武器にできればと、そう思うこともある――。


「暁桜殿様?」年若い神職が立ち止まり、振り返った。

 玄慈は「すまぬ」と謝り、歩き出した。


 透破の男を治療しているのは専用の離れである。

 血にはケガレがある。ゆえに、それを引き受け祓うキヨメの力を持つ、穢多エタの身分の者が神社や仏閣では医者――外科医として重用されていた。

 ちなみに先程話題に上がった獣狩もまた、このキヨメの民の流れを汲む。もしくは、苛烈な修行の中でその素質を体得し、磨き、身に修める。


 穢多とは元来、穢を浄め祓う選ばれし者を指す。

 その気風がいまだ根強いのが、和深大陸の特徴だ。

 医学については、西洋大陸からもたらされた舶来本をもとに発展した。

 けれど、理屈、というそれだけでは説明しきれぬ摩訶不思議は多い。妖怪や、神仏がその最たるものだろう。

 故に、穢の思想も浄の思想も残り、体系化され、伝えられている。


 神職とともに玄慈は離れの医務所に入る。

 医務所とは、すなわち、病院である。すでに和深大陸――すくなくともこの東条地域では、診療所と呼べるものが何軒も立っており、医学知識は大きく向上していた。

 寺社仏閣も護摩や経典、加持祈祷だけでなく、物理的な外科治療や、内服治療も行っているのである。

 ゆえに、寺社は診療所としての側面も持っていた。


 透破の男は、簡素な作務衣に着替えさせられ、布団で寝かされていた。

 こちらを見るなり、申し訳なさそうな、そして怖がるような目をして、視線を逸らす。

(腿を射抜かれたのだから当然であろうな)

 玄慈はそう思った。


「正直に答えれば取って食ったりはせん」玄慈は、本当のことを言った。

「どのみち終わりだ。国には帰れない」

「……誰が音頭を取っている?」

 身の上に付き合う気はない。玄慈は、低く問う。

廣口城太郎ひろぐちじょうたろうという殿様……らしい。俺は末端だから、曖昧にしか知らんが、藩命と聞いていたから、そうなんだろう」

 藩命。すなわち、藩主の命令であり、藩からの命令。もしくは、藩の使命。

「地図を作っていたな」

「軍用地図だ。本当に、何も聞かされていないが、向こうは……依頼を持ってきたやつは明らかに戦慣れした様子だったよ。こう、町人風の野良着だったが……一分の隙もねえ。しかも顔に、大きい傷がある。あんなの野良仕事でつくもんか」


 神職が玄慈を覗き見た。頷いて、場を譲る。

「……お前さん、国元に家族は」

「いねえ。おっとうは、俺が七つのときに病で逝った。虎狼痢コロリでな」

「母君は。兄弟や、細君は」

「おっかあは二年前に遊郭へ行ったよ。妹も。嫁はいねえ……」

 うなだれる男の肩を、神職が掴んで、優しく揺する。

「正直に言ったな。天嵐様も、悪くはすまいよ。お前さん、人を殺めたことさえないんだろう? 目を見ればわかる」


 男はとうとう、「金がいるんだ。おっかあと、妹を、取り戻すには」と震える声で言った。

 なるほど、それでこんな慣れない仕事を受けたのかと、玄慈は得心がいった。

 同時に、敵の井筒国が、素人を使うほどに切羽詰まっていることも察する。

 土が痩せている井筒国では、主食は芋が精々。海にも面しておらず、細い川からは相応の魚しか取れず、果物や野菜の実りはよくないという。

 かつては戦略上の要衝として、交易の交差点とも言われたが――。

 四半世紀前に、その交易は絶たれ、井筒国は急速に疲弊した。

 東の国が、弔鉄郷という郷との戦に敗れたのが原因だ。これによって重要な供給が途切れた。


 同情しないこともない。だが、侵略者に堕ちた連中を救済する気は、玄慈にはない。

 己の生活と、山の民の土地と、主祭神たる天嵐様をお守りするのが、神使たる自分の役目。

 だから、神職が言わんとすることは、人情としては理解できても、個人としては認められぬことであった。

 ――唾棄すべきである。虫唾の走る偽善だ。


「ここにいなさい。神社の仕事なら、まあ、怪我もしないだろう」

 玄慈は、国へ返せ、と怒鳴りたかったが、こらえた。

 玄慈は筋金入りの「尊妖誅戮そんようちゅうりく」思想を持っている。

 その危うさは、ときに、朋輩ほうばいからさえも注意されるほどである。


 尊妖誅戮そんようちゅうりく――すなわち、妖とそれを庇護する神や仏尊を絶対とし、それ以外の敵をすべて誅戮する苛烈で過激な考えである。


 この場にいては、どうにかして逃がしている怒りが再燃し、あの男を縊り殺しかねない――そんな気がして、「用は済んだゆえ、引きあげさせていただく」と早口に言い、場を辞した。


 静かに戸を閉めたつもりが、存外、大きな音がなる。

 大股で歩く。


 社人に武器を返してもらった。その若い社人は、玄慈の静かな怒りに当てられ、かすかに震えていたが、気遣う余裕などない。


 ふと、いつの間にやら背後から黒虎系譜の猫又――忍びの禰涅ねくろがそっと歩み寄り、囁くような声で、

「ご命令を。毒を混ぜることくらい造作もありませぬ」

「いらぬことをするな。二度目ともなれば庇いきれん」

「玄慈様のために死ねるのならば、むしろ、本望」

「誰のためにも死ぬな」


 玄慈はそう吐き捨て、境内を出た。

 本来なら鈴を鳴らし詣でるべきである。しかし、こんなすさんだ気持ちで、天嵐様に手を合わせたくはなかった。


 二人は、まもなく昼になろうかという空の下、神社を囲むように栄える町へ降りていった。

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ミタマタケハヤ ― 和深之玄慈物語 ― 書読筆刀斎(筆走子星咲好一) @hittosai

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