【玄慈ノ譚】壱ノ章 山の郷の神使
壱
壱
一羽の大柄なフクロウが、空を蹴るように飛翔する。
テンランオオワシミミズク――単に、テンランフクロウと呼ばれる事が多い大型の猛禽類。
猛禽の王者、生まれながらの武人、あるいは空の
音もなく飛び、はるか高空、雲を突き破らんばかりの峨々たる巨峰を縫う。
自由に、自由なだけ大空をわたり、その意志を誰かに届けんとするように。
羽根が一枚抜けて風に舞った。すべらかな風切羽。栗色と白、焦げた茶の色が滲む美しいそれ。
ごう、と唸る
びょうびょうと鳴る風に導かれるようにして、風切羽はある一座の山へときりきり舞いして降りていく。
――ときは、
そこは
天狗系の妖怪が統治する妖の土地だ。
妖による国家単位の統治体制を、この和深大陸においては「郷」という。
加えて言い足すならば、妖怪の郷には、かならず実在の神がおわす。
そう。
この和深においては神や仏は空想ではない。ひたすらに地続きの、血肉と御霊が脈打つ、実在のものであった。
神も仏もあってなお。
戦の気配は、決して遠くない。神秘と霊性がそこにあっても、ひたすらにいさかいと争いは絶えない。
――己が知っているだけで、この二年。もう三回の小競り合いが郷境で起きている。
青々とした山林地帯。
黒に近い、深い常磐色の髪が揺れた。
青年の髪は長く、なめらかで、背中にかかるほど。
それを今、後ろの長い髪を結わえてまとめ、さらに余ったものを一房にまとめて胸の前に垂らしている。
女とも男とも思えるが、どちらなのか判然としない顔立ち。それゆえ現実離れした美貌の、麗しい佇まい。
彼――ひとまずは便宜上「彼」とする――は、視界に陰るものを感じ、それを視線で捕まえる。
ふわり、と舞い降りる風切羽。大きさからして、テンランフクロウのものだろう。
柔らかく舞い降りたそれを、男女などという括りを超克した美貌の持ち主が、右手に乗せるよう柔らかく受け止める。
切れ長の目に、ぱちりとした二重まぶた。刺刀で丁寧に整えているきりっとした眉。
彫りが深く、鼻梁が通り――兎角、ぞっとするような、異様な整いよう。ここまで完璧だと、むしろ恐ろしさすら感じる。
魔性、霊性、神性――どのような表現が近しいか。いずれにしても、ひと、というにはその枠に抑えきれないものがある。
齢十八の体は、しかと鍛え上げられて筋肉がぎゅっと締まる減り張り。
温かな深緑の目が、鬱蒼と生い茂る木々の上、樹冠の向こうの、青空を仰いだ。
木漏れ日が、青年の尖った長い耳をあらわにする。
青年は十八年前のある朝、天嵐神社総本社境内、本殿の脇に植えられている大桜の御神木の中から生まれた。
親はいない。強いて言えば、この、玄慈球という星が、彼の親だ。もしくはこの大地を想像した双龍神――その子に当たる、
いずれにせよ、彼には星と同じ名が元服と同時に与えられた。
彼は今、深緑に塗った御貸具足を身にまとっていた。
背中には通常の和弓よりも全長が短い半和弓。腰には大小差し。
身丈は六尺二寸(一八六センチ)とかなりの大柄。女も男も見惚れる。そういう青年である。
とはいえ、まさか、本当に完全なものなどあろうはずがない。
彼の欠点――それはいま、おいておくとして。
彼の槍持である
髪は黒金色。黒装束。虎を思わせる耳と尾。彼女は黒虎系の猫又で、名を、
謎だらけの隠密集団、霧島隠密組の一人で、その中で特に生えぬかれた
この忍びはある理由でこめかみに穴を開けて、逆さ吊りにして槍で刺す、という恐ろしい極刑が決まっていたが――。
玄慈のはからい(?)で見逃され、以来、忠誠を誓っている。
死ね、といえば彼女は死ぬだろう。眼の前で、腹を割いて臓物を並べてみせろといえば、淡々とこなすだろう。そういうたぐいの、並ではない忠義で玄慈のそばにいる。
玄慈は禰涅に目配せした。
今日は快晴。妖怪にとっても人間にとっても動きやすい気候。
同時に、隠密には向かぬ昼日中。とはいえ、間諜のやり口とは、必ずしも覗き見やこそこそ隠れ忍ぶだけとは限らない。
町人に扮する、参詣客に紛れるなど、やり方はいくらでもある。
この状況下だ、何が起きても不思議ではない。
「玄慈様」禰涅が女にしては低い声で、かつ、声量を最小限に落としつつ、言った。「賊です」
彼女は目がいいだけでなく、鼻も聞くし、振動にも敏感だ。
玄慈は己が並々ならぬ妖怪であること自覚しつつ、まだ、その力を十全には掴めていない。
故に、この忍びの警告はありがたいものであった。自分が出自だけで成り上がったわけではないと自負している一方で、同時に、それがやや贔屓目に働いてしまっているということも――悔しいが、自覚していた。
だから、実績が欲しかった。
なんでもいい、手柄が欲しかった。なにか仕事をやり仰せ、認めさせれば、くだらぬ後ろ指を指すような声は引いていくだろうと思ったのだ。
玄慈は静かに半和弓を背中から抜く。禰涅が目を向ける先に視線を添わせれば、そこには、この山林ではかえって目立つ、黒装束がいる。
顔や肌に照り返す陽を隠すための装束だろうが、本来それは、闇夜に扮し月明かりを吸収するためのもの。
昼間に透破をするのならば、むしろ胸を張って町中に入り、町人のふりをしたほうがはるかに良い。
――素人め。
しかし、逃す理由にはなるまい。
玄慈はすっと
鉄の鏃。この山岳郷では、鉄鉱資源が豊富に取れる。そのせいで、人の国から狙われる理由にもなっているが。
玄慈は全長五尺(一尺=三〇センチメートルで計算。およそ一五〇センチメートル)の半和弓をぐっ、と握る。
弓柄の両端には、テンランフクロウの羽飾りが美しく揺れていた。
黒装束が、なにやら半冊子に書き込んでいる。
やはりあいつは間者。透破だ。
偵察情報を取られるわけにはいかぬ――玄慈はそう思い、そして、風の流れを読み切ると、矢を放った。
ビッ、と矢が風を裂く。鏃がにわかに、緑色に帯電。
玄慈の妖力が、そこに滲んでいた。
黒装束がギャッと悲鳴を上げた。
玄慈の矢はあえて急所を外して右の大腿骨を粉砕。鉄の矢が骨を砕いて、反対側から顔を出す。
大腿動脈は避けた。鏃が擦る衝撃だけで骨を砕いた――こともなげに射ったが、それは、神業に等しい。
がぁぁ――と苦鳴を上げる透破。
玄慈は
木漏れ日が、二人の妖を万華鏡のように照らし染め上げる。
草摺と脛当てが草をかき分けていき、男を二間の間に捉えた。
玄慈は矢を収めて、この、草木の茂る場で用いやすい、短刀の如き刃物、
「貴様、何者だ」
玄慈が低く問うた。整った美貌からは想像できぬ、どすの利いた声であった。
「よ、よせ。よしてくれ。欲しい情報はやる。殺さんでくれ」
「それを決めるのは俺ではない、上の者だ。まず質問に答えろ」
男は、「あ、ああ」と観念したように、あっさり、白状した。
彼はここで軍事地図の測量を行っていたらしく、それを国元――
軍事地図を作り、持ち帰って、それが何に使われるかなど言うまでもない。
玄慈は男の襟首を掴んだ。
「来い」
命令し、逃れんともがく男の顎に掌底を打って意識を刈るなり、禰涅がそれを担いだ。
「神社ですね」
「然り。総本社につれていくのが最善だが、失血死されても困る。まずは末社の神主様に診てもらおう」
「誰もおりません。いつものように話されては? その口調、疲れるでしょう」
「常日頃口調を整えねば、格式は崩れるものだ」
玄慈は、妙な意地っ張りを見せつけた。
「左様で。しかし、また小競り合いでも起きるのでしょうか」
「小競り合いで済めばよいがな」
その意見に関しては、禰涅も同意であった。
おそらく、多少の「小突き合い」ではすまぬ所まで来ている。
井筒国が置かれている状況を考えれば、悠長なことなどをしているいとまは、もうないのだ。
「備えねばならん。力をつけねば」
玄慈は、言い聞かせるように言った。
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