1866年、オランダの植民地だったジャワ島の貴族で自然主義者の画家だったラデン・サレは、東ジャワの「巨人の戦場」と呼ばれる場所を訪れた。地元の農夫たちが巨大な骨を発見し、伝説の魔王のものだと言っていたことに興味をそそられたからだ。サレはその骨が古代の動物の化石であることを確認した。
数十年後、人類の進化における「ミッシングリンク(失われた環)」を探していたオランダの医師で博物学者のウジェーヌ・デュボアは、ミッシングリンクはオランウータンやテナガザルなど多種多様な類人猿が生息する熱帯の東南アジアの島々に隠されているに違いないと信じていた。以前、スマトラ島で化石を探したときに成果はなかったが、その後サレが報告した化石のことを知って確信を強め、東ジャワに目をつけた。
1891年、東ジャワのトリニールで、デュボアは探していたものを発見した。ジャワ人の強制労働者を使って、古代のヒト族(ホミニン)の頭蓋冠(とうがいかん)、臼歯、大腿骨を発掘したのだ。
この新しい標本は、1864年に正式に新種と認められたネアンデルタール人と比べて脳の容積が小さく、類人猿に近かった。しかし大腿骨の形状は、直立二足歩行が可能であることを示していた。
デュボアは1894年の論文で、この化石に「ピテカントロプス・エレクトス(直立する猿人)」という学名をつけた。いわゆる「ジャワ・マン」だ(その後1950年代に、科学者たちはこの化石をヒト属の「ホモ・エレクトス」の最初の証拠とした)。
この発見は、チャールズ・ダーウィンの進化論を裏付ける証拠と見なされ、科学界に衝撃を与えた。
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