第232話 青野と宇垣

 俺は高級車の後部座席に座った。宇垣のおじさんは横目でそれを見ている。

 何から話そうか。話したいこと、聞きたいことはいろいろあるのに、最初の言葉が出てこない。


「久しぶりですね。愛さんには、お世話になっています」

 なんとか絞り出した言葉は、これだった。よく知っている父さんの友達じゃなくて、恋人の父親に対してあいさつするのはなんだか不思議だ。


「娘がお世話になっているね。黒井からもよく聞いているよ。お母さんやお兄さんも元気かな?」


「はい。おじさんもたまには、遊びに来てくださいよ。昔みたいに」

 父さんが存命の時は、宇垣のおじさんは月に何度もうちに来てくれていた。いろんな打ち合わせのために。


「きみたちに会わせる顔がなくてね。大切なお父さんの異変に気付くことができなかった友人として、無理をさせ過ぎてしまった同志としても」


「そんなこと……」


「正直に言えば、愛とキミが付き合っていることも、申し訳なく思っているんだ。宇垣の家の者が、これ以上、お世話になってもいいのか。私はとても怖い」

 俺は最初、何を言っているのか、わらかなかった。そして、彼は今でも父さんの死を引きずっているんだと理解する。


「愛さんと父さんの急死は関係ないじゃないですか‼ 俺は、愛さんに救ってもらったんです。えん罪でいじめを受けていた時、最初に俺を助けてくれたのは、あなたの娘さんなんですよ」

 愛さんがあの日の屋上で、なにをしようとしていたのかは、あえて語らない。彼女が絶対嫌がるから。そして勝手に父さんの死と今回の件を結び付けて欲しくはない。


「そうか……だが、愛も君によって救われたんだと思うよ。娘が家の者以外では、キミが初めてだ。瞳の……妻の死を自分から説明したのは……」

 

「それでも、愛さんはおじさんとしっかり話したいと思っているんですよ」

 

「……私は逃げたのかもしれない。娘と一緒にいたら、彼女の心の傷を広げてしまうと思ったんだ。事故の後、私に会うと娘はいつも謝っていた。愛のせいじゃないのにな」

 彼女らしい。もしかしたら、小さな過失とも言えないことを自分のせいにしているんじゃないかなと思う。


「おじさん……」

 こんなに弱気になっているのは初めて見た。彼はいつも自信満々で、難しい問題も彼にかかれば解決してくれると父さんはいつも言っていたくらいだ。


「さて、本題に入ろう。明日から始まる臨時国会で、君のお父さんと一緒に考えていた法案が成立する見込みだから、最後にあいさつに来たんだよ。一度失敗したとしても、もう一度立ち上がることができる社会の形成、景気動向によってチャンスをつかめなかった世代への支援、ヤングケアラーや虐待を受けている子どもたちへの支援を3本柱にした新しい制度が出来上がる。これでやっとちゃんとした報告ができるよ」

 おじさんはやり切ったように、深く息を吐いた。

 まるで、自分の死期を悟ったように、あきらめと潔さに似た表情が同居している。何かを隠している。それも、あまり良いことではないことを。そして、踏み込むべきは自分ではない。娘である愛さんを差し置いて、そこに入り込むべきではない。


「最後なんて早すぎますよ」

 俺の言葉に、彼は「ふふっ」と笑う。俺じゃないものを見ているように見える。たぶん、父さんの残影だ。


「そうだな。娘を……愛をよろしく頼む。親ばかだと思うが、優しい子だ。強い子でもある。だから、なかなか弱音も吐けない。でも、キミと一緒なら大丈夫だ。小さなころから、英治君のことを見てきた。大切な娘を任せるのに、キミ以上の適任者はいない」

 恋人の親からここまで認めてもらえたことは素直に嬉しかった。でも、これじゃあまるで……


 俺の思っていることを察して、おじさんは口を開いた。

「これじゃあ、まるで遺言だ。変なことを言ってしまったね」

 でも、普通なら続くはずの”忘れてくれ”という言葉が続くことはなかった。それだけに、彼の真意だとわかってしまう。


 ダメだ。ここで別れてしまったら、愛さんを……一生後悔させてしまう。だから、俺は動いてしまった。


「いきなり来て、いきなりそんなことを言うのは反則ですよ」

 その言葉に、おじさんも「そうだな」と笑う。

 続けざまに、俺は約束する。


「法案が成立したら、父さんのお墓参りに一緒に行きましょう。そうしないと、終われないはずですよ。その時に、俺からもきちんと返事をします」

 ここで終わらせようとしていたからだろう。おじさんにしては珍しく悩んだように見えて、少しだけ時間をおいて「わかった」と返ってきた。


「絶対ですよ」

 念には念を押して、脅迫するように言う。彼は優しくうなずいた。


 そして、俺の家に車は到着する。


「送っていただきありがとうございました」

 俺は自動で開いた車のドアから出て、しっかり向き合っておじさんに礼を言う。


「そうだ、言い忘れていたよ。小説の件、おめでとう。お父さんも絶対に喜んでいるよ」

 やっと昔のように優しい声がはっきり聞こえた。俺はうなずくことしかできなかった。ゆっくりと車が遠くなっていく。


「こんなことってないだろ」

 神様をそう呪いつつ、俺はみんなが待つ家に帰る。


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