一人フンフン
私が使っているカメラの後継機が12月に発表されるとネットで見かけた。この後継機のカメラは今年の始めくらいには、今年発表されると噂されていた。春が来て、夏が過ぎ、秋が終わり、再び冬が訪れ、どうやら発表されるらしい。
私が使っているカメラはミドルクラスだ。
100万円とかするカメラならば、新しい機種が出たからと言って、新調する人がどのくらいいのるのかわからない。私の財力を考えるとそもそも買えないし、もし買っても1つ新しくなったくらいでは新調しない。
私は好んでミドルクラスのカメラを使っている。理由は単純で、高価なカメラは壊れたら泣いちゃう、と思って撮影に集中できないからだ。100万円が目の前で散っていったら、それは泣くに決まっている。悲しみで次の日は寝込むかもしれない。自分探しの旅に出る可能性すらある。行き先はどこだろうか、インドだとは思う。自分探しとはインドなのだ。
そのインドで写真を撮りたいと思う。
しかし、私にはカメラがない。100万円は散っていたのだ。インドに来ているけれどカメラがない。雨が降っているのに傘がないのと同じだ。私はきっとさらなる涙を流す。100万円のカメラとはインドでも忘れることはできない。
ということでミドルクラス。
画質等がある程度保証されて、壊れたら、もちろん泣くけども自分探しに出かける必要がないのがミドルクラスだ。ミドルクラスでも昨今は高くなっていて40万円くらいするけれど、100万円と比べれば、半分以下。その差分で自分探しをしないでもインドに行くことができる。私は100万円がないので、差分が生まれないのでインドには行かないけども。
つまりミドルクラスの後継機を買うだ。
これは間違いない。私はミドルクラスのカメラを、もちろん大切にはするけれど、外での撮影が多いので、どうしてもタフな使い方になり、発売日に買って後継機が出る頃には目に見えてへたっている。だから、後継機が出たら必ず買う。今までも、これからもそうだと思う。
だからスペックなんて気にしなくていい。
なのに気にする。どうせ買うのだから、後継機のスペックなんてどうでもいい。おそらく、今よりよくなっている。技術は日々進化し、上位機種で使われていた機能が下位機種にも降りてくる。結果、スペックはよくなる。噂を追う必要なんてないのだ。
でも気になる。
そのために後継機のスペックの噂などをネットで調べては、そうのような機能が! と一人フンフンと頷いている。でも、全ては噂で、噂の記事を読んでいると、このリーカーはあまり信用できないが、という一文で始まることもある。しかし、それを読んでは、なるほろと一人フンフンしている。
この時間が無駄なのだ。
別にどんなスペックでも、カメラはへたってきているし買うのだ。センサーがどうのとか、連写速度がどうのとか、どうでもいい。安ければそれでいいのに、もはやスペックなんて関係ないのに読んでは一人フンフンしている。
この時間を他に当てれば、人生はさらに豊かなものになる、と書きたいけれど、おそらくそんなこともない。特にやることはないから、一人フンフンしているのだ。一人フンフンの時間がなくなったとしても、私にはすることがないのだ。
競馬もそうだ。
私が競馬が大好きで、中学時代から競馬を追いかけている。ただ馬券を買うわけではない。全く買わない。競馬場に行けば100円とか200円は賭けるけれど、行かなければ、スマホのアプリで競馬を見て、一人フンフンするだけだ。
馬券を買わないのに、一人スマホで競馬を見ているのだ。JRAのアプリで無料で中継を見ることができる。メインレースだけではなく、全レースをリアルタイムで無料で見ることができるのだ。そして、私はリアルタイムで無料のままだ。一円も賭けていない。本当の意味で無料なのだ。馬券を買っている人に向けてのサービスかもしれないけれど、私は一円も賭けていない。それなのに頑張れ、差せ、粘れをスマホの前で叫び、勝った馬を見ては、一人フンフンしている。
いいレースだったとか、父親があの、母親があの、とかと一人フンフンしている。その一人フンフンはカメラの噂と同じく、私の役立つことはない。だって一円も賭けていないのだから。無料でこれだけ熱中できるので、いい趣味な気はしている。ただ何も生み出さない。
一人フンフン損ということになる。
何か一人フンフンについてさらならエピソードを書きたいけれど、一人フンフンは時間の無駄ということなので、そのエピソードが浮かばないことは、幸せなことかもしれない。そう書いて、なるほろ、と自分で納得して、いま、一人フンフンしている。



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